人生の境界 | 朝日町shellのブログ

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こんにちは。


昨日は明石のまるたさんにパワーブレスレットをいただいた事を書きました。

<リンク:まるたさんからブレスもらいました>


そして一昨日は「歴史の境界」なる記事を書きました。

<リンク:歴史の境界>


そして思い出しました。


何をかと言うと、私自信の「人生の境界線」についてです。


私の人生には大きな境界線が二つあると思っています。


ひとつは2013年7月4日です。

この時は血管の時限爆弾が爆発して、出血多量で死にかけました。


もうひとつは、これからお話する、明石へ行った後に起こりました。


何で明石へ行ったかというと、別に大した用事ではなくて、当時出張でよく通っていた大阪の江坂(まるたさんが石を買ったのもここです)というところに週末まで居て、仕事が終わると、通常は真っ直ぐ帰るのですが、この時はなんとなく世界一の吊橋、「明石海峡大橋」を見て帰ろうと思っただけでした。


<リンク:明石海峡大橋のサイトへ>



なので、いつもなら新大阪から東京方面の新幹線に乗るところ、岡山方面に向かう新幹線に乗って、西明石駅まで行き、タクシーで明石駅までまず出ました。



明石駅の北側にある明石城址のお堀。

かもめ(?)にエサをあげ、まったりくつろぎました。


明石駅までのタクシー車中で、あらかじめ運転手さんに名物を訪ねていて、その時は「たまごやき」と言われていたので、「魚の棚(うおんたな)」商店街でその名物とやらを食べます。


卵焼きが名物とは、どんな卵焼き?と思っていましたが、東の人間が意味する卵焼きではなく、「明石焼き」というものを地元の人が「卵焼き」と言っているだけでした。



この商店街で明石焼きをいただきました。



ついでに商店街内にある立ち飲みやが併設されていた酒屋さんで一杯ひっかけつつ、看板娘のお姉さんと相談しながら、明石の地酒をタンマリ(一升瓶18本)買いこんで、自宅に郵送したのを憶えています。

(死にかけてからは飲んでません)


で、次は歩いて明石天文科学館へ向かいました。


<リンク:明石天文科学館>



この建物は東経135度子午線上に存在するのです。

まさに日本時間の基準。

ここでタバコ吸って休憩。

(臨死体験してからは吸ってません)


そして目的地

夕日が沈みゆく、舞子から見た明石海峡大橋。綺麗でした。


向こう側に見えるのは記紀の国産みの神話曰く、日本で最初に出来た島「淡路島」です。


阪神淡路大震災の影響で、設計時点より1メートル長くなったらしいです。


なんとなく不思議なざわめきを感じつつも、やることやった感じがしたので、帰路に着きます。


そして、私の人生を大きく変えた東日本大震災が起こったのは、明石から帰ったひと月後の事でした。