こちらは、6月27日に、京成電鉄の京成上野駅で撮影した、新AE形のAE4F(KENTY SKYLINER、ケンティースカイライナー)による、イブニングライナー201号の京成成田行き🚃💺✈️🤴です。

イブニングライナー201号は、京成上野駅を18時ちょうど、日暮里駅を18時05分(土休日は18時06分)に発車し、途中、青砥、京成船橋、八千代台、京成佐倉の各駅に停車してから、京成成田駅(千葉県成田市)へと向かうことになっています。

その前の運用は、成田空港(成田第1ターミナル)駅(Narita Airport Terminal 1 Station)✈️を16時59分(土休日は16時58分)、空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)駅(Narita Airport Terminal 2,3 Station)を17時02分に発車するスカイライナー52号(Skyliner No.52)であるので、成田空港アクセス列車から通勤、通学などからの帰りのライナーに早変わりしていたことが分かります。

この日は、成田空港✈️から京成上野まで、、新AE形のAE4F(KENTY SKYLINER、ケンティースカイライナー)によるスカイライナー52号(Skyliner No.52)に乗ることが出来て良かったと思っています。

スカイライナーは、最高160Km/hで走るのに対して、京成本線経由のモーニングライナーとイブニングライナーは、カーブが多く、最高110Km/hに制限されています。

イブニングライナー🚃💺🌃とモーニングライナー🚃💺🌄は、土休日を含めた毎日運転されている通勤ライナー列車(2010年7月16日までのスカイライナーと同じ京成本線経由)🚃💺であり、スカイライナー🚃💺✈️と同様に全席指定で、専用のライナー券(座席指定券)は、450円(小児は230円)均一であるので、スカイライナーよりも安い料金で新AE形(スカイライナーの車両)に乗ることが出来ます。

イブニングライナー🚃💺🌃の本数は、夕夜間の下り(京成上野→京成成田、成田空港✈️間、京成本線経由)7本、モーニングライナー🚃💺🌄の本数は、朝の上り(成田空港✈️、京成成田→京成上野間、京成本線経由)4本であり、そのうちのイブニングライナー209,211,213号、モーニングライナー206号が成田空港駅✈️発着で、他は全て京成成田駅発着となっています。

途中停車駅は、日暮里、青砥、京成船橋、八千代台、京成佐倉、京成成田、空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)✈️の各駅であります。

イブニングライナーとモーニングライナーは、2015(平成27)年12月4日まで、通勤ライナータイプの号車指定制(座席定員制)で、京成船橋駅通過となっていました。

2015年12月5日に座席指定化されたと共に、京成船橋駅にも停車するようになっています。

印旛日本医大~空港第2ビル間での160Km/h運転により、日暮里~空港第2ビル間最速36分という大幅なスピードアップとなっているので、遠かった成田空港が近くなったのであります。

京成上野~空港第2ビル間も最速で約40分なので速いな❗と思いました。

スカイライナーは、1978(昭和53)年5月21日に、成田国際空港(成田空港)✈️が新東京国際空港として開港した時に、旧AE形(初代スカイライナー)でデビューした空港アクセス特急(京成上野~京成本線経由~成田空港✈️間)であり、当時はターミナルビルから離れた旧成田空港駅(現在の東成田駅)発着となっていたことにより、有料のシャトルバスに乗り換える必要がありました。

1991(平成3)年3月19日に、京成本線な、新規開業したJR成田線の空港支線と共に成田空港ターミナルビルの直下まで乗り入れるようになってからは、京成上野駅や日暮里駅から成田空港のターミナルビルの真下✈️まで乗り換えなしで行けるようになっています。

JR成田線の空港支線(成田~成田空港✈️)間の開業により、JR東日本が成田空港アクセスに参入していたけど、当時は成田エクスプレスが253系初代NE'X、快速(のちのエアポート成田)が113系で運転されていました。

2010(平成22)年7月17日には、成田スカイアクセス線(京成成田空港線)の開業により、新AE形3代目スカイライナーによって、日暮里~空港第2ビル間ノンストップで最速36分と、スピーディーなアクセスが実現していました。

京成スカイライナーの場合は、現在の新AE形が3代目となっているけど、成田スカイアクセス線経由となったと共にロゴマークが一新されていました。

イブニングライナーが登場したのは、1984(昭和59)年12月1日のことであり、当時は、新塗装に統一されたばかりの旧AE形(初代のスカイライナーの車両)が使われていました。

同じ1984年には、JRグループの前身である日本国有鉄道(国鉄、JNR)で、特急型車両による通勤ライナー(車両基地への回送間合い)であるホームライナーが登場していたので、京成イブニングライナーも、同様のコンセプトが生かされていることが分かります。

翌年の1985(昭和60)年10月19日には、モーニングライナーが登場したので、朝の通勤輸送にも使われるようになったのであります。

JR東日本の成田エクスプレスのほうも、通勤時間帯に千葉駅に加えて、四街道、佐倉(JR)、成田(JR)の各駅にも停車することで、通勤特急の役割を果たすようになっています。

イブニングライナーとモーニングライナーは、スカイライナーよりも安い特急料金となっているけど、成田エクスプレスの場合は、千葉、四街道、佐倉(JR)、成田(JR)の各駅にも停車する列車でも特急料金が従来と同じであります。

スカイライナーの料金(全席座席指定)は、青砥~新鎌ヶ谷駅が300円(小児は150円)、京成上野または日暮里~新鎌ヶ谷間が500円(小児は250円)、新鎌ヶ谷~空港第2ビル✈️または成田空港✈️間が800円(小児は400円)、青砥~空港第2ビル✈️または成田空港✈️間が1050円(小児は530円)、京成上野駅または日暮里駅~空港第2ビル✈️または成田空港✈️間が1300円(小児は650円)であります。

成田エクスプレスは、東京~成田空港✈️間最速53分と、京成スカイライナーよりも時間がかかる状態だけど、2009(平成21)年から2010年に掛けて、253系初代NE'Xの置き換え用として導入されたE259系は、ハイグレードな内装での対抗が行われています。

KENTY SKYLINERは、京成スカイライナーのイメージキャラクター(京成王子)である元Sexy Zone(現、timelesz(タイムレス))のケンティーこと中島健人氏🤴がモチーフとされたラッピング電車であり、中島健人氏がSexy Zoneのメンバーとして活躍していた頃の2021(令和3)年7月16日に、AE5Fによる初代KENTY SKYLINERが初お披露目されていました。

一昨年(2022(令和4)年)12月12日には、
KENTY SKYLINERがAE5FからAE4Fにバトンタッチされた上でデザインがリニューアルされ、前面のヘッドマークが、KENTY SKYLINERを表すKS(京成線の駅ナンバリングにも使われている)となり、文字も変わっています。

車内にも装飾があり、下りは日暮里駅または新鎌ヶ谷駅発車後と空港第2ビル駅到着前、上りは空港第2ビル駅発車後と青砥駅または日暮里駅到着前に、中島健人氏によるオリジナルのアナウンスがあるので、KENTY SKYLINERの乗車特典となっています。

こちらがイブニングライナー、モーニングライナー、臨時ライナー(平日朝に印旛日本医大→京成上野間で運転されている)に使われる場合には、オリジナルのアナウンスが流れないので、注意が必要⚠️であります。

この日のKENTY SKYLINERの運転予定は、京成電鉄のホームページでも調べることも出来ます。

KENTY SKYLINERは、車両整備により、7月23日(火)をもって、運行が一時休止され、暫しのお別れとるという情報が入ってきました。

再開される日は、追って発表されることになります。

本年(2024(令和6)年)6月9日には、3代目スカイライナーの利用客が5000万人達成していたので、早いもんだと思いました。

デビュー記念日を迎えた(7月17日から、AE2Fによる5000万人記念ライナーが運転されるようになっているので、撮影してみたいと思っています。

京成スカイライナーは、2010(平成22)年7月17日の成田スカイアクセス線(京成成田空港線)の開業により、印旛日本医大~空港第2ビル間で160Km/h運転が行われるようになり、日暮里~空港第2ビル間最速36分と大幅なスピードアップされたので、遠かった成田空港が近くなったのであります。

京成上野~空港第2ビル間も最速で約40分なので速いな❗と思いました。

これまでは、京成本線経由で、AE100形によって運転されていました。

スカイライナーの料金(全席座席指定)は、青砥~新鎌ヶ谷駅が300円(小児は150円)、京成上野または日暮里~新鎌ヶ谷間が500円(小児は250円)、新鎌ヶ谷~空港第2ビル✈️または成田空港✈️間が800円(小児は400円)、青砥~空港第2ビル✈️または成田空港✈️間が1050円(小児は530円)、京成上野駅または日暮里駅~空港第2ビル✈️または成田空港✈️間が1300円(小児は650円)であります。

成田エクスプレスは、東京~成田空港✈️間最速53分と、スカイライナーよりも時間がかかる状態だけど、2009(平成21)年から2010年に掛けて、253系初代NE'Xの置き換え用として導入されたE259系は、ハイグレードな内装での対抗が行われています。

羽田空港アクセスは、東京モノレール(JR東日本グループ)と京浜急行電鉄(京急)によって行われているけど、将来的には、JR東日本が羽田空港アクセス線(東海道貨物線の一部の旅客化を伴っている)によって参入する予定となっています。

羽田空港と成田空港✈️の間で、鉄道の線路が繋がっているのは、京急線、都営浅草線、京成線だけであり、羽田、成田の両空港を結ぶ直通列車(成田スカイアクセス線経由のアクセス特急等)も運転されています。

大阪の伊丹空港(大阪国際空港)✈️へは、大阪モノレール(阪急宝塚本線の乗換駅である蛍池駅から1駅、北大阪急行南北線の乗換駅である千里中央駅から4駅)で大阪空港駅まで行くことになるけど、関西空港への鉄道路線がないので、伊丹、関西の両空港を結ぶバス🚌によるアクセスとなっています。

京成新AE形(スカイライナー、モーニングライナー、イブニングライナー)🚃💺✈️は、8両編成で、定員が398席となっており、2009(平成21)年から2010年に掛けて8編成(奇数編成は日本車輌製造豊川製作所製、偶数編成は東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)製)が導入されていたけど、2019(令和元)年9月には、9年ぶりの増備車として、今回の話題であるAE9F(日本車輌製造豊川製作所製)が導入されて、9本体制となっていました。

AE9Fの変更点は、5号車にある車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が、ハンドル型電動車椅子対応♿となったことであります。

西武鉄道の001系ラビュー(Laview)🚃💺の1号車、JR東日本のE261系サフィール踊り子🚃💺💎の5号車、東武鉄道のN100系スペーシアXの5号車にある車椅子対応トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽や車椅子スペース♿もとても広いので、ハンドル型電動車椅子対応♿となっていることが分かります。

日本車輌製造豊川製作所製の新AE形は、豊川駅から千葉貨物駅(AE9Fの時は越谷貨物ターミナル)まで甲種輸送され、その後に印旛車両基地か宗吾車両基地まで陸送されていたけど、東急車輛製造製の場合は、京急、都営浅草線経由ではなく、いきなり宗吾車両基地まで陸送されていました。

こうなった理由は、貫通ドアがないことや、ボルスタレス台車が使われていることなどで、都営浅草線を走る条件を満たしていないからであります。

京成新AE形は、デザインやスピードアップが評価されたことにより、2011(平成23)年に、京成電鉄にとって初代AE形(初代スカイライナー)以来となったブルーリボン賞が受賞されていました。

西武特急は、5000系レッドアロー(初代レッドアロー)と001系ラビュー(Laview)
がブルーリボン賞を受賞していたので、京成スカイライナーの車両で初代と3代目(新旧AE形)がブルーリボン賞を受賞せていたという共通点があります。

京成新AE形のトイレ🚻は、5号車の4号車寄りにあり、車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽、通常幅の洋式トイレ🚻🚽、男性用小トイレ🚹、洗面所から成っているので、東武鉄道の500系リバティの2(5)号車、N100系スペーシアXの5号車にあるトイレ🚻(こちらもだれでもトイレ、通常幅の洋式トイレ、男性用小トイレ🚹から成っている)に似ているところがあります。

東武のリバティには、独立した洗面所がないので、洋式トイレの個室🚻🚽の洗面台を代わりに使うことになります。

新AE形の男性用小トイレ🚹は、日本の鉄道車両の車内トイレとしては珍しいフランス製🇫🇷の小便器(小トイレ)であり、以前自分(しゃもじ)🐰がステーション♪のライブで立ち寄った六本木のmorph-tokyo(モーフ東京)にあった男性用トイレ🚹の小便器(小トイレ)と同じタイプであります。

