今年最後のフィリッピン、台湾行きでした。


10月にクライアントからヒレジャコランプを2個

頼まれていましたが、差し込みコードを切らしていました。


ヒレジャコランプ。



昔台湾で300個くらい仕入れたのですが、仕入れ先を

失念しましたが国内で日本製が見つかりました。

価格は少し高いですがしっかりしていて納得です。

因みに写真のコードは台湾製です。




空港から富士山がきれいに見えました。


7日CX543便で香港。

先ずは両替です。邦銀2行は22銭の差。世界の両替商は

2円21銭高い(悪い)。今回も某国の銀行に期待して

出国審査を通過。

期待に反して某国の銀行は10銭高いではないか。

窓口の女性が邦銀の両替機が搭乗口113番の所にあると

教えてくれる。親切です。

但しパックのみの販売で小銭が含まれています。

当方100ドル紙幣が欲しいので某国の銀行で両替する。


出発時間まではJALのラウンジでいつものように水割り。

まさに“朝から酔って候”。

うとうとしていたら香港着。

キャセイのラウンジではいつものスープをのみ時間待ち。




香港はこの季節ご覧のような景色。

近くの島も見えない。PM2.5じゃないですかね。


セブ行きのCX921に搭乗。

しかしいつまで経っても離陸の気配なし。

結局2時間経って機体不良のため別の機に

乗り換えてくれとのアナウンスでした。

さらに3時間待ってやっと搭乗機来。結局5時間遅れ。



11月ともなれば出稼ぎに行っていたフィリッピン人が

クリスマス休暇で帰国ラッシュが始まっています。

皆、子供へのお土産でしょう大きな縫いぐるみを

それぞれ持っています。


機内で2時間待たされて乗り換えのために降りる客。


ホテルに着いたのが12時前です。


TM氏に電話するのもはばかれる時間で、

結局ついつい深酒となる。

翌8日(土)朝、貝の職人来。昨夜?今朝の酒が残って

また“酔って候”

職人に注文と新しいサンプルを依頼して、他の仕事は

10日(月)からと決めてこの日は仕事せず。


9日(日)は予定なし。ゴルフ練習場に行く元気もなし。

ベッドメイキングのために部屋を空けてやらねばならない。

ミセスポンセの墓参りに行くとする。


かってのクラブフィリピーノゴルフ場(現在セブビジネスパーク)

