歯茎閉鎖音の弾音化(3) | 英語の音韻論と、英語の発音と、ときどき日常。

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このブログは、筆者の大学・大学院での主専攻である英語音韻論や英語音声学を主とし、英語学、言語学、日常のこと、私の興味のあること等を纏めたものである。

筆者は2024年3月に大学院博士前期課程を修了。

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 前回の記事では、無声歯茎閉鎖音/t/の異音のうち、弾音化に関連するものを簡単に紹介した。

 

 

 今回は、最初に投稿した「歯茎閉鎖音の弾音化(1)」より少し踏み込んで、弾音化についてもう少し詳しく見てみたいと思う。

 

 

本記事の引用および転載は、一部分であっても絶対に認められない(2024.5.25)。無断引用や無断転載は、筆者がたとえそれに気づかなかったとしても、立派な犯罪である。日本学術振興会の研究倫理eラーニングコースを受講した君たちなら身に染みてわかるだろう。

 

 

  弾音化とは

 

 一般に弾音化を解説する説明として、「2つの母音に挟まれた[t]の音は、日本語のラ行の子音のように聞こえ(畠山ほか(2013))」るといったようなものがある。

 

 ここでいう「日本語のラ行の子音のよう」な音とは、前回の記事で紹介した有声歯茎弾音弾音である[ɾ]か、あるいはそれに近しい音を指す。

 

 つまり、弾音化とは、「ある音韻環境において、歯茎閉鎖音である/t/, /d/, /n/が非常に速く調音され、有声歯茎弾音である[ɾ]、あるいはそれに近い音に変化する現象」と説明することができる(Ladefoged and Johnson(2015: 187))。

 

 なお、本ブログでは特筆のない場合、/t/の弾音化について扱うものとする。

 

弾音化の名称

 

 実は、前回の記事で紹介した“flap”と“tap”の名称の使用の“ゆれ”と同じように、弾音化という現象の名称にもある一定の“ゆれ”が存在する。

 

 例えば、牧野(2005: 60)は「弾音」を、今井(2007: 43)は「有声のt」を、神山(2016: 89)や竹林・斎藤(2008: 86)は「たたき音(tap)」を採用している。

 

 これを見るに、弾音化によって生じるとされる有声歯茎弾音と、有声化によって生じるとされる有声のtは、名称は違っても同一のものであるという可能性が考えられる。


 しかし、神山(2016)や松坂(1986)では、有声化と弾音化を別の現象として扱っている。

 

 であるから、本ブログでは、有声歯茎弾音[ɾ]を生み出す弾音化と有声化された/t/(=[t̬])を生み出す有声化を、音声現象としては別のものであっても、音韻現象としては同じ「弾音化」の一種として扱い、これらに加えて無声歯茎弾音[ɾ̥]が出現する可能性を認めるとする立場をとる。

 

 

  弾音化がみられる地域

 

 この音韻現象はアメリカ英語において顕著にみられることから、アメリカ英語の最も有名な音韻現象のひとつとされている。

 

 しかし、弾音化はアメリカ英語以外でも、世界の様々な変種でみられる。

 

 例えば、ウェールズの首府にして最大都市であるカーディフ(cardiff)のカーディフ英語(Collins and Mees(1990: 90))、北アイルランド英語(Wells(1982: 325))、オーストラリア英語(Cox and Fletcher(2017: 129, 148-149))で確認されている。

 

 また、出現にばらつきがあるものの、容認発音(Wells(1982: 299))、ロンドン英語(コックニー)(Wells(1982: 324-325))、標準イギリス南部英語(Lindsey(2017: 69))でも確認されている。

 

 よく、イギリス英語では/t/は弾音化しないという説明が散見される。確かに、アメリカ英語の弾音化とイギリス英語の弾音化とでは明らかに異なる特徴が存在するが、弾音化という現象自体はイギリス英語の一部の変種で確認されている

 

 

  弾音化の生起環境

 

一般的によく知られている弾音化の生起環境は2つの母音に挟まれた場合であるが、実は弾音化がどういった条件で発生するのかについては、いま現在も研究者の間で論争が起こっている。

 

 例えば、Kenyon(1950: 126-127)は/t/の弾音化の生起環境について、次のように設定している

 

(1)a. 母音と母音にはさまれた場合。具体的には、強勢母音と無強勢母音にはさまれた場合。

 

   b. 母音とある種の有声子音にはさまれた場合。具体的には、非音節主音的な/l/の後、

    音節主音的な/l/の前、非音節主音的な/n/の後で起こる。ただし、音節主音的な/n/

    の前、非音節主音的な/l/, /n/の前では起きない。


  c. 2語にまたがって、母音と母音にはさまれた場合。この場合、(1a)とは違い、/t/に

   後続する母音の強勢条件は問わない。

 

