こんにちは。
今回は過去朝日町の歴史に深く関わった武将、「最上義光」についてです。
今年で没後400年だとか。
戦国時代の大名には有名な人とそうでない人がいます。
あまり有能ではないけれど名将と言われ、ドラマ化されるような人気大名もいますし、有能であったにも関わらず有名でもないし、人気がある訳でもない大名もいます。
後者の代表が今回ご紹介する「最上義光」。
少なくとも山形県以外では有名ではないです。
どれくらい有名でないかというと、「義光」という名前の発音を「よしみつ」と発音する人が多いことからも伺えます。
公共の施設での義光紹介スペースでのふりがなに「よしみつ」とふられていたのを見た時は、マジで笑いました。笑
「よしあき」ですよ。
最上義光はハッキリ言って、有能な武将だったと思います。
石高をみても、加賀の前田は別格としても、伊達や蒲生に匹敵する57万石の(実質石高からするとはるかに凌ぐ)大大名です。
石高だけで能力を測るのもなんですが、無能ではこの石高は難しいかも。
でも、間違いなくNHKの大河ドラマに主役として登場することはないと思います。
なぜ人気がないのでしょうか?
まず最初に思い浮かぶのは戦闘力(ドラゴンボールみたいですね)がズバ抜けてはいなそうな事。
あと、上杉や伊達と敵対関係にあった事もあるかなと。
戦国屈指のスーパースター上杉と伊達に挟まれ、ドラマ等でも敵役として取り上げられる機会が多い義光。
これは流石に分が悪い。
上杉や伊達に比して、かなり劣る(と思う)戦闘力。
(ただこれは義光が弱いというより、上記の両者が強すぎただけかも。)
得意技が謀略。
でも謀略がマイナスというなら、天下人の秀吉や家康はどう?
あと、義光亡き後の最上家改易。
これがなければ山形も仙台みたいになったのかな?
その後の山形藩はまさに江戸時代の大名の左遷地の定番みたいになっちゃいました。
これらが不人気の理由でしょうか。
東北の関が原こと、「出羽合戦」。
これに義光は生き残りました。
味方としては全くアテにならない犬猿の仲である伊達(というかスキあらば狙う)を背後に背負いながら、直江兼続率いる上杉軍を最上軍単独で防いだ底力。
運も味方したのもありますが、運も実力の内です。
領民からも愛され、一揆など殆ど起こらなかったという人間としての器を感じさせるところもグッド。
最近は世間の評価が変わってきた兆しも?
もっと評価されていいはずの武将である「最上義光」。
だと思います。
お読みいただきありがとうございました。