躾という名の暴力とトラウマ | NOBのブログ

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うちの猫ちゃんやらバンド活動やら載せていきまーす!

数年前に嫁が脳幹出血で倒れ、今度は義母が体調不良で倒れ…

義母は自身が体調不良に陥ったことに対し、涙声で「なんて不運な家系なんだろう」と愚痴を言ってたのはこの前のブログに書いた。


その時に私は「よくある理想論」で慰めて勇気づけてあげたけど、のちになんだか腑に落ちない靄みたなものがずっと心に残っていた。


よ~くよく考えてみたら私の家系も不運だらけでした…


父親は某大手会社(当時)の取締役をやってて厳格という言葉を飛び越えたよな厳しさを持っていた。

社内や接待などで気をすり減らせていたのかどうかは知らないけど?家に帰ってくると荒れ狂っていた。


家庭内で母親や私含む兄弟の行動や言葉遣いなど、少しでも気にくわなければ即暴力で徹底的にやられた。

流行り言葉などつかえば即パンチ👊


遠い昔のある日。狭い居間で家族揃って食事をしてる最中に私はトイレに行きたくなったのだが、それには母親の座ってる後ろを通らなければならなかった。しかし母親の後ろには電子ジャーが置いてあった。私はまだ幼い子供ゆえ何も知らずにジャーを股ごした。それを見ていた父親は逆上した。

「きさまー!今、ご飯の上を股ごしたな💢」

そう怒鳴ったとたん私を捕まえて引きずり回したあと棍棒みたいな物でボコボコに…


私は殴られ続け号泣しながら母親を見つめて「助けて…」と哀願するサインを送ったが母親にはどうしようも出来ないことを知っていた。

なぜなら母親が助けに入ると次は母親がボコボコにされるから。

それまでにも母親は何度も手加減なしの暴力を受け、そのうち2度ほど病院送りとなった😖

いつも私ら子供達が見てる目の前で…。


まだ苦い思い出はある。妹と弟がケンカしたのに連帯責任として長男の私だけボコボコにされて目の白い部分が暫く真っ赤になってたことも。

仕事から帰ってきた父親の車のエンジン音が駐車場から響いてきた瞬間に兄弟揃って「か、か、帰ってきたー!」と叫んで各自の部屋に逃避してたのは私の家庭くらいだろう。

ゴジラの襲来じゃあるまいし😱


同期生らが家族団欒で、どこ行っただの、なに食べに行ったなど、楽しそうに話をしてる姿が羨ましくて仕方なかったあの頃。


小学校の低学年の頃だったか、相手からちょっかい出されて取っ組み合いのケンカとなり、私は勝ったけど双方それなりに痛手も受けた。


しかし相手の母親が学校へ「息子がちょっかい出されて一方的にやられた」と虚言を訴え出て、私の両親が呼び出されるはめに。

私は事の始まりからを述べたけど、相手は自分に都合の良いことばかりを並べ立てて水掛け論に。最後は先生から無理やり仲直りの握手させられて終わったけど問題はそのあと。


自宅に帰り着いたとたん父親は悪魔へと変貌した😈

「この野郎!よそ様に迷惑かけやがって💢恥かかせやがって💢」

そのようなことを叫んだあと何発も殴られ、途中から手にビール瓶を握りしめたまま殴られたので血まみれになった。


ちなみに現在、片方の肩甲骨が変形してるのは何度も手加減なしの暴行を受けた時の後遺症。


それから小学校で問題おこしたら、また父親から手加減なしの暴行を受けると思いこんでしまい誰から何をされても相手にしなかった。すると今度は「あいつに何をしても怒らないから面白い」みたいな話が広まって虐めの標的となってしまった。


ゴムパッチン。

後ろから肩を叩かれて振り向くと、親指にはめて引っ張ってた輪ゴムを発射😵💥

それが目に当たって涙が止まらなくなりうずくまってしまう。それを見届けた奴は笑いながら逃げていく。


またある日、廊下を歩いていると数人が溜まっていた。そこの端をすり抜けようと歩いてたらいきなり後ろから強烈な飛び蹴り。

倒れて振りかえると全員が「俺じゃないよ」「俺じゃないよ」と、とぼけ顔してニヤニヤ笑う。


もう大昔の出来事なので全てを覚えてないが細かい事を含め、まだまだ沢山あった記憶がある。

だけどしっかり記憶してる出来事は幾つかある。 


少学校卒業式の少し前だったか私に一番ちょっかいをかけてきてた奴が、私の後ろから忍び寄ってきて髪に何かをつけてきた。

んん???手で触るとそれはベトベトになったガムかマーガリンか忘れたが粘着性のある汚物だった。


もう我慢の限界を超えてしまった私は、そいつを捕まえて叩きのめしてやろうと思い追いかけた。その私の鬼のよな形相を見たそいつは血相かえて逃げ出した。

理科室へ逃げこんだので追い詰めて捕まえたあと倒して馬乗りになって今まで長年堪ってた怒りをぶちまけた。

「逃げる者より狙う者の方が強し」とはよくいったもの。


圧勝だったけど途中から攻撃を緩めた。その理由はまた学校で問題になったのちの恐怖が脳裏をよぎったから。

それから中学に入って、今まで私を散々虐めてきた奴らへ1人づつ「問題にならない程度」の復讐をしていった。

が、ある日の下校時に集団待ち伏せに遭遇してリンチで大怪我を負うはめに…


と、まぁ更に長くなるので生い立ちはこの辺にしておくが、躾という名の暴力により私の幼き頃の思い出と心の傷は歪んだ物となっていた。

たまに間近で誰かが背伸びしようと腕を上げた瞬間にビクッ😨となってしまい、その人から「えっ?どうしたの?」と言われるよな笑えないトラウマを抱えてるのも…


そして時は過ぎ、父親は肺がんで死亡、母親は脳梗塞で死亡、妹は統合失調症で変人となり、弟は腕や脚が突然痛くなったり治ったりを繰り返す奇病に…そして片寄った考えや偏見を持つような父親譲りの「上から目線で人を見定める性格」ゆえ柔軟な考えなど持ち合わせていないから友人すらいない堅物に。

とうに50を過ぎた未だ爆音改造車に乗って徘徊中…


結論として義母の家系と比較したら、うちの家系の方がよっぽど悲惨ではないか😭

心が折れかけた義母に励ましの言葉などかけれる立場の息子ではない⤵️


話は変わるけど現在でも子供に躾という名の体罰や行きすぎた暴力躾には賛否両論ある。

だがこれだけは断言しておきたい!恐怖を根付かせる暴力躾と大人になっても消えぬトラウマを根付かせるよな育て方は絶対にしてはならないことを!

実際に私が幼き頃の家庭であったような出来事がどこの家庭にも起きぬことを願いつつ。


昭和あるあるの長話しになりましたが…。