ケロッグ博士 1996.9.20 ユーロスペース | ギンレイの映画とか

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 ギンレイ以外も

 いつの時代も人間、一番気になることは自分自身のこと、それも健康問題。世界情勢がどうのこうの、ということも大切なことではあるが、一応そういうことが落ちついていれば、自分がいちばん大事、ということになる。そして健康センター的な施設は人でいっぱいになる次第。

 

 1907年、バトルクリークにケロッグ博士の健康センターWELLVILLEがあった。ケロッグといえば、コーンフレーク、博士が発明した。何が身体に良くて、何が身体に良くないか、ははっきりしている。生きていることは身体に悪い。人生を精一杯楽しもうと思ったら、長生きは望めない。生きる楽しみはほとんど身体に良くないものばかり、と言っても差し支えないだろう。だから、そこのところは人それぞれが自分自身の基準で折り合いをつけている。

 

 酒やタバコは身体に悪いことは分かっている。だけど、やめられない。少し我慢しよう、とかする。でもそういう悪の誘惑の方が魅力的だから困る。さいわい私はアルコールにつかまっているだけで済んでいる。ニコチンの魔力には惑わされていないのは私の幸せ。それにしても、酒の魅力は知っているが、煙草なんてどこがうまいのか、分からない。第一けむたかないかね。肺ガンどうのこうの以前の問題として、あのけむたさは閉口だ。それに喫煙者のマナーは最低。はっきり言って、法律で禁止すべきは煙草だと思っている。だけど、そうすると禁酒法の二の舞になるだけだろう。吸ってる人の自覚を待とう、期待できないけどね。こう考えてみよう、自分の子どもに煙草の煙を吐きかけられる? 出来るなら、やめることはない。親子ともども死んでもらおう。

 

 さて、健康もあまり神経質に考えると、かえって身体に悪い。今の世の中で生きていくにはある程度の我慢ないし妥協は必要だ。どこでその線を引くかが問題だ。わがケロッグ博士のように何もかも辛抱するのか、それとも人生は太く短く、とあきらめるのか。どう考えるにせよ、今の世の中では選択の余地はあまりない。壊れかけているオゾン層の穴からも、汚れた空気からも、農薬まみれの野菜からも逃れられないのだから。だからといって、どうにでもなれ、という生き方には賛成できない。何とかしよう、どうにか解決できるはずだ、という道があるのだから、そこを頼りにしたい。

 

 この映画は博士を揶揄するのでもなく、かといって賛美するのでもなく、この監督らしい客観的な目で見ている。アンソニー・ホプキンスのやり過ぎに近い演技は笑える。あれだけいろいろな欲求を抑えて、健康一本やりの博士が100才まで生きたのなら、万々歳なのだが、そういかないのが又人生のおもしろさなのでしょう。

 

監督 アラン・パーカー

出演 アンソニー・ホプキンス マシュー・ブロデリック ダナ・カーヴィ コルム・ミーニー ララ・フリン・ボイル ブリジット・フォンダ ジョン・キューザック マイケル・ラーナー ジョン・ネヴィル トレイシー・リンド

1994年