フィリピン、インドネシア産などの白蝶貝はオーストラリア産の
白蝶貝に対して通常ゴールドリップと呼ばれています。
GOLD-LIP直訳すれば金の唇ですが、いわゆる黄蝶貝と
呼ばれているものです。
上の左側のかまぼこ型も日本製ですが材料はフィリピンか
インドネシア産の白蝶貝と思います。
しかし1枚の黄蝶貝の全てが黄色ではありません。
外が黄色でも内側は白です。
上のかまぼこでも底から見れば全て白です。
左のかまぼこは黒蝶貝ですが、これも底を見れば白です。
黒蝶貝はBLACK-LIP(黒い唇)と呼ばれています。
因みにマベ貝はBROWN-LIP(茶の唇)と呼ばれています。
黒蝶貝です。
口の方の廻りが黒ずんでいます。中側は白蝶貝と同じく白で
外側はむろん黒です。(BLACK-LIP).
この黒蝶貝はタヒチ産のものです。
白蝶貝です。(GOLGーLIP)。
かなり大きな貝です。
マベ貝。いわゆる茶蝶貝です。(BROWN-LIP).
黒蝶貝ヒーシーです。
むろん白い部分も黒蝶貝から採られたものです。
白い部分は白蝶貝と同質です。
さてどの唇が好みですか?
フィリピンには赤い唇もあります。
上がRED-LIP(赤い唇)です。マガキ貝の一番端の赤い部分で
作られたのが上部のレッドリップヒーシーです。
上は白蝶貝のチューブ2~3mmです。
やはり30年近く前の品です。将来作られることはないだろうと
取って置いたものです。
現在はフィリピンで作られていないはずです。
これも100本あまりですが、売ります。
ほとんど白の蝶貝です。黄蝶貝のみのチューブもあります。
上から黒蝶貝、バイオレットオイスター4~5mm、2~3mm、
オリーブシェル4~5mm、2~3mm、下がハマーシェル2~3mm
のヒーシーです。
マガキヒーシーのリング、メロンヒーシーとやはりメロンのトリの
イヤリングです。白蝶貝のヒーシーと白蝶貝のトリ、ムラサキ
ヒーシーとムラサキトリ、マガキヒーシーにマガキトリなどが
あります。全てSCRAPです。
トリは30数年前に作られたもので形の良いトリです。
マガキヒーシーです。ある程度溜めておいて差し替えます。
右はメロンシェルヒーシー、中央の黒いヒーシーには黒蝶、
オリーブ、ペンシェル、バイオレットオイスターなどのヒーシーが
あります。左はハマーシェルヒーシーです。
右の白いのはコーノス(イモ貝)ヒーシー、左はタイガーカオリー
(ホシダカラ)ヒーシーです。
このように端切れを集めておいて40cmの長さになるようでしたら
差し替えます。
一口に2~3mm、4~5mmと云いましても1mm違えば
ずいぶん大きさが違います。
大きさを揃えて糸通しするのは骨が折れます。
無理は禁物です。
端切れを繋いで40cmに仕上げています。
上の写真のヒーシーは上段がマクラ貝、下がホシダカラの
ヒーシーです。
左の小さな貝がマクラ貝、右の大きいのがホシダカラです。
同じヒーシーでも材料の貝はこれだけの大小の違いがあります。
プカクラスAの7~8mmが残り少なくなりました。
本来ならフィリピンから仕入れるのですが、上のようにブレスに
なった物がありますので解体して下のように差し替えます。
それに私の手持ちのプカより良いプカが手に入るか疑問です。
36年くらい前にオリジナルパーツを作りたくてフィリピンの知人に
セブ一の職人を探してくれと頼み、資金は私と中安氏が出し
儲けはそれぞれ1/3づつ分配することにしました。
セブの外れに150坪の土地を借り、そこに竹でニワトリ小屋の
ような作業場を作ってのスタートでした。
粉塵は全て竹と竹の間が隙間だらけですので外に垂れ流しです。
しかしこの粉塵のすごさに中安氏は金は出すけど手を引かさして
くれとのこととなりました。
しばらくするとフィリピンの知人の所に別の日本人が訪ねて来、
フィリピン人の知人は彼と共同で事業をするとのことでした。
私も知っている日本人でした。私は知人に彼と事業をするなら
私の仕事から手を引いてもらいました。
理由は彼と事業をすると必ず問題が起こると確信していたから
です。
結局、私一人で職人四人とのスタートでした。
親玉は腕のいい職人で出来上がりの品は上々の売れ行きです。
親玉には職人は8名以上増やすなと厳命してありましたが
遂に18名まで雇っていましたので、日本では冬場は貝製品は
