コット、はじまりの夏 2024.3.12 新宿シネマカリテ2 | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 夏休みの話はよくある。でもこれは典型的ではない。変な話ではなく、あえて面白さだけを追求していない。小説だから映画だからと極端を求める人もいる。衝撃的事件が起きたり巻き込まれたり、日常から非日常へと移り変わるところが映画にされる。

 

 映画の紹介は最小限の情報を知ればよく、それで行くかどうかを決める。当たり外れはあっても自分が選んだのだから仕方ない。

 

 夏休み、何かが起きて休みが終わって身も心も成長しました。とまあこんな感じはよくある。ところがそんな感じはなかった。それどころかコットの家族のことは少ない。その代わり親戚家族を通して見えてくるものが多い。父親がまるでダメでも母親がしっかり者で、というのでもない。これは意外なおどろきだ。

 

 期待を裏ぎり別な世界へ連れていかれる幸せ。まずアイルランド語方言なのか現地語なのか英語でない音の響きがいい。聞き覚えのない未知の土地に降り立った感じ。彼女の不安な気持ちが私の見知らぬ土地にいる感覚と一緒になった感あり。

 

 叔母アイリンと叔父ショーンとは始めよそよそしい。年中行き来しているわけではなさそうだ。車で行くだけで3時間もかかる。すぐに打ちとけると思ってたけれど、そうでもない。ここは大人の方から近づかないといけない。無邪気な9歳の子どもでも少女でもない、むしろ大人の女性に見えなくもない、これが錯覚させる原因かも知れない。俳優のせいではないが、彼女を選んでコットをやらせた責任はある。非難してるのではありません。

 

 叔母はやさしい声をかけ面倒を見てくれるのに、夫のショーンは無口で必要以上は喋らないのは性格でしょうし、まして大人になりかけの少女と何を話したら良いか迷ってるよう。これは分かる。

 

 しかしその裏に過去のできごとが隠されていた。後から考えれば、濡れて着がえて、出てきたモノに気づくはず。

 

 コットのゆくえが分からなくなって探しまわる彼の必死さが身にしみた。冒頭の柄杓で水をすくって飲む場面、同じ水場にバケツを入れる場面に更に過去の場面が透けて見えてくるようだった。

 

 思い出したくないこと、話すまでもないこと、話す機会があったら話すかもしれないこと、そんなことは誰にもある。この夏はコットにとって大人の世界をのぞいた日々になった。叔父さん、良い人じゃないか。それに引き換え父親は、なんて問題は来年にとっておこう。コットの黄色い服かわいい、でも仕事で着たデニムも素敵だった。ひと月で体験したこと、聞いた話を完全に理解するのは先のことになるかも知れない。それでもいいじゃないか、少しずつ分かっていくって。

 

監督 コルム・クリンチ

出演 キャサリン・クリンチ キャリー・クロウリー アンドリュー・ベネット マイケル・パトリック

2022年