を南に行っているつもりで見るとこの木に出合う。

この木はたしか1番ホールの中央にあった木だがと思う。

南のつもりが西に行ってました。

結局元の方に戻った訳で、遠回りとなりました。


墓標屋。


道沿いに墓標を彫っている職人が沢山います。

粗末な道具ですが器用なものです。

トンカチは大理石の欠けらです。


ミセスポンセの墓地はこの近くの墓地でなくて、

もう少し先の墓地です。



花籠を置こうとしても前に倒れます。

すかさづ墓守が来て、竹串で固定してくれます。

お礼は50ペソ。

前回は墓守の子供連れがきて、枯れた花を取り除き

掃除をしてくれ私の花を立ててくれたので100ペソ。

後、何回来れるでしょうか。


帰りは歩き疲れたのでホテルまでタクシー。

あとは部屋で水割りを呑んでこの日は終わり。


10日(月)旅行会社でチケット購入。

日本で注文してあったイモガイとマクラガイヒーシー

各100本受け取り。

ずい分値上がりしている。円安とでダブルパンチです。


帰国したら全ての商品の値上げを検討せねば

ならないようだ。

貝、水牛、ウッドなどの出来上がり商品の確認。

水牛職人来。新しい商品の注文。

これで午前は終わり。


午後は貝屋に行き、ヒトデ、貝のスライスなどなど

仕入れ。

PM6時、TM氏が迎えてくれて氏のメンバークラブ

カジノエスパーニョで食事と水割り。


11日(火)品物の出来具合など検品して終わり。


12日(水)午前は取引先3軒に支払い。

       午後はメインの取引先に金を預けて

商品の発送など依頼してホテルに帰る。

午後6時、水牛職人サンプル持参。

貝職人も来る約束だが来ず。連絡もなし。


13日(木)貝職人サンプル持参。

       9時過ぎホテルを出る。

香港からの乗り継ぎ便を何時もより35分早い便に

変更してあったので、到着が遅れて搭乗口まで

カートで移動。

CXの台湾行きはいつも満席です。


台湾元に両替するがここでも円安を実感。


14日(金)AM7:15散歩。

林森北路を南下。南京北路、市民大道と南下しても

道路表示は林森北路の表示である、

そして忠孝東路を横切ると初めて林森南路と表示が

変わる。

気を付けて散歩していると忠孝東西路を横軸に

立ての道路は南北に分れている。

40数年間南京東西路で各道路は南北に分れていると

理解していました。大変な誤解でした。

中山南北路を縦軸に東西路は間違いではありません

でいた。







しばらく行くと道路の対角の角に片や赤い建物で

天主教(キリスト教)、一方は中山基督教長老教会の

看板。

対照的な建物でした。


さらに南下すると古いレンガ造りの建物が見える。



何の建物かと思い建物沿いに歩く。









塀の柱には唐三彩のような焼き物の絵、昔漢文で

習ったような文言が埋め込まれています。



建物の入り口のドアも木製で相当古い。





結局、200メートル四方をグルリと廻ったことになって

やっと入口に着きました。



台湾大学社会科学院でした。


1時間半の散歩でいつもの喫茶店でモーニング。


9時過ぎにホッテルを出て2軒の取引先に行き支払い。

商品はEMS送りを依頼。


小龍包の屋台。

コンビニが出来る前は朝と昼はおお流行りの屋台だったが

今はコンビニに食われてしまったようだ。


15日(土)7時過ぎに散歩と下に降りるが小雨で中止。

9時前のバスで飛行場。

キャセイのラウンジでいつものように水割りと牛肉麺。

だいたい予定通りに成田着。


16日(日)朝みかんの木を見るとヒヨドリが来て啄ばんで

いる。彼らは食べごろを良く知っている。



急いで取りいれる。少しだけは残してやる。


21日、中国の貝パーツ、フィリッピンの航空便の商品も着。

もう一便も今朝成田に着いたようです。


今回新しく仕入れた商品の一部です。



クチムラサキサンゴヤドリスライスです。

切らしていました。



これは今回発注したものです。

切らしていました。



サメの歯4cmを持参して針金を巻いてもらいました。




リュウオウスガイ。南アフリカの貝です。

