菅内閣の支持率が25%になって、不支持率が65%になったそうです。完全に民主党への変化を求めた国民が完全に白けたことを意味していると思います。


素人でも良いから新鮮な期待感があったけどさすがに本番はこれ以上任せられない、って言う感じでしょうか。しかも想像以上にひどかったというところかもしれません。民主党というより管政権かもしれないけど、じゃあ小沢さんが良いかと言うと、妙にプロの凄みがある。まあ日本国民の現在のテイストに合う政治家はいないということなのでしょう。


そういえば、鹿児島県の阿久根市の竹原市長の解職請求の住民投票の結果が出て、市長の失職が決まったそうです。そうなるとは思っていたけど、76%という投票率の高さは、市民にとってこの問題が非常に切実なものであったということだと思います。但し、賛成と反対の差が結構拮抗していることに、この問題の深さが読み取れます。


民主主義だから、過半数をとった方の意思に従うのは仕方がないが、その反対票の数も過半に近いということは、とてもじゃあないがすっきりした結論とは言えないでしょう。次の市長戦にこの市長が出て、当選したらどういうことになるんだろう。また同じことが繰り返されるとすると、これはもう最悪の”民主主義ごっこ”という感じのイベントになってしまう。こういう形の選挙やリコールでも相当税金が使われるはずで、希望もないので面白いドラマ仕立ての芝居でも見たいという市民のお祭りになっているのかもしれない。


いろんな判断ができることが良いことです、っていう見解もありますが、可能性が大きいことは人を迷わせ、結果として納得感や満足感の乏しい結論を容認することになるっていう逆説が存在すると思います。


人はそんなに偉くない。すごい判断力もあるわけでもない。誰かに騙されているかもしれないという懐疑的な気持に支配されているからかもしれないけれど、大多数の人の判断ほど危険なものはないことも、また歴史が示しています。


菅内閣のことも、この阿久根市長のことも、そして名古屋の河村市長のことも、共通しているのは、行政の長と議会の対立と言うことですが、もっと深いところで共通している民主主義の罠のようなものも感じます。


日本人はやっぱり民主主義は不得意かもしれない・・・ 

でもそれに代わる方法も思い浮かばないですね。今の日本では。

実は去年、全く違うことをテーマにしてブログを書いていこうと考えておりました。

書いていた原稿を掲載し忘れていたので、下記思い出したように掲載します。


・・・


当たり前だけど、また新しい年が自然に明けましたね。でも”普通に明けた”のは目出度いことではあります。


お互いに”おめでとう”と言う意味は健康でまた1年を過ごすことができましたということなんでしょう。しかし今読んでいる本のせいか、”地球がまた止まらずに自転してくれてありがとう”という意味に感じてしまいます。


昨年は”はやぶさ”の快挙もあったけど、月があっての青い地球、土星あっての彗星衝突の少ない地球、という”漆黒の宇宙に浮かぶ美しい箱舟”としての地球の愛おしさと「新年」を重ねて考えてしまいました。


やっと元旦。吹雪の新年となったところも多そうですが東京は穏やかな日の出を迎えることができました。


大みそかは、初めての経験ですが、上野の東京文化会館であったロリン・マゼール指揮の「ベートーベン交響曲ツィクルス」(全交響曲を一気に演奏するという意味です)を聴きに行きました。友人に急にチケットをもらったので突然のベートーベンでしたが、今までにない感動に浸る事ができました。交響曲の持つ交響曲的な意味ということと、ベートーベンがあの時代に新しく挑戦した音の世界と創造のメカニズムに改めて感動した、という感じでしょうか。


1番から順番に9番まで10時間半(休憩を入れてですが)かけてぶっ通しで演奏すると言うものですが、ベートーベンはこういう催しにピッタリという言う気がします。ベートーベンはそれ以前のモーツアルトまでの古典にはない意識的に作った思想的な体系を持っているので、こういう一気にそれを聴くことが、その体系そのものに触れるには必要なのではないかという意味でです。もちろんフルオーケストラ(曲によって楽器の数や種類が違うところも非常に面白いのですが)という表現方法と交響曲という表現形式がベートーベン以前と以後において如何に異なるかという勉強にも良いものでした。


自由・博愛・平等の意味や、消耗されない芸術としての音楽という新しさや、職人の作品ではない”意味を問う”音楽や、何より”耳が聞こえることによる作曲”の意味などを長い時間をかけて考えさせてくれるイベントになっていました。そしてそれを提示できるベートーベンという「構築の天才」を改めて思う事ができました。



あんなに長い時間なのに、ほぼ満席のホールで寝ている人は一人もいませんでした。自分も”うたた寝”覚悟で行ったのにとてもそんな世界ではありませんでした。これを毎年狙って通う人達の熱気に包まれていたということなのでしょう。特に5番、7番、9番は最高でした。


これも初めてですが、東京駅発の新年の始発電車で帰宅しました。カウントダウンの興奮から取り残された普通の深夜の閑散とした東京駅でしたが、リアリティーがありました。不断に続く生活というリアリティーです。


0時を5分しか回っていない新年最初の電車なのにJRの社内放送が普通だったのには少しがっかりしました。アメリカだったら何かきっと茶目っ気たっぷりに言うでしょうね・・・



大変遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。


怠慢から更新が遅れました。


私事ですが、昨年より起業しましたことにより、昼夜問わず・また休日も関係なく

外出していることが多くなりました。

貧乏暇なしで頑張っています。


さて、あっという間に2011年になってしまいました。


去りゆく時間は早いもので、その時間の振り返りや熟考することもなく新年に突入してしまいました。


今年はどんな年にしていこうか、などと考える時間もありませんでした。

せっかく立ち上げた会社が軌道に乗るように尽力していくだけです!


今年も早速いろいろな方とお話させて頂いております。


今年の抱負から期待、願望など思い思いは様々で、正に十人十色です。


新年だからなのか、抱負や希望などを語る方が多く、

どれもこれも第3者に絡めたものばかりです。


経済が良くなる、政治が確立する、国内情勢が豊かになる、などなど。


一つ、不思議に思うのが

「期待」と「希望」を混ぜている方が多いような気もします。


期待というのは、実際には自分も含めての期待値であり

自分のアクションによって、どうにでもなる範囲を指すようなことです。


一方で、希望というのは傍観者の立場で、あくまで指を加えて見守るだけのことを指します。


いま、日本人に求められているのは

自分が文字通り自律&自立して、身の回りから世直しを行える器量・度量ではないかと思います。


どちらかというと、希望的観測を述べる方が多いですが、これは何も新年に言うことではありません。


新年というのは、今年は自分がどのように行動するか、何を目指していくかを「宣言」していくことが

重要ではないかと、様々な人と話して感じます。


一年の計は元旦にあり、というのは伊達じゃないですね。


全ての事象を、自分に帰着することは必要ありませんが

自責の念で物事を考えられる人こそ、この先の日本を動かしていく人間なんだろうな、と思います。


長いようで短い、また短いようで長い一年間。

どの様に皆様はお過ごしになられますか?


本年もよろしくお願い致します。