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こんにちは。岡本大輔です。


「最近の若者は・・・」


いつの時代も繰り返されるこの言葉。

時代をさかのぼれば、古代エジプトでもこの言葉はあったそうな。



現代で言えば、僕はこの言葉を言われる立場であり、日々自分の行いや考えを試されているときと感じています。


子育てをしていることもあり、親として子供に胸を張って自分の行いを見せてあげられるのか?日々自問しています。


そんな中で、昨日僕の規範の中では許されない行動がありました。


というのは、義理母のことです。


長男が義理母と買い物に行ったまではよかったのです。

※ 本当は長女も行きたかったのですが、長女が来るなら長男は行かないと言ったらしい。


以前から長男は義理母の家に泊まることが多く、そのことを羨む長女という背景です。


その中で昨夜も長男が結局泊まるという話になりました。


・・・と、ここまでは予想の範囲内でしたので、仕方ないかと感じていました。


しかし、ここからです。


我が家に電話がかかってきました。

それは職場の飲み会に行ってた妻からです。


「長男が義理母の家に泊まることになったって。」


・・・僕には意味がわかりませんでした。


なぜ、飲み会に行っている妻から電話が来なければならないのか?


義理母の家に泊まるのに、なぜ義理母から自宅に連絡しないのか?


長女が本当は泊まりたいと想っているのに、長男ばかり泊めている不公平さをわかっていないのか?


長女が次男とお風呂に入っているときに、僕から義理母に連絡をしました。


「長男が泊まるのは構わない。でも、長女は本当は泊まりたいと思っている。妻から連絡ではなくて義理母から直接こちらに電話して長女に『ごめんね』と伝えるべきだ」と。


「いや、長男がどうしても泊まりたいって言うから・・・。」


そうじゃないでしょ。


泊まりたいなら泊まっていいけど、大人として長女が泊まれなくて寂しい想いをしていることを知っているのなら(そのときに義理母に確認したところ、知っている)、直接連絡すべきだと僕は思う。


面倒なことや言いづらいことを人任せにするのが大人のやり方ではないと僕は考えます。


大喧嘩をしてどうしても話しかけづらい時に最初のアプローチを他人に任せるというのなら理屈はわかる。


ただ、今回のケースはそういうものではないと思う。


大人として子供に背中を見せるというところでは、たとえ大人でも子供に謝る場面があるのだと思う。


結局のところ、僕の言葉が嫌になったのか、義理母から15分後再度連絡があり、「泊まるのをやめて今から(自宅に)送ることにしたから」とのこと。



そうじゃないでしょ。




「最近の若者は・・・」


こう言われる若者を創りだしたのは誰でしょうか?


そうです。年配者です。



※ 年配者がすべて悪いと言いたいのではなくて、どの世代にも課題がありますよという問いかけと受け取ってもらえればと感じます。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

おはようございます。岡本大輔です。

本日の紹介はこちらです。

↓↓↓















【出会い】

帯広図書館の新刊コーナーにありました。レイ・クロックと並んで大器晩成な成功者で有名なカーネルおじさんのことを知りたいです!

【本書のテーマ】

人生は長い、失敗してもやり続けることだよ。

【岡本大輔の視点】

人生で最後まで諦めないところに意味ができる。

【気になった抜粋】

7歳のカーネルは母親の調理法をまねてパンを焼き、母がいる缶詰工場へ持っていきうれしそうな母親の顔を見ることになる、これが料理人としてのスタート。


初めての仕事をクビになる・・・母親の叱責をじっと聞いていた、泣きたいと思うよりも、母親をがっかりさせたことがとても恥ずかしかった。


「食べるために働く」というと、働くことの動機としては低く見られがちだ、しかしやはり労働の根底には生活のためという動機があることは紛れもない事実だろう。


他人に奉仕するとは、他人がああしたい、こうしたいと思うこと、要するにニーズを的確にとらえて、それにふさわしい何らかの価値を提供することだ。


頭に血が上りやすく、下品な言葉を浴びせる、これまた我々が知っていると思っていたカーネルおじさんの意外な素顔である。


友達付きあいするくらい顧客と親しくなれ。


懸命に働けば相応の見返りがある。


亭主が料理好きで腕も立つと、妻の肩身は狭くなるようだ。


ベッドに入ったらあれこれ悩まないことじゃ。


「なぜ引退しないのですか」と尋ねられたら、ワシはこう答えるんじゃ、「錆びつくよりか、すり切れるほうがまし」、じっとしていて錆びつくよりも身を粉にしている方が好きなんじゃよ。