高い貝ではありませんが削った跡が何か漆工芸の

ような味が出ていて気に入っています。




トウカムり貝のランプの注文をもらいました。

2ケです。コードが手に入りましたので心おきなく

作れます。


沖縄知事選は辺野古移転反対の知事が選ばれました。

ジュゴンも喜んでいるでしょう。







10月8日沖縄でした。

19号台風発生のニュースでしたがまだはるか南方の

ようですので気に掛けていませんでした。


昼前に那覇に到着。

いつもの沖縄そばで腹ごしらえ。



紅ショウガに島トウガラシのエキスをかけて食す。


国際通りを歩くと三越9月21日に閉鎖したとの看板。





思えば43年前、沖縄復帰を翌年に控えパスポートと

米ドルを持っての沖縄でした。

1階入り口のアクセサリー売り場を訪ねるとそこには

まぎれもなく当社のアクセサリーが既に並んでいました。

売り場の仲宗根主任に聞くとK-シェルが入れているとの

こと。

そのK-シェルに売り込みが目的でした。

むろんK-シェルとは取引が始まりました。


8日は国際通り、その裏道などを歩いて沖縄の空気を

肌で感じる。

裏通りの小さな店に参考になるようなものを発見できる

時があります。




国際通りの土産店。

この店も古い。聞けば1953年オープンとの事。




貝でできたシーサー。お見事です。

上唇はクモガイ、下唇はヒメジャコガイ、胴体は

小さなヤコウ貝、足はギングチサザエ、尾と眉は

ホラガイの仲間。

沖縄には匠が多い。


夜は何時もの酒豪。

通うこと20数年。仕事は辞めても呑みには来たい。







この夜はマイボトルの泡盛をポークタマゴ、麩チャンプル

を肴にして呑みホテルに帰る。


翌日は3軒の取引先を訪ねて沖縄の仕事は終わり。

取引先の皆様には歳ゆえにそろそろ幕引きの時が

近づ来ましたとお伝えして来ました。


4時前にもう1本のマイボトルの店。なかや食堂。



マイボトルキープ名は仲村渠(なかんだかり)と読み、

沖縄の姓で改正して仲村とされた方が多いと聞きます。



なかや食堂の美らさん。

美らさんの頭の左上には12インチくらいのテレビ。

聞けば20年」あまり使用とのこと。メーカーはオリオン。

新しいのに変えればと云うとまだ使えるとの返事です。

消費電力も大きいと思う。



なかや食堂でもポークタマゴ。

4時半まで呑みホテルに帰る。


6時に酒豪。

そーみん(そ-めん)チャンプルが肴。


10日。この日は1日市内をブラブラする。

先ず対馬丸記念館。





裏手の山に(旭が丘)に登り、海鳴りの像。



額と疎開で犠牲になった対馬丸は有名ですが、

それ以外にも数隻の船が敵艦の攻撃に会い犠牲に

なった沖縄県民の霊を祀ったのがこの像。


少し下って子桜の塔に行く。



ここは対馬丸で犠牲になった子供たちの霊が海に

残されたままなのを悼み愛知県の子供たちの力で

建立された塔。


そして波の上海岸へ。



いつもは青いブイで遊泳区域が仕切られているが

台風に備えて浜辺に引き上げられている。

ライフセイビングの見張り櫓も倒されています。


孔子の祀られている至誠廟。



4月に来た時は建設中でしたが、立派に完成して

いました。

元は波の上の方にありました。


次は福州園です。







入場者は中国からの観光客が多かったです。


次はその前の松山公園です。

ここは県立第二高女跡です。






白梅の乙女たち像の脇ではソテツの実がはじけて

いました。


国場川沿いに北側の道を歩いていますと球陽館の名の

ホテルを見つけました。

もしやと思いフロントで昔浮島通りにあった球陽館ではと

問いますとそうですとの返事。



43年前、初日が奥武山プレジデントホテルでUS$16.00,

次が球陽館でUS$5.00で宿泊したことでした。




少し歩きますと紅型屋創業明治12年と書かれた看板を

見つけました。

更に歩いて昔のD-nahaダイエースーパー跡、今は3階までが

本屋さん、4階が100円ショップ、5階から8階までが空いて

いるようです。





国際通りに突き当たればドンキーホテ(以前はオーパ)

