こんにちは。
私が朝日町についての感想を聞かれると、いつも表現に詰まります。
なので、今回はその辺を弁解させていただこうかと思います。
前にもお話ししましたように、私は結構不思議な物事に興味がある質です。
そんな私が昔から気になっているものが、「機械の中の幽霊」という存在です。
便宜上、幽霊と言ってるだけで呪いだとかこの世に未練を残した者の残存だとかではありません。
また、機械という言葉も正確ではなくて、あらゆる営みに伴うシステム的なものとお考え下さい。
では、本題です。
まず、この宇宙は「部分」と「全体」という概念に包まれております。
たとえば、私が大好きなネコの情報を認識する場合、「ネ」と「コ」という音が合算されたものとしては捉えません。
「猫」という音の背後にある知覚的なものを使用しています。
要は、部分の総和=全体ではなくて、それ以上のもの、というか全く別物になる訳です。
私がこの事に気が付いたのは、部分、部分のメカニズムには全く問題ないにも関わらず、全体の機能としては不具合が発生するケースが有るからです。
皆さんも経験があるのではあるのではないでしょうか?
何気ない重要ではない日常ではトラブルが発生しないのに、ここぞという場面では、何故か通常発生しないような稀有なトラブルが発生するようなケースです。
ウォークマンの調子が悪くて、電気屋さんで見てもらおうとお店に行って、症状を再現させようとすると普通に動くので、故障だと証明できないとか、そんな感じです。
システム開発をしていた時などは、そのような場面に遭遇したのは一回や二回ではありません。
数千ケースのテストを繰り返し行って、イザ本番という時にトラブルは発生するのです。
テストケースに無い事象が起こったというならば、話は簡単です。テストケースの漏れという事です。
でも、違うのです。
テストでは何百回と繰り返し行ったにも関わらず、それは起こるのです。
トラブルが起こったからには、障害原因を特定しなければなりません。
まず、最初に行うことは、その事象を再現させる事です。
しかし、上記のような場合、テスト環境では同様の処理を行っても再現しないのです。
なぜだろう?
手を合わせて祈っても(障害を発生させる為に祈るのも変な話ですが)、障害は起こらないのです。
学校を卒業した時に、コンピュータの世界に飛び込んだ私は、教育を受けた際に「数十万分の一のトラブルが許されても、それ未満でのトラブルは絶対に許されない」と言われました。
今では数十万って数字は甘いだろ?せめて数百億分の一だろ、なんて思うのですが。
まあ、いずれにしても、なぜ障害は起こったのか?
数十万分の一のトラブルが偶々、重要な場面にヒットしてしまったのか?
ロシアのデフォルトに端を発したLTCMの破綻やリーマンショックのような金融危機が起こる度に、理論上は数百年とか数十万年に一回の出来事と説明されるのに、実際十年おきに起きるのは何故?
このような事象を説明するために、世界の優れた才能たちが解を導き出そうと奮闘してきました。
カオス理論におけるバタフライ効果、曼荼羅を思わせるフラクタル理論、あらゆるものの予測は不可能と言っているみたいなブラックスワン現象(それを言っちゃあ、おわりでしょう)等、これらの有効性を認めつつも私はやはり物事には道理があって、垣間見えるものが在ると思うのです。
それは、この世の物事には常に分析と知覚的な作業の両輪が必要であり、且つ両者が均衡した時に動的な安定が得られるという考えです。
簡単に表現すると、それは細かく細かく細分化する分析的な作業も重要なのですが、それだけではなく「感じろ!」とか「もっと空気を読め。」という知覚的な作業の重要性を認識して物事を解釈する時、物事の解決が為されると思うのです。
現在のEUにおける金融財政危機を今までの手法で乗り越えられるでしょうか?
答えはほぼ否です。
何でこんな話になるとは言わないでください。
私が言いたいことはあらゆるものの事象には、分析的な「目に見えるもの」の背後に、「目には見えないもの」という知覚的なものが潜んでいるのです。
両者を平等に扱うと、大きな問題に見えたことでも、なんだこんなもんか、という風になったりするのです。
私が朝日町に関して、何処が素晴らしいのかと問われた時に回答する場合それは、
空気が綺麗
朝日町民の方々が優しい
リンゴが美味しい
星が綺麗
etc
色々と言えるでしょう。
でもそれでは片手落ちなのです。
システムのトラブルが発生した原因は蓋を開けてみると、部分的な総和の想定からは予測できないようなヒューマンエラーであったり、最後まで謎であったりです。
しかしその背後に透けて見える何かが原因であることは確かだと思います。
私は、それら全てを包含して観る事ができる何かを知覚する事により、朝日町が素晴らしいと感じるのです。
これを表現する術を私は持ち得ません。
私は自分が詩人でなかった事を残念に思うのです。