隣組の契約 | 朝日町shellのブログ

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こんにちは。

先日私が住む朝日町の地区の行事、”契約”に参加してきました。

田舎には「隣組」というものがあります。

私は最初のこの制度を知らなかったので、初めて聞いた時は、隣のシマ(要は自治会の隣接する別班)の人達と何かの協定を取り決め、文書を交わして、それをもってある種の契約とするものかと真剣に勘違いしていました。

ここで改めて隣組との契約とは何か?を分かりやすく単純化して説明しますと、

隣組=地区の同じ班

の方々と、

契約=懇親会

を開いて楽しむことです。

※ただし地区によっては契約という儀式の成り立ちなどから、違う意味も含むものもあるため、あくまでの私の地区にとっての説明とお考えください。


隣組とは ー Wikipediaより抜粋

もともと江戸時代に五人組・十人組という村落内の相互扶助的な面もある行政下部組織が存在していて、この慣習を利用したものでもある。

国家総動員法国民精神総動員運動、選挙粛清運動[2]と並び、前年に決定し、1940年昭和15年)9月11日内務省が訓令した「部落会町内会等整備要領(内務省訓令第17号)」(隣組強化法)によって制度化された。5軒から10軒の世帯を一組とし、団結や地方自治の進行を促し、戦争での住民の動員や物資の供出、統制物の配給、空襲での防空活動などを行った。また、思想統制や住民同士の相互監視の役目も担っていた。第二次世界大戦太平洋戦争の敗戦後の1947年(昭和22年)、GHQにより解体された。

現在でも、回覧板の回覧など、隣組単位で行なわれていた活動の一部は、町内会・区(政令指定都市の区ではない)・自治会に引き継がれている。地方によっては、単身者核家族が居住するワンルームマンションの増加など、近隣地域と住人の関係が疎遠になる例もあり、地元神社氏子への加入や、祭礼の寄付などをめぐり問題を生じている地域もある。隣組や町内会のような活動が廃れた一因に、その活動単位が政府の言うところの所謂標準世帯での活動を主眼においたものであり、現役世代の単身者や多忙な共稼ぎ世帯などには負担が大きすぎることがあげられる。

京都市内、埼玉県秩父地方など一部の地域では現在でも隣組が残っている(参照:京都の元学区)。埼玉県秩父地方では、慶弔時の花環に「隣組一同」と書かれたものがよく見受けられ、結婚式葬儀にも隣組が動員される為、隣組の慶弔事が勤務先(但し、秩父地方内の企業に限る)を休む正当な理由となる。


今年の契約の場所はお馴染みの「りんご温泉」です。


当日は班長さん宅の前に集合でした。

集合時間に伺うと、りんご温泉の送迎バスが停車しています。



現在、朝日町では契約の時期の為、我々以外の集落の各班ごとの契約が同日りんご温泉で複数開催されており、なんと我が家の管理人であるサンダーボルト氏の地区の契約もりんご温泉で同時に開催されておりました!!



広い座敷部屋。

これくらい広いと移動も楽ですね。



額縁に”林檎”の文字が。



この写真を撮影している最中も、出来た順番にどんどん料理がお膳の上に追加されていきます。



ほぼ全ての料理が運ばれてきた状態の御膳。

これがりんご温泉の宴会コースメニューです。

種類が多いですね。

上記の写真の他に、ハマグリのお吸い物が出ました。

でも食べきれなくても持って帰れるので大丈夫です。




料理の数々。



納豆もち。

これは私にとって珍しい料理。
(私はお餅を食べる習慣がないのです。)

ただ、昔から朝日町に住んでいる人にとってはソウルフードですけどね。







今回は沢山の美味しい料理が並びました。

中でも芋煮が好評で、皆さん美味しい美味しいと仰っていました。

これらの料理をいただきながら、普段はなかなかしない色々なお話ができて、今年の契約は大いに盛り上がり、とても楽しかったです!!

田舎での”契約”というもののありがたさを、改めて感じた日でした。

ご近所の皆様、今後共末永くお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。

m(__)m