本日の紹介はこちらです。
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【出会い】
帯広図書館の介護フェアで見つけて手に取りました。祖父母がちょうど75歳近辺ですので目に止まりました。
【本書紹介のねらい】
全国にいる介護と無縁な8割の年配の方、そのご家族の方に介護の実情を少しだけ知ってもらいたい……その年代はブログを見ないかな?
【気になった抜粋】
同居家族がいる場合はさらに細やかな気づかいが必要です、つい、「同居しているのだから、介護を引き受けるのは当たり前」という態度をとりがちですが、同居と介護を引き受けることはまったく別問題だと考えるぐらいでちょうどよいはずです。
「親よりも自分」ではなく、「親も、自分も」よりよい生き方を探る、これが、目指すべき介護のあり方ではないでしょうか。
ヘルパーへのおすそ分け……あげたほうが親切に世話をしてもらえるからということではなく、おたがい、事情がわかってくれば、こうした小さなやりとりは人間関係のうちと考えてよいのでは、と思っています。
頭のいい人だった、しっかりものだった……というようなことと認知症の発症とは直接、関係はありません、重度の認知症になり、施設介護を受けている人のなかには、前歴を聞くと、大学教授とか弁護士など、いわゆる”頭脳労働者”も少なくないのです。
カロリーのとりすぎ、肥満は脳の血管の動脈硬化を進める可能性があります。
【響いた抜粋と学び】
「親には、いつまでも元気で、幸せな老後を送ってほしい」、子どもは、心底、そう願っていると確信しています、一方でその思いの底に、「できれば、介護はパスしたい……」という思いが見え隠れすることも事実です。
半世紀前まで日本では平均寿命が50歳くらいだったので、介護をすることなく親は亡くなっていました。なので、介護を体験することは頻繁にあることではなかったのだと思います。
それが人生80年の時代になり、子育てをして介護をすることが当たり前になってきました。
「できれば、介護はパスしたい……」、そうでしょうね。子育ても介護も介護者が主役ではなく介護される両親の立場に立つことが必要です。
相手のことを考えるのは簡単なことではありません。子育てであれば、親がある程度コントロールすることも可能でしょうが(言葉は悪いかもしれませんが)、介護は年上の親が相手なのでなんでもコントロールすることは難しいでしょう。
高齢者の4人に1人は、ある段階からは「要介護状態」になって、周囲のサポートの手を必要となってくるのが現実だからです。
親が介護になるかならないかは「ロシアンルーレット」だ、といってもよいくらいだ、と私は思っています、だからといって、「そうなったとき、なんとか考えますよ」では、あまりに場当たり的にすぎます。
「親が元気な間の話し合い」は親の老後問題を考えるうえで、もっとも重要なことだと考えています、できれば、親も話し合いに加わり、親の本音も聞いておくとさらによいと思います。
実際のところ、全国にいる65歳以上の高齢者3000万人のうち、2割弱の600万人が介護保険を利用しています。
考え方としては、高齢者のうちの少数なんですね。そして、要介護状態になるかどうかは「わからない」のです。
もし仮に、要介護状態になったら……という話はしっかり話し合ったほうがいいですよ。なってからだとリアルすぎますから。
元気なうちに話し合うことです。
日本では長いこと、介護は家庭内で家族が行なうものだとされてきました、家族構成が大きく変わり、介護保険制度も整備された現在も、その意識はまだ根強く残っているようです。
介護保険制度が始まって10年弱ですのでこれは仕方ないですね。保育所だって今でこそ、働く女性の支援として活用されますが、それまでは「自分の子供の世話をしないなんて」と言われていたと思います。
認定調査……家族の口添えがあればより正確を期すことができます、伝え忘れがあるといけないので、伝えるべき要点をメモしておくと万全でしょう、本人の前でいうと、プライドを傷つける懸念のあるようなこと(たとえば排泄の失敗など)は、メモにして添えるとよいと思います。
僕が以前担当した方で調査時に同居家族が「物忘れ」のことや「失禁」のことを本人の目の前で調査員に喋ったところ、本人がプライドを傷つけられて怒ってしまい家族の顔面を殴ってしまったということがあります。
何歳になっても物忘れや失禁は恥ずかしいのです。書面に書くようにしましょう。
変更申請……認定結果への不服が生じるのは、思ったより要介護度が軽いという場合がほとんど、友人・知人の話などとくらべて、「うちの親は、〇〇さんの親と同じくらいの状態なのに、要介護度が低い。おかしいじゃないか」といったことが多いようです、もちろん、同じようなレベルかどうかは、家族の受け止め方にもよりますし、認知症の場合などは症状の現れ方にもよるので、一概にはいえないものですが。
身体状況に関しては同居家族の影響は少ないのですが、認知面の項目については同居家族の対応で介護度が大きく変わる可能性があります。
「物忘れ」についても、物忘れをするから介護度が下がるのではなくて、物忘れによって介護をしている人の手間が大きいから介護度が下がるのです。
物忘れをしていても時間をかければ本人が思い出して探し物が見つかるという状態の場合、いくら毎日のように物忘れがあったとしても、介護度に反映されない場合があります。
同居家族が介護職だったり看護職だったりすると、そのような状態が一般の人よりわかっているので介護度が軽く出る可能性もあります。
介護認定は本人の状態だけでははかれないのです。
「今日ね、爪がきれいだってほめられた」などとよくいっていたもの、「すずめ、百まで踊り忘れず」、女はいくつになっても……という言葉を思い出したりしたものです。
女性はいつまでも女性でありたいものです。
髪を切ったら「素敵ですね」と声を掛ければ70歳を超えて、80歳を超えて、90歳過ぎても喜びます。
化粧をしてきたら「一段と綺麗ですね」と伝えるのです。
女性はいくつになっても嬉しいのです。
ちなみに僕の実体験で言うと、「綺麗ですね」は80代までが喜ばれやすいです。90代以降は「会えて嬉しいです」の方が効果が高いです。
お客様談……さすがに90歳超えると自分でも綺麗じゃない事くらいわかる、顔はしわくちゃで、70歳、80歳のときとは違うと実感するそうです。
若い世代からすると70代も90代も同じに見えるかもしれません。逆に考えて見ましょう。年配の方からすると10代も30代も同じに見えたとしても、全然違いますよね?
そういうことなんです。年代別に声の掛け方が違うんですよ。
【編集後記】
本日は仲間の早川さんが主催する「人間関係がよくなるコーアクティブ会話術in帯広」に参加します。
仲間が自分の進む道を一所懸命取り組んでいるのを見ると刺激を受けます。
活動する姿勢や会話術の知識・技術を僕自身の活動にも取り入れます。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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