こんにちは。岡本大輔です。
今朝読んだ米山智裕@ビジネス書評家 の「アクションプラン的読書感想文 」というブログでこのような記事がありました。
【引用部】
私たちは、つい自分のことだけを考えてしまう。しかし、それでは世相は荒れたものになってしまう。利他の心がいかに大切かを分かり易く説いた仏の教えを紹介しよう。地獄と極楽の違いについてだ。
実は、地獄と極楽は、外見は全く変わらない。違いはそこにいる人の心のあり方だ。
たとえば、大きな釜に、おいしいうどんが煮えている。しかし、ルールが決まっていて、1メートルくらいの長い箸で、しかもその端を持って食べなくてはならない。
地獄では、自分のことしか考えないから、人々はうどんをつかんだら、自分のそばにあるつけ汁につけ、自分の口に入れようとする。しかし、箸が長すぎて自分の口には入らない。
一方、極楽は思いやりにあふれている。人々は、うどんを取り、つけ汁につけたら、箸を伸ばして向こう側の人に食べさせる。そのため、誰もが穏やかに食べることができるのだ。
現実の世界も同じだ。心のあり方次第で、極楽にも地獄にもなりえるのだ。
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この部分を読んだときに、”地獄だから”、”極楽だから”という部分がひっかかったのです。
ヒト科のヒトは”思いやり”を持っていないのです。なぜなら、赤ちゃんが眠くて疲れたあなたのことを思いやって泣くのを止めますか?
止めないでしょ。
ヒトは自分の想いを訴えることしかできないのです。聴くことができないのです。
思いやりを持つことは人間になる過程の中で学ぶのです。
「もし、あなたがお友達にした嫌がらせを自分が受けたらどう思う?」
「○○君を叩いたけど、自分が叩かれたらどう思う?」
こう子供におしえますよね。
つまり、ヒト科のヒトには”思いやり”という潜在能力はあるけれど、顕在されていないのです。
だから、教えて顕在化させるのです。
職場の上司・同僚・部下、社外の知り合い、家族、あなたの目の前にいる人の中に”思いやり”がないなぁと感じる人がいませんか?
それはその人が悪いのではなくて、ヒト科のヒト本来の姿なだけです。
ヒト科のヒトは一人(ヒトリ)なのです。だから、思いやる必要がないのです。相手がいないのですから。
二人(フタリ)になっても「相手が悪い」と思い込みやすく、ヒトリの延長です。
しかし、三人(サンニン)になると変わります。
三人からは人(ニン)がつきます。つまり、人間(ニンゲン)になる練習が出来るのです。
人間は”ヒトのアイダにいるからニンゲン”と言いますが、僕は違うと考えます。
”人間の中にいるから人間になるのです”。ヒト科のヒトの中にいてもヒトのままです。
ヒト科のヒトから人間になるには3人以上集まることが必要条件です。
※ ただし、あくまでも岡本大輔の科学的根拠のない持論です。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
【参考記事】