バルテュス展 | マジックと奇術と手品と・・ほか少し★

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手品は6歳から始めた。人生の最初の6年間が惜しい。なんてね。

少し前のことになりますが、上野のバルテュス展を観てきました。
東京会場は6月22日で終わってしまったので、事後報告のような形となり申し訳ありませんが。

会場は上野公園にある、東京都美術館。
動物園の北側にある、おそらく上野公園内の美術館の中では、一番場所の分かりにくい館です。
バルテュス展が開催されるという情報は、確か電車の中吊りで初めて知ったような記憶があります。
昔から興味のある画家でしたので、開催されるなら是非見たいと思っていました。

ただ、興味があるとは言っても、実は私、バルテュスのことはあまり知りません。
例えばダリやピカソといった画家であれば、美術史の中でどういう位置づけなのか、画業の変遷など、ある程度常識レベルの知識はあると思います。
が、バルテュスについてはほとんど勉強もしたことないんですよね。

「夢見るテレーズ」などいくつかの著名な作品のイメージのほかには、断片的な知識があるのみです。
フランス人で、晩年は日本人の妻を娶り、スイスの瀟洒な館で制作に励んだ。ピカソから「20世紀最後の巨匠」と称された、等々。

昔から、といっても10年ほど前からですが、興味があって作品は気に入っているのですが、私のそれはほとんど作品自体のイメージからのみ来ているのです。
何か良いな、とは思うのだけど、なかなかその理由を明確に述べにくい。

バルテュスの作品の実物を今までに見たのは、記憶に残る限りでは1回だけ。
Bunkamuraザ・ミュージアムに展示されていた、「山」という作品です。
そのときの印象は結構強いもので、今回大規模な個展が開催されるということで、氏の作品の魅力を、実作を前にして何を思うのか、是非体感してみようと思いました。


というわけで、実際に見た感想を。
個々の作品がどうだったというのはあえて書きません。会場に身をおき、全体的に感じたことです。

なかなか一言では表しにくい魅力です。魅力があるのは間違いないのですが、色々な価値が複合的に現れている。
一部の作品に、誰もが感じるであろう要素として、まずはスキャンダラスで性的なイメージ、それからロリコン的趣味があります。
バルテュス本人はそういった言葉で評価されるのを好まなかったようではありますが、そういう言葉で表現できるような要素は間違いなくあるでしょう。少女の割れ目やパンティを露骨に描いた画家というのは、他にはあまり思い浮かびません。


20世紀の美術界において珍しく、バルテュスは徹頭徹尾具象絵画を志向した画家である、と見なされていると思います。
しかし、今回氏の作品の多数をまとめて鑑賞して感じたところを言いますと、初期のころから晩年まで、具象絵画としての主題と、抽象化された画面構成が並存しているように思えました。


バルテュスの描く具象画は、室内にいる人物であったり、風景などが描かれているわけで、具象画としてはそこに「図と地」の関係があります。
人物が図で、部屋の壁や床が地といった関係が通常です。

しかし氏の作品においては、その関係がともすれば逆転し、相対化されて、ただの色面構成のように見えてくることがあります。
人物や家具の形は陰影が少なく、ほぼ均一な色の面で構成されていることが多いのも、上記のような印象を助けます。
さらには、人物のポーズが不自然なまでに折り曲げられ引き伸ばされ、幾何学的図形を描きます。

このような、具象画の中に浮かび上がってくる抽象が、バルテュスの絵画のひとつの真実なのでしょうか。


さらにもうひとつ感じたのが、具象と抽象を超えた、絵画そのものの物質性です。
絵画とは一般に、言うまでもなく2次元芸術であり、それが彫刻や建築とは違う絵画の特性であるはずです。
が、完全な2次元物体というのは、この三次元世界には存在し得ないのです。
水彩画であれば紙に絵具を染み込ませたり載せたりしたものです。油彩画ならば、キャンバスに膠を塗り、そこに油絵具を載せて制作されています。
つまりいずれも実体を持ったモノであり、三次元物なのですね。

バルテュスの絵画には、そういった絵画の即物性に向けた眼差しがあるように思えます。
絵画に描かれている事物は具象であり、同時にその画面構成には、上に述べたような抽象性が並存している。
しかし、そこからさらに絵肌を追ってゆくと、キャンバスに縫い付けられたマチエールは物体としての有り様を主張し、そこにあるのは只のモノであることを見せ付ける。
それはタブローという名のモノであり、抽象化された自然である。


まあちょっと自分でも何を言っているのか分からないような文章になってしまいました。
いずれにしても何といいますか、具象と抽象、即物性と観念性といった相対する価値観が、幾重にも重層的に折り重なってたち現れてくる、それがバルテュス絵画の魅力ではないかと思いました。

彼の絵は、いわゆるデッサンの面では形が狂っていますし、陰影もリアルではない。
しかしだからこそ、上述のような重層的な見方を許容するものとなっているはずです。
上手い絵では、それだけで終わってしまいますから。


まあそういう屁理屈抜きにしても、彼の絵は単純に美しく魅力的であるものが多いと思います。
彼の絵を観るときに、本当は言葉などはいらないはず。
そういう意味で、ほとんど予備知識らしい知識も無く、ただ単純に作品を観ようと臨んだ今回の私の姿勢は、悪くないものだったのかも知れません。


なおこの展覧会の東京会場は、6月22日に終わってしまいましたが、この後まだ京都での会期があるようです。
京都岡崎公園の京都市美術館で、7月5日から9月7日まで。
東京会場の会期も短かったですが、京都でも約2ヶ月と、一般的な美術展よりは会期が短いですね。
貸借料がかなりかかっているということでしょうか。

鑑賞を予定されている方はお早めに。