 しかし、この記述が行われたのはいまから75年ほど前の1950年であり、この75年の間で研究は劇的に進んでいることから、さすがにKenyon(1950)の記述をそのまま受け入れることはできない。

 

 例えば、(1a)については、editorのように、/t/に先行する母音が無強勢であっても弾音化することが確認されているし、(1b)については、非音節主音的な/l/, /n/に後続する/t/の弾音化を認めない記述もある(枡矢(1976: 129)、竹林(1996: 197))。

 

 そのため、本ブログにおいては、(1a)については無強勢母音間の/t/の弾音化を認め、(1b)についてもコーパスを調査した結果から、非音節主音的な/l/, /n/に後続する/t/は“単純に”弾音化するという立場をとる。よって、/t/の弾音化の生起環境を次のように設定する。

 

 (2)/t/→[D] / [+sonorant] ___ a(#(#))[+syllabic], b〈-stress〉

          

   ただし、次の条件を設ける。

 

          a. aの条件がなければbの条件があり、aの条件があればbの条件はない。

                b. aの条件は2語にまたがる場合の弾音化のみ適用

      c. 人為的にゆっくりと話す場合、(2)は適用されない。

 

 この定式は、Kahn(1976: 96)を一部改訂したものである。/t/に先行する分節音は[+sonorant]の弁別的素性を有する(Kahn(1976)の素性指定は[-consonantal]であった)。この式の意味は、次のとおりである。

 

 (3)a. 1語内で起こる弾音化は、/t/に共鳴音([+sonorant]の素性指定を受ける分節音)

              が先行し、無強勢の音節主音が後続する場合([+syllabic]と[-stress]の特徴を持つ

              分節音)に起こる。ただし、人為的にゆっくりと話す場合は起こらない。

 

    b. 2語にまたがって起こる弾音化の場合、/t/に共鳴音が先行し、音節主音が後続する

      場合に起こる。ただし、人為的にゆっくりと話す場合は起こらない。

 

 

  まとめ

 

1.弾音化とは、ある音韻環境において、歯茎閉鎖音である/t/, /d/, /n/が非常に速く調音され、有声歯茎弾音である[ɾ]、あるいはそれに近い音に変化する現象のことを指す。

2.アメリカ英語の顕著な発音変化の1つであるが、イギリス英語やそれ以外の英語の変種でも起こる。

3.弾音化の生起環境は、/t/に共鳴音が先行し、音節主音が後続する場合。ただし、1語内で起こる場合は/t/に後続する音節主音が無強勢でなければならない。

 

 

  参考文献

 

Collins, Beverley and Inger M. Mees(1990)The phonetics of Cardiff English. In Nikolas Coupland(ed.)English in Wales: Diversity, Conflict and Change. Clevedon: Multilingual Matters. pp. 87-103.

Cox, Felicity and Janet Fletcher(2017)Australian English Pronunciation and Transcription. Second edition. Cambridge: Cambridge University Press.

今井邦彦(2007)『ファンダメンタル音声学』東京: ひつじ書房.

神山孝夫(2019)『[新装版]脱・日本語なまり – 英語(+α)実践音声学』大阪: 大阪大学出版会.

Kahn, Daniel(1976)Syllable-based generalizations in English phonology. Doctoral dissertation, Massachusetts Institute of Technology, Cambridge, MA[Published 1985, New York: Garland; Published 2015, Abingdon: Routledge].

Kenyon, J. S.(1950)American Pronunciation. Tenth edition. Ann Arbor: George Wahr.

Ladefoged, P. N. and K. A. Johnson(2015)A Course in Phonetics. Seventh edition. Boston: Cengage Learning.

Lindsey, Geoff(2019)English After RP: Standard British Pronunciation Today. London: Palgrave Macmillan.

牧野武彦(2005)『日本人のための英語音声学レッスン』東京: 大修館書店.

枡矢好弘(1976)『英語音声学』東京: こびあん書房.

松坂ヒロシ(1986)『英語音声学入門』東京: 研究社出版.

****(2013)「ラ行の子音のように聞こえる[t]の音」畠山利一ほか『BIG DIPPER English Communication』東京: 数研出版.

竹林滋(1996)『英語音声学』東京: 研究社.

竹林滋・斎藤弘子(2008)『新装版 英語音声学入門』東京: 大修館書店.

Wells, John C.(1982)Accents of English. Three volumes. Cambridge: Cambridge University Press.