これまで朝日町の歴史と自然について、色々と調査をしているうちに、朝日町という土地の歴史と文化は自然と密接にリンクしており、決して切り離しては考えられないのだなという思いを改めて思う、今日この頃です。
それに付随して、一つ不思議に思ったことがありました。
それは、日本という国の歴史を遡って調べる度に、日本人の信仰心は山へと向かうものだという事実が解ってきます。
ところが不思議なことに、朝日岳の山岳信仰について調べようとすると、資料が非常に少ないのです。
お隣の月山を始めとする出羽三山への信仰に関する資料が豊富なのとは対照的に、日本屈指の美しい自然を誇る、偉大な威容を誇る山塊である朝日連峰に対する山岳信仰、その資料があまり存在しないのです。
これは何故でしょうか?
私が朝日岳信仰を調べ始めて、最初に感じてた疑問点です。
資料がないならば、自分個人で調べればよいことです。
実際に歩いてみて感じることは健康にもよいですので、この間、朝日町の山に残る古道を歩いてきました。
この日は以前ご紹介した、高田山のブナ林から森林浴とピクニックを兼ねてのコースです。

車で入れるのはここまで、という場所に車を駐めて、徒歩で入ります。

途中、笹の葉の上にカエル君がいました。
愛嬌がありますね。
ちなみにカエルは水のあるところにいるというよりも、こうした場所にけっこういるのですよ。

梨の木平でちょっと一息。
持参した水を飲み、すぐに出発してブナ林の中へ。

当日のお天気は晴れ。
ただし日差しはそんなに強くなく、林の中は結構ヒンヤリしていました。
朝日町が緑の山に囲まれていることが、実感として分かる光景ですね。
少し歩き次の展望台に進みます。
西展望台は、案内板から3分ほどでしょうか。
先に開けた空間が広がっているのが見えてきます。
西展望台。
ここで昼食をいただきます。

展望台からの眺め。
朝日岳が目の前に大きく広がります。
右にはAsahi自然観のホテルやスキー場がハッキリ見えますね。^^
ここでいただくランチは格別です!!
偉大なる朝日岳の威容を見るだけで、昔の人が間違いなくこの山々に手を合わせていたことが、ハッキリと私には解るのです。
朝日岳信仰についての思いが、更に私の中で確かなものへと変わる瞬間でした。

持参したおにぎり。
左側が「ミラノサンド風オニギリ」、
右が「熊野古道南方熊楠にぎり」です。
いただきま~す!!^人^)
ガブッ!!!
もぐもぐもぐもぐ・・・(⌒¬⌒*)う~ん!!う・うまい~!!バカウマ!!
うますぎ、これ!!
やはりこういう場所で食べるおにぎりは、シャアザクのように通常の三倍の旨味を発揮するのでしょうか?
いや、シャアザクというよりもこれはドラゴンボールの悟空が使う、界王拳おにぎり三倍!!という感じでしょう。
この幸せを胸にして、朝日岳に心から感謝するのでした。(ー人ー)アリガタヤ~
ランチを済ませて、修験者が通った可能性が高いと思われる古道に向かいます。
途中にこのような看板が。
伝説の地獄沼?ーー)??
水は枯れていて、今は池ではありません。
何の伝説があるのでしょうか?
この辺りは後日調べるとして、先に進みます。

そして、ついに見えました。
古道と思わしき場所が・・・。
ここから先を行く人は、滅多にいないでしょうね。
熊などが出るかもしれません。
音が鳴る鈴などを持参しましょう。
「銀竜草(ギンリョウソウ)」。
別名「幽霊茸」
葉緑体を持たない植物です。
こういうの見ると、やはり自然の中に来たことを実感しますね。
花言葉は”そっと見守る。”
たしかに潜水艦の潜望鏡みたいですな。
静かに見守っててね。
古道を少し進んでいくと、ところどころ山伏が何かを行っていた名残でしょうか?
明らかに人間の手が入った感触を感じることができます。
そしてそこには修験者達の思いを感じることができたような気がしたのでした。
朝日町の古道を探っていき、いずれ全てを歩きたいと思いながら、なぜか朝日修験のキーポイントであったであろう、大沼へ向かいたくなったので、来た道を引き返して車に乗り込んで十数分の大沼の浮島稲荷神社へレッツゴー!!
駐車場に車を駐車して、ご神木に手を合わせます。
(ー人ー) 「カミサマイツモアリガトウゴザイマス」

ご神体がご開帳されていました。
修験者の英霊が導いてくれたのでしょう。
二礼、二拍手、一礼。
この時、身体の中を通り抜けた英霊たちの放った風が、今後の古道探索への思いを、より一層強いものとしてくれた、そんな気がしたのでした。
これから来る夏は、私にとって熱いものになるかもしれません。
朝日町に残る古道、かなりの距離になるであろう古道を踏破することは、私が朝日町の生活を豊かにする上で、量ることがことができないだけの価値があるものと、信じています。
これからじっくりと楽しみながら、古道探索をしたいと思いつつ、大沼を後にしたのでした。