六本木のmorph-tokyoのほうは、2020年11月30日に閉店し、その跡地は、unravel tokyoというライブハウスとなっています。

1990(平成2)年から2016年まで活躍していたAE100形(2代目スカイライナー→シティライナー)のトイレ🚻は、4号車にあったけど、男性用小トイレ🚹が、1車両につき2ヶ所(リニューアル後は山側と海側に1ヶ所ずつ)あったという珍しい状態となっていました。

1992(平成4)年に導入されたAE148Fからは、洋式トイレの個室1ヵ所だけだったのが、和式トイレの新設(3200形90番台の開運号以来の復活)により和洋1対1となっていたので、現在で言えば時代に逆行した感じでありました。

同時に男性用小トイレ🚹️が2ヵ所に増設され、既存の4編成のトイレも増設されていました。

2001(平成13)年から2003(平成15)年に掛けてAE100形が、バリアフリー化を伴うリニューアル改造された時に広いスペースが生かされた上で車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が新設され、通常のトイレが洋式化された上で和式トイレが廃止されていたので、再び洋式トイレしかない車両となっていました。

新AE形で男性用小トイレ🚹が1ヶ所に減らされたのは、コスト削減や利用状況のほか、スカイライナー🚃💺✈️での乗車時間が短いこともあります。

1993年まで活躍していた旧AE形(初代スカイライナー)のトイレ🚻は、3号車にあったけど、洋式トイレ🚻🚽と洗面所しかなかったです。

旧AE形が導入された当時の鉄道の車内トイレは、国鉄を含めて和式トイレが主流であったので、洋式トイレが珍しかったです。

京成線の駅のトイレ🚻は、昨年3月10日の千葉線の西登戸(にしのぶと)駅を最後に洋式化🚽が完了していたので、新AE形スカイライナーの車内トイレを含めて洋式化率100%となったのであります。

系列である新京成電鉄(来年京成電鉄に吸収合併される予定)や北総鉄道の駅トイレ🚻も全て洋式化🚽されています。

最近になってからは、何処に行っても洋式トイレを目にするようになったことにより、若者たちを中心に、影が薄くなった和式トイレに慣れていない人たちが増えた為に、洋式🚽の個室が満室で、和式の個室が空いていることが目立っている状態であり、洋式の個室が空くのを待つことが見受けられているので、和式トイレの洋式化が進められているのもそのはずであります。

現在は、和式トイレの出荷率がたったの0.3%以下(TOTOによる調査)となったことを聞いたので、時代遅れであることが分かります。

こうなった理由は、訪日外国人の増加やバリアフリー化の一環であることに加え、和式トイレよりも水道の使用量が少ないからであります。

洋式化🚽は、トイレ🚻のバリアフリー化でもあります。

2010年7月17日の成田スカイアクセス線の開業と共に、新AE形(3代目スカイライナー)がデビューし、AE100形がシティライナー(これまで通りの京成本線経由)にシフトされてからは、全席禁煙化🚭されていたので、関東の大手私鉄の有料特急が全て禁煙化🚭されたことになりました。

近畿日本鉄道(近鉄)では、本年3月1日から、近鉄特急の車内の喫煙ルームが廃止されたことにより、全面禁煙化🚭️され、大手私鉄の有料特急全てが禁煙🚭️となっています。

東海道・山陽・九州新幹線でも、3月16日からN700系列の喫煙ルームが廃止されて全面禁煙化🚭️されています。

西九州新幹線かもめ号(武雄温泉~長崎間)は、一昨年9月23日の開業の時から全て禁煙🚭️となっています。

かつて日本に就航している飛行機(JALやANAなどの日本の航空会社を含む)✈️にも喫煙席🚬があったけど、現在は国内線、国際線共に全て禁煙席🚭となっています。

新AE形の4号車の3号車寄りにあるサービスコーナーは、清涼飲料水の自動販売機とフリースペースから成っており、海側のフリースペース側に縦に配置された3つの丸窓が特徴となっています。

AE100形のサービスコーナーは、5号車の4号車寄りにあったけど、自動販売機が2基(うち1基は末期に使用停止されていた)あったことに加え、リニューアル前に喫煙が可能となっていました。

AE形スカイライナーには、座席下にコンセント🔌が付いています。

新AE形の最高速度は、成田スカイアクセス線の京成高砂~印旛日本医大間(北総線との共用区間)が130Km/h、印旛日本医大~空港第2ビル間が160Km/hであり、160Km/hのトップスピードで成田湯川駅を通過していくシーンが見られています。

成田スカイアクセス線の信号機🚦は、6つの灯りがあり、青信号が2つ点滅している時に160Km/h運転が可能な高速進行となります。

160Km/h運転は、2015(平成27)年3月13日(北陸新幹線の金沢延長の前日)まで福井、和倉温泉、金沢~越後湯沢間で運転されていた特急はくたか号のほくほく線区間でも行われていたけど、こちらも高速進行となっていました。

2015年3月14日からは、日本の鉄道での160Km/h運転や高速進行が、京成スカイライナーだけとなっています。

アクセス特急の最高速度は、京浜急行電鉄(京急))の快特(品川~横浜間)と同じ120Km/hであり、京急の車両の120Km/h運転がアクセス特急にも生かされています。

京成本線経由の場合は、カーブが多く、最高110Km/h運転となっていたので、スピードアップのネックとなっていました。

京成スカイライナーで、日暮里~空港第2ビル間36分で結ばれたのは、160Km/h運転のお陰であり、成田スカイアクセス線の線形が良いということもあります。

一昨年(2022年)2月26日には、120Km/h運転対応の都営5500形がアクセス特急の運用(03T運用)に参入していたことで、時代は変わったな❗と思いました。

アクセス特急には、京成電鉄の新3100形、都営地下鉄の5500形が使われているけど、土休日には、京浜急行電鉄(京急)の車両(600形、新1000形、1500形の8両編成)も使われることになっています。

編成番号のFとは、英語で編成を表すFormationの意味であります。

京成電鉄の通勤型車両は、都営浅草線に乗り入れる絡みにより、全て貫通ドア付きとなっているけど、新AE形(スカイライナーの車両)は、都営浅草線に乗り入れないことや、空気抵抗を減らすことにより、京成の車両で唯一非貫通の前面となっています。

1993年まで活躍していた旧AE形(初代スカイライナー)も非貫通型となっていたけど、AE100形2代目スカイライナーでは、都営浅草線への乗り入れ構想があったことにより、貫通型となっていました。

西武鉄道の001系ラビュー(Laview)は、現時点で地下鉄に乗り入れていないけど、地下鉄乗り入れ構想があることにより、貫通ドア付きとなっています。

京成上野駅は、1933(昭和8)年12月10日に上野公園駅として開業した地下駅であり、当初から2面4線の地下駅となっています。

上野公園駅から現在の京成上野駅となったのは、1953(昭和28)年5月1日のことであり、京成の上野駅であることがアピールされるようになっています。

京成上野駅の改札外コンコースからは、東京メトロ銀座線、日比谷線の上野駅🚇、都営大江戸線の上野御徒町駅🚇と地下通路で結ばれているので、雨の日☔の乗り換えが楽であります。

JR上野駅🚉の不忍(しのばず)口から京成上野駅に向かう場合には、屋外で横断歩道を渡る必要があるので、日暮里駅での乗り換えのほうが楽だと思っています。

京成上野駅の出入口横にある公衆トイレ(台東区による管理)🚻は、車椅子対応のだれでもトイレ🚻♿以外全て和式トイレとなっていたけど、改良により全て洋式トイレ🚽となっていました。

京成上野駅のトイレ🚻♿では、以前だれでもトイレ以外は男女共に出入口に階段があり、和式トイレがメインとなっていたけど、バリアフリー化♿に伴う改良により、出入口の階段が廃止され、全て洋式🚽となっています。

2020年1月31日に1,2番ホームに増設されたトイレ(ホームトイレ)🚻は、コンコースと同様に全て洋式🚽で、だれでもトイレ🚻♿🚽も併設されています。

京成上野駅では、2019年3月19日のリニューアル工事完成の時から東京藝術(芸術)大学の音楽学部の学生や教授によってプロデュースされた上野がテーマの発車メロディーが使われており、それが流れた後に発車ベルが鳴るという珍しい現象となっています。

メロディーは、1番線が芸術、2番線が自然、3番線が歴史、4番線が科学がテーマとなっており、ライナー列車の場合は、発車番線とは関係なく、旅立ちがテーマの発車メロディーが流れることになります。

山形県新庄市にある、山形新幹線などが乗り入れている新庄駅では、発車メロディー「新庄まつり囃子」が流れた後に発車ベルが流れるので、京成上野駅みたいだな❗と思いました。

東京藝術大学🏫は、東京都台東区の上野公園内に本部と上野キャンパスがあり、茨城県取手市の取手キャンパス、神奈川県横浜市中区の横浜キャンパス、足立区千住の千住キャンパスの4ヶ所から成っています。

スカイライナーは、2番線発着がメインとなっているので、2番線のエンド側には、キャプテン翼のサッカーボールのラッピングが施されています。

京成上野駅からは東京メトロ銀座線、日比谷線🚇の上野駅や都営大江戸線の上野御徒町駅🚇に通じる地下通路があるので、雨の日☔の乗り換えにも便利であります。

一昨年8月29日からは、東京藝術大学との協力により、京成上野駅構内(改札外)に、誰でも演奏することが出来るピアノ🎹が設置されるようになったことで話題になっています。

このことで、JR銚子駅や北総線の新鎌ヶ谷駅のピアノ🎹を思い出したけど、こちらも誰でも演奏することが出来ます。

京成本線の京成上野~日暮里間の地下トンネルは、桜の木の根を守る為にカーブの多いトンネルとなっているので、京王線の新宿~笹塚間の地下トンネル区間(玉川上水の真下、こちらもカーブが多い状態である)に似ているところがあるので、京王と京成で似ている点が多いことが分かります。

その途中にある、博物館動物園駅跡は、ホームが撤去されずに残されているので、京王線の新宿~笹塚間の地下トンネル区間に、初台駅旧ホーム跡があることに似ているところがあります。

博物館動物園駅は、一部の普通列車(4両編成)しか停車しない駅で、1997(平成9)年3月31日をもって営業休止され、2004(平成16)年4月1日に正式に廃止されていました。

博物館動物園~日暮里間(地上に出る手前)には、寛永寺坂駅という地下駅もあったけど、こちらは1947(昭和22)年に休止され、1953年2月に正式に廃止されていたのであります。

寛永寺坂駅の跡地は、倉庫として使われていたけど、それが撤去された後、セブンイレブンの上野桜木2丁目店🏪となっています。

その裏には、国旗の掲揚台の跡があります。

すぐ近くにある京成の上野地下トンネルの出入口には、東臺門(とうだいもん)の表示があるので、昔ながらの地下トンネルの出入口らしさを感じました。

現在使われている京成電鉄の地下駅は、京成上野、空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)、成田空港(成田第1ターミナル)、東成田、押上(スカイツリー前)、大森台の各駅であるけど、そのうちの押上(スカイツリー前)駅は、1960(昭和35)年12月4日の都営地下鉄1号線(現在の都営浅草線)との直通運転に備えて地下化された駅であります。

京成千原線の大森台駅は、半地下構造でありながら、千葉急行線の時代から千葉市で唯一の地下駅となっています。

京成線の日暮里駅は、1階に上りホームの0番線(京成上野行き、スカイライナー、モーニングライナーの降車専用ホーム)、2階に改札口、コンコース、3階に下りホーム(青砥、京成船橋、成田空港✈️、ちはら台、芝山千代田方面、スカイライナー、イブニングライナーの乗車専用ホームは1番線、ライナー系以外の一般電車列車は2番線)から成っており、ライナー系列車の1番線に行くところに専用改札(中間改札)があります。

スカイライナーのホームに行くつもりが間違えて一般電車列車用の2番線に行ってしまわないように注意が必要(Caution)⚠️となっています。

京成日暮里駅が現在の形となったのは、2009年10月3日のことであり、これまではJR常磐線と隣り合っていた1面2線の島式ホーム(下りホームもライナー系と兼用)となっていました。

京成日暮里駅のトイレ🚻は、2階の改札内コンコースと3階のライナー系電車のホーム(1番線)にあり、前者のほうは、洋式🚽と和式が混在していたけど、現在は全て洋式🚽となっています。

2階コンコースの男性用トイレ🚹️の洋式の個室は3室となっているけど、以前洋式1室、和式2室となっていたことの名残により、当初から洋式🚽となっている南側の個室のドアに洋式マーク🚽があります。

