9月16日TT 感想
内容:倫理的コミットメント、
禁忌、軽減、
太陽礼拝、バランスのアーサナ、クールダウンのアーサナ、
ティーチング
・最後のティーチング、30分のクラスをやるのが3回目になり、
自分で決めたシークエンスから、今日は違うことをやってみよう、
これをやめて違うものを入れてみようという風に、
軸はあるけど、そこから派生して、
体調をみながら変化させていくことが回を重ねる中でできるようになってきて、
自信になっているなって感じました。
コメント:基本の30分ができるというのがあると、
遊びで変えたりとか、相手に合わせて変えたりというのができるので。
落ち着きと自信に繋がっていく。
やっぱり一本の基本のラインが一通りできることばベースにあると、広がりも出来てきますよね。
・倫理的コミットメントで、人権感覚とか、とっても大事だなと思いながら、聞いていました。
最近自分はオーバーアクション気味に人を褒めるっていうことを心掛けているんです。
「すごいね」とか「わー!」みたいに。
ちょっとオーバーに。それはそれでいいとは思うんだけど、
YOGAのクラスでは、声をかけそびれた方が嫌な想いをするんじゃないかなとか、
今日思ったりしたので、褒めるっていいことではあるけど、
そのバランスのとり方をうまくとらないとかえって傷つけることもあるかなと、気づきました。
コメント:褒めておられるの、すごく素敵だなってわたしも思っていて。
たぶん、褒められた方、すごく嬉しいから。
とても素晴らしい資質というか、練習されているのは本当に素晴らしいと思います。
でも、ひとつ言われているのは、褒められなかった人が残念に思うのもあるし、
褒められた人も、褒められるためにやるようになるという問題が起こる。
褒められようが褒められまいがオッケーな自分が目標なので、難しいですよね。
褒めればいいのかって、そこの加減、難しいかなって思います。
不特定多数の人が集まる現場だからこそ、いろんな感じ方をされる人がいるから、
だからこそ、インストラクターも成長し続けなければいけないというふうに思います。
学ばされるところ。
スタジオに来られる方って良い方ばっかりなんだけど、
いろんな人が集まる場でのクラスでは、
想定していなかったような言葉を聞いたり、いろんなことが起こるので、学ばされます。
・倫理的コミットメントでは、嫌がらせをしないってありましたが、
多くは嫌がらせされる場合とか、自分が結果的にする場合とか、
する方には自覚がないことが多いのかなと思いました。
だからこそ、こういうことはダメですよ、そうなっていないかなって観ていくのが大事なのかなと思いました。
自分の気づきは、自分の感覚に目を向けられるようになったなぁと思いました。
これからは伝える人達に、感じてもらえるよう、
自分と向き合うことを体験してもらえるような誘導ができるようになりたいなと思いました。
コメント:何気なく言っている言葉が、その人の価値観の反映なんだけど、
その言葉の中に人を傷つける言葉がけっこう入っていることがある。
「それって当たり前じゃん」って気軽に言ったその当たり前っていうものが
誰かに対しての押し付け。
例えば男女があって当たり前、だったら性的マイノリティの人にとっては傷つく感じになるし。
それを辿っていくと結婚して当たり前、子どもが出来て当たり前、
いろんな人の当たり前で、別に言った人も悪気はなくて、
その人にとってはそういう生き方考え方でやってこられて、
それも否定するつもりもないけど、ありますよね。
自分を律するというか、客観視して、誰誰さんの立場で観ると、って日々自分をチェックするようにしないと。
起こりうること。
わたしは気を付けているから大丈夫って言えないかなって思います。
そういうのが起こってるのをわたしたち、見て見ぬふりをしがち。
起こっていることに対して、その空間を司っているのがインストラクターなので、
嫌な想いをしている人が、少しでも減っていくように。
教育の場の一環になっていくと思うんですよね。
シャンティな、みんなが調和して心地よく自分と向き合える場を作っていくには、
まずはそういうものが守られているっていうことが基本にないと安心して来れないっていうのもあります。
インストラクターはただクラスを指導するっていうことだけじゃないプラスαのところは問われ続けてくる。
難しい問題だけど、これこそがダルマを生きるっていうこと。
その探求になっていくのかなと思います。
・太陽礼拝の指導は、言葉をいう準備をやってからしようと思いました。
倫理的コミットメントは、難しいなって思います。
いつか先生が生徒さんの話を聞いた時に、「修業が大事ですね」って言われたのです。
そうよね、そういう風な言い方しかできないなって、難しい問題だなって感じました。
コメント:とっさに出る返答の言葉。「それも修業ですね」って便利な言葉です。
全部学びですねって、こんなつらいことがあったんですよって相談された時。
その人の置かれた背景ってわたしにはわからないから、みんな試されて修業の中にいるから。
それって良かったんですかね、悪かったんですかね、どういう風に言うのが正確だったんですかねって解答を求められても、
うかつに言えなかったりします。
だから「修業でしたね」って返すようにしているんだと思います。
・倫理は、職場でも座学の研修時間が20時間ぐらいあった。法令遵守とか。重なりました。
わたしにはテレビの話題はついていけなくて。みんな盛り上がってるんですよね。
グループの誰がタイプ?そういう話はあまりよくないって。
でもそういう話はどこでも転がっていそうだなって思って。
自分は入らないことはできるけど。インストラクターのクラスでそういうことがあるだろうと思いました。
コメント:YOGAを長くやってくると、YOGAがどういうものかが生徒さんに入ってくると、
あまりそういう話はしなくなって、わたしのクラスは、クラス前静かです。
なにもしゃべらなくなる。
おしゃべりをするクラスもあるし。話題が難しいなって思いますよね。
天気の話して、体調の話したらもう終わり。
時事問題とか。自分に関心があればだけど。
終わって猫が来て、みんなで猫と遊ぶ、ぐらいです。
心地よく静かな環境を楽しんで頂ける方もいるし、なんかみんな黙っていて盛り上がらないことが気になる方もおられる。
クラスって人格があって、同じ先生、同じスタジオでも、入ってくる生徒さんでクラスの色合いって全く違ってくるなって思います。
明らかに誰か傷ついているようなときにはフォローが人ようなときもあるけど、
芸能人の話しているくらいでみんなが楽しそうだったらそれでいいかなって水をささなくても。って思います。
・倫理のところでは、人が何に嫌って感じるか分からないですよね。
わたしたちって人に傷つけられたと思っているけど、ホントは自分で自分を傷つけているんです。
自分の思いこみ。
自分の思考に対して、傷ついたり悲しくなったりしている。
相手って関係ない。
そこがアンタッカンラシュッディ。
釈迦の言葉で、
「あなたがどれだけわたしに悪口を言っても、わたしがそれを受け取らなければ、あなたに返っていく」
って言葉があったと思うんですけど、そのとおりで。
それを自分が受け取って、そうなんだってなった時に、自分に傷ついているんです。
わたしだったら誰かにボロカス言われても全く平気なんですよね。
わたしは自己受容100パーセントなので。
年齢のことを言われようが容姿のことを言われようが、
「へぇー、あなたはそう思うんだね」ってそれで終わるんで。
最近クラスでも、愚痴とかいう生徒さんがいるけど、聞いていて、自分自身に怒っているんですよね。
自分自身に傷ついているというか。
自分の思考に悩んでいるって思うんですよね。
そこを手放していく。コンプレックスと思いこんでいることを。どうでもいいんやって。
手放していくのがアンタッカンラシュッディだし、YOGAの目的。
それを言葉でうまく伝えられる場面があったらいいけど。
呼吸や瞑想やシャヴァーサナの時に、一言でも「そのままでいいんだよ」って伝えて、
もしかしたらこのままでいいのかなって感覚を一ミリでも感じてもらえたらいいなって思いながらレッスンをしています。
コメント:素晴らしいですね。おっしゃる通りです。
聞いてどう感じるかはその人次第。受け取り方次第なんですよね。
YOGA哲学を学んでいる人はそのことが理解できるから、次のステップに行けるけど、
多くの世間一般の人はなかなか「わたしの感情がただ出てる」って風には思えない人が多い。
それを気付いてもらっていく。
気付いた人が多ければクラスって育っていくと思います。
嫌がらせする人ってその人自身がすごく傷ついています。
だから報復とかあったけど、すでにその人がすでに傷ついていますよね。や
りながらそれが楽しい気持ちいいで、やってる瞬間はそうかもしれないけど、
その人の中の混乱の中でその人自身は苦しいから、そういうアダルマな選択ができる。
自分は傷つかないからオッケーでも、生徒さん同士なんかの時は関わります?
・そういうことは起こらないと思います。
結局自分の内側が投影されていくので。
自分の内側が混乱しているとそういう混乱した状況ができあがるし。
自分が整うと、周りも整ってくるので、争いとかケンカとか起こらなくなるんじゃないかな。
だからいつもいつも、自分。
向けるのは自分だけって思っています。
自分が変われば世界が変わると思っています。
・自分の観方が変われば周りの観方も変わるって、分かるようになりました。
会社で、年齢や性別で区別するってことでもカチンとくる。
若い女ってだけでなめられるのは分かっているから。
同じ年代の女性は戦闘態勢で生きている。
外側はすごく合わせて笑顔で接して。わたしはできなくて。
でも、笑顔で周りに合わせている人の方が辞めていく。
ずっと文句言いながらわたしが結局長く居る。
辞めた子は、「飲みとかしんどいよねー」って言っていて、一番楽しそうにしていたのに。
そういうことかと思って。
わたしは2次会は行かないって決めているし。そういうのも良いと思うよって言ってくれて。
入ったばっかりの頃、コンプライアンスに触れることを言っている人がいて。
心が閉じちゃったんです。
最近研修を受けていて、「成長できる人間になりましょう、なにかしましょう」ってことをさせられているんです。
毎月のようにグループで集められて、あなたは成長のために何をしましたか?ってことを話せって言われる。
わたしはこのTTがあるから、他に何かしているってことがなくて、困っていたんです。
それを上司に話したんです。
その上司はコンプライアンス違反のことを言っていてカチンときた上司だったんです。
それから4年経っていて、まだ上司で。
その人が、「あなたは素の人格が、成長を求めている人格だから、やっていることをそのまま素直に言いなよ。」って言っていて。
この間初めてその研修で、YOGAのことを話したんですね。
会社の人に言いたくなかったんです。
会社の人は意識が低いと思っていて。
初めて「YOGAのTTに通っています」ってお話しました。
いつもわたしは自分を良く見せようと喋っていたんですが、それもやめて素直に感じたことを言うようにしたんです。
そしたら「魂の内側から磨いている感じがして、本当に素敵ですね」って言われて。
会社の人からそんなこと言われたら今までのわたしだったら嫌だったけど。
ありがとうございますみたいな気持ちになって。
わたしの態度も言葉も全部変わってきたなって思って。
何が言いたいかというと、今まで会社で嫌なことがあっても、がんばって辞めないで続けてきた。
自分の考え方次第だって、ずっとやってきた。
それが実ったような気がして。
そうだ、この感じだっていうのが実感して分かったんですよね。
だから、会社という世界で頑張れるような気がするし、
そこで観たものを笑って受け流してストレスをためていくんじゃなくて、
すぐ出して、嫌だなって思いつつも、
その人達の良い方を観て、お互い様だって思いながら、
やっていく方が自分らしいなって思ったし、
そういう自分になれたのはYOGAのおかげだなって思っています。
コメント:うわー、いい話を聞きました!
拍手したいわ。素晴らしい!
すごいね。その変化をこの4年で感じられたって素晴らしいです。
わたしはそれってできるのかなって疑いの気持ちをもっていて、ごめんなさい。
会社とか、学校とか、施設とか、公の集まりとか、それって不特定多数の集まりの場だから。
教育レベルも考え方もまちまちの人達の中で。
わたしそれ出来ないだろうと思って前の仕事辞めましたからね。
わたしは今は恵まれた場でやっているけど、理想としては、皆さんが今いる厳しい環境の場でも、
YOGAの教えが活かされていけるようになって頂くのが一番。
果たしてそんなことできるんだろうかって思っていたけど、それをやった!みたいなね。
自分の受け取り方の変化とともに起こってくる現象や周りの環境って変わってくるっていう体験を
実体験としてされたのは素晴らしいなと思います。
修業の場が違うから一概に言えないし、自分が感じていることがすべてなので。
今日は倫理的コミットメントのところは、
しんどい話だから、あんまりみんなに振ると嫌なことを言わないといけなかったりとか、
いろんな人の気持ちが溢れて、こちらも対応できないこともある。
いろいろ思って、シェアしてもらわずに今日とりあえず流した感じですけど。
大事な問題ですので、明日からは皆さんにもシェアしてもらいながら進めたいと思います。