需要がないと言いますとその時は職人を減らすとの返事です。
解雇された職人は必ず別で私の品を作り売るはずです。
ところが彼らにはそのような危機感はないのです。
上が当初作りました品です。
職人を泣かせたのが女性の目、口、あごの3点です。
右側の白蝶の髪の毛の女性がほぼ私の希望の女性です。
この商品のコピーもずいぶん出回りました。
イヤリングに本物のサンゴのマル玉が付けられたりしていました
がこの顔以上の出来栄えの品は見当たりませんでした。
上の写真の女性ではあごが長すぎます。
当時はグラインダー、カッターとドリルしかない状態でしたので
特に目のラインに苦労したようです。
当時では画期的な品でブローチ、ペンダント、イヤリングの3部作
を作り間に合わない状態でした。
職人には私が儲かるだろうからその金で、白蝶、黒蝶貝などの
材料を買っておけ将来必ず値上がりする、その時は値上がり
価格でパーツを買ってやると忠告したのですが、突然、ジープで
私のホテルに来たのです。価格は300万円とのことです。
その後、事故を起こしジープは廃車、他にも挙動不審の行為が
あり働いていた2名の職人に独立させたのが現職人の1人です。
当時、私が滞在していたマジェランホテルにジプニィーを
乗り継いでいつも夫婦がゴム草履で品物持参し、靴などは履いた
ことのない人たちでした。それがいきなり中古の300万のジープ
でした。
腕は今でも本当に良い職人でした。
余談ですが日本人と共同で事業をしたフィリピン人の知人は
やはりけんか別れをしたとのことです。
当時は観光地用の物産を多く仕入れていました。
それもオリジナル製品を作らしたものです。
銀座のいとうやからエアーブラシを買い持参して、
さまざまな民芸品を作り、儲けることのできたた業者たちです。
やはりオリジナル品を他社に売られ、裏切られたことも
しばしばです。
日本人の中には業者の所に来て私の友人だから
作っている所を見せてくれ、品物を分けてくれと云って
持って行った人もいました。
この取引先も見込みで銀行から金を借り、住宅を購入した
のですが、私の品を他の日本人に売り取引中止で破産し、
住宅は銀行に差し押さえられ、アメリカに女中奉公に行き
2年ほど前に帰国したと聞きます。
彼らは私の考案のものを他の業者に売れば更に儲かると
足し算は出来ても、私への売り上げが減ると云う
引き算が出来ないのです。
結局、フィリピンで製作からとなりますと現地に住んで
監視し続けることが必要です。
もっともその場合は命の保証はありません。
当時は年に3~4回、コンテナ船での輸入でした。
船会社とも話し合いで船代は半額にしてもらいました。
現在はアクセサリー材料のみですので航空便ですが、
V6が白のヤタラのネックレスを着けた時は10万本を他の物産と
コンテナ船で輸入しましたが送料はタダみたいなものでした。
しかし10万本のヤタラはプカシェルの27万本のネックのようには
売り捌けず、結局1万5000本あまり残しました。
そこで考えたのが上のブレスです。
これは成功でした。
これの為にユベロン(ゴム紐)1巻(8,000M),4~5kgを日本から
持参しました。今ではセブの材料屋で買うことが出来ます。
ある時、バリのレギャン通りの土産物屋の店員がこのブレスを
着けているのに驚きました。
インドネシアでヤタラが作られているとは思いませんでした。
店員に聞くと日本人がこれが出来ないかと置いていったとのこと
でした。先ずは安心でした。
時には5トンコンテナを直接、沖縄に着け丸ごと買ってもらった
こともありました。
ある時はダバオで給油のため停泊中に船員たちは上陸し、
見張りはいたのですが私の品が盗難に遭いました。
コンテナにはカギが掛かっており、グルでなければ起こり得ない
事です。むろん船会社には弁償させました。
よく同業者はフィリピンに行けば一般的な品物はあると
思いがちですが、彼らは注文を貰ってから作ります。
それも彼らは前金を要求します。
バリ島が完成品を売っているのと大きな違いです。
ただしバリの完成品は粗悪品が多く感心しません。
パーツにはフィリピンにない物があり、大いに興味があります。
もう少し若ければ再々度行きたい島です。
上のイヤリングパーツは20年くらい前のものです。
