過干渉な母に合わせていたら自分の気持ちや欲求がわからなくなったお話 | 本来の自分に戻ってOKを出す!~心理タロットカウンセリング~大橋知華子

本来の自分に戻ってOKを出す!~心理タロットカウンセリング~大橋知華子

・つい我慢をしてしまう。
・自己否定や自分を責めてしまう。
・本来の自分を出せない。
・自分を偽っていい人をやめたい。

京都(対面)・全国(オンライン)でタロットカードを使ったカウンセリングをしています。

前回の記事の続きです





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▶️只今50歳、自分を育て直し中です


▶️人生はいくらでもやり直せる


▶️「私の人生は失敗している」心の深いところで感じていたこと



両親に向けて私が放ったひどい言葉に

母親に思いっきり泣かれてしまい

そこから自分の気持ちを抑えるように

なったと前回の記事で書きました



だけど自分の気持ち、感情を

抑えるようになったのは

もっと昔、幼い頃からでした







私の母はとても心配性で過干渉だったので

幼い頃から何をするにも

「これはダメ、これにしなさい」と

いつも母からの指示があり



なので私は幼い頃から

そして母が亡くなるまで

自分で選んだり決めたりすることを

してこなかったんです



唯一選んで決めたことは

母の気持ちや思いを優先する

母に合わせるということでした

(と言っても無意識ですが)



例えば、洋服選びなんかもそうで

私が着たい服よりも母が着せたい服を

いつも着ていました



でも本当は嫌で着たくなかった



だけどどうせ聞いてもらえないと

思っていたので

いつも自分の気持ちを抑えて

諦めていました



私が選ぶものに「いいね」と

言ってくれない母

「それよりもこっちのほうがいい」と

言われるのが常



そんな母に反抗すればいいのものを

私はほとんどしてこなかったんです



幼い頃から無意識に母に合わせる

ということをやってきたので

そこになんの疑いもなくて



それに母に反抗して

自分の気持ちを優先してしまうと

母に悲しい思いをさせると

思っていたんです悲しい



私の中には「お母さんかわいそう」

という思いがずっとあって

幼い頃から見ていた母は

全然幸せそうに見えなかった



だから自分の気持ちを優先するよりも

母の気持ちを優先することが私にとって

大切だったんです



だけどその一方で

私の気持ちや欲求は抑圧されていたので 

いつもどこか生きづらさみたいなのがあって



自分が今何を思って

どんな気持ちを感じているのか

わからなくなっていきました







そして自分らしさや

自分自身がわからないという

アイデンティティの確立に失敗



そんな感じで成長して大人になった私は

半分引きこもり状態になっていきました



高校を卒業して専門学校に進学し

途中で退学して定職にも就かず



アルバイトをしても続かずに

すぐに辞めてを繰り返し

無気力状態でした



これが18歳から21歳

母が亡くなる時までこんな感じでした



母からは

「あんた将来どうするつもりなの」

と心配され

母が見つけてきた求人を私に見せては

「この会社に行ってみたら」と

進めてくるようになったんです



今までは母に合わせてきたけど

今思えばこの時はもう限界だったのかも



それが無気力という

形で表れていたのかもしれないですね昇天




だけど私もいつまでも

このままじゃいけないと思って

ある日自分で見つけてきた求人の

会社の面接に行って採用をもらい



そのことを母に事後報告したら

「そんな会社はやめておきなさい」と一喝💧



で、母の言うとおりに

その会社の採用を辞退することに



成人している子どものことに

口出しするなんておかしいと

今なら思いますが

当時はそれが当たり前すぎて

何の疑問も持たなかったんです



完全に麻痺状態💦



だけど無気力というサインで

身体は教えてくれていたんですね



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長年の母の過干渉があらゆるところに影響があったお話