です。



昔は三越、山形屋、ダイエー、ベスト電器、オーパなど

大型店舗が国際通りか近くにありましたが時代の流れ

です。

残るは県庁北口の“りゅうぼう”(琉球貿易商事)デパートのみに

なりました。

三越もりゅうぼうが店舗展開をするようです。

何の店ができるか楽しみです。


市場通りに平安山宝石店があり何時も通る度に何と読むか

気になりますので思いきって聞きました。“へんざん”と

読むそうです。平識はへしき。


19号台風が近づいていると知りながら4時過ぎに

なかや食堂で泡盛の水割り、6時過ぎには酒豪で

やはり水割りを呑みホテルに帰る。

テレビは台風は沖縄に近づきつつあると報じている。


安の状、11日は陸も空も交通機関は全て不通となる。

もう1日泡盛が呑めると楽観していたが終日台風は

吹き荒れて外に出ることままならない。

この雨風の状態でも夜半には居酒屋の灯がポツリポツリ

と点きはじめる。

10階の部屋から恨めしく眺めるのみ。


まる1日以上することもなく部屋のビール、泡盛をのみながら

部屋で過ごす。

暇なので頼まれていた貝でのシーサーの図案を描いて

みる。





12日はバスは終日運休、モノレールは昼から動き、

空港も12時まで閉鎖とのことなので12時にモノレールに

乗って空港に行く。



チエックカウンターは長蛇の列。

3時間半待ってやっとカウンターに着けば今日は勿論、

明日も満席との返事。

さすがに3日も延泊は嫌なのでスタッフと話していると

その間に明日13日の便に1席キャンセルが出て確保する。

ANA123便17時50分発の便です。


この日はなかやも酒豪も開いていない。

近くの居酒屋で呑んでホテル。


13日は少しでも早い便に変更できないかと9時過ぎに

空港に行くが昨日よりもさらに多くの客がキャンセル待ちで

並んでいる。

2時間くらい待っていたが諦めて那覇に帰る。

なかやで2時間くらい呑んで空港。



台風は既に行き去っていますが打ち寄せる波は

まだ高い。

夜半無事帰宅。


16日は恒例のゴルフのため高知入り。

この夜は高校時代の同窓生との飲み会。


17日先輩の迎えで錦山ゴルフ場。

結果は満身創痍の先輩の一人勝ち。

夜は前の会社の後輩と呑む。

次のゴルフは来年の4月。


18日朝少し近くを散歩。



高知城。



城主山内家の下屋敷、今は三翆園ホテル。


兄が高知新聞の切り抜きを持って来てくれる。







わが山北の貞岡商店が90年の営業に終止符を打つ

ニュースです。

われわれは菊店と呼んでいました。たぶん初代が菊次か

菊次郎さんだったのではないでしょうか。

5円、10円を持って駄菓子を買いに行きました。


写真は3代目のよし子さんですが店がずい分明るくなって

います。2代目のおばさんのころは品物のあるところを

よく覚えちゅうと思うくらい処狭しでした。


母を訪ねた後、はりまや橋から空港行きのバス。



はりまや橋で見た“とでん”。都電でなくて土電(

土佐電気鉄道の略)。




空港では何時ものように蒲鉾を肴に樽ハイ。


これで10月の行事は終わりました。

次は11月のフィリッピン、台湾です。


来年のゴルフは4月の3日、10日のどちらにするか

とのショートメールが届きました。



9月はフィリッピン、台湾行きでした。


5日。羽田での両替は邦銀2行の差は27銭の違い、

世界の両替商と邦銀との差は2円34銭で邦銀有利。


某国の銀行に期待して出国審査を通過する。

しかし邦銀との差は24銭で期待外れです。

ただし、手数料30%引きのカードを使えば

54銭の差額が出てきました。


いつものようにJALラウンジで水割りを呑んで、

香港経由でセブに着く。


ホテルに着いて水割りを飲み始める。


TM氏から来客があるので日程をづらすようにとの

連絡を受けていたので、今回は電話せず。


6日(土)午前、貝職人、水牛職人、午後、貝屋、

ツキ貝コインパスを選りわける。




夕刻ホテルにウッドビーズ、トラ歯を売りに来る。

この連中はあまり信用できない輩達。


トラ歯は見事な大きさで本物っぽい。200個買う。





部屋に持ち帰り、これを眺めながら水割り。

それぞれの歯を比べても型が違うので本物だと信じ

更に仕入れようかと迷う。


7日(日)部屋掃除のためにゴルフの練習場行き。

夜はまたトラ歯を見ながら水割り。


8日(日)貝職人のところにトラ歯5枚持参して穴を開けて

検査。

職人に聞けば偽物とのこと。やはりだまされた。


フィリッピンに来出して40数年、注文品との違い、

訂正などに商品の返品をしておくとすでに金は支払って

あるのでなかなか正しい品を作ろうとしない。

連中は当方が忘れるのを待っているのである。