【響いた抜粋と学び】

カーネルのただ2つのルール・・・できることはすべてやれ、やるなら最善を尽くせ。

失敗とは再び始動したり新しいことを試したりするために与えられた機会じゃよ、ワシはそう信じている。


僕自身、大学を卒業して初めて働いた職場を1年3ヶ月でそそくさ辞めて自動車工場で働き、また福祉に戻って・・・という人生を歩んでいて、一つのことが長続きしないと感じていましたが、カーネルおじさんの人生を読み解くと上には上がいるんだとしみじみします。


最終的にケンタッキー・フライドチキンで大成功するまで事業が失敗を繰り返してきましたが、そんなカーネルおじさんだからこそ、これらの抜粋の言葉に共感できます。


日本で言うと、松下幸之助さんタイプなのかな?と感じます(幸之助さんも短気だったって言うし)。


店を清潔にしなさい、スタッフには礼儀正しくさせなさい、おいしい料理を出しなさい、あとは懸命に働きなさい、これで成功できるとは限らんが、成功への第一歩にはなるだろうね。


最低限気をつけるところですね。掃除に関しては資格がなくても誰でもできると勘違いしているかもしれませんが、やる気のない人間や気づかない人間は表面上見えるところだけパパッとやっておしまい。

部屋の隅に溜まっている埃をふき取らないから、見ているお客様は気づいてしまう。

ここは表面を取り繕う場所だと。

人は60や65になると人生これで終わりと思うものじゃ、しかしその人の年齢は、自分が感じた年、思い込んだ年で決まるもんじゃ、年がいくつであろうと、やれる仕事はたくさんあるさ。


松下幸之助さんも確か、青春とは実年齢のことではないということを言ってましたね。

僕もこの言葉を受けて、20代のときにやればよかった・・・ではなくて、30代の今だからこそできることをやりたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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こんにちは。岡本大輔です。


近年の日本人は、「挨拶や礼儀・モラル・道徳が欠けている」なんてことを言われるようになりました。


僕自身も親から挨拶や礼儀について教えてもらったことがなく、ケンカの強い友人から教わったくらいです。



ゆとり教育世代の子供達が礼儀知らずということを目にすることがあります。



挨拶、礼儀・モラル・道徳について僕は自転車通勤しながら考えてみました。



そこで考えたことを今日は発表します。



タイトルどおり、

「挨拶、礼儀・モラル・道徳」は後天性のものです。


つまり、学んで身につけるものです。


「挨拶、礼儀・モラル・道徳」とは知識や技術なのです。



これが大前提です。


「最近の若者は・・・」と嘆く方々の中には「挨拶、礼儀・モラル・道徳」について、”できて当たり前”と考えていないでしょうか?


社会人が身につけておきたいことではありますが、「挨拶、礼儀・モラル・道徳」とは、生まれつき持ち合わせていないものなのです。


生まれたばかりの赤ん坊があなたに挨拶をしますか?


しませんね。


どうして、できるようになるかと言うと、1歳くらいから親が人に会ったら「おはよう」と言ったり、「ありがとう」と言ったり、挨拶や礼儀を”教える”んです。


自然と身に付くものではないのです。



ヒト科のヒトは元々、「挨拶、礼儀・モラル・道徳」というものを持ち合わせません。


人間であるからこそ、人付き合いが円滑になるように「挨拶、礼儀・モラル・道徳」という知恵が生まれたのです。


高齢者介護の現場でも、認知症が深くなっても「挨拶、礼儀・モラル・道徳」ができる人がいれば、まったくできない人がいます。


長年染み付いた習慣だからこそ「挨拶、礼儀・モラル・道徳」ができる人、

脳の萎縮により、「挨拶、礼儀・モラル・道徳」できなくなる人、


もともと、「挨拶、礼儀・モラル・道徳」ができない人、様々です。



誰もが溶接に関する知識や技術を持ち合わせていないですよね?


※僕は持っていないです。


「挨拶、礼儀・モラル・道徳」は知識・技術だと考えるならば、

残念なことかもしれませんが、持ち合わせていない人がいてもおかしくはないのです。



ここまでお読みいただきありがとうございます。