こんにちは。岡本大輔です。
近年の日本人は、「挨拶や礼儀・モラル・道徳が欠けている」なんてことを言われるようになりました。
僕自身も親から挨拶や礼儀について教えてもらったことがなく、ケンカの強い友人から教わったくらいです。
ゆとり教育世代の子供達が礼儀知らずということを目にすることがあります。
挨拶、礼儀・モラル・道徳について僕は自転車通勤しながら考えてみました。
そこで考えたことを今日は発表します。
タイトルどおり、
「挨拶、礼儀・モラル・道徳」は後天性のものです。
つまり、学んで身につけるものです。
「挨拶、礼儀・モラル・道徳」とは知識や技術なのです。
これが大前提です。
「最近の若者は・・・」と嘆く方々の中には「挨拶、礼儀・モラル・道徳」について、”できて当たり前”と考えていないでしょうか?
社会人が身につけておきたいことではありますが、「挨拶、礼儀・モラル・道徳」とは、生まれつき持ち合わせていないものなのです。
生まれたばかりの赤ん坊があなたに挨拶をしますか?
しませんね。
どうして、できるようになるかと言うと、1歳くらいから親が人に会ったら「おはよう」と言ったり、「ありがとう」と言ったり、挨拶や礼儀を”教える”んです。
自然と身に付くものではないのです。
ヒト科のヒトは元々、「挨拶、礼儀・モラル・道徳」というものを持ち合わせません。
人間であるからこそ、人付き合いが円滑になるように「挨拶、礼儀・モラル・道徳」という知恵が生まれたのです。
高齢者介護の現場でも、認知症が深くなっても「挨拶、礼儀・モラル・道徳」ができる人がいれば、まったくできない人がいます。
長年染み付いた習慣だからこそ「挨拶、礼儀・モラル・道徳」ができる人、
脳の萎縮により、「挨拶、礼儀・モラル・道徳」できなくなる人、
もともと、「挨拶、礼儀・モラル・道徳」ができない人、様々です。
誰もが溶接に関する知識や技術を持ち合わせていないですよね?
※僕は持っていないです。
「挨拶、礼儀・モラル・道徳」は知識・技術だと考えるならば、
残念なことかもしれませんが、持ち合わせていない人がいてもおかしくはないのです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。