忘れられぬ人々 2001.10.25 テアトル新宿 | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 主役の三橋達也、大木実、青木富夫のうち突貫小僧こと青木富夫の顔ばかり見ていた。小津安二郎の初期のによく出ていた。 

   

 昭和初期の東京の郊外のいたずらぼうず役で、一度見たら忘られない顔、あの顔のまま歳を重ねて立派なおじいさんになっていた。彼は子役から大人になってからも俳優を続けていたが、その頃の映画は見ていない。それで私にとって彼は子どもからひとっ飛びに大人になっている。あの印象的な顔は変わっていなかった。突貫小僧は小僧のまま青木富夫になっていた。歳をとって大人になっても愛嬌のある顔はおなじだった。その彼にぴったりの役を与えられて嬉々として演じている。私は彼を長年欠かさず見て来たわけではないが、久しぶりに元気な姿を見られたことに感激した。実は1994年9月10日に文芸坐でゲストとして来た時に話を聞いた覚えがある。「東京の合唱」も見ているが、彼はこの映画には出ていないはずだが?

 

 もちろん三橋、大木のベテランも良い、練れた演技をしてる。三人の中では青木富夫は高名ではないが、ここでは等しく演じている。俳優を長年続けて来ていることは特別なことではない。俳優自体が誰でもできることではなく珍しく貴重であるだけで、職業としてのプロなら誰だって仕事のプロだ。どんな仕事であっても訓練して熟練して出来たものを皆に提供する。プロだからこその技術は尊いものだ。

 

 戦友という名の友人は特別な仲間だ。たまたま集められて生死の境をうろつかざるを得ない境遇を共にする。そこでは本音は言いにくい。本音は、死にたくない、生きて故郷に帰りたい、これしかない。この戦いは聖戦であることは信じていても、戦果をあげたいと思うことはあっても、帰って家族と逢いたいが最優先される。弱音は吐かず夜の床で一人泣くのだ。

 

 そういう究極の状況を生きのびて日本に戻れた僥倖を喜ぶべきだ。しかし亡くなった殺された死んだ戦友たちを思えば、ただ喜んでいられない気持ちは分かる。戦死が無駄死にだったとは思いたくない気持ちは分かる。しかし強制的に戦争に参加させられ敵を殺し自分は殺された、これが無駄死にでなくてなんだろう。

 

 今は今で働いて生活するのは難しい。普通に仕事に就いて生活に困らない給料をもらえれば問題はない。ところがそうならないから大変なのだ。安定した仕事であることは重要だ。

 

 そして仕事を辞め悠々自適な生活、とは行かない。思い出は美しく楽しく残るらしいが、彼ら戦争に行った者たちにとっての思い出は苦しく切なく残酷なものだ。また夢を見てしまった。悪夢があるとすれば戦争の記憶がそうだ。彼らの傷は癒されないまま復讐の機会を待っていたかのようだ。

 

 復讐の相手は敵国アメリカではなかった。まるで形の異なった集団だった。こんな方法で復讐が遂げられるとは思ってもいなかった。ずしんと思いものが残った。夢に出なければ良いけれど。

 

監督 篠崎誠

出演 三橋達也 大木実 青木富夫 内海桂子 風見章子 真田麻垂美 遠藤雅 篠田三郎 大森南朋 中村育二 田鍋謙一郎 星美智子 佐伯秀男 春風亭昇太 黒沼弘巳 伊沢磨紀 清田正浩 大島信一 山中聡 羽柴誠 末吉くん 梁時榮 川屋せっちん ドミニク・ローズ 芦川藍 芳賀優里亜 山内健司 大塚よしたか 清水真実 高橋しゅり 皆川猿時 鈴木卓爾 美月 占部房子 篠原薫平 木全公彦 北村守識 大久保智康 今本洋子 佐野和美 榊英雄 榊亜由子 森坂朗 浅田圭一 上下宣之 無頼三四郎 竹内茂幸 松尾論 安藤栄 金井又男 大矢達 平井昭二郎 伊藤一郎 うしおそうじ

2000年