どん底から生まれた宅急便/都築 幹彦 | ブログ

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こんにちは。岡本大輔です。
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著者 : 都築幹彦
日本経済新聞出版社
発売日 : 2013-04-23









【出会い】
帯広図書館の新刊コーナーで出会いました。先日の「NEXT READING」読書会で読み解きました。


【本書紹介のねらい】
~Amazonより~
いまでこそ、世の中で欠かせない当たり前のサービスとなった宅急便だが、当初は「民間会社では事業化できない」といわれていた。それは、なぜか。そして、事業化できないといわれていた宅配事業に、なぜヤマトは挑んだのか。あと数年で創業100年を迎えるヤマト運輸とは、いったいどんな会社だったのか。小倉昌男氏と共に戦ってきた著者が、いま真実を明らかにする。





【響いた抜粋と学び】
著者の都築さんはヤマト運輸元社長です。1950年慶應義塾大学卒業後、大和運輸(現ヤマト運輸)入社。59年、路線部営業課長のとき、同部部長に着任した小倉昌男氏と出会い、以後30数年にわたって共に歩みます。76年宅急便を開始して事業の大転換をはかり、15年かけて悲願の全国ネットワークを完成させます。83年代表取締役専務、87年代表取締役社長(3代目)、91年代表取締役会長、93年取締役相談役に就任し、95年小倉氏と共に退きました。本書が初めての自著です。

(松下電器との取引辞退)……「松下電器との取引きをやめて、小口に専念したい。宅急便は社運を賭けた大事業であり、逃げ道を用意していては絶対に成功しない」、三越からの値下げ請求、188円→148円、ヤマトの事務所の家賃や駐車料金の徴収、三越関係の映画の入場券を大量に押し付けられたり、高額な絵などを購入させられた。

当時、三越や松下電器はクロネコヤマトにとってウェイトの大きいお客様だったようです。しかし、大口から小口に転換するにあたって契約を終了したようです。その経緯がありまして、特に三越との関係はいかがなものか? と思いました。

いくら、長年の付き合いで、ウェイトの大きいお客様(当時のヤマトの売上の5%を持っていた)であっても値下げ請求や映画の入場券、高額な絵の販売などは強者による弱者イジメとも読み取れます。

このような関係になってしまっては継続が難しいでしょうね。

(前島密の郵便建議に込められた精神)……遅配があるばかりか、料金が高すぎて貧しい人には使えず、商売にも影響する、さらに、都会から遠く離れた土地ともなるとまったく届かない、だからこそ、利用者の立場に立った制度として日本全国のネットワーク化が必要だと説いたのである。

(集荷しないサービスが相手なら勝てる)……強力な競争相手がおらず、サービスが悪かったからである、他に小口の荷物を運んでくれるところがなかったので当時の人々が郵便局か国鉄の駅に荷物を持ち込むしかなかった。

今では考えられませんが、当時の配送は郵便局か国鉄のみで、殿様商売だったようです。競争相手がいないし、国営なのでつぶれる心配がない、という慢心からサービスの向上は見られなかったようです。

そこにクロネコヤマトの参入の糸口があったようです。

業界や地域のナンバーワンになったからといって慢心していてはいつか足元をすくわれるという教訓でしょうね。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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著者 : 都築幹彦
日本経済新聞出版社
発売日 : 2013-04-23