オーナーは華僑でした。
抱えている職人の腕は確かなものでした。
毎回オーダーするのが楽しみでしたが、ただオーナーは闘鶏に
のめり込んでいました。賭ける金は大きいと聞いていましたが
ある日、訪ねると工場はもぬけの殻でした。
たぶん闘鶏のせいでしょう。
たえず20~30種類のパーツを仕入れていましたが
惜しい仕入れ先を失くしました。
ここは貝を張り合わせてステンレスと組み合わせたり、貝を染めて
張り合わせるのが得意でした。
15~16種類のパーツをかなりの量を買いだめしてあり
シェルワールドで販売していますが好評で残り少ないようです。
上の写真は海ヘビのパーツです。
当初は華僑の業者から仕入れていましたが、知人から紹介され
直接職人と取引をすることになりました。
2~3のヘビ革業者は知っていましたが、この業者の染色技術が
ずば抜けてよかったです。
当初、私が華僑の業者から仕入れている価格で仕入れてやると
約束しました。
月に30~50万円の仕入れでした。ただし毎回のように値上げを
してきますので遂に仕入れを中止しました。
彼らに情けは禁物でした。
日本人と思って足元を見られた所以です。
この職人も数年前に亡くなったそうです。
これなどは当初の華僑に任せておいた方がよかった例です。
ただし、この華僑も今一つ信頼できることが出来ませんでした。
40数年間、主としてフィリピン、台湾と取引をしてミセスポンセを
初め良い取引先に恵まれ楽しい商売をさせていただきましたが
中には苦苦しい思い出も多々あります。
フィリピンではココナッツの実でパイナップル型の筆立てを考案し
3,000個注文したのに500個を同業の日本人に売られたので
3,000個をキャンセルし、私の得べかりし利益を補償させました。
結局、信頼できたのはミセスポンセは別格としてマルチニ・ナン
でした。彼とは原貝の取引で知り合ったのですが、下関に毎月
大量のウニを輸出したり晩年は市会議員でもあった資産家でした。
私と同年でしたが若くして亡くなったのが残念です。
貝の職人の品も彼の元へ持参させ日本へ送って貰っていました。
彼亡きあとは他の華僑、フィリピン人に頼みましたが私の独自の
品を他に流される始末でした。
1985年(丑年)でした。今から33年前です。
高雄(台湾)のチンさん宅で上のようなランプにトラの絵と
HAWAIIの文字が彫られているランプを見ました。
HAWAIIの文字に来年のトラの干支が彫られているのに違和感を
感じましたが新鮮なアイデアでした。
帰国してヤシの図にイルカとカモメのを描いてサンプルを依頼し、
修正を重ねながらOKを出して3,000個注文したのですが、
私の図で同業者に500個売っていました。
すぐにキャンセルをしてフィリピンで貝の方を作らし、スィツチと
電球は台湾の業者に発注でした。
当時の私のオーダーは直感で全てミニマム3,000個でした。
フィリピンでは既にタカラ貝に彫る技術はありました。
ペーパーウエイトとして売られていましたのですが
この技法を台湾が利用したのでしょう。
フットランプにしたのが新鮮でした。
これは日本で100万個以上は売れたのではないでしょうか。
逆に台湾で裏切られたのが幸いし、いろいろな貝をカットして
ランプに展開できました。
沖縄に行けば仕事柄、時間があれば土産物店を覗きます。
かって私の作ったものにミニ風鈴があります。
1年で30万個くらい売れました。北海道から沖縄まで
注文を受けました。中には500万円を預けておくから優先的に
廻してくれとの方もあったくらいです。
当時の風鈴が偶然にも2個見つかりました。
2年ほど前に残っていたものをお店屋さんにあげましたので
ないものと思っていました。
15~16種類作った品の1つです。
作った業者に尋ねますと今では手間が掛かってとてもできない、
価格も非常に高くなるとの答えでした。
今、店頭に並ぶ品々を見ますとこの品を再現したく思って
止みませんが諦めます。
ただ何かこれに変わる物を模索してみたいです。
思えばこのようなカーアクセサリーも作らしました。
失敗作です。中央の人形はかろうじて原形をとどめていますが
両サイドは足がありません。
パイプウニの塩抜きを怠ったためにワイヤーが塩分で腐食した
ためです。
3~4,000個が日の目を見ませんでした。
