今回の記事は、私の個人的な体験です。
私の恩師について、書かせて頂きます。
高校時代、私はパスカルの「パンセ」を読み、「心情は理性の知らない心情自身の理由を持っている」
という言葉に深く魅了され、パスカリアンとなり、哲学を志すようになりました。
そして、哲学を学びたくて、大学は文学部の哲学科を志望するようになりました。
しかし、受験勉強に身が入らず(聖書の預言書の類を読み漁っていました。。。)、
結局2浪しても、志望の大学には入れませんでした。
センター試験に失敗し、家から通える国公立大学という経済的な理由で、学部学科を妥協して受験した大学が
東京水産大学でした(現在の東京海洋大学です。)
私は失意の思いで、大学に入学しました。
(さかなクン、ごめんなさい。みなさまもご存知の通り、さかなクンは現在、東京海洋大学客員准教授です。)
入学した当時、水産大学でも、一般教養の授業には哲学の講義はあるので、私は哲学の講義を期待していました。
入学してまもなく、真っ先に哲学の講義を選択し、授業に出てみました。
最初の講義が終わったとき、緊張しながら先生のところへ行き、勇気を持って私は、先生に次のように申し出てみました。
「私はこういう大学に来ましたが、本当は哲学を学びたかったのです。」
すると先生は「ほう、君みたいな変わり者もいるんだね」とおっしゃって下さり、先生は「哲学ゼミナールというものがあるから、君も参加するかい?」と誘って下さり、それから在学中ずっと参加させて頂くことになりました。
何がきっかけになるか分からないもので、2,3,4年次には、週に1度90分、マンツーマンで個人的にゼミナールをもって下さりました。
3年次には、先生が「私もギリシャ語の復習になるから」とおっしゃって下さり、ヨハネの福音書を原語のギリシャ語で、先生と一緒に読むことになりました。
えん あるけー えん ほ ろごす・・・ ぱんたでぃ あうとぅ えげねっと あんとろーぽん
水産大学で、ギリシャ語を学んだのは、おそらく私だけだろうと思います。
そして、私が在籍中に、教授会で、担当の指導教官が居れば、卒業論文のテーマは、必ずしも水産学でなくてもよいということが許可され、東京水産大学という大学に籍を置きながら、実存哲学の論文を書いて、無事大学を卒業することができました。私は、先生がいらっしゃらなかったら、大学を卒業することはできませんでした。
そのようにして書いたのが、
「パスカルのパンセにおける人間の不均衡概念について」という卒業論文でした。
私は結果的には、文学部の哲学科に身を置くよりも遥かに恵まれた環境で学ぶことができ、大変充実した意義のある大学生活を送ることができました。これもひとえに先生のお陰であります。
哲学に興味があるとはいえ、かなり片寄った私の思想を、先生は尊重して下さり、ゼミナールを通して、そのゼミでは先生との約束事といいますか、決め事で、
「言葉にならない想いをなんとか言葉にしてみよう」
という作業を続けさせて頂いて、つたない私を長い目で見て下さり、忍耐強く 指導して下さいました。
本当に心から感謝しております。
先生は、ニーチェやハイデッガーなど、ドイツの実存哲学が先生のご専門でした。
「哲学」、「倫理学」、「科学史論」、「現代思想論」などの講義を担当されていた先生は、通常の哲学の講義だけでは飽き足らない学生を集め、哲学ゼミナールを開いておられました。左右の別なく、思想信条で区別せずに議論に引き込んで行き、矛盾・対立する事象、立場を統合統一し、より高次な段階へと導くヘーゲル弁証法のアウフヘーベン(止揚)を、先生御自身が学生に実践されていらっしゃいました。先生のお人柄は、多くの学生に慕われました。お正月には、先生のご自宅に招いて下さり、卒業後も、赤坂の溜池のドイツ風ビヤホールに連れて行って下さったりと、大変良くして下さり、とても可愛がって頂きました。
先生と最後にお会いしたのは、2003年の夏でした。
先生とお会いし、お礼のメールを差し上げて、先生からのお返事のメールの中で、
『貴兄のことはいつでも気に掛かっているのです。やはりなるべく早く「落ち着いて」欲しいと願っては居ます。貴兄の「しぶとさ」には信頼していますが。』
という先生の有り難い、温かいお言葉を頂き、大変恐縮し、今でも深く感謝しております。
2004年4月2日、先生は、多臓器不全により逝去されました。享年67歳でした。
先生のご葬儀の際、喪主であられた奥様の長谷川三千子先生は、喪主のご挨拶の中で、次のようにおっしゃっておられました。
「自分(先生)が亡くなった場合は、“断崖絶壁の崖”のような人だったと言って欲しい」
葬儀に出席した私は、この「言葉」が特に印象に残っています。
先生の亡くなった1年後、先生の追悼会が行われ、私も出席させて頂きました。
私が、スピリチュアル・エマージェンシーを起こしたのは、先生の追悼式の数日後でした。
変性意識状態の中で、お姿は見えませんが、私は先生のエネルギーを感じていました。
先生、この拙い教え子を、そちらの世界から見守って頂けましたら幸いです。
私は先生の教え子であることを、誇りに思っています。
先生の教え子として、恥じぬように、精一杯生きていきます。
先生のご功績とお人柄を偲び、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
私の恩師、東京海洋大学名誉教授 故長谷川西涯先生へ、この追悼文を捧げます。 <合掌>
イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
ヨハネによる福音書13章7節
イベント時、先生も合流して下さるとのことです。