京成日暮里駅下りホームは、自分(しゃもじ)のお気に入りであるドーム状の屋根であり、モーニングライナーとイブニングライナーの停車駅である京成船橋駅もこうなっています。

京成船橋駅は、2面2線の高架駅であり、高架化されたのは、上り線が2004(平成16)年11月27日、下り線が2006年11月25日のことであり、それ以前は現在と同じ2面2線で、跨線橋のない地上駅であったので、駅前の踏切が開かずの踏切となっていたことで社会問題となっていました。

JR総武線(緩行線、快速線)と東武アーバンパークライン(野田線)の船橋駅と至近距離にあることで乗換駅扱いとなっている為に、高架化される前は不便な状態となっていたのであります。

高架化された後の京成船橋駅も、自分(しゃもじ)のお気に入りである、ドーム状の屋根の駅となっています。

船橋駅の南口には、西武百貨店の船橋店(船橋西武)があったけど、2018年2月28日に隣接する船橋ロフト(LoFt)と共に閉店されていました。

船橋駅北口(東武アーバンパークライン(野田線)の駅と直結)には、東武百貨店(東武デパート)の船橋店🏬があるので、船橋西武があった頃には、東京の池袋駅と同様に、東武デパートと西武デパートが共存する街となっていました。

池袋では、西口に東武デパート(東武東上線の駅)、東口に西武デパート(西武池袋線の駅、どちらも本店である)があることにより、ビックカメラ(BICCAMERA)のテーマソングで、♪不思議な不思議な池袋~東が西武で西東武~と歌われている通り、不思議な感じがしてきます。

このことに対して、船橋では、北に東武、南に西武の状態となっていました。

京成船橋駅にライナー系列車が停車するようになったのは、2006(平成18)年12月10日のことであり、当時は一部のスカイライナーが停車していました。

それが、シティライナー(現在は年始のみ運転となっている)やモーニングライナー、イブニングライナーにも受け継がれています。

千葉県習志野市(鈴川絢子氏(YouTuberでもある)の地元でもある)にある習志野市谷津バラ園🌹の入口脇には、「読売巨人軍発祥の地」の碑があり、そこには、歴代の巨人軍の監督や選手たちの手形やサイン入りの石のプレートが並べられています。

読売ジャイアンツ(巨人軍)⚾は、1934(昭和9)年10月15日に、6大学からの選抜により、谷津球場(谷津遊園にあった球場)で結成され、同年12月26日に前身の大日本東京野球倶楽部として旗揚げされていたので、このことは、日本のプロ野球の歴史の始まりでもありました。

翌年の1935(昭和10)年には、阪神タイガースの前身である大阪タイガースが創設され、大日本東京野球倶楽部が東京巨人軍に改名されていました。

現在の東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)となったのは、1947(昭和22)年ことであり、これまでの東京巨人軍の時代には、京成が筆頭株主となっていました。

現在鉄道会社の系列のプロ野球チームは、埼玉西武ライオンズ⚾🦁(西武鉄道の系列(西武ホールディングス))と阪神タイガース⚾🐯(阪神電気鉄道の系列(阪急阪神ホールディングス))となっているけど、昔巨人軍が京成の系列となっていたことは、プロ野球や京成グループの歴史に詳しい人でないと分からない状態であります。

このことは、北海道日本ハムファイターズ⚾の前身が、東急フライヤーズという東急系列の球団となっていたことと同じことが言えます。

千葉県に本拠地のある千葉ロッテマリーンズ⚾は、1949(昭和24)年9月に毎日オリオンズ(毎日新聞社の系列だった)として創設された球団であり、荒川区南千住にあった東京スタジアム(東京球場)が本拠地となっていたこともありました。

日本野球発祥の地は、東京都千代田区(神保町駅付近)にある学士会館の中にあるけど、こちらは東京大学(東大)の発祥の地でもあります。

千葉ロッテマリーンズ⚾の本拠地であるZOZOマリンスタジアム(千葉マリンスタジアム)は、京葉線の海浜幕張駅が最寄り駅だけど、幕張本郷駅からバス🚌で行くことも出来ます。

千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手は、岩手県陸前高田市出身であり、165Km/hの最速記録が達成されたという速球王でもあります。

八千代台駅は、1956(昭和31)年3月20日に開業した日本最初の住宅団地である八千代台団地の最寄り駅であり、西口には、住宅団地発祥の地の記念碑があります。

東口にあるユアエルム八千代台店は、リブレ京成(LIVRE KEISEI)の八千代台店などが入ったショッピングセンターであり、八千代台駅と屋根付きのペデストリアンデッキで結ばれているので、雨の日☔でのアクセスも楽であります。

詳細は、「ユアエルム八千代台店」、「リブレ京成八千代台店」で検索。

印旛沼は、千葉県北部の利根川下流南岸に位置している利根川水系の湖沼であり、北部調節池(北印旛沼)と西部調節池(西印旛沼)に分かれています。

京成臼井(うすい)駅から近いのは、西印旛沼であり、印旛捷水路(しょうすいろ)によって北印旛沼と繋がっています。

成田スカイアクセス線の印旛日本医大~成田湯川間は、北印旛沼を眺めることの出来る区間があり、そこで印場捷水路を横断することになります。

京成臼井駅と京成佐倉駅の中間の鹿島川沿いにある佐倉ふるさと広場は、風車があり、チューリップ🌷が咲き誇るので、日本🇯🇵にいながらにして、オランダ🇳🇱に来たような雰囲気がする場所であります。

このことは、江戸時代にオランダとの国際交流が行われたことの縁もあり、そこにある風車が、オランダ船リーフデ号に因んで、リーフデ(De Liefde)と名付けられていました。

リーフデ(De Liefde)とは、オランダ語で友愛を意味する言葉であり、その名の通り、日蘭(日本とオランダ)の親善及び友愛を願って作られた風車であります。

詳細は、「佐倉ふるさと広場」で検索。

京成臼井~京成佐倉間(ウスサク)には、風車をバックに撮影出来る撮影ポイントがあります。

JR総武本線の物井駅と佐倉駅の間にモノサクという名の超有名撮影ポイントがあるので、それにあやかって、京成臼井~京成佐倉間の撮影ポイントがウスサクと呼ばれています。

佐倉市は、1954(昭和29)年3月31日に佐倉町、臼井町、志津村、根郷村、和田村、弥富村の合併により出来た市であり、同時に成田市が成田町、公津村、中郷村、久住村、豊住村、遠山村の合併により出来ていました。

佐倉ふるさと公園の風車は、佐倉市制施行40周年を迎えた1994(平成6)年に作られたものであります。

栃木県にあるさくら市は、2005(平成17)年3月28日に、栃木県塩谷郡の氏家町と喜連川町の合併によって出来た市であり、桜🌸の名所に因んで名付けられているけど、千葉県の佐倉市と読み方が同じなので、英文で手紙を出す時には、千葉県(Chiba)または栃木県(Tochigi)を併記しておく必要があります。

このことは、徳島県の三好市、広島県の三次市、愛知県のみよし市の関係でも言えることであります。

因みに、愛知県のみよし市は、2010(平成22)年1月4日に、西加茂郡三好町の市制施行により出来た市であり、徳島県の三好市や広島県三次市との混同を避ける為に、ひらがなの、みよし市となっていました。

京成佐倉駅とJR佐倉駅の間は、約2㎞離れているので、ちばグリーンバス(京成グループ)による路線バス🚌での移動が一般的となっています。

周辺は、城下町であり、武家屋敷や佐倉城址公園(佐倉城跡)、国立歴史民俗博物館もあります。

佐倉城址公園(佐倉城跡)、国立歴史民俗博物館へは、京成佐倉駅、JR佐倉駅から徒歩約20分であり、バス🚌も出ています。

佐倉城は、日本100名城の一つであり、春には桜🌸が咲き誇る状態で、佐倉で見る桜🌸となります。

詳細は、「佐倉城址公園」、「国立歴史民俗博物館」で検索。

京成成田駅は、3面3線で、5番線側に駅舎(西口(参道口))があります。

1番線と2番線は、京成本線上り(京成船橋、京成上野、押上(スカイツリー前)、都営浅草線方面)、東成田線・芝山鉄道線(東成田、芝山千代田方面)、3番線は、モーニングライナー(日暮里、京成上野方面)、4番線は降車専用、5番線は、京成本線下り(空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)✈️、成田空港(成田第1ターミナル)✈️方面)から成っており、ホームの間は地下通路またはエレベーター付きの跨線橋で結ばれています。

京成成田駅のトイレ🚻は、1,2番線の北側(成田空港✈️、芝山千代田寄り)と5番線の中央にあり、個室が全て洋式🚽で、5番線側には車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽も併設されています。

東口(富里市、日吉台ニュータウン方面)へは、西口(参道口)にある改札を出て、東西連絡地下道を通って行くことになります。

千葉県富里市は、鉄道の駅はないけど、夏が旬であるスイカ🍉の産地としても有名であります。

印旛郡富里町の市制施行により富里市となったのは、2002(平成14)年4月1日のことであります。

富里市には、スイカの産地🍉らしく、スイカがデザインされたガスタンクがあります。

因みに、日本一のスイカ🍉の産地は、熊本県であり、周辺にある成田空港✈️からジェットスター・ジャパンの飛行機✈️で熊本空港✈️に行くことが出来ます。

JR成田駅、京成成田駅から成田山新勝寺へと向かうところにある成田山表参道には、羊羹やうなぎなどの店が軒を連ねており、洋風スイーツの店もあることから、和洋折衷の街並みとなっています。

そのうちの、なごみの米屋(よねや)總本店は、特に有名であり、芋羊羹、いちご大福、どら焼き、ぴーなっつ最中などの和菓子が充実しています。

なごみの米屋の由来は、江戸時代に米穀店や雑貨店が営まれていたことであり、米屋さんから始まっていたことが分かります。

こちらには、成田羊羹資料館や成田生涯学習市民ギャラリーも併設されているので、色々なことを学ぶことが出来ます。

京成上野駅のコンコースから地下ホームに下りるところにも、なごみの米屋の広告があるので、それを見た時に有名なんだな❗と思いました。

なごみの米屋は、千葉県内の至るところにも支店があります。

詳細は、「なごみの米屋」、「なごみの米屋總本店」で検索。

成田山新勝寺は、千葉県成田市にある、有名な寺院であり、大本堂、平和の大塔、三重塔、釈迦堂、光明堂、額堂、一切経堂、出世稲荷、聖徳太子堂、醫王殿(いおうでん)、仁王門、総門、旧本堂薬師堂などから成っています。

ここには、成田山公園や成田山書道美術館などもあるので、広大な敷地が生かされています。

成田山書道美術館の脇に、水琴窟と呼ばれる場所があり、名琴のような澄んだ音を楽しむことが出来ます。

成田山新勝寺は、成田空港✈️から近いので、羽田空港✈️の近くにある羽田神社と同様に、空の安全祈願が行われています。

自分(しゃもじ)も成田山新勝寺に行ったことがあるけど、いいところだな❗と思いました。

成田山新勝寺へは、JR成田駅または京成成田駅から徒歩10分で行くことが出来ます。

詳細は、「成田山新勝寺」、「成田山公園」、「成田山書道美術館」で検索。 

自動車の成田ナンバーは、2006(平成18)年10月10日に柏ナンバー(柏市、我孫子市)と共に登場した、千葉ナンバーベースのご当地ナンバーであり、成田市、富里市、山武市、香取郡(神崎町、多古町)、山武郡(芝山町、横芝光町)が対象地域となっています。

成田空港周辺がベースとなっている成田空港交通の本社営業所、千葉交通の成田、多古の両営業所(どちらも京成グループ)のバスも、成田ナンバーであります。

千葉交通の銚子営業所の車両は、千葉ナンバーとなっています。

現在千葉ナンバーで新規及び転入登録が可能な地域は、千葉市全域と、銚子市、佐倉市、東金市、旭市、四街道市、八街(やちまた)市、匝瑳(そうさ)市、香取市、大網白里市、印旛郡酒々井(しすい)町、香取郡東庄(とうのしょう)町、山武郡九十九里町であります。

成田湯川駅は、2010年7月17日の成田スカイアクセス線の開業と共に出来た2面4線の外側にプラットホーム、内側に通過線2線の新幹線方式の駅であり、1階部分が改札口、コンコース、トイレ🚻が、2階部分が中間コンコース、3階部分がプラットホームから成っており、1階⇔2階間、2階⇔3階間(ホーム別)のエレベーターも完備されています。

