ティーチャートレーニングの感想(5月28日) | pallaviよっしーのshanti life

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あるがままの自分を受け入れて 宇宙や自然を感じながら shantiな生活を送りたい。

山口県田布施町に住む そんな pallaviよっしーの日々の徒然です。ヨーガスタジオ「シャンティライフ」代表。

5月28日のティーチャートレーニングの感想

 

内容: ヴェーダの宇宙観 宇宙の現れについて 

 

・話が大きすぎて考えがまとまらないのですが、

耳が空間なのでより繊細なものであるという話で、

娘が耳が繊細で感覚過敏だったりで、

これってどういうことかなぁと考えたり、

舌が敏感で塩の味がわかったるするなって考えたりしていました。

 

コメント:素晴らしいことですよね。

繊細であるってことは。

社会に順調することの方に今って重きが置かれているけれども、

繊細であることが、また社会に活かせていくってことになるので。

過敏だったらそこにいられないってことが増えていくんだけど、

うまくサポートして、この特徴のある感覚、感性をもっているそのセンスを

いかに社会のために働かせられるかってことが生きる意味。

その子が、いまこの時代、この世の中に生きてきているっての意味になってくると思う。

それはその子だけじゃなく、私たちみんなそうで、特徴のある考えや感覚器官をもっている、

このわたしたちがどういう風のそれを世の中に活かしていくかっていうことが大事になってくる。

そういうセンス。

例えばすごいグルメで料理人として働くこともできるかもしれない。

いろんな人との出会いの中で、そのセンスが活かされるか分からない。

そういう風に観たらいいかなと思います。

すごい世界の広い話をしているんだけど、今のわたしと乖離はしていないよね。

この私たちが感じ取れているものそのものがここに現れている。

それが宇宙と離れているものではなく、繋がってあるものとして。

これは一週間くらいかけて学ぶ壮大な宇宙観なんですが、

これを僅か1時間でまとめて話をしているので、

またじーっくりと時間をかけて1つ1つを瞑想していくのがいいと思います。

 

・宇宙はこうして現れたというテーマだけの話を聞くと、

人間はこうやってできているよっていう話に捉えられたかもしれないけど、

この世界にあるありとあらゆるものは、これの組み合わせ。

ただ、1つ1つがどれくらい強く表れるか、逆にほとんど現れていないか。

それが違うだけ。

石や岩は考えサットヴァの部分はほとんど輝いていない。

ただただ肉体タマスとして塊があるだけ。

なにをみても、これに当てはめてみることが出来ます。

人間のなかでも、感覚器官の個性があるだけで。

ありとあらゆるものは単純にこの組み合わせとしてシンプルにみることができます。

考えはただサットヴァ。

ただそれを外に出す表現方法が5つのどれかから出てくる。

口から出てくる人もいれば、手で表現する人もいる。

足で逃げることもできる。

身体の内側にあるものはただただサットヴァの考えが浮かんでポップアップしてくるだけ。

それを行動に移すってなった時に行動器官が登場してくる。という風に分けてみると、理解してみるとシンプル。

 

・わたしたちって感覚器官でとらえてそれに基づいて行動するって感じなのかなって思って。

それ以外のことは何もないっていうこと。

そのようにシンプルにとらえることができるっていうのが、嬉しいというか。そんな感想です。

 

コメント:わたしたちって世界のとらえ方が、

よく団子って言われるんだけど、一緒くたで、考えも、感情も、役割も、

いろんなものがごちゃごちゃになって団子になって物事を捉えている

これ、すごい体系化されているので、

五感は捉えるもの、考えはこういう考え、行動器官がやれる行動としてはこういうことができる、

っていう風に分けて考えることができる。

すごくすっきりとしますよね。

ごちゃごちゃしていたものが、体系化してみると、意外とすっきりととらえることができる。

こうすることから客観性っていうことも生まれてくるなって思います。

 

・肌のところで、何かお話を聞いたような気がするんですが、

実は肌はただ単に自分の体を守っているものではなく、

ものすごく考えを持っているんじゃないかみたいな。

だから肌から感情が伝わってくるってあるよねっていう風な話を聞いたことがあって。

確かに、実際に今こうやって、先生の話を聞きながら皆さんとこうやって

空間を一緒にしながら聞くことで肌から感じている、

いわゆるライブっていうやつですかね。

感じているものっていっぱいあるなって、

肌に知性があるみたいな話がすごくストーンと落ちましたし。

腸内環境とかって最近言うけど、腸はただの排泄器官ではなく、

実はものすごく考えていて、脳とものすごく繋がっているっていう風な話も最近よく聞くじゃないですか。

だから、一つとしてただそこにあるっていうものはない。

なんかそこに考えがあるっていうのが、これがすごく昔に考えられていたことってなると、

現代の医学とか、やっと追い付いたのかなみたいなことを感じて、すごいなって改めて感動していました。

 

