正義という名の洗脳/苫米地英人 | ブログ

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おはようございます。岡本大輔です。
本日の紹介はこちらです。
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【出会い】
苫米地さんの本が帯広市新刊コーナーに置いてあったので借りました。


【本書のテーマ】
「正義」を誤解していませんか?
【岡本大輔の視点】
自分の正義・正しさは幻想だったのではないか?

【気になった抜粋】

常識は「ボトムアップ」によって生まれたもの、正義というのは「トップダウン」で生まれるものです。

ボランティア活動は煩悩です、自己満足がなかったら、誰もボランティアをしないでしょう。

発現の内容よりも、誰が言っているかのほうが重要になっているのです。

マナーは時と場所によって変わります。 

ジャスティスの訳は「正義」ではない、正確に言えば「公平」、「公正」、「平等」といった意味合いになります。

「正義」とは、権力は主権者である国民にあるということ、アメリカの憲法は、そのことを保障しました。

正義(法律)というのは、妥協の産物(51対49では51を採用する)。

正義という看板は、嘘であっても100%の論理に聞こえるという怖さを持っているのです。

約束を破る人に正義はありません、本人が嘘つきだった場合、正義を主張する権利はありません。

国家というのは、国民の幸福(利益)をベースに権力が委託されています。

本来は、国家の正義とは国民の幸福(利益)であるけれど、そこから独立して走ってしまっているのが現状です。

日本で新しい宗教を立ち上げると、伝統的な宗教集団からボロクソに叩かれます、なぜなら強大な「墓利権」に手を出しているからです。

日本は仏教国です、唯一絶対の神は存在しない、アメリカの正義もイスラムの正義も両方認めるのです、「絶対性」や「無矛盾性」といったことは、最初から日本語の「正義」の定義に入れることはできません。

アメリカではお金を持っている人がより正義を主張できます、お金持ちには優秀な弁護士がつくからです。

アメリカではお金を持っているかどうかで寿命が変わってきます。

生まれながらに裕福かどうかで、オリンピックやワールドカップに出場できるかどうかが決まる。

生徒が学校を掃除するのは・・・生徒たちが掃除をしてもコストがかからない。

毎日掃除をしている清掃員は、大企業の社長よりも業績を上げて、お金持ちだということになります、彼らが大企業の社長より稼いでいるでしょうか。

本来、制服があった理由は、貧しい家庭に配慮したためでした。

正義という洗脳に騙されないためにすることは、たったひとつです、それは、ひとつの価値があるということを信じないこと。

絶対的な正義派、存在しません。


【響いた抜粋と学び】

僕は本書を苫米地さんが、あなたの今まで常識や正義と思っていたことは本当ですか?と問いかけられながら、僕自身考えながら読みすすめていきました。


風土理論・・・法律は、その地域の風土に合わせたものでなければならないといっている。


スポーツでの国際ルール・・・風土理論に反する、平均的に足の短い日本人と足の長い黒人が、同じルールでバスケットボールをすることは、本当に正しいのでしょうか。


介護業界で考えると、真っ先に出てくるのが介護保険法です。

北海道と関東、沖縄では間違いなく、気候や交通状況・交通事情が違います。


同じ法律で、同じ枠組みで行いなさいとするのが間違いだと教えられます。


北海道の田舎町での隣の家が3km先、5km先の農村地帯や豪雪地帯での送迎と関東周辺の送迎は明らかに事情が変わります。


すでに保険者によって法律の捉え方が違うところがあるので、うすうすは感じているのでしょうね。



下の抜粋のスポーツの国際ルールに関しては、言われてみればそうだよねっていうこと。だからと言って、黒人のチームに重りをつけてゲームにでてもらうなどは変な気もしますね(これが固定概念か?)。


大相撲の八百長問題・・・個人的な問題であれば、本場所を中止する理由にはならない。


ここも言われてみればと言う感じです。介護保険施設で虐待などの問題があったときに、あまりにひどい状況で、組織ぐるみのことであれば施設の指定取り消しはあり得るけれど、介護職員個人の問題であれば、指定取り消しはあり得なくて、個人の資格取り消し等の処分になりますよね。


そこから考えると、大相撲の本場所中止は組織ぐるみなのか?と思わざるをえないですね。



「汚した本人が、自分できれにするべき」という自己責任は理解できます、しかし、自己責任であれば、「汚れたままでいい」という選択肢も用意しておかなければなりません。

「自分のことは、責任を持って、自分で決める。」自己責任と同時に、「自分のこと以外は、勝手に決めてはいけない」ということを教える必要があります。


ここは面白い問いかけです。苫米地さんの意見に僕は反対していました。


「汚れたままでいい」という選択肢を用意するのは、まずは綺麗にする能力を作ってからだと僕は感じます。


ヒト科のヒトは掃除ができません。呼吸と排泄、寝ることだけです。

掃除すること、汚れたところに気付いて綺麗にすることは高等技術であり、これができるから、自己責任で汚れたままでいいとしてもよいと感じています。


責任を持つこともヒト科のヒトにはできないことなので、まずは責任の持つ技術を身につけてからの話だと思いました。




ここまでお読みいただきありがとうございます。

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