改札脇には、空と雲がテーマのステンドグラスがあることが特徴となっています。

成田湯川駅を出ると、単線区間に入ることになるけど、こちらの分岐器は、高速でも通過出来るタイプとなっています。

成田湯川駅をスカイライナーが160㎞/hで通過していくシーンは、爽快感があります。

成田湯川駅付近では、JR成田線の我孫子支線(下総松崎(しもうさまんざき)~成田間)と交差しているけど、駅が出来る予定がないのが残念であります。

成田湯川駅から徒歩10分の場所に、湯けむり 天然秘湯 龍泉の湯という日帰り温泉施設があることを知りました。

こちらへは、JR成田駅西口から、千葉交通バス美郷台線の竜角寺台車庫行きに乗り、松崎橋下車1分で行くことも出来ます。

詳細は、「龍泉の湯」、「湯けむり 天然秘湯 龍泉の湯」で検索。

このブログを書いた時に日帰り温泉施設を発見し、紹介することが出来るという喜びを感じています。

京成の成田空港駅✈️は、2面3線で、1番線から5番線まであり、1番線が、アクセス特急、2,3番線が京成本線の列車、4,5番線(2,3番線の奥)がスカイライナー乗り場となっており、アクセス特急の1番線は、成田スカイアクセス線の開業により北ウィング側に増設された独立した感じのホームであります。

隣の空港第2ビル駅✈️は、1992(平成4)年12月の開業当時は、JR側と同じ1面1線となっていたけど、成田スカイアクセス線の開業により1面2線となり、成田空港駅寄りの1,2番線が成田スカイアクセス線、京成成田寄りの3,4番線が京成本線の列車が発着するようになっています。

空港第2ビル駅✈️の3番線(京成本線乗り場)は、6両分しか停車出来ず、後ろの2両が成田スカイアクセス線乗り場(1番線側)に掛かってしまうけど、ドアカットが行われずに普通にドアが開いてしまう為に、該当する乗車口のLED式案内表示で、「この電車は経路が異なるため ご乗車できません」、Due to route difference,this train cannot be boarded.という注意書きが表示されます。

ホームドアが設けられた後も未だ解決されていないので、注意が必要(CAUTION)⚠️であります。

JRのほうは、空港第2ビル駅✈️が1面1線、成田空港駅✈️が1面2線のままであり、成田空港駅では、JR1番線が成田エクスプレス🚃💺✈️、JR2番線が一般列車🚃中心で使われています。

成田空港では、ターミナルビル毎に駅が異なっており、第1旅客ターミナル(T1)の場合は、成田空港(成田第1ターミナル)駅✈️を、第2旅客ターミナル(T2)または第3旅客ターミナル(LCC専用ターミナル、T3)の場合は、空港第2ビル駅(成田第2・第3ターミナル)駅✈️を使うことになります。

第2ターミナルビルは、1992年12月6日に、第3ターミナルビルは、2015年4月8日に開業していました。

ANA(全日本空輸)✈️💙は、第1旅客ターミナルの南ウィング、JAL(日本航空)✈️🇯🇵は、第2旅客ターミナル発着となっているので、羽田空港での国内線のターミナルビルとは逆となっています。

国内外の様々な飛行機✈️を眺めることの出来る展望デッキは、第1、第2の旅客ターミナルにあります。

成田空港の第1旅客ターミナルビルは、1978年5月の開港当初からあるターミナルビルであり、北ウィングと南ウィングに分かれています。

そのうちの北ウィングは、1984(昭和59)年1月1日にリリースされた、中森明菜氏の「北ウィング」の舞台となった場所でもあり、JAL(日本航空)✈️🇯🇵などが発着していました。

この曲は、中森明菜氏の名曲の一つであり、成田空港✈️と言えばこの曲が思い浮かびます。

ANA✈️💙のほうは、1986(昭和61)年3月の定期国際線進出の時から第1旅客ターミナルビルの南ウィング発着となっているけど、一時期は第2旅客ターミナルビル発着となっていた時もありました。 

第1旅客ターミナルビルは、1992年12月6日から2006(平成18)年6月2日のANAの第1旅客ターミナルビルへの回帰までの間は、全てスターアライアンス系を含めた外資系航空会社の発着となっていました。

2002(平成14)年4月18日には、台湾🇹🇼のチャイナエアライン✈️🇹🇼とエバー航空✈️🇹🇼が羽田発着から成田発着に変更され、一時的に羽田空港発着の定期便が途絶えていました。

2010年10月21日には、羽田空港の第3ターミナルビル(国際線ターミナルビル)の開業に伴い、羽田空港発着の国際線定期便が復活したことにより、以前のように国内線と国際線の両方を扱うグローバルな空港となっています。

JAL(日本航空)などが発着している第2旅客ターミナルビルは、1992年12月6日に開業していたけど、当初は、本館と別館(サテライト)の間がシャトルシステムで結ばれていました。

2013(平成25)年9月には、それが廃止され、連絡通路で結ばれるようになっています。

成田空港では、相次ぐLCCの就航により、国内線も充実するようになったので、2015(平成27)年4月8日にLCC専用の第3旅客ターミナルビルが第2旅客ターミナルビルと隣接する場所に設けられていたのであります。

以前は、国内線は羽田、国際線は成田ということが当たり前となっていたけど、現在は羽田空港から国際線、成田空港から国内線を使うことが出来るようになっているので、時代は変わったな❗と思いました。

第1旅客ターミナルビルと第2旅客ターミナルビルの間は、離れていることに加え、徒歩での連絡が不可能であるので、無料のシャトルバス🚌での連絡が行われています。

成田空港✈️は、2015年3月30日の正午まで、検問が行われていたので、身分証明書がないと入れない状態でありました。

これにより、身分証明書が無くてもスカイライナーに乗れるようになっています。

成田空港では、ターミナルビル毎に駅が異なっており、第1旅客ターミナル(T1)の場合は、成田空港(成田第1ターミナル)駅✈️を、第2旅客ターミナル(T2)または第3旅客ターミナル(LCC専用ターミナル、T3)の場合は、空港第2ビル駅(成田第2・第3ターミナル)駅✈️を使うことになります。

ANA(全日本空輸)✈️💙は、第1旅客ターミナルの南ウィング、JAL(日本航空)✈️🇯🇵は、第2旅客ターミナル発着となっているので、羽田空港での国内線のターミナルビルとは逆となっています。

国内外の様々な飛行機✈️を眺めることの出来る展望デッキは、第1、第2の旅客ターミナルにあります。

台湾🇹🇼の台北桃園空港✈️から台北(タイペイ)まで、MRT(桃園メトロ)で最短で36分と、日本の京成スカイライナーと同じ時間でアクセス出来るのが魅力であり、京成上野駅にもその広告がありました。

こちらは2017年3月に正式に開業した地下鉄であり、最高速度が110Km/hとなっています。

台湾🇹🇼は、1895(明治28)年4月17日から1945(昭和20)年10月25日までの50年間、日本統治の時代であり、日本の一部となっていました。

こちらは、琉球国→沖縄が1945年4月5日から1972(昭和47)年5月14日までの間にアメリカ合衆国(アメリカ)🇺🇸に占領されていたことと似たような出来事でありました。

1972年5月15日に、沖縄県として日本に返還され、再び日本の一部となっていました。

我々日本人が、パスポートなしで沖縄旅行に行けるのも、このことのお陰であります。

海外旅行に行く時には、パスポートが必要だけど、一部の国には、ビザも必要となります。

台湾🇹🇼が戦時中に日本の一部となっていたことは、台湾の歴史に詳しい人でないと分からない状態であります。

東の鉄道系動画王(YouTuber)のスーツ氏👔も、台湾の歴史に触れていた時に、このことを話題にしていました。

台北に板橋という地名や駅があるけど、こちらは「バンチャオ」と読むことになっています。

スーツ氏👔は、板橋区高島平生まれなので、このことも話題にしていたのもそのはずであります。

台湾の板橋(バンチャオ、Banqiao)駅には、台湾新幹線も乗り入れています。

台湾新幹線の板橋(バンチャオ)駅は、日本の新幹線にはない上下二層式の地下駅(待避可能な駅)であり、地下2階が下り(1A,1B、台中(タイジョン)、佐営(高雄(カオシュン))方面)、地下3階が上り(2A,2B、台北(タイペイ)、南港方面)から成っているので、日本の東京メトロ副都心線の東新宿駅と同様の構造となっています。

台湾🇹🇼の通貨は、中華人民共和国(中国、China)🇨🇳の元とは異なり、ニュー台湾ドル(日本円で4.45円)となっています。

日本でお馴染みの小籠包やタピオカも、台湾発祥であります。

台湾の台北(タイペイ)への飛行機✈️は、羽田から(へ)の便が台北松山(ソンシャン)空港と桃園空港の両方の発着、成田から(へ)の便が桃園空港発着となっており、JAL(日本航空)✈️🇯🇵、ANA(全日本空輸)✈️💙、エバー航空とチャイナエアライン(台湾の航空会社)✈️🇹🇼の場合は、羽田が台北松山空港、成田が桃園空港発着となっています。

チャイナエアライン✈️🇹🇼は、成田空港が開港した後、2002年まで羽田空港発着のままとなっていたけど、それには、羽田〜ホノルル線も含まれていました。

2010年の羽田空港の再国際化(グローバルな空港への原点回帰)により、羽田便が復活していました。

松山空港✈️は、日本の愛媛県と、台湾の台北松山(ソンシャン)空港の両方があるので、区別する為に、台北松山空港と呼ばれています。

ANAの羽田~台北(松山)線は、2便共に羽田空港の第2ターミナル発となっているので、注意が必要⚠️となっています。

詳細は、「JAL台湾」、「ANA台湾」、「エバー航空」、「チャイナエアライン」で検索。

台北101は、その名の通りの101階建ての超高層ビル(台北のランドマーク)であり、高さは509.2mとアジアで一番高いビルとなっています。

こちらには、展望台もあります。

因みに、世界一高いビルは、アラブ首長国連邦🇦🇪のドバイにある、ブルジュ・ハリファであり、高さは828mあります。

この時に、台湾に行きたいわん(台湾)❗という言葉を思い付きました。

ウエストジェット航空(カナダ、アルバータ州🇨🇦のカルガリーに本拠地のある航空会社)✈️🇨🇦では、昨年5月1日から、成田空港とカルガリーの間で週3便(カルガリー発水、金、日、日本(成田)発月、木、土)で、ボーイング787-9型機により運航されるようになっています。

これまでは、成田空港からカルガリーに行く時に、バンクーバーまで、JAL(日本航空)✈️🇯🇵、ジップエア✈️🇯🇵、エア・カナダ✈️🇨🇦で行き、カルガリー行きの飛行機✈️に乗り継ぐ必要がありました。

羽田からバンクーバーへは、ANA(全日本空輸)✈️💙による直行便(エア・カナダとのコードシェア便)が運航されており、バンクーバーで、エア・カナダの飛行機に乗り継いでカルガリーまで行くことが出来ます。

バンクーバー行きの飛行機は、ANA(全日本空輸)✈️💙とエア・カナダ✈️🇨🇦が、ボーイング787-9型機、前述のジップエアが、ボーイング787-8型機、JAL(日本航空)✈️🇯🇵が、ボーイング767-300ER型機であります。

JALの成田〜バンクーバー線は、ウエストジェット航空、アメリカン航空✈️🇺🇲とのコードシェア便となっているけど、かつてカナディアン航空(ワンワールド系だった)とのコードシェア便となっていました。

カナディアン航空は、2002年にスターアライアンス系のエア・カナダに吸収合併されていました。

ウエストジェット航空✈️🇨🇦は、1996年に設立されたカナダ🇨🇦の大手航空会社であり、エア・カナダに吸収合併されたことによって消滅したカナディアン航空の穴埋めの役割もあります。

ウエストジェット航空便は、成田空港で第1旅客ターミナルの北ウイング(成田空港駅で下車)から発着しています。

カナディアン・ロッキーで有名なアルバータ州にあるバンフ(Banff)は、スキーや温泉を楽しむことが出来るので、日本の草津温泉♨️に似ているところがあります。

アルバータ州の名物は、アルバータ州のビーフステーキであり、柔らかくて美味しいと言われています。

カナダ🇨🇦は、フランス語の国でもあるので、英語とフランス語が併用されています。

詳細は、「ウエストジェット航空」、「エア・カナダ」、「JALバンクーバー」、「ANAバンクーバー」で検索。

羽田空港とハワイ(ホノルル)を結ぶ飛行機✈️は、JAL(日本航空)✈️🇯🇵、ANA(全日本空輸)✈️💙、ハワイアン航空(HAWAIIAN、ハワイの航空会社)✈️🇺🇲🏝️、デルタ航空✈️🇺🇸であり、成田~ホノルル線では、ジップエア(JAL系のLCC)✈️も運航されています。

