「対人援助技術と認知症について」、研修参加。 | ブログ

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こんにちは。岡本大輔です。


平成24年11月17日(土)14:00~17:00まで、北海道認知症グループホーム協会会長である宮崎直人様の講演を聴きにいきました。



宮崎さんの講演については僕があかりデイサービスに入社して半年経ったときに「認知症介護実践者研修」で体験したので2度目となります。


かれこれ、4年が経ち、高齢者介護に戻った当時の僕と4年が経ち資格面や日常生活の面などにおいて、成長を改めて実感した3時間となりました。



毎度の事ながら、僕はこの講師から何を学びたいのか?質疑応答に向けて思考を煮詰める。そんな僕を尻目に宮崎さんは研修部員との打ち合わせで「質疑応答はない」と言い切ってしまう。


宮崎さんと言えば・・・そうです。「ハイタッチ」です。「ハグ」です。感性を研ぎ澄ませる研修の始まりです。


その中で宮崎さんは、「自分のモチベーションは自分で上げる。他人が上げるものではない。」と話します。


過去の介護の失敗として、施設の建物自体のことを話します。


「一直線の廊下だったときは利用者が行き止まりで『寮母さん!!』と叫んでいた。そこに職員と利用者の関わりが生まれた。でも回廊型になって、利用者は歩き続けてしまった。関わりすらなくなってしまった」と過去の過ちを教えてくれます。



パワーポイントに出てくる”拘束衣”、今ではほとんど見ないこの服を創った人は誰か?


・永田久美子さん。


彼女は”拘束衣”という身体拘束を助長し、高齢者の尊厳をズタボロにするツールを開発してしまった。

しかし、彼女はこの失敗で終わらなかった。この失敗を認め、”センター方式”を開発したのです。



ここで宮崎さんはサラっと花島sう。


「認知症とは・・・取り繕った姿がすべてなくなる状態。」と。


僕の「ヒト科のヒトと人間理論」に近いことを話していることに僕は気付きました。


僕達の仕事は何か?

宮崎さんは説きます。「追求することだ」と。


BPSDには必ず原因がある


”気付く”とよく専門職は話す。でも自然に気付く人はいない。

”気付く”ためには”感じる”ことが必要。感じるためには”経験”が必要。そして、経験するためには何が必要かわかりますか?


そうです。


実践することです。


つまり、「”気付く”ためには実践すること」が必要なのです。


宮崎さんの話の中で僕が納得しなかった部分があります。

認知症ケアでは「認知症」の「人」を見る。認知症という病気と人を見ることが必要だと話します。


これでは不十分だと僕は感じます。


認知症が先じゃない。「人間を知ること」、これが最初にきます。僕は人間を知るために「ヒト科のヒトと人間」と区別して考えています。


この先に・・・というか人間やヒトという大枠の中に”高齢者”だとか”認知症”、”老い”という「部分」があるのです。


もちろん、宮崎さんが大間違いだと言いたいのではなく、”アプローチが違う”というだけです。


どちらが正解か不正解かではなく、方程式の順序がちがうだけなのです。



面白かったのは、「寄り添わない介護」です。

宮崎さんは話します。寄り添うから近すぎて見えなくなる。だから、本人がやれることまで介護をしてしまい本人の生きる力を奪ってしまうのだと。


だから寄り添わない。一歩ひいてみることが必要だと話します。



コミュニケーションはするものではない、すでにそこにあるものだと宮崎さんは話します。


何が言いたいのかなと僕は考えました。


ヒトが集まった先にコミュニケーションが生まれている。専門職はそこに気付くだけだといいたいのではないかと感じます。



最後に、宮崎さんは「質疑応答はない」と話しました。


なぜ、質疑応答をしなかったのか・・・?


それは、宮崎さんは認知症の深い方との関わりで体験したからだと思います。


目の前にいるお客様はあなたに何も教えない。あなたが実践して経験して感じて気付くのだと。


だから、宮崎さんは何も答えない。



それが”介護”だからだ。



ここまでお読みいただきありがとうございます。