V6をVロクと云っては三和銀行の外為の女性にVシックスだと
教えられたり、最近でも上のタカラ貝ランプをアベックと云えば
スタッフから今様の言葉ではカップルと呼ぶと教えられました。
10年、ひと昔と云いますがさすがに40数年は長いです。
全てが変わっています。
意欲は衰えていませんがエネルギーがありません。
そろそろ潮どきかもしれません。
上のような髪止めを思い出しました。
白蝶貝とペンシェルの貼合せです。
バー(棒)は水牛です。
古い商品ですがいい仕事をしていると思います。
シェルワールドに出して見ます。
バレッタもずいぶんの種類を作りました。
上から2つはフィリピンアワビのクラッキングで廻りはステンレスです。
その下はオウム貝、ペンシェル、赤サンゴの貼合せです。
下はタカセの帽子型のパーツを重ねたものです。
いずれもやはり良い出来栄えと感心しています。
やはり貝を使ったものが多いですが、ウッド、海ヘビ、水牛など
多岐に渡っています。
このようにブログに書かせてもらうことによってまだまだ品物が
残っていることが思い出されます。
整理が急がされます。
フィリピン行きの日が来ました。
1972年、46年前から数年は単独でフィリピン行きでしたが、
その後は台湾とフィリピンを同時に2国で仕事を済ませたものです。
とりわけフィリピンで仕事を済ませ台湾での紹興酒に台湾料理を
肴に呑む酒の味は格別でした。
台湾料理の店で頼むものはいつも同じもので,しらすとシジミの
味噌煮、干し大根と卵のお好み焼き風、空心菜、太刀魚の塩焼き
でした。これを肴に720mlの紹興酒を2本です。
紹興酒も銘柄にこだわりがありました。
ウエイトレスはいつも苦笑いしていたものです。
1人では食べきれない量でした。
ある時は結婚式で貸し切りの時もありましたがマネジャーが
カーテンで仕切ってくれてここで呑めと奨めてくれたり、
ある時は喫煙席は満席でしたが、ウエイトレスが禁煙席の
禁煙札倒して、これでOKでした。
当時はヘビースモーカーでした。
当時、台湾料理は梅子、欣葉、四川料理は栄星川菜、
海鮮料理は海覇王をよく利用しました。
ただし、いつも1人ですので隅の方の2人掛けの席でした。
欣葉では上記ように特別の扱いを受けました。
最初の頃は梅子をよく利用しました。
大体、大勢の席で良い席はウエイトレスの古株が担当と
決まっています。当然、ウエイトレスが得るチップが多いからです。
私のように1人で行きますと隅の方の2人掛けのテーブルですから
新人のウエイトレス担当です。
いつも梅子に行きますと同じ娘が担当でした。少し不良少女Aの
感じでしたが50元チップをやると多いと云って10元しか
受け取らないのです。
このような態度にどこか惹かれるところがあった小姐でした。
その後は中安氏とフィリピン、台湾と同行する機会ができましたので
台湾での酒の肴も増えました。
当時、ビジネスは台北でなく南の高雄でしたので、取引先にゴルフ
バッグを預けて暇を見つけては1人でキャディの小姐を伴に
早朝ゴルフを楽しんだものです。
今回はその思い出深い台湾とも別れを告げて直接羽田から香港経由で
フィリピン往復です。
ここ2年あまりエバー航空を利用しました。
この2年間でキャセイ航空のマルコポーロメンバーズカードは
ゴールド、シルバーカードから2階級降格のグリーンカードになりました。
マルコポーログラブのメンバーになったのが1994年、24年前ですから
キャセイを利用し始めたのはそれより1,2年前のはずです。
当時の香港は啓徳空港で、着陸は近くのビルをかすめて下りました。
事故の多い空港でした。
ホテルー空港間はホテルのベンツが送り迎えしてくれ、ホテル代から
夕食、朝食は全てキャセイさんが負担で、香港での仕事も中国へ足も
伸ばせました。
当時は当日セブへの接続便がなかったからです。
今では香港、セブ間は大盛況ですが当時は開設間もないころで
至れり尽くせりの大サービスでした。
今回のフィリピン旅行はキャセイのマイルが残っておりそれを
利用したので費用はフリーです。
香港でセブ行きに乗り換える際、エコノミー席からプレミアムエコノミー
席に変更してくれました。
通常9人掛けでプレミアムは7人掛けです。
キャセイさんは私の事を忘れてはいなかったようです。多謝!多謝!