ANA(全日本空輸)✈️💙の成田空港✈️~ホノルル(ハワイ)線🏝️専用の2階建て飛行機であるエアバスA380型(空飛ぶMax)のフライングホヌ✈️🐢は、ANAブルーで空がイメージされたJA381A号機のラニ(Lani)、エメラルドグリーンで海がイメージされたJA382A号機のカイ(Kai)、サンセットオレンジで夕日がイメージされたJA382A号機のラー(La)の3機あり、1日2便あるANAの成田~ホノルル線で活躍しています。

オレンジ色のフライングホヌであるJA383A号機(ラー)✈️🐢が昨年10月20日に成田~ホノルル(ハワイ、オアフ島)線のNH182便で就航し、これでやっと3機揃って営業フライト(営業運転に相当)に入ることになったのであります。

フライングホヌは1階席がエコノミークラス(後方はカウチシート)383席、2階席がファーストクラス 8席、ビジネスクラス 56席、プレミアムエコノミー 73席の計520席であり、カウチシートは日本の航空会社初であります。

フライングホヌのトイレ(化粧室、Lavatory)🚻🚽は、1階に9ヵ所、2階に7ヶ所(うち、2ヶ所はファーストクラス専用)の16ヶ所あるけど、1階後方右側(カウチシート側)にある、多目的ルームは、洗面台や座席が付いているけど、トイレ🚻🚽と紛らわしいところがあるので、注意が必要(Caution)⚠️であります。

ドア部分の亀🐢のイラストの下に、⚠️トイレではありません This is not a lavatoryの表示があるので一目瞭然であります。

フライングホヌの各クラスには、バーカウンターも設けられています。

ANAの成田~ホノルル線は、現在2往復が運航されており、昨年12月6日から2往復共に毎日フライングホヌで運航されています。

一方のANAの羽田~ホノルル線は、毎日運航、1往復、であり、ボーイング787-9型機(ドリームライナー、従来型の飛行機で客室部分が平屋建てとなっている)✈️が使われています。

こちらも、羽田空港の第2ターミナル発となっています。

ANAのハワイ線並びにフライングホヌの運航日、時刻、運航状況、航空券の予約等に関する詳細は、「ANAハワイ線」、「フライングホヌ」、「ANA フライングホヌ」で検索。

ハワイ諸島は、ハワイ島、マウイ島、カホオラウェ島、ラナイ島、モロカイ島、オアフ島、カウアイ島、ニイハウ島から成っており、ホノルルのある島は、オアフ島であるので、日本の沖縄本土に似ているところがあります。

JAL(日本航空)✈️🇯🇵のホノルル線は、羽田発着がボーイング787-9型機(2往復)、成田発着がボーイング767-300ER型機(1往復)による運航となっています。

ハワイ島のコナコーストでは、コナコーヒー☕が栽培されていることで有名であります。

コナコーヒーは、ブルーマウンテン(ジャマイカ🇯🇲原産)、キリマンジャロ(タンザニア🇹🇿原産)と並ぶ世界三大コーヒーであり、日本では、カルディ(Kaldi)や成城石井で買うことが出来ます。

ハワイアン航空(ハワイの航空会社)の日本路線は、ホノルル~羽田、成田、関空、福岡線であり、エアバスA330-200型機が使われています。

こちらはもちろん、機内食もハワイアンテイストが生かされており、ハワイアンドリンク、ハワイのコーヒーやお酒も充実しています。

ハワイアン航空は、フライングホヌと同様に、飛行機に乗った時から楽しいハワイ旅行の始まりを実感するような空の旅を味わうことが出来ます。

ハワイアン航空の時刻、運航状況等の詳細は、「ハワイアン航空」で検索。

デルタ航空✈️🇺🇲の羽田〜ホノルル線は、かつてのノースウエスト航空のハワイ線が受け継がれたものであり、ボーイング767-300ER型機が使われています。

7月22日から8月19日にまでは、JALの成田〜コナ(ハワイ島)間の直行便が月・火・木・土の週4便で運航される予定となっています。

ハワイでの挨拶は、アロハ(ALOHA)となっているので、沖縄の「めんそーれ」に似ているところがあります。

ハワイは、常夏の場所であるけど、日本とは違って比較的湿度が低いので、カラッとした暑さとなっています。

成田から約3時間半で行けるリゾート地であるグアム🇬🇺へは、ユナイテッド航空(UNITED、スターアライアンス系列)✈️🇺🇸の飛行機(ボーイング737-800型機による運航)が出ているけど、JAL便✈️🇯🇵は、月・水・木・土・日の週5便で、ボーイング767-300ER型機での運航となっています。

ユナイテッド航空(UNITED)では、成田~サイパン線が週3便(成田発、火・木・日)、ボーイング737-800型機で運航されています。

サイパンも、グアムと同様に日本の成田空港から飛行機で約3時間半で行けるリゾート地であります。

時差のほうは、日本時間+1時間となっています。

ユナイテッド航空(UNITED)の成田空港での発着ターミナルは、スターアライアンス系であることにより、第1旅客ターミナル(成田空港(成田第1ターミナル)駅✈️下車)となっています。

5月1日には、ユナイテッド航空(UNITED)による羽田〜グアム線(ボーイング737-800型機によるデイリー運航)✈️が就航したことにより、羽田空港からグアムまで行けるようになっています。

詳細は、「ユナイテッド航空」、「JAL グアム」で検索。

JALとANAの機内食(空のおもてなし(お・も・て・な・し)である)✈️🍴は、どちらも美味しい😋🍴💕と言われており、JALの機内食のビーフステーキが柔らかくて美味しいと大好評であります。

一方のANAの機内食では、ビーフハンバーグステーキが大好評と言われています。 

それだけでなく、JALやANAなどの日系航空会社は、日系ならではの安心感があると言われています。

日本に乗り入れる外資系の航空会社のうち、シンガポール航空✈️🇸🇬やタイ国際航空✈️🇹🇭(どちらも羽田空港と成田空港の両方に乗り入れている)は、機内食が美味しい😋🍴💕ことに加え、サービスが良いと言われています。



台湾、ハワイ、グアムなどの海外の観光地等の情報については、JTBや近畿日本ツーリスト等の大手旅行会社のホームページなどで調べることも出来ます。

羽田空港、成田空港✈️の発着、運航状況、設備の案内、航空便の予約等の詳細は、羽田空港または成田空港や航空会社の各社のオフィシャルホームページを見るか、「羽田空港」、「成田空港」で検索。

自分(しゃもじ)がこのブログで飛行機✈️のことを話題にしたら、それぞれの就航地の観光地、ホテル🏨、温泉♨️、美味しいもの😋🍴💕などに関することも書きたくなります。

芝山鉄道線の芝山千代田駅付近(成田空港近く)には、成田空港温泉 空の湯という日帰り温泉施設♨️があり、飛行機✈️が見える屋上露天風呂♨️が売りと言われています。

空の湯へは、芝山千代田駅(京成成田駅から2駅、東成田駅から1駅)から徒歩3分で行けるのが嬉しいと思います。

詳細は、「成田空港温泉 空の湯」で検索。

成田ビューホテルには、温泉入浴施設である「成田温泉美湯」があるので、日帰り入浴を楽しむことも出来ます。

こちらへは、JR成田駅から無料送迎バス🚐も出ています。

詳細は、「成田ビューホテル」、「成田温泉美湯」で検索。

6月27日に成田空港に14年ぶりに行った時に、ANAのフライングホヌやジップエアなどの成田空港に行かないと見られない飛行機を初めて見ることが出来ました。

自分(しゃもじ)がエアバスA380型機を初めて生で見たのは、フライングホヌでありました。

飛行機の撮影には、鉄道やバスの撮影にはない魅力があり、離着陸の瞬間も撮影することも出来ます。

飛行機の撮影も、鉄道やバス等の撮影と同様にマナーを守ってもらいたいです。

JR東日本では、本日(7月21日)から、JR渋谷駅の新南口が、渋谷サクラステージ、渋谷ストリーム側に移設され、山手線からの利用も出来るようになっています。 

これまでの新南口改札は、昨日(7月20日)をもって閉鎖されることになったけど、その前にあるJR東日本ホテルメッツ渋谷からは少し遠くなってしまいました。

255系(房総ビューエクスプレス)のBe-01編成は、17日に、疎開先の京葉車両センターから郡山総合車両センターまで、EF81型電気機関車の141号機による牽引での配給輸送(廃車回送)が行われていました。

6月4日には、Be-05編成が、秋田総合車両センターまで配給輸送されていたので、255系の廃車は2本目となったのであります。

Be-01編成は、3月5日に自分(しゃもじ)が、東京かは千葉まで乗った編成でもありました。

阪急電鉄では、本日、京都本線の新2300系がデビューし、座席指定サービスであるPRiVACE(プライベース)のサービスが開始されていました。

JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、4月17日から、羽田〜ダラス・フォートワース線にエアバスA350-1000型機が就航していました。

こちらは、7月1日から羽田〜ニューヨーク(JFK)線が2往復共にエアバスA350-1000型機となったことにより、8月2日まで全てボーイング777-300ER型機に戻されています。

8月3日からは、再び隔日運航(偶数日の羽田発はボーイング777-300ER型機による運航)となり、8月29日から、全てエアバスA350-1000型機での運航となります。

ダラス・フォートワース国際空港は、アメリカン航空✈️🇺🇲との乗り継ぎにより、ネットワークが強化されています。

6月28日(日本(羽田)発6月29日)は、アメリカン航空が、羽田〜ニューヨーク線に参入(10年ぶりに再開)していました。

機種はボーイング777-200ER型機が使われています。

ボーイング777-200型機は、JALでER型を含めて全廃となったけど、ANAでは、非ER型を含めてボーイング787-10型機に順次置き換えられる予定となっています。

このことは、JR東海でN700系からN700Sへの置き換えが、JR西日本よりも早いペースで行われていることと似ているところがあります。

ANA(全日本空輸)✈️💙では、3月27日、ボーイング787-10型機のJA981A号機が、羽田〜札幌(新千歳)間を皮切りに、国内線にも就航していました。

6月23日は、蒲田駅から京浜急行バスによる急行便で羽田空港まで行き、そのうちのJA984A号機を撮影することが出来ました。

詳細は、ANAのホームページを見るか、「ANA ボーイング787-10」で検索。

たまプリは、初期で活躍していた千ちゃんと、新メンバーである佐倉美桜、双六さつき、神田藍里、神楽ひまわり各氏を加えた新体制となり、5月18日にお披露目されていました。

5月19日は、池袋SOUNDPEACE(サウンドピース)で行われた、「 無銭大好きマン」で、 新生たまプリを見てきました。

この時にお気に入りの釣りの歌やおすしの歌を聴くことが出来て良かったです。

6月1日は、土曜出勤により、たまプリのオフ会に行かれなかったのが残念でありました。

このことで、メンバーに寂しがられていたけど、双六さつき氏🧡は、しゃもじサンいなかったからすんごく寂しかったと言っていました。

6月29日のたまプリのカフェイベントにも行かれなかったのが残念でした。

自分(しゃもじ、しゃもぽん)から見た たまプリを ANAこと全日本空輸の飛行機✈️💙に例えているので、たまプリのオフ会やカフェイベントにしゃもじ(しゃもぽん)が行っていたら、ANAのエアバスA380 型機のフライングホヌによる成田~ホノルル(ハワイ)線✈️🐢🏝️に例えていたところでした。

自分(しゃもじ)から見たたまプリを、ANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙に例えているのは、1推しである、あいりんこと神田藍里氏💙のメンバーカラーだからでもあります。

15日は、大塚ドリームシアターで行われた、あーにゃと伊藤蒼姫氏😸が出てきたライブで、ステーション♪の歌が歌われていたけど、土曜出勤により行かれなかったのが残念でした。

