読めばわかるアスペ育児奮闘記 -13ページ目

3・11-4

前回の続き・・・



ヴィーッ!ヴィーッ!というサイレンのようなバイブ音で


私とパパは飛び起きました。



緊急地震速報のエリアメールです。



またあの揺れがくるのか!?と体を起こし懐中電灯と携帯を手に取り


身構えていましたが、揺れはきませんでした。


「もし揺れたら子供を抱いてジャンパー持って玄関行こうね」とパパと話しながら待っていると、


少しして震度2程度のわずかな揺れを感じました。


そして続けて再びエリアメールがきました。


今度こそ来るか!?と私とパパは寝ている子供を抱きかかえジャンパーを持ち玄関に行きました。



しかし


大きな揺れはその後ありませんでした。


玄関で寝ている子供にジャンパーを着せて外に逃げようとしていると、


私の両親が部屋から顔を出し


「何してるの?え?エリアメール?あぁ、きたけど少し揺れただけだったじゃない」


と、いたってクールでした。


なんだか温度差を感じましたがきっと、


うちのアパートでは大変なゆれで家具類は倒れ物も落ちすごく怖かったけど


実家ではそこまでの恐怖は無かったんでしょうね。


私は3・11から今日に至るまでずっと、エリアメールが鳴るたびに心臓が飛び出しそうなほど恐怖を感じます。



だからこそ3・11から数日の間の誤報の連続は、本当に勘弁して欲しかった・・・


エリアメールだ!とビクビクしながら待っていても、揺れても2とかの小さな余震だったりというのが多々ありました。



3・12の朝、


朝食のときにたんくんは突然嘔吐しました。


風邪症状もなく、吐いたあともケロッとしていたので、


たぶん地震のストレスだったんだと思います。


下痢もしていましたが、2日ほどでおさまりました。




実家では、電気が止まっていて、水道・ガスはかろうじて出ていました。


しかし3・12に水も止まりました。


水道も止まるに違いないと思った弟の判断で、


風呂・やかん・鍋・ペットボトルに水を大量に確保しておいたおかげで、


トイレや食事に使う水を数日間確保できました。




家には電池式の反射式ストーブがあったので、部屋は暖かかったです。


電気の灯油ストーブ(?)一般的なやつしかない家だと、かなり凍える寒さだったと思います。



ガスが出ていたおかげで調理も出来きました。


近所でも、地域によってはガスがこないとか、電気はもう通ったとか、差がありました。


そこでうちは水が余っていたので水は出ないけど電気は通っているという知人宅へ行って


水をあげて電気を拝借してケイタイを充電したりなどもしました。



ガソリンスタンドは近所は全滅でした。


ガソリンはあっても、給油する機械自体が停電で動かないとかですね。


また、ガソリンが無いところももちろんあったと思います。



そんな中でもうちのパパや妹、弟は地震の次の日も普通に仕事へ行きました。


父はJRの車掌ですのでもちろん電車が走れない状態で仕事はありません。


母は職場の建物が崩れて危なくて入れないので当分休みになりました。


うちのような田舎では仕事へは車がないといけないのですが、


仕事はあるけどガソリンスタンドが無い状態ですので、


3・13には皆の車のガソリンがそこを尽きつつありました。


妹や弟の職場ではガソリンがなくなるので仕事は休み、という事になったようです。




電気のない暮らし3日目、3・13の午後に、やっと我が家にも電気がきました。


同じ頃、水道も復旧しました。


水のでる幸せ!電気のある幸せ!


これは日々当たり前の事と思って生活してても、無くなってみないとありがたみがわかりませんね!


家族全員で大喜びでした!




電気が通ってまずテレビをつけました。


すると画面には津波で町が跡形もなく消えてしまった沿岸の映像・・・


死者は何人だとか町まるごと連絡が取れないだとか、そんなニュースをどのチャネルも流していました。


まさか沿岸ではこんなことになっていたなんて・・・



まさに戦場



日本の、自分も訪れたことのある場所、なのに・・・



・・・



言葉を失いました


テレビは見れて嬉しいし、現状は知りたい


けど見ていると本当に気が滅入りました。




続きはまた今度・・・