毎回毎回催促するのでこの様なことに忙殺される。


クチムラサキサンゴヤドリのスライスも今一つ丸みが

ないので再度ガシャを掛けるように頼めばOKと云って

おきながら掛けていません。

それでいて掛けたと答える。

納得がいかないので11月に行って別の所でガシャを

掛けてもらう積りです。


毎回こんなことの繰り返しですが、連中が居なければ

仕事になりませんので我慢しています。


全てがこのようなフィリッピン人ではないが、概して多い。

ミセスポンセのように聖母マリアのような人も希にいます。





夕刻、トラ歯の連中がホテルに来。

“飛んで火に入る、夏の虫” 持参の商品を取り上げて、

トラ歯と交換して差額のみを払う。


溜飲を下げてこの夜の水割り美味し。




朝食にマンゴを食す。

あまり熟れすぎてなく甘い。


今回作ったパーツ。

左上から①白蝶貝のスプーンとフォーク。長さ2cm。

②マガキ貝のこの葉。昔台湾で仕入れたものですが

左側のものしかなかったのでペア売りにするため片方の

木の葉を作る。③上の白蝶貝丸を持参して下の貝型2個

を作る。次回150個ほど持参して作ります。

④3個のパウアシェルのサイコロ(通し穴)を作らす。

⑤中断右はハマーシェルでヤシを作りピンクとブルーに

染めらす。⑥下段右は黒蝶貝三日月のペア。以前ペアで

作らしたのに何故か片方のみ残っていたので穴なしを

作らす。⑦中央は#6270白蝶貝と黒蝶貝の貝型。

⑧その左は従来のシェルデザインのトップを買える。

ただしこれだけの変更で価格が倍になるので、従来の物も

残すことにする。⑨メキシコ貝のタンザクを持参して

シズク型のパーツを作る。以前から作っていたが無くなった

のと型を改良する。



白蝶、タカセ(下)の三日月のパーツが残っていたが

このままでは売りづらいので下のように左右に

アバカロープを巻きつけてもらう。


タカセヤシとカモメ。

ヤシとサーフのパーツを持参してサーフを切り落とし

してもらう。51ペア。

カモメは裏に擦り傷のあった物を持参して磨いてもらう。

二つとも昔台湾から仕入れた物です。

ヤシとサーフのパーツももっと持参したいのですが

フィリッピンの職人は自分の物でないものはとかく扱いが

粗いので気を使います。

カモメは貴重品です。今作らせば高いこと云うでしょう。


貝のスライス。

今回仕入れた貝のスライス。

タケノコカニモリガイ、イボボラなど。


ノシ貝。


非常に白黒のはっきりしたきれいなノシ貝を手に入れる

ことができました。


マガキ貝ハス切り。

これらノシ貝、貝のスライスは11月までに更に作って

おくように注文しました。

ハナビラタカラスライス花。

これらは在庫がありますがついでに仕入れました。

ただライスシェルフラワーは不良品が混じっています。


他にウッドビーズを2,500本くらい仕入れましたが

無駄な仕入れもあり反省しています。


それでも無事終わったかと11日セブ空港に行きましたが

貝、水牛、ウッドの職人への注文する品を忘れているのに

気づき連絡をする。


めずらしくセブ空港のキャセイラウンジで水割りを呑む。


11日香港経由で台北着。

12日取引先に行きタカセ貝型検品、預けてあったパウアイルカ

などと発送依頼。


台北駅の地下道を歩いていると聞き覚えのあるメロデーに

中国語で歌っているバイオリン引きのオジサン。

歌は夕焼け小焼けでした。



むかし国営の国光号のバスで“野崎参りは屋形船で

参ろうか・・・・・”の歌が流れているのには驚きました。


夜は欣葉で食事。


いつもの三品に紹興酒。

初めてのウエイトレスが紹興酒の残りは持ち帰るかと

聞く。新しい小姐はのん兵衛の事知らず。



ほろ酔い機嫌で夜市を歩いていると双子を乗せている

乳母車のお母さんに会いました。

左右並列の乳母車はみたことがありますが、上下二段の

は初めてです。これは横に場所を取らず便利です。


13日帰国の日。

朝6時半散歩。


天津街を南下するとカイナン開南商工学校(台湾商工)

に出くわす。

2012年で開学92年なので今年は94年目。





いまだに柔剣道の授業が行われているらしい。


林森南路を南下して中正記念堂に出る。






記念堂沿いの信義路を歩き中山南路を北上しながら

総統府、台湾大学病院、立法院などのどこか日本時代の

名残りをのこした建物を見てホテルに帰る。


総統府。


この間、1時間半の散歩。汗ビッショリ。

シャワーをあびて空港。


キャセイのラウンジで水割りを飲みながら時間を待つ。


帰国すれば1ケ月に6円の円安。

2年前は1ドル80円前後、今では110円前後。

4割の円安。どうすりゃいいのか商品単価。

売る人も苦しいが、買う人も苦しい。