6月30日は、渋谷のシダックスカルチャーホールでさゆまゆ姉妹の公演に行くことが出来ました。

自分(しゃもじ)がさゆまゆ姉妹を見たのは、3月24日の上野以来でありました。

7月7日は、五反田にあるGOTANDA G7で、暁みゆ、兎丹らむね両氏による2人組アイドルグループである、おさんぽ娘と、ゆめとあいりをを見ることに成功しました。

暁みゆ氏は、かつてNゼロで活躍していたメンバーであります。

ゆめとあいりは、元きみよりのゆめちゃんと、あいりちゃんによる2人組であり、あいりちゃんを初めて生で見たことになりました。

詳細は、「おさんぽ娘」、「ゆめとあいり」で検索。

5月12日は、内幸町ホールに行き、元ぶどう党の天野ひかり氏と再会しました。

この時に、むぎさり(ビーバイユーの永久つむぎ、満月咲莉華両氏によるユニット)と初対面することも出来ました。

詳細は、「天野ひかり」、「ビーバイユー」、「むぎさり」で検索。

14日は、高田馬場BSホールで、天野ひかり氏と、むぎさりを見てきたけど、一緒に照の湯などの銭湯に行った友人と再会することが出来ました。

3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。

たまプリの、あいりんこと神田藍里氏💙は、7月8日から31日まで、学業専念により活動休止となってしまうので、頑張ってもらいたいと思っています。

休止期間中は、双六さつき氏🧡が1推し代理となります。

7月7日は、たまプリのメンバーに会えなかったのが残念でした。

7月6日の記事を、あいりんこと神田藍里氏💙の大好きなもころん号にしたのは、その為でありました。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

京成線や京成スカイライナーの路線、時刻、運賃、料金、運行状況、ライナー券の予約等の詳細は、京成電鉄のホームページを見るか、「京成線」、「京成スカイライナー」で検索願います。

スカイライナーの各種ラッピング電車や3400形などを撮影する時にはマナーを守ってもらいたいです。

今宵はここまでに致しとうござりまする。




























7月9日は、自由が丘から自由が丘まで、東京地下鉄(東京メトロ)10000系の10130F(70編成)による、飯能行き🚃🚇️に乗りました。

この時に乗った列車🚃🚇️は、平日87S運用の後半のうちの、横浜高速鉄道みなとみらい線の元町・中華街駅(神奈川県横浜市中区)を17時25分に発車する飯能行き(みなとみらい線、東急東横線は通勤特急、東京メトロ副都心線は急行、西武線は快速)で、途中、日本大通り、馬車道、みなとみらい、横浜、菊名、日吉、武蔵小杉、自由が丘、中目黒、渋谷、明治神宮前〈原宿〉、新宿三丁目、池袋(副都心線)、小竹向原、新桜台、練馬、石神井公園、ひばりヶ丘、東久留米、清瀬、秋津、所沢、西所沢、小手指、狭山ヶ丘、武蔵藤沢、稲荷山公園、入間市、仏子、元加治の各駅に停車してから飯能駅(埼玉県飯能市)へと向かう列車であり、所沢駅で、西武線の池袋駅から来た特急ラビューちちぶ33号の西武秩父行き(西武鉄道の001系ラビュー(Laview)による運転、特急券が別途必要)に接続し、小手指駅で、有楽町線の豊洲駅から来たS-TRAIN101号(西武鉄道40000系のライナー仕様車による運転、豊洲、有楽町、飯田橋の各駅から乗車分の座席指定券が別途必要)から接続することになっています。

その後に小手指駅まで回送され、小手指 19時53分発の有楽町線直通列車(西武線は準急運転、石神井公園→練馬間のみノンストップ)で新木場駅へと向かうことになります。

その前の運用は、小手指 15時54分発のFライナー元町・中華街行きで、西武線は快速急行(途中、所沢、ひばりヶ丘、石神井公園、練馬の各駅に停車)、東京メトロ副都心線は急行、東急東横線、みなとみらい線は特急(東横特急)となります。

この日は、多摩川駅から自由が丘駅まで乗った列車は、東急電鉄5050系の5178F(5050系と2020系のハイブリッド編成)による保谷行き(平日08K運用)で移動していました。

東急東横線の特急(東横特急)は、通勤特急(平日の朝と夕夜間のみ運転)と同様に特急料金が不要であります。

西武鉄道の6000系や40000系固定式ロングシート仕様車が東急東横線、みなとみらい線の特急(東横特急)に入った場合には、西武線の特急ラビュー(Laview)とは違って特急料金を取られることはないです。

Fライナーは、西武池袋線または東武東上線から東京メトロ副都心線、東急東横線経由で横浜高速鉄道みなとみらい線の元町・中華街駅まで直通する(或いはその逆)の列車のうち、西武池袋線または東武東上線で快速急行、東京メトロ副都心線で急行、東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線で特急(東横特急)となる日中の速達列車に使われている愛称であり、Fは、速達性の「Fast」、相互直通運転が行われている5社の「Five」、副都心の「Fukutoshin」が由来となっています。

ライナーが付く列車では、東武東上線のTJライナーなどの有料ライナーのイメージが強いけど、Fライナーの場合は料金不要であります。

都営交通の一部である日暮里・舎人ライナー(日暮里〜見沼代親水公園間)も、料金を取られないライナー列車となっています。

東急東横線の通勤特急(平日朝と夕夜間のみ運転)は、特急(東横特急)の停車駅に、日吉、馬車道、日本大通りの各駅を加えたものであり、2003(平成15)年3月19日の運行開始当時は、渋谷〜桜木町間の運転で、当時の東横特急の停車駅に日吉駅だけを加えたものでありました。

東横特急が中目黒駅に停車するようになったのは、2003年3月19日のことであり、日比谷線との乗り換え対策だけでなく、目黒区役所が中目黒駅付近にある目黒区総合庁舎に移転したこともあります。

2001(平成13)年3月28日に東横特急が登場した当時は渋谷〜自由が丘間ノンストップとなっていました。

土休日のS-TRAIN(元町・中華街〜飯能、西武秩父間、元町・中華街→所沢間)は、渋谷〜自由が丘間ノンストップ扱いとなっているけど、中目黒駅に運転停車しています。

7月13日は、池袋(西武線)から練馬まで、西武鉄道6000系の6107Fによる準急飯能行きで移動した後、練馬から石神井公園まで東京メトロ10000系(有楽町線、副都心線の主力車両)の10104F(44編成)による、元町・中華街駅から来た快速急行(Fライナー)小手指行き(土休日73S運用)、石神井公園から清瀬まで、東京メトロ10000系の10128F(68編成)による、有楽町線の新木場駅から来た各駅停車の小手指行き(土休日25S運用)で清瀬まで行きました。

当初は6107Fで清瀬駅まで行く予定だったけど、練馬、石神井公園乗り継ぎのほうが先着することが判明していたので、6107Fの乗車を練馬駅までにしたのであります。

東京メトロ有楽町線の路線

(東武東上線、森林公園駅まで直通運転)←和光市~地下鉄成増~地下鉄赤塚~平和台~氷川台~小竹向原~千川~要町~池袋~東池袋~護国寺~江戸川橋~飯田橋~市ケ谷~麹町~永田町~桜田門~有楽町~銀座一丁目~新富町~月島~豊洲~辰巳~新木場

東京メトロ副都心線の路線

(東武東上線、森林公園駅(土休日朝は小川町駅)まで直通運転)←和光市~地下鉄成増~地下鉄赤塚~平和台~氷川台~小竹向原~千川~要町~池袋~雑司が谷~西早稲田~東新宿~新宿三丁目~北参道~明治神宮前〈原宿〉~渋谷→(東急東横線経由、横浜高速鉄道みなとみらい線の元町・中華街駅まで直通運転)

副都心線の急行の停車駅

和光市~小竹向原~池袋~新宿三丁目~明治神宮前〈原宿〉~渋谷

通勤急行(平日の朝と夕夜間のみ運転)の停車駅

和光市~地下鉄成増~地下鉄赤塚~平和台~氷川台~小竹向原~池袋~新宿三丁目~明治神宮前〈原宿〉~渋谷

西武線直通列車は、有楽町線、副都心線共に小竹向原駅から分岐しています。

地上にある駅は、和光市、新木場の両駅であり、和光市駅は、東武鉄道による管理となっています。

車両基地は、和光市(和光検車区)と新木場(和光検車区新木場分室)であり、全般検査や重要部検査は、南北線の9000系と同様に、千代田線の綾瀬工場(東京都足立区)で行われることになっているので、桜田門~霞ケ関間の連絡線路(単線のミステリートンネル)を通って行くことになります。

麹町駅と銀座一丁目駅は、上下二層式の地下駅(どちらも1番線(新木場方面)が上、2番線(池袋、和光市方面)が下)で、右側のドアが開くことになっているので、都営大江戸線の六本木駅(都営地下鉄並びに日本の地下鉄で最も深い場所にある駅)に似ているところがあります。

副都心線の東新宿駅も上下二層式の地下駅であり、1,2番線(新宿三丁目、渋谷方面)が上、3,4番線(池袋、和光市方面)が下となっているので、有楽町線の麹町、銀座一丁目の両駅との共通点があります。

銀座一丁目駅の1番線の新木場寄りには、トイレ🚻に至る階段があるけど、そこを上れば改札内トイレ🚻の前に出られるだけであり、そこから改札口に抜けることも出来ます。

銀座一丁目駅のトイレ🚻は、改札外にもあり、こちらは、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽も併設されています。

こちらのトイレ🚻の個室は、東京メトロ全駅のトイレ洋式化🚽の一環により、全て洋式🚽となっています。

西武鉄道の40000系ライナー仕様車によるS-TRAIN(全席指定)🚃💺は、平日が有楽町線直通(朝は所沢→豊洲、夕夜間は豊洲→小手指間)、土休日が副都心線、東急東横線・みなとみらい線直通(元町・中華街~飯能、西武秩父間、元町・中華街→所沢間)で運転されており、東京メトロの駅での途中停車駅は、平日が有楽町、飯田橋の両駅(小手指行きは乗車、豊洲行きは降車)、土休日が新宿三丁目、池袋(両方向共に降車専用扱い)であり、東京メトロ線だけでの乗車が出来ないようになっています。

乗換駅🚇️🔃🚃

和光市 東武東上線(川越市、森林公園、小川町方面へ直通運転)

小竹向原 有楽町線⇔副都心線、西武有楽町線(練馬、小手指、飯能方面へ直通運転)

池袋 有楽町線⇔副都心線、丸ノ内線、JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線、東海道線⇔高崎線))、東武東上線、西武池袋線

東池袋 都電荒川線(東京さくらトラム、東池袋四丁目停留場)

飯田橋 東西線、南北線、都営大江戸線、JR中央・総武緩行線

市ケ谷 南北線、JR中央・総武緩行線、都営新宿線(市ヶ谷駅)

永田町 半蔵門線、南北線、銀座線・丸ノ内線(赤坂見附駅)

有楽町 JR(山手線、京浜東北線(日中は快速運転の為通過))、日比谷線・千代田線・都営三田線(日比谷駅)

銀座一丁目 銀座線・丸ノ内線・日比谷線(銀座駅、地上連絡)

新富町 日比谷線(築地駅、地上連絡)

月島 都営大江戸線

豊洲 新交通ゆりかもめ

新木場 JR京葉線、東京臨海高速鉄道りんかい線

雑司が谷 都電荒川線(東京さくらトラム、鬼子母神前停留場)

東新宿 都営大江戸線

新宿三丁目 丸ノ内線、都営新宿線

明治神宮前〈原宿〉 千代田線、JR山手線(原宿駅)

渋谷 銀座線、半蔵門線、東急東横線(横浜経由、元町・中華街方面または、新横浜、相鉄線方面へ直通運転)、東急田園都市線、JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線、東海道線⇔高崎線)、相鉄・JR直通線)、京王井の頭線

2018(平成30)年3月17日には新富町駅が日比谷線の築地駅、2020(令和2)年6月6日には、銀座一丁目駅が銀座線・丸ノ内線・日比谷線の銀座駅との乗り換え駅として認定されるようになったけど、どちらも一旦地上に出てからの乗り換えとなります。

有楽町線、副都心線の女性専用車両(女性専用車)🚃🚺️は、平日の朝(始発から9時30分までの間)に設定されており、有楽町線は新木場方面の最後部(1号車)、副都心線は渋谷方面(和光市→小竹向原→渋谷間)の最後部、池袋、和光市方面(渋谷→新宿三丁目→池袋間)の最前部(どちらも1号車)であり、和光市方面の池袋駅到着または9時30分をもって一斉に終了することになります。

東横線、みなとみらい線、東急新横浜線の場合は、平日朝の9時30分までの全列車の1号車(横浜、元町・中華街、新横浜方向が最後部、渋谷方向が最前部)が女性専用車両🚃🚺️となっています。

東武東上線や西武池袋線からの地下鉄直通の列車にももちろん平日の朝に女性専用車両(最後部の1号車)🚃🚺️が設定されており、どちらも9時30分までに小竹向原駅に到着する列車が対象であります。

東武東上線と西武池袋線の各駅停車では、地下鉄直通列車のみ女性専用車🚃🚺️が設定されているけど、地下鉄に直通しない池袋行きの各駅停車の場合は、女性専用車が設定されていないです。

