こんにちは。岡本大輔です。
本日の紹介はこちらです。
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【出会い】
中学3年生の時に母が見ていたテレビドラマ、「AGE35」に妙に共感して(母も離婚していたためなのか)、柴門ふみを知りました。高校1年になる前に引っ越したときに母の本棚を見ると
「AGE35」だけでなく、「同・級・生」がありました。
そのとき、読んで共感した僕はそれから15年が経った昨年ブックオフで見つけて購入し、
昨夜久しぶりに読み返したのです。
【気になった抜粋】
人に話を聞く時は不機嫌な表情をするもんじゃない!
「ディズニーランドではしゃぐ鴨居くんが好きだった」・・・就職活動時のすれ違い。
ぼくたちはおとなに対して嫉妬している。それが、つまりぼくたちがまただ子供だという証明なのだろうか?
ぼくはその時、部屋の片隅からちなみの視線を感じた・・・。
誘わなきゃ手を出せないのよ、男が弱虫で卑怯だから、女に誘わせといて、責任逃れしようとしてるんだわ。
コネで入っても実力がないと、一日中豆袋の点検ばっかり。
好きになりかけていると愛してるとは違う。
【響いた抜粋】
本書発売が1995年。17年前になります。
台詞や言葉の節々に時代を感じさせます。
例えば・・・男は同じ職場で30年だぜ、同じ上役、同じ同僚と30年顔をつきあわすわけだ。
今や同じ職場に3年いないのが当たり前。
17年前は一つの会社に骨を埋めるのが常識だったのですね。
女が男を捨てる時は、他に好きな男ができた時だけよ。
あたしの、みっつめの願いは「あたしとちなみさんをダブらせないで」ってことだったのよ。
よく男の恋愛は新規保存、女の恋愛は上書き保存と
揶揄されているけれど、本書の恋愛はどちらも上書き保存なんです。
著者の柴門さんは女性ですので、女性目線ではなく、
男性の理想とする恋愛像を描いてくれているのか?と僕は感じています。
・・・こんなことを書くと女々しい奴らだなと感じるかもしれませんが、
新しい恋愛になっても、昔の女の幸せを願う美学のようなものを
感じますし、男性としても女性にそこまで想われていることが
心の美しさのようなものを描いているのかなと感じます。
二つ目のダブらせないで。
の部分を読んだ時、
僕は「生徒諸君」というマンガを思い出しました
(少女漫画も実は好きだったりする照)
あの漫画でも確か遠峰という女の子が「私はナッキーでもいいの」と
アイデンティティーを自ら放棄してまで岩崎君に向かっていくところとはまた別の描写だと感じました。
”貴方のために私は私を捨てる”のが「生徒諸君」の遠峰であり、
「私は私よ、私を見て」と主張するのが杏子ですね。
現実世界で多いのはもちろん、杏子ですね。
気持ちってものは自分の意志でどうこうできるもんじゃないし・・・しようがないさ。
飛鳥さん、大人過ぎです。悟りすぎでしょ。
スレッカラシ?
この言葉はなんだろう?知っている人は教えてください。
「強くたくましく」で生きてきたのに「シャイでナイーブ」に負けた・・・これが片付かないことには俺の青春は終わらない。
堤君、君の青春が終わらないのは君の気持ちがしっかりしていないからじゃないのかい?ちなみと鴨井君の恋模様のせいにしちゃいけないよ。かっこよく台詞を決めているけど、内容はがっかりですよ。
女々しさ120%の漫画で、現実ではありえないけれど、それでも僕は大好きです。
(この女々しさは氷室京介の歌にも通じるところがあります・・・Lover's dayやMemory、cloudy heartだとか。)
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