グリーンカードでは荷物の優先受け取り、各空港でのラウンジの
利用も受けれません。チェツクイン、搭乗は優先順位あり。
羽田のキャセイラウンジのバーテンダーさんが濃いめで
ダブルの水割りを作ってくれたのが懐かしいです。
はたして何年後にラウンジに酔っ払いは帰れるのか。
今更ながらこの2年間で失ったものの大きさをひしひしと感じて
います。
ホテルのマンゴーフルーツです。美味です。
いつもの朝食です。
ガーリックライスの米がいつもより粘り気があります。
もち米のようです。
外米のライスに馴染んでいますので違和感があります。
今朝はハムに変えてもらいました。
ガーリックライスも3日から馴染みのフィリピン米です。
思えば、当時のセブの日本食堂ではカルフォニア米使用でした。
ある時、JAICAの駐留の方から日本米の種籾を依頼され
持参しましたが、気候風土が合わなかったのか失敗だったようです。
次に台湾米を要望され台湾から持参したところ見事に成功したと
喜んでもらいました。
これが現在のセブ日本レストランで提供されている米だと聞いて
います。
今回持参したタカセ貝です。
パウアシェルです。
18~20cmの大きさです。
ジュエリーグレイドのものです。
前回、持参したヤコウ貝、パウアもまだ磨かれていません。
オスメニアパールの貼り合わせのパーツですが半分に
カットしてもらいイヤリングなどのパーツにしてもらいます。
バレッタ用に作らしたものですがカットしてブローチのパーツに
変更してもらいます。これもSCRAP & BILUDです。
早速、業者がホテルへの売り込みです。
ギングチサザエのパーツですが20本です。
これは40~50本欲しいのですが20本のみでした。
オウム貝のハートです。在庫がありますが仕入れです。
ヤシ貝ヒーシー4~5mmです。20本持参なので仕入れ。
マガキヒーシー4~5mmは30本なので仕入れ。
カマゴン(黒檀)8mmは社の在庫が不明なので30本仕入れ。
売り込みの連中も貴重な情報源ですので出来るだけ買って
やります。
しかし、連中への情けは往々にして為にならずが多いです。
ホテルでは持参した貝のパーツを酒を呑みながら思案を
巡らせます。
白蝶貝、黒蝶貝の蒲鉾型のパーツです。
金具の枠に嵌めてペンダント、イヤリングで一世を風靡したもの
です。たぶん2,000個以上あります。
日本製です。生かしたく思います。
メキシコ貝、白蝶貝のタンザクです。
枠に嵌めるために作られたものでメキシコはクジャク模様、
白蝶は純白で一級品の貝です。
これは以前、メキシコ貝タンザクを持参して作らしたものです。
サンプルとしてホテルに置いてあり、時々眺めながら水割りです。
材料は持っていますので作らしたいのですが、出来上がりの品の
渡した材料と完成品との数が合わなく二の足を踏んでいる所です。
昔の台湾でも現在のフィリピンでも先ず発注主は材料を渡す時に
職人に仮に材料を買わして、出来上がった品を買い上げ、
材料代を差し引いて金を払うのが通常です。
こうすることに寄って職人の誤魔化しを防いでいるのです。
近くで子犬を見つけました。
生まれて3週間だそうです。私の足元にまとわりついて来ます。
かわいくて日本に連れて帰りたいくらいです。
いわゆる雑種です。なんでも赤ん坊の時はかわいいです。
母親の姿を見ますとチョットうんざりです。
検疫などは受けていないでしょうからむやみに触るのは注意です。
黒蝶貝の貝型ですが、注文したものとデザインが違います。
白蝶貝のシズク型で300個注文していましたがべらぼうな値段で
金を受け取っています。
これも金を預けてあったところから倍の価格の金を受け取っています。
その上、島に私の注文の品を取りに行くが旅費がないのでと
2,000ペソ貸すが約束の日にも来ず音信不通です。
そろそろ35年付き合った職人とも別れる日が来たようです。
結局、10万円余りの金も帰って来ないです。
もとよりこの金は還らずとも真面目にするならと思っていましたが
やはり“情けは人の為ならず。否、情けは自分の為ならず”です。
暇を見つけてミセスポンセの墓参りです。
慈悲深い人でした。
TM氏と8日、カジノエスパーニオで和食、11日、セブカンで
念願のシュリンプガンバスのご馳走をいただきました。