このことは、小田急線の平日朝の上りの各駅停車で、千代田線直通列車に女性専用車🚃🚺️(こちらも最後部となっている)があり、新宿行きの各駅停車にないことと同様であります。

副都心線の場合は、8両編成と10両編成の停止位置がずれているけど、女性専用車両の乗車位置に当たる駅(氷川台、小竹向原、池袋(副都心線)、雑司が谷、東新宿、新宿三丁目、北参道、明治神宮前の各駅)の場合は、10両編成がステッカーと同じピンク色、8両編成が緑色の案内表示となっています。

2008(平成20)年6月14日から2010(平成20)年3月5日までの間は、有楽町線で準急が運転されていたけど、和光市〜池袋間で小竹向原駅のみ停車し、池袋〜新木場間で各駅に停車していました。

こちらは、和光市〜池袋間で副都心線の急行と被ることで評判が悪かったので、2008年11月29日に減便され、2010年3月5日をもって廃止されたのであります。

東京メトロ所有の有楽町線、副都心線の車両は、10両編成(10000系または17000系の17101~17106F)と8両編成(17000系の17181~17195F)があり、10両編成は、有楽町線と副都心線の両方に、8両編成は、一昨年(2022(令和4)年)4月まで活躍していた7000系の8両編成と同様に、副都心線専用として使われています。

東京メトロ10000系は、2006(平成18)年9月1日に有楽町線でデビューした、東京メトロ初のオリジナル車両(10000系シリーズの第一号)であり、2006年から2010(平成22)年までの間に36本360両が日立製作所笠戸事業所(HITACHI)で製造され、2008(平成20)年6月14日の副都心線(池袋~渋谷間)の開業に伴う増発用に加え、有楽町線と副都心線のホームドアに対応しなかった07系や、副都心線乗り入れ改造の対象から外された7000系の一部の置き換え用としても導入されていました。

編成番号は、41から始まることになっているのが特徴であり、41編成は、10101Fのことであります。

こちらは、2014(平成26)年まで、千代田線北綾瀬支線で活躍していた5000系(元東西線の車両)以来の中央に貫通ドアが配置された前面スタイルに、丸ノ内線で活躍していた300形(そのうちの301号車は葛西にある地下鉄博物館で展示されている)がイメージされた鍵穴タイプのヘッドライトが採用されていることが特徴であり、銀座線や丸ノ内線の旧型車両で使われていたトロンボーン笛(ホイッスル)の警笛の復活などで話題になっていました。

側面の帯の色は、副都心線の茶色と有楽町線の黄色が組み合わされたものであり、2006年に導入された初期型は、前面にも黄帯が入っています。

東西線の5000系は、2007(平成19)年3月まで活躍していたけど、最後まで残されていた4編成の置き換えは、05N系の13次車(東葉高速鉄道2000系と同形)によって行われる予定となっていました。

有楽町線で活躍していた07系が副都心線と有楽町線のホームドアに対応しないことが判明した為に、10000系の導入によって捻出された07系の4編成(07-103~106F)が東西線に回され、5000系が置き換えられていたのであります。

10000系の導入が前倒しで行われていたのはその為でありました。

07系の2編成(07-101,102F)のほうは、2007年10月まで有楽町線での活躍が継続されていたけど、小竹向原駅の全ホームへのホームドアの導入により有楽町線から追われ、後に東西線に輸送力増強用として転用されていたのであります。

その姉妹車であった千代田線の06系のほうは、ホームドアに対応しないことに加え、たった1編成しかなかったことで特殊性があったことにより、2015(平成27)年の16000系の16117Fの導入により、東西線に転用されることもなく廃車となってしまったので、明暗が分かれていました。

東京メトロ東西線の駅に導入されているホームドアは、07系はもちろんのこと、ワイドドア車両(05系の114~117Fと15000系)にも対応しています。

10000系の10101~10105Fは、6号車と7号車のユニットを抜いた8両編成としても使える編成であるので、2013(平成25)年3月16日に地下鉄副都心線との直通運転が開始される前に8両編成の状態で東急電鉄に貸し出された上で使われ、東横線の渋谷地上駅に乗り入れていたこともありました。

当時は市ケ谷駅から南北線、東急目黒線経由で元住吉まで送り込まれていました。

7000系の8両編成の一部も、東急電鉄に貸し出された上で渋谷駅地上ホームに乗り入れていたことがありました。

10000系の行先表示を撮影した時に切れたように見えることがあるので、新木場の表示が木場、和光市の表示が光市のように映ってしまいます。

木場駅は、東京メトロ東西線の駅であるけど、木場行きは存在しないです。

07系は、有楽町線から東西線に移った車両であるので、以前(ビフォー)は新木場駅、現在(アフター)は木場駅を通っています。

木場の由来は、以前貯木場(材木置き場)があったことであり、新木場は、埋め立て地への移転により出来たものであります。

光市のほうは、山口県の東南部にある市であり、10000系の製造元である日立製作所笠戸事業所(HITACHI)のある山口県下松市と隣り合っています。

下松駅の隣にある光駅は、光市の中心にある駅で、下松から東へと向かう甲種輸送の時に最初に通過する駅でもあります。

和光市は、これまでの大和町の和に、希望の光を組み合わせた市名であり、山口県の光市と同様に光が由来となっています。

東京メトロ10000系の行先表示は、2006年と2007年に製造された初期型(10101~10120F)のみゴシック体表示のフルカラーLEDに変更されたけど、2008年以降に製造された後期型(10121~10136F)のほうは、明朝体表示の3色LED(旧式表示)のままとなっています。

10121F以降の編成も、ゴシック体表示のフルカラーLED表示に変更される可能性があるので、見掛けたら撮影するようにしています。

今回撮影した10130Fは、2009(平成21)年9月に日立製作所笠戸事業所(HITACHI)で製造された後期型編成であり、副都心線直通改造の対象から外された7000系の置き換え用として導入されていました。

2007年3月に導入された10105Fは、10000系(前面の茶帯だけの編成)で唯一、8両編成への組み換えにも対応しています。

当初の計画では、2007年度までに10両編成20本200両導入される予定となっていたけど、副都心線乗り入れ工事の対象から外された7000系未更新車の置き換えにより、10000系が16本追加導入されていたのであります。

10130Fを含めた追加導入車が、明朝体表示の3色LED表示の編成となったのであります。

東京メトロ10000系は、2007年度のブルーリボン賞やローレル賞は受賞出来なかったけど、グッドデザイン賞に選ばれています。

17000系は、半蔵門線用の姉妹車である18000系と共に、ローレル賞とグッドデザイン賞の両方に選ばれています。

東京メトロ有楽町線、副都心線、東急東横線、みなとみらい線、東武東上線、西武有楽町線がATC区間なので、東京メトロ10000系や17000系が地上の信号機🚦に従って走る区間が西武池袋線(練馬~飯能間)だけとなっています。

東京メトロ有楽町線、副都心線のメトロ車10両編成は、10000系が36本、17000系が6本と、17000系のほうが少数派で、有楽町線では珍しい車両となっています。

17000系の8両編成(副都心線専用)は、15本あります。

このことを、JAL(日本航空)✈️🇯🇵のボーイング787型機で、国内線仕様機が787-8型の4機しかない少数派で、他の787-8型機や787-9型機が全て国際線用であることに例えたくなります。

副都心線のワンマン運転は、2008年6月14日の小竹向原〜渋谷間(池袋〜渋谷間は新規開業)を皮切りに行われており、2015(平成27)年3月28日に和光市〜小竹向原間、一昨年(2022年)8月6日に有楽町線の小竹向原〜新木場間もワンマン化されています。

昨年3月18日に東急東横線とみなとみらい線がワンマン化されたことにより、東京メトロ10000系や17000系でのツーマン運転区間(車掌さんも乗務)が、西武線(小竹向原〜練馬〜飯能間)と東武東上線(和光市〜川越市〜森林公園〜小川町間)となっています。

小竹向原駅で、西武鉄道の車掌さんが乗り降りするシーンが見られるのはその為であり、和光市駅での東武鉄道の車掌さんにも言えることであります。

渋谷、小竹向原、和光市の各駅では、従来通り運転士さんの交代シーンが見られています。

自由が丘駅は、東急東横線との乗換駅であり、大井町線が1階(2面2線の相対式ホーム)、東横線が2階(待避可能な2面4線)となっています。

自由が丘駅の改札口は、正面改札、北口改札、南口改札があり、正面改札と南改札は、2番ホーム(上り、大井町方面)側、南改札は、1番ホーム(下り、二子玉川、溝の口、中央林間方面)側となっており、跨線橋による連絡が行われています。

改札内のトイレ🚻は、大井町線ホーム側の2ヵ所であり、全て洋式トイレ🚻🚽となっています。

土休日に西武鉄道の40000系ライナー仕様車で運転されているS-TRAIN(元町・中華街~飯能、西武秩父間、元町・中華街→所沢間)は、自由が丘駅にも停車することになっており、西武秩父駅発着の1号と4号の1往復(秩父S-TRAIN)では、自由が丘駅から西武秩父駅まで乗り換えなしで行くことが出来ます。

昨年3月18日からは、西武秩父行きのS-TRAIN1号の時刻が約50分繰り下げられたことにより利用しやすくなっています。

S-TRAIN1号の自由が丘発の時刻は、8時17分であります。

名古屋市千種区にある、名古屋市営地下鉄名城線の自由ヶ丘駅は、1966年1月に改称される前の自由ヶ丘→自由が丘駅と同様に、自由ヶ丘と、小さいヶの表示が使われています。

自由が丘駅付近にある自由ヶ丘学園高等学校🏫は、自由ヶ丘→自由が丘の地名及び駅名の由来となった学校であり、昨年4月からは、男子校から男女共学となっています。

自由が丘の自由は、自由教育主義が由来となっています。

校名は、自由ヶ丘学園と小さいヶとなっているので、履歴書を書く時に注意が必要⚠️であります。

産業能率大学(産能大)の自由が丘キャンパス(自由が丘産能短期大学も併設されている)は、自由が丘駅から徒歩12分の場所にあり、正面口から東急コーチバス(等々力七丁目下車)🚌で行くことも出来ます。

自由が丘駅付近では、使用済みの天ぷら油からリサイクルされたバイオ燃料で走るサンクスネイチャーバス🚐が、八雲ルート、駒沢公園ルート、自由が丘駅~産業能率大学間の送迎バス(いずれも無料)で運転されています。

八雲ルートは正面口、駒沢公園ルートは南口から出ており、どちらも水曜日に運休となっています。

2019年8月18日には、友人と一緒にサンクスネイチャーバス🚐に乗ることが出来て良かったと思っています。

サンクスネイチャーバスの運行ルート、時刻等の詳細は、「サンクスネイチャーバス」で検索。

東急東横線の祐天寺駅付近にあるカレーステーション「ナイアガラ」は、外装や内装が鉄道気分満点である(鉄道ムードが漂っている)カレー店🍛で、カレーの辛さが、鈍行(甘口)、急行(中辛)、特急(辛口)、超特急(激辛)に分かれており、鈍行(甘口)の場合は、1歳の乳児からのお子様でも安心な味わいとなっていると言われています。

こちらの名物は、模型汽車🚂がカレー🍛を運んでくれるシーンであり、見ているだけで嬉しくなってきます。

蒸気機関車🚂の模型が動くシーンは、自分(しゃもじ)の好きなシーンであります。

ナイアガラのカレー🍛は、昭和の製法が生かされており、辛くナイアガラと言いたくなるほど、比較的辛くないと言われているので、お子様連れでもおすすめであります。

記念に硬券切符を貰えることも嬉しいサービスであります。

周辺に、C57型蒸気機関車🚂の117号機の動輪が展示されているので、見逃せないポイントとなっています。

開店したのは、1963(昭和38)年のことであり、昨年60周年を迎えていました。

鉄道ファンなら是非立ち寄りたいカレーショップであり、行ったことがナイアガラ(ない)という人たちも行きたくなるに違いないと思います。

こちらは毎週月曜日が休業日(運休)となっています。

ナイアガラの通常のカレー🍛は800円であるけど、超特急(激辛)の場合は300円の追加料金込みで110円となるので、よく考えてから注文することをおすすめ致します。

こちらも、お子様連れに優しいメニューのある店となっています。

詳細は、「カレーステーションナイアガラ」、「祐天寺 ナイアガラ」で検索。

副都心線の新宿三丁目駅は、明治通り(伊勢丹新宿店前)の地下にある1面2線の島式ホームの駅であり、地下3階部分に位置しています。

1915(大正4)年5月30日に京王線が笹塚から新宿追分まで延長され、新宿進出した当時の新宿追分駅は、伊勢丹新宿店の前の路上(現在副都心線の新宿三丁目駅のある場所の真上)にありました。

