こんにちは。
最近スッカリドツボに嵌まりこんでいる、朝日町のバカボンパパことアサヒパピオンです。
私は社会に出てから色々な人に出会ってきました。
仕事やプライベート生活を通じて、世代や人種、育った環境や価値観の違い、感じ方や考え方の違い、相性が合う合わないなど、"人間"という存在の素晴らしさや怖さをしみじみと感じてきました。
そして得られた確信、人間とは一人一人がユニークな存在であり、全く同じ人はいないのだという事です。
でも、それだと不便なので似た傾向の人を分類していたりします。
その方が世の中を渡るのに効率的だと思ったからです。
私の分類方法はシンプルです。それは二分法を組み合わせるだけです。
例えばまず男か女か。
日本人か否か。
古いか新しいか。
性格が明るいか暗いか。
上記以外の項目も出来るだけ多く集めれば集めるほど精度が上がります。
要は0か1かの世界に落とし込んで行くわけです。
デジタルの世界ですね。
ライプニッツが発見した0と1の組み合わせで、この宇宙の全てが表現できるという手法を、人間を判断する際に使っているだけです。
話は少し変わりますが、私はこれでも少々占いというものを使います。
調子が良い時というかバイオリズムが上向きな時は、ちょっと易を立てることで、相手が簡単に分かって場合があるからです。
易というのは「当たるも八卦、当たらぬも八卦。」というあれです。
元々、易というのは占いを目的に開発されたものではなく、この宇宙の仕組みを体系的にまとめた哲学書なんです。
易経の基本概念、まずは陰と陽があり(二進法)、それが四つに分岐後、さらに分岐して八つの卦になるというものです。
そして八つの卦をそれぞれ組み合わせて64パターンの概念を発生させて世の中の事を全て表現するのです。
私がコンピュータを扱い始めたとき、コンピュータの基礎原理と易の相似性に気づいたのはすぐの事でした。
実際にライプニッツは二進法を発見する際、易を学んだフシがあります。
0と1の組み合わせ、0と1のbitを8個の単位で1byteとするコンピュータの仕組みや、8bit、16bit、32bit、64bitというコンピュータの中央演算処理装置(CPU)の発展過程を見ていると、易と共通するものを考えてしまうのです。
人間の遺伝子も同様で、A,G,C,Tという4種類の塩基から3つを結合させて配列にするという理論は易の陰線と陽線を三つ並べて組み合わせる易の考え方と似すぎてます。
だから人間は小宇宙と言ったレオナルド・ダビンチは偉かったということになります。
そして、突き詰めるとビッグバン以降に発生したこの大宇宙の仕組みを理解することができる手法がここにあるという考えに至りました。
これはシンプルで絶対間違いの無い手法です。(と数年前までは信じてました。今は違います。理由は最後に書きます。)
当時に私が考え方を整理する上で置き換えたのがコンピュータのハードウェア、ソフトウェア、ネットワークの三要素でした。
まずハードウェアは物理的なスペックを規定します。
容姿とか体力、器用さ等の比較的見分けが簡単なものですね。
次にオペレーティングシステムをはじめとして、ハードにインストールされるものです。
これは生まれついて持った気質や性格、人生のプロセスの途上で学習して身に付ける事ができる可変的な部分です。
最後にネットワークですが、これは相手を理解するとか、自らの弱点を補うために他者との連携を図りつつシナジー効果を得る能力に例えると分かり易いかと。
それぞれの側面は基本的には独立したものですが、近くに寄ると関連しているものでもあります。
建物の中心から三方向に設置された窓の景色が独立したものを映していますが、近くで覗くと隣の窓の風景の一部が覗けるようものです。
この3つの窓を0と1のフラグを立てて切り分けると、その人間の本質が見えてきます。
この人はハードのスペックは劣るけど、ソフトは優秀だな。考え方が若いんだとか。
ハードも大した事ないし、ソフトも新しくはないけど、協調性溢れて話上手いし人柄良いから皆に好かれて結構良い仕事するなあ、とか。(ネットワーク能力に秀でてる)
ハードはメモリの増強とかで対処可能な部分もあるけど、可変性は一番低い。
ソフトは可変性高いけど、ある程度ハードに規定される。
例えばUNIXマシンにはWinやiOSは入らない。
Winマシンにmac対応のソフトはインストールできない。それが出来ているのはそういう風に開発会社が苦労して作っているから。
ネットワークは三要素中、一番便利で効率的だけど、一歩間違うとウィルスに感染して人生を棒に振る。
それぞれの要素を掛け合わせて出来ているのが人間であって、ある特定の分野では人間はコンピュータに勝てません。
人間はミスを犯すのが当たり前ですが、コンピュータは基本的に間違いは犯さないからです。(バグが無ければね。)
例えば、将棋の世界でももう人間は勝てないと思います。
将棋界のレジェンドである羽生善治でも無理かもしれないけど、ひょっとすると。
上記のひょっとするかも?と感じさせる要素が実はあります。
それが私が人間をコンピュータに例えるような人間機械論を放棄させるキッカケになったものです。
それが何かなのかは明確には表現出来ません。
ただ、人間にしか出来ないものが確かにあります。
我々が日常的にやっている事で、機械にはできない事はあるのです。
それをやることが人間の役割だと思いますが、ここで文章に出来ないのには訳があります。
なぜならそれを頭で理解できるように人間の脳はプログラミングされていないからです。
逆行する時間が存在すると言われた時、それがイメージできないのと一緒です。
永遠という言葉を使うときに、頭で理解出来るでしょうか?
永遠という概念はいつまでも続くという意味ではありません。いつまでも続くというのは時間軸内での話です。
永遠というのは今ここに、そして過去にも未来にもあるものではないからです。
よく聞く言葉、「永遠の一瞬」などという言葉はそれを無理くり表現してるだけです。
文章で上記を表現して果たして伝わるのでしょうか?
ビッグバンに向けて時空間を数学を使って時間を遡っていくと、ビッグバンに近づくにつてれ空間の歪みが大きくなっていき、ビッグバン時点では歪みが無限大になって、数学の概念は崩壊します。
ということはビッグバン以前は、時間や空間という概念は成立しなくなるということです。
そして永遠という概念の世界が待っているのかどうかは判りません。
ただし永遠を認識できるのは人間にはできてもコンピュータには出来ないと思います。なぜなら根本的な設計思想というか何かが両者は決定的に違うと思うからです。
人間が永遠というものを理解できるただ一つの方法、それは心で感じることです。
コンピュータにそれは出来ません。
それが違いの全てです。
昔あった、エレキングという四コマ漫画の中での親子の会話からの引用。
とーちゃんは教養とは無縁で、息子もとーちゃんの血を引いています。
息子「ねえ、とーちゃん、相対性理論ってなーに?」
とーちゃん「聞くな!感じろ。」
とーちゃんは我々のはるか先をいく知恵者だったのです。