本当に美味です。この味は観光客では味わえないでしょう。
TM氏のメンバー特権です。
ジャクダニエルの水割りで至福の夜でした。
ホテルに帰ると至福の時もつかの間、大きな袋がフロントに
預けられいます。
上のようなパーツです。各500個です。
本人たちはフロントに預けたまま帰っています。
翌日、500個は多いですが押し付けられました。
水牛の職人も帰国前日の夜に持参です。
いい仕事をする職人ですがやはり時間を守りません。
全ての品は航空便送りを昼間に依頼したところです。
TM氏から11日(日)に在留の日本人の方々が任務を終えて
帰国されるコンペがあるので参加するかと誘われるが断る。
中には馴染みの人もいました。
懐かしくてゴルフバッグの中には上のティがあります。
ゴルフ場で拾った折れたティを持ち帰り、先を削り再生したもの
です。これもホテルの部屋で夜な夜なの作業が楽しみでした。
マンゴーです。
この種はこのままグリーンで成熟して表面が黄色にならないようです。
しかし味は美味だそうです。
むかし台湾でこの種のマンゴーを食したことがあります。
少し繊維質が多かったですが濃厚な甘さでした。
上はハマーシェルのハイビスカス11mmです。
これの17mmが欲しいですのでホテルに売り込みに来る連中に
頼むのですが既に1年手に入りません。
ホテルに来ない男とやっと連絡がつき、この11mmサイズを
2、827個持参です。既に11mmはありますので17mmが
欲しいと伝えますと次回までに作らすとの事です。
結局、この2、800個余りを買って2、000個の注文をしましたが
果たして次回に手に入るかはなはだ疑問です。
とにかく連中は日銭稼ぎで約束は守った試しなしです。
それでも一縷の望みを託す私の浅はかさです。
昔ならミセスポンセかロックェカントスに頼んでおけば
済むことでした。
当時、彼らの声は下請けにとって神の声でした。
ムラサキガレイシスライスです。
昨年の11月に訪ねて、昔、お母さんからこの貝を買ったが、
出来ないかと聞きますとキイロガレイシを800個買ってくれです。
1月にムラサキガレイシのスライスは作って置くとの返事です。
800個は買いましたが、1月に電話するとムラサキは材料がないとの
つれない返事です。
またもや“情けは自分の為ならず”です。
しかし、3月に上のムラサキガレイシを持参しました。
嬉しくて金を払いましたが、あとでよく見ると艶がありません。
艶出しの工程が抜けています。
すぐ当人に電話し更に500個作り艶出しを依頼しました。
むろん、この500個も5月に艶出しをしてもらいます。
結局、1,000個買うことになります。
もっとも手に入りづらい品ですので2,000個でも買いますが。
5月には新しい貝の職人を探して見ます。
今まで1人の職人に限定していたのは腕がいいのとセンスが良い
からでしたが、それに複数の職人に任せると独自のデザインが
他に流れる恐れがあったからです。
しかし35年あまり使っていた職人も歳で自身では作れなくなって
8時間離れた島の職人に作らしていますのでギャップが
ありました。
ある程度、新しい職人には目を着けていますが、
先ず当たり障りのないパーツ作りで腕前を見てみなければ
なりません。
一番に恐れるのは独自のデザインが他に流れることです。
フィリピン詣でをして46年、この間にはいろいろのことが
ありました。
今また、新しい職人を見つけてパーツ作りを頼むとなると
かっての苦苦しい思い出がよみ帰ります。
次回に46年間の来し方を、今一度振り返ってみます。
日本から数独の冊子を持参してホテルでの時間潰しに励んでいます。
フィリピンの古新聞をもらいSUDOKUです。
今回はこの手記も再度持参しました。
読むたびに兵の悲惨さに読書は前に進みません。
戦地に赴かせ後方の兵站を断ち切り餓死させた為政者の罪、
戦犯の行為に怒りを感じます。
犬畜生の扱いをしておきながら、靖国で英霊の言葉でまやかす
のに納得が行きません。
21日の春分の日は家族と愛犬達が眠るお寺の墓参りでした。
朝からの雨がみぞれに変わり、更に雪となる寒い一日でした。
























