1927(昭和2)年に京王新宿ビルディングの1階に移転されてからは、5面3線の駅となり、駅を出た後に併用区間に入っていました。

1945(昭和20)年7月24日に京王線の新宿駅が西口に移転された後も、このような風景が見られていたけど、1963(昭和38)年4月1日に地下化されたことにより、路面電車由来の列車から通勤型車両が行き交う路線に変わっていたのであります。

京王線の駅が移転された後の京王新宿ビルディングは、京王帝都電鉄(現、京王電鉄)の本社や映画館が入るようになり、1988(昭和63)年3月に京王の本社が聖蹟桜ヶ丘に移転された後に改築され、京王新宿追分ビルとなっています。

新宿駅南口への連絡通路があるので、NEWoMan(ニュウマン)新宿やバスタ新宿(新宿高速バスターミナル)🚌へも近いです。

丸ノ内線との乗り換えは、改札内通路で行われているけど、現在は改札外での乗り換えも可能となっています。

この場合は、1時間以内に次の改札を通過しないと新たな初乗り運賃を取られるので、注意が必要⚠️であります。

副都心線の新宿三丁目駅の南側は、タカシマヤタイムズスクエア(髙島屋新宿店)の地下と直結しているので、雨の日☔のショッピングにも便利であります。

タカシマヤタイムズスクエアは、1996(平成8)年10月4日に、新宿貨物駅跡の再開発地区にオープンした、高島屋新宿店やハンズ(HANDS)新宿店などが入った複合商業施設であり、南館には、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA、Books Kinokuniya Tokyo(洋書専門店)、ニトリ(NITORI)の新宿タカシマヤタイムズスクエア店が入っているけど、かつて和書売り場もありました。

地下1階の食料品売り場(デパ地下)は、グルメスクエアと呼ばれており、紀ノ国屋(KINOKUNIYA)の新宿髙島屋店が入っています。

紀ノ国屋(KINOKUNIYA)は、JR東日本グループの高級スーパーマーケットチェーンであり、インターナショナル青山店(表参道駅付近)が本店となっています。

詳細は、「タカシマヤタイムズスクエア」、「ハンズ新宿店」、「紀伊國屋サザンシアター」、「ニトリ」、「紀ノ国屋」で検索。

伊勢丹新宿店は、1933(昭和8)年9月28日に開店した老舗デパートであり、1886(明治19)年11月5日から1933年9月まで神田にあった伊勢屋丹治呉服店がルーツとなっています。

このことは、三越(MITSUKOSHI)の前身が越後屋呉服店となっていることと同様であり、2011(平成23)年4月1日に三越と伊勢丹が合併され、三越伊勢丹となったことで一つの会社となっています。

新宿三越は、2012年3月31日に閉店されていたけど、末期はアルコット館となっていました。

こちらの閉店後、ビックカメラ(BIC CAMERA)とユニクロ(UNIQLO)のコラボ店舗であった、ビックロとなったけど、現在は、ビックカメラ新宿東口店(GUも入っている)となります。

新宿のビックカメラは、新宿東口店、新宿東口駅前店、新宿西口店(新宿西口ハルク内)から成っているけど、新宿西口店に関しては、昨年10月2日の小田急百貨店の本館閉店後も営業が継続されることになります。

詳細は、「伊勢丹」、「伊勢丹新宿店」、「三越伊勢丹」、「ビックカメラ新宿東口店」で検索。

都営新宿線の新宿三丁目駅は、副都心線とは違って、急行列車が停車しないので注意が必要⚠️であります。

小竹向原駅は、その名の通り、練馬区小竹と、板橋区向原に跨がるジャンクション駅であり、駅長事務室が練馬区側にあるので、練馬区にある駅と扱われています。

乗り場は2面4線であり、1番線が和光市、東武東上線方面からの有楽町線(有楽町、新木場方面)または副都心線、東急東横線・みなとみらい線直通列車(新宿三丁目、渋谷、横浜、元町・中華街方面)、2番線が西武線からの有楽町線または副都心線、東急東横線・みなとみらい線直通列車、3番線が西武線(練馬、所沢、飯能方面)の列車、4番線が有楽町線、副都心線の和光市、東武東上線直通(川越市、森林公園方面)からなっているけど、3番線発着の和光市方面の列車もあるので注意が必要⚠️であります。

西武線直通列車は、配線の関係により内側の2,3番線に限定されているので、相模鉄道(相鉄)の二俣川駅で、相鉄本線が外側の1,4番線、相鉄いずみ野線直通列車が内側の2,3番線での発着となっていることに似ているところがあります。

小竹向原駅は、要町通り、練馬区立小竹小学校🏫の直下にある駅であるので、建設工事の時に校庭の一部が使われていました。

2,3番線の駅名標の下に小竹小学校前の表示があるのは、このことの見返りであります。

小竹向原駅の改札と出入口は、和光市、練馬寄り(小竹町、羽沢、小茂根方面)と池袋、新木場、渋谷寄り(小竹町、向原方面)に分かれているので、環七通り、武蔵野音楽大学の江古田キャンパス🏫、東京武蔵野病院🏥に行く時には、和光市寄りの改札を、筑波大学附属桐が丘特別支援学校(肢体不自由者特別支援学校)🏫♿、心身障害児総合医療療育センター♿🏥に行く時には池袋寄りの改札口を使うことになります。

小竹向原駅を含めたエスカレーターとエレベーターのある駅は、バリアフリー駅の証であるけど、車椅子♿の場合は、エレベーターのほうが適していると言われています。

車椅子♿で利用しやすい駅の条件は、段差がない(スロープとなっている)こと、エレベーター、車椅子用リフト♿、車椅子対応の幅広トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽があることが挙げられています。

武蔵野音楽大学のある東京都練馬区羽沢は、神奈川県横浜市神奈川区にある相模鉄道(相鉄)の相鉄・JR直通線の羽沢横浜国大駅や隣接する横浜羽沢貨物駅と同様に、はざわと読みます。

板橋区は、1932(昭和7)年10月1日に、東京府(東京都の前身)の北豊島郡板橋町、上板橋村、志村、赤塚村、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村の東京市への編入合併により出来た区であり、1947(昭和22)年8月1日に、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村だった部分が練馬区として分区され、小竹町と江古田町(現、旭丘)が練馬区に編入されていました。

練馬区の小竹と旭丘を除いた地域が板橋区の一部だったことは、板橋、練馬の両区の歴史に詳しい人でないと分からない状態であります。

東の鉄道系YouTuberであるスーツ氏👔の出身地である板橋区高島平は、赤塚、成増エリアと同様に、赤塚村だった場所であります。

スーツ氏👔の飛行機搭乗動画✈️では、着陸前に見える風景が紹介されており、上空から見た列車などのチェックが行われているけど、高島平上空を飛行するシーンも紹介されていました。

高島平の由来は、高島秋帆公によって本陣が置かれていたことであり、昔は徳丸ヶ原と呼ばれていたのであります。

西武の乗り入れ運用には、走行キロ数の調整により、和光市駅に乗り入れる運用もあるので、40000系のオールロングシート編成の地下鉄乗り入れ進出により、和光市乗り入れも見られるようになっています。

和光市駅が東武東上線の駅として開業したのは、1934(昭和9)年2月1日のことであり、当初新座郡新倉村にあったことから、ひらがなの「にいくら」駅と呼ばれていました。

同年7月12日には、にいくら駅から新倉駅となり、1951(昭和26)年10月1日には、大和町(やまとまち)駅に変わっていました。

北足立郡大和町は、1943(昭和18)年4月1日に、白子村との合併により出来た和光市の前身であり、1970(昭和45)年10月31日には、市制施行により、現在の和光市となっています。

大和町駅から和光市駅となったのは、1970年12月20日のことであります。

和光市の由来は、大いなる和を表す大和の和に、栄光の光が組み合わされたものであり、大和町からの門出に相応しいと思っています。

地下鉄乗り入れ前の和光市駅は、1面2線の島式ホームで、現在の上りホーム部分に上下線のプラットホーム、下りホームの部分に駅舎がありました。

当時の東武東上線の急行列車は、和光市駅通過だったけど、有楽町線乗り入れ開始と共に停車するようになっています。

現在の和光市駅は、2面4線であり、外側に池袋発着の東武東上線の列車、内側に地下鉄有楽町線、副都心線の列車が発着しています。

3月18日からは、相模鉄道(相鉄)の20000系も乗り入れるようになったことで賑やかになっています。

中目黒駅では、外側に東急東横線、地下鉄副都心線直通列車、内側に日比谷線が入っているので、副都心線直通列車は、和光市駅で内側、中目黒駅で外側に入ることになっています。

東京メトロの和光検車区は、和光市延長と共に出来た車両基地であり、米軍新倉倉庫の跡地に掛かっています。

開設当初は、210両収容の車両基地となっていたけど、副都心線が延長されたと共に拡張されて、350両収容となっています。

和光市駅南口の駅ビルである、EQUiA PREMIE(エキア プレミエ)和光は、2020(令和2)年3月26日に開業した駅ビルであり、和光市東武ホテル🏨も併設されています。

詳細は、「エキアプレミエ和光」、「和光市東武ホテル」で検索。

和光市~志木間の複々線区間は、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の北千住~北越谷間と同様に、外側が急行線、内側が緩行線となっているけど、こちらは、東京メトロや東急電鉄の車両を含めた通勤型車両しか走らない区間となっています。

地下鉄副都心線、東急東横線、みなとみらい線直通の急行(Fライナーを含む)、快速急行は、内側の緩行線を通るので、小田急線の代々木上原~登戸間で、千代田線直通の準急、通勤特急、急行が緩行線を通ることに似ているところがあります。

70090型による地下鉄日比谷線直通のTHライナーの場合は、北千住~西新井間で緩行線を通り、梅島~西新井間で転線することになっています。

新木場駅は、東京メトロ有楽町線、JR京葉線、東京臨海高速鉄道りんかい線が乗り入れる、東京湾岸のジャンクション駅であり、2階に東京メトロ有楽町線、東京臨海高速鉄道りんかい線のプラットホーム、3階に路線別の改札口、コンコース、4階にJR京葉線のプラットホームがあり、1階の出入口と3階の間は、階段やエスカレーターで結ばれているけど、もちろんエレベーターもあります。

改札口は、西側が東京メトロ有楽町線、中央がJR京葉線、東側が東京臨海高速鉄道りんかい線であり、それぞれの改札口には注意表記⚠️があります。

2階のプラットホームは、南側が有楽町線、北側がりんかい線であり、4階の京葉線ホームと合わせて1面2線の島式ホームとなっています。

新木場駅からJR京葉線で葛西臨海公園まで1駅、東京ディズニーリゾート(ディズニーランド、ディズニーシー)のある舞浜駅まで2駅であるので、有楽町線がお台場エリアに加え、葛西臨海公園や東京ディズニーリゾート(ディズニーランド、ディズニーシー)へのアクセス路線としても使われています。

JR京葉線の新木場~南船橋間が、千葉みなと~蘇我間、市川塩浜~西船橋間(デルタ線の西側)と共に開業したのは、1988年12月1日(有楽町線の駅の開業から半年後)のことであり、デルタ線を介して武蔵野線と京葉線の直通運転も行われるようになっています。

舞浜駅が開業する前は、東京ディズニーランドまでバスで行くしかなかったけど、東西線の浦安駅付近にあった浦安ターミナルから、東京ベイシティ交通(旧、オリエンタルランド交通)の路線バスで行くことがポピュラーなルートとなっていました。

浦安駅入口と東京ディズニーリゾート(ディズニーランド、ディズニーシー)を結ぶバス🚌は、現在でも運転されているので、混雑する舞浜駅を避けて行くことも出来ます。

東京ディズニーリゾート(ディズニーランド、ディズニーシー)、東京ベイシティ交通の詳細は、「東京ディズニーリゾート」、「東京ディズニーランド」、「東京ディズニーシー」、「東京ベイシティ交通」で検索。

新木場駅には、木材の街らしく、木製レリーフなどが飾られていることでムードが高まってきます。

新木場駅の改札外にある京王グループのカレーショップであるC&C新木場メトロピア店は、フランチャイズ店舗であり、C&Cで唯一白米と十穀米を選ぶことが出来ます。

このサービスは、本拠地である京王線沿線のC&Cにないのが残念であります。

大手町駅構内にある大手町メトロピアや永田町駅構内(改札内)にあるEchikafit永田町にも、東京