ゴーマニズム宣言SPECIAL 新天皇論/小林よしのり | ブログ

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おはようございます。岡本大輔です。
本日の紹介はこちらです。
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小学館
発売日 : 2010-12-15









【出会い】
帯広図書館で出会いました。
小林よしのりさんの書籍は漫画を中心に書いてあり、それでいて日本の歴史の真実を記しています。
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いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL/小林よしのり
ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論/小林よしのり
ゴーマニズム宣言NEO2 日本のタブー/小林よしのり


【本書紹介のねらい】
天皇の皇位継承について考えてみよう。



【気になった抜粋】
陛下のお言葉はたとえ形式的に見えても、言霊が宿っている、印象的だったのは、お言葉の最中、皇后陛下が天皇陛下の方に身体を向けて、拝聴しておられたことだ、天皇は一般家庭のように配偶者と同格ではない、やはり天皇はこの国でたった一人、まったく特別な公的存在なのである。

橋本明なる者は「高い徳を養ってこそ天皇」と言う、皇太子に「徳」がないから、「廃太子」せよと言う、これは「徳のない君主は、天命によって交代させるべきである。皇帝の姓を易えるべきである」というシナの「易姓革命」の思想である。

【響いた抜粋と学び】
お恥ずかしながら、天皇の皇位継承についてゴーマニズムと出会うまでは特別な感情を持っていませんでした。
皇室の存続問題がニュースで取り上げられていても
「ふ~ん」
としか思っていませんでした。
日本は世界最古の王朝です。皇紀2673年、天皇の血は脈々と受け継がれています。秦の始皇帝がのぞんだ不老不死……日本の皇室は見事に半永久的に血で繋いでいるのです。

秋篠宮殿下より下の若い世代の皇族は、悠仁親王殿下以外には現在8人、全員、女性である、現在の典範では、女性皇族が皇族以外の男性と結婚すると、皇族の身分を離れ、民間人にならなければならない、このままでは悠仁親王が成人される頃には、若い皇族方は全て結婚して民間人になられ、次世代の皇族が悠仁親王殿下ただ一人になられてしまうわけだ! 

皇太子殿下から下の世代について、男性が皇太子殿下を含め3名です。これからどんどんと女性の皇族が民間に入り、皇室を離れていきます。今のままだと悠仁親王殿下が成人する頃には一人になってしまう、ということです。すると皇室の存続が極めて難しい状況になるわけです。

明治天皇も、大正天皇も、側室の子である、その後に昭和天皇、今上天皇、皇太子殿下と3代も嫡男が続いたのは異例の幸運であり、逆に女子ばかり続くことだって当然起こる、現にその後は41年間、9人連続で女子しか誕生しなかった。

男系継承に価値を置くのなら、天皇の系譜は孔子の家系図に完全に負ける、なぜなら日本の皇統には、8人10代も女帝が入っているからだ(孔子の家系図は、現在に至るまで完全な男系男子継承で貫かれている)。


世論では天皇は男じゃないとダメ、という話も出ていますが、推古天皇を筆頭に日本の歴史では女帝が8人います。今現代に愛子様が女帝になってはいけない、ということはないはずなんですね。
もっと遡れば、古事記では天照大御神は女性ですし、邪馬台国の女王卑弥呼がいたわけですし。

「4世子孫」が皇位を継いだ例は一つもなく、あとは全て「3世」以内である、どんなに傍系に移しても、曾孫以上に離れたことは、「5世」の継体天皇1例しかない。古代の天皇は男系の血筋だけでなく、女系の血筋も尊重されていた、特にこれらの場合は、男系の血筋の不足を女系の血筋で「格上げ」することで、やっと皇位に就くことができた。

昨今話題になっていることで、皇室の存続が難しければ、昔皇族を離れた人たちを呼び戻す、ということが議論されました。この場合、600年前に分家したところの血を戻すということになり、すでに民間人として過ごしていることが多いですし、そんな皇族の血が薄れた方が今更やってきて、皇太子殿下になります、なんてなっても国民としては
「は?」
となりませんか、ということです。

庶民の伊勢神宮参拝が盛んになり始めたのは戦国時代で、江戸時代には「お伊勢参り」は誰もが一生に一度はしたいあこがれとなり、全国人口が3000万の時代に毎年50万人、全人口の60人に1人が参宮した。

江戸時代の「庶民」の大部分は百姓だった、何しろ当時の日本人の8割以上を占めていたのだ、江戸時代は従来思われていたほど激しい身分社会ではなく、武士が百姓や町人になったり、逆に百姓が武士に取り立てられたりすることはよくあった。

「百姓」とは元々は「百(たくさん)の姓」であり、天皇から「姓」を与えられた公民の総称である、皇室に入るということは、国民ではなくなるということだ、正田や小和田のような「苗字」を失ってしまう。

姓と苗字は違う……毛利輝元は「大江輝元」、前田利家は「菅原利家」、織田信長は「藤原信長」と名乗った(信長は後に「平」も名乗る)、同様に徳川家康は「源家康」である、もっと正式な場では、平安時代以降省略されることが多かった「カバネ」の「朝臣」も加えて、「源朝臣家康」となった。


残りは皇室存続の話題から離れて、江戸の庶民の豆知識です。
百姓の由来は知っていましたが、「姓」と苗字の違いは知らなかったです。天皇から「姓」は与えられるんですね。
だから、ネット上で姓の記載とあったときは、それは本来の意味とは違うんですね。

【編集後記】
担当者会議がたてこんでいますが、しっかり書類の準備をしてのぞみたいと思います。

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小学館
発売日 : 2010-12-15