こんにちは。
いつもお世話になっております。
夏なのに股引はいてるモモヒキンガーです。
今回は、私がイメージする、次世代の社会はどんな感じなの?という話題を書かせていただきます。
この事を考える場合に私が避けて通れない、興味深い人達がおりました。
その人達は、各々が飛び抜けた才能と、強力な生命力を有していました。
その人達というのはハンガリー出身のポランニー一家の事です。
私がこの一族に興味を持ったのは、その人物達の才能だとか言う事ではありません。
その人物たちが掲げていた大義、資本主義と社会主義を超える第三の社会の探求でした。
そしてその大義の本質は、社会制度というかメカニカルな制度によって、自由且つ過不足のない持続可能な社会を通しての人類の救済というものであったと理解しています。
この人達は、各々が違う手法でそれを求めました。
長男のオットーさん
この人、資本主義でも社会主義でもない共同体国家主義持ち出して、ムッソリーニ焚き付けてイタリアをファシズムの道に導いた。
歴史が証明したように、この人の方法だめ~。
次男のアドルフさん
この人、ブラジル行って白人と黄色人種と黒人の融合による西洋からの脱却を試みたけど、失敗。
でも、自由で且つ個人が尊重される社会の構築する意義には一理あり。
長女のモウジーさん
この人、農村共同体なる概念を提唱して一躍時の人になりました。
それは現在も存続しているイスラエルのキブツや、日本だとヤマギシ会などに継承されている。と思う。
でも自分の感覚だとちょっと違う。
だって個々の人間の尊重から外れてるような気がするから。(その理由は後述)
三男のカールさん
この人の洞察力は素晴らしい。
経済人類学の始祖。
でも敗者。なぜなら前提が間違っていたから。
間違った前提のものを効率よく処理すること程、非生産的な事はないのです。
四男のマイケルさん
この人、アインシュタインの弟子。
他の兄弟を圧倒する頭脳と実績から、ノーベル賞受賞確実と言われた逸材。
「暗黙知の次元」という著作には、私も圧倒的な刺激を受けました。
でも、最後は哲学者みたいになったので社会による社会の救済からは離脱した。
それが正しいんだけどね。
私が上述した方々の手法なり思想なりに靡かなかった訳はシンプルです。
それは、個々人の能力を発揮させる上での制約が発生することを恐るからです。
私は現在も続いている資本主義を決して肯定はしていません。
ただ、市場という概念に対しては、少なからぬ欠陥を抱えるけれど肯定しています。
それはカール・ポランニーが自由な市場(貨幣を常に伴うものに限らず)の有効性の説くP.F.ドラッカーに対して放った言葉、「中途半端な妥協だ」と排するようなやり方、要するに、人が人による命令するというようなコントロールベースの社会では、人の幸せを担保できないと思うのです。
なぜならカールが説くような論法では、個々人に要求が満たされないのです。
私は常に、人間社会は自然の知恵に学ぶべきだと思っています。
それを思う時、粘菌の自律的行動、簡単に表現するならば平常時は各々で行動し、危機に際しては誰の命令でもないのに結束して苦難を乗り越える、そういう社会が構築できればいいと思うのです。
かつて南方熊楠が、「この地球を包む宇宙を更に包む大宇宙の真理を、私は粘菌を通して見ているのです。」と表現した言葉が忘れられません。
我々人類はこの地球において、ホモサピエンスのみで成り立っているのではありません。
我々には目視できないような微生物の存在無くして、生活が不可能な事をしても一目瞭然です。
個人個人の尊厳、自由への担保、自然への敬意、他者への敬意、それがあって初めて私が夢見ている社会が実現するはずと考えるのです。
そしてこれがあって個人個人の成長が可能であって、無謬の宗教による救済や、無謬の社会による救済という亡霊から解き放たれる時が来ると思うのです。
私は、お経とか呪文を唱えたり、塩を舐めてとか、何か道具を使って覚醒すれば救われるとかいう流れには組みしません。
結局、自分を救えるのは自分しか居ないという、サミュエル・スマイルズが言うように、それはその人間の手と、その人間の汗と、そして精神の質の問題である、という言葉に集約されるのだと思います。
そして行き着く先は、矛盾するように聞こえるかもしれませんが、それは「思いやり」だったのです。
隣の家の方が困っているのを見て、自分がされたら嬉しいなと思うことを実行することなのです。
私がお世話になっている電気屋さんが留守中の家を心配して、屋根の雪下ろしをしてくれたり、畑を耕して種を植えてくれたりする事なのです。
そして、右も左も判らぬ人間を町内の人達に紹介してくれる事だったのです。
結果成されるものが、自由で生活も過不足なく持続可能、個々人が最高のパフォーマンスを発揮して、他者への貢献ができる、という社会です。
そういう要素が朝日町にはあるので、モモヒキンガーは頑張りまっす!
お読みいただきありがとうございました。