告発 1995.5.16 日比谷映画 | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 アメリカ映画によくある裁判劇である。ただし、従来の裁判物にはなかった視点がある。「告発」する相手が刑務所なのだ。アルカトラズというサンフランシスコにある刑務所をだ。告発するのはヘンリー・ヤングという28才の男。犯罪は社会が作る、とはよく言ったもので、本当にそうだと思う。誰も好きで犯罪を犯すのではない。どうしてもそうせざるを得ない状況に追い込まれて、してしまう。

 

 だから個人には責任がない、とまでは言わない。だが、それに近いものはある。同じ社会に住んでいて、犯罪を犯す者と、そうでない者があるのは不思議なことだ。犯罪は社会が作るのだったら、その地域に住んでいる人は同じ犯罪を行うはずになるが、そうはならない。それは、個人の資質の相違とでもいうか、ささいな違いが大きく物事を決める。

 

 例えば、ヘンリー・ヤングと弁護士がそうだ。二人の育った環境は似ているのに、片や犯罪者になり、片や弁護する身だ。180度違うわけでもないにしても、相当違っている。それはどこから来たのか。その答えが、5ドルだったら、どうする? 兄貴の5ドルをくすねたことがあったが、叱られただけで済んだ男と、妹を思い、店の金5ドルをくすねた男と、どう違うというのか。他人の金をとることは悪いことだ。だが、ただ闇雲に悪いから、罰する、につながるものではない。普通はそうだ。だが、それを犯罪と決めつけ、刑務所に入れたとしたら、状況はまったく違ったものになる。世の中で最も辛いことは自由を奪われることだ。だから刑務所は人間から自由を剥奪することで成り立っている。それが、罪の償いなのだから、仕方のないこと。

 

 だが、必要以上の「償い」を強要されたら、ヘンリーはそうされたのだ。3年もの間、地下牢に閉じこめられていた。ほとんど忘れ去られてでもいたかのように。明かりのない、じめじめとした地下牢は現代ではないようだ。中世の暗黒時代のお城の地下牢が現代に蘇ったような、そういう代物だ。ヘンリーは闘牛のようだ。真っ暗闇から出たばかりのまともに判断する冷静さを失ったままで、まぶしい日中の闘牛場に出された牛だ。そこに殺してくれとでもいうようにお誂え向けに男がいる。脱獄計画をもらした男だ。そう、彼がこうなった原因となった男だ。あとは、身体が自然に動いた。反射的に復讐していた。

 

 人を殺せば殺人だ。これは明確な事実だ。どうしてそうなったか、は観念に含まれない。殺人にまで同情するつもりはない。だが、あの状況下に置かれたら、誰だって同じようになるはずだ。それを「告発」したのだ。

 

 珍しく、いい邦題が付いた。Murder in the first 原題も別な意味でいい。第一級殺人。ヘンリーは望む。過失致死で10年くらいこむのなら、殺人罪で死刑の方がいい、と。死刑にならないということは、またあの穴蔵に放り込まれるのだ。それだったら、死んだ方がましだ、というのだ。世の中に死んだ方がましなことってあることを知った。

 

 陪審制度の良さを確認した。この裁判が、裁判官だけでなされていたら、どうなっていただろう。情状を酌量するからこそ、ヘンリーは死刑をまぬかれ、しかも裁判では裁けなかったことだが、陪審員が付け加えたこと、「アルカトラズ」を調べよ、があとから効いてくる。まあ、いまの刑務所の居心地の良さも問題ではあるが、地獄の地下牢がないほうが絶対いい。ケビン・ベーコンうまい。

 

監督 マーク・ロッコ

出演 クリスチャン・スレーター ケヴィン・ベーコン ゲイリー・オールドマン エンベス・デイヴィッツ ウィリアム・H・メイシー スティーブン・トポロウスキー ブラッド・ドゥーリフ R・リー・アーメイ ミア・カーシュナー ベン・スラック ステファン・ギーラッシュ キーラ・セジウィック ハーブ・リッツ

1994年