コメント:ホントそうですよね。

あらゆるものの中に知識の源ブラフマンがいて。

あらゆるところに知性が働いている

という風にとらえることができます。

それが物質主義の見方ではただのものとしかとらえていなかったものが、

まずは身体の至る所に知性が宿っているという気づきが起こってくるけれど、

今度は、もう、この体じゃないところにも、ここにもそこにも、この空間すべてに知性が、神が宿っている。

知性が宿っているってとらえることができるので。

そうすると、この世界の感じ方って全然変わってきますよね。

ただものがあると思っている観方と、

すべてに命や知性が宿っているっていうふうにものを観ていくっていう世界の見方って

まるで違ってくるなって風に思います。

 

・こうやって体系化してもらったので、とってもわかりやすいなって思いました。

わたしはタットヴァボーダでサンスクリット語を使って詩を解説してもらったので、

サンスクリット語でまた解説を聞くと違うものに聞こえるだろうなって思います。

日本語で聞くのと、全然違うものなんだなと感じて、違う見え方をしているんだと感じました。

 

コメント:これは全部まとめて体系化しているから、

ホントは聖典をサンスクリット語で学んだ方が良くて、

それを理解するまで繰り返し学んでいく方が本来の学び方です。

これはカンニングペーパー使っている感じ(笑)

でも、全体の体系が分かって、タットヴァボーダを聞くと、

また味わい深く、サンスクリット語の響きも味わい深く、沁みてくる。

なので、タットヴァボーダの聖典も繰り返し、繰り返し

わたしも3~4回タットヴァボーダを先生から聞いてきました。

そんな感じで繰り返し聞いて、学んだら良いよっていうことが言われています。

 

・短い時間で聞いただけなので、もうちょっと詳しく聞きたいなって感じました。

動くという質ラジャスが働いているのがすごくいいなぁと思いました。

キリスト教だと、人格のある神の被造物になってしまう。

そうすると、こういう風に作ったって固定されてしまうから、

進化論とか出てきた時に、そこでけんかになっちゃうって思う。

この考え方って恐竜の時代からでも、全然成り立つなって感じて、すごい普遍性のある、

説得力のある考え方だなぁってすごく感じました。

キリスト教の考えだと、神が作ったから完璧っていう考え方だと、

そこからの逸脱というものがありえなくなるわけだけど、

ヴェーダの世界観だと、すべての変化の過程が現れ、宇宙の現れ、神の現れで、

意志じゃないような気がして。

神の意志だとすれば窮屈だけれども、これもあれも現れだよって言われると、

とても優しい感じがしますし、

すべてを受け入れられるような考え方なのかなって感じました。

 

コメント:ただ一つの神が、自ら現れ出ている。っていうのがこの世界。

どこか離れている神様から作られ、わたしと神様別のものではなく、

私自身もそうだし、わたしを含めたこの全体が、ただ1つの神が、自ら現れ出たものである。

そういう宇宙観。

インドで神さまはどこにいますかって聞いたら、

「あなた、何を言っているんですか?」って。

どこにいますかって、これでしょ、全部でしょって、

みんなヴェーダの宇宙観を共通して持っているので、理解できています。

この考え方がベースでその他の健康学、YOGAなども全部成り立っている。

 

・この宇宙のすべてが知識。

天才的な知識でできていると思うんですけど、

わたしが一番身近な天才だなって思うのが自分の体

ホントに細胞すごいな。

細胞1つ1つが知識を持っていて、人間の知能を超えて働いていることが、愛おしい。

朝わたしは目が覚めたら布団の中で、15分くらいの誘導瞑想を聞くんです。

健康に関する瞑想で、「からだめっちゃありがとう」みたいな内容です。

「あんたたち、天才やね」みたいな。

わたしは今日1日自分は調和することを選ぶからっていう内容で。

その瞑想をしていると、呼吸ももちろん深くなっていくし、排泄をしたくなってくるんですよね。

なんか促される。

そのままトイレに行って、「体天才!めっちゃありがとう」って思ったり。

食事する前とかも、一人で食事する時はちょっと時間をとって、

身体に語り掛ける時間を取るんですけど、

その時には今から入れるね、って、よろしくねって、信じてるよって、言ったら、

すごい唾液が出てくるんです。

そうすると、ちゃんと自分の体が応えてくれているって感じるんです。

そうするとより愛おしいし、身体とのコミュニケーションでより信頼感が増してきて

昔は外側のものを恐れていたんです。

食べ物に神経質になったり、毒だと言われる添加物とか、

いろいろあるけれども、もちろんなるべく入れないようにするけれど、

自分の体を信頼すると、神経質になるのも体に毒だと思って。

心身がともに健康というか健全でいられるようになったなって感じています。

 

コメント:感覚器官とか、内に起こってくるイーシュワラの現れと丁寧に対話されているなってすごい感じました。

いいですね。

それに想いを馳せると、より調和が増していく。

皆さん見習いましょうね。

朝、自分の体と対話して、疲れている時にはよしよししてあげて、対話できるといいですよね。

 

今日は宇宙の現れについてみていきました。

宇宙ってどこか遠い宇宙ではなく、今ここに現れている世界そのものが宇宙であるということ。

一番始まりの大いなる存在がいるよ。

そのブラフマン、マーヤーがそこにある。

その源に想いを馳せて、そこといつも繋がっていて、決して離れることなく、

神とわたしが離れたものでなく、神自身がわたしとして現れ出ているものである。

そういう風に観て生活してみると、またいろんなものの見え方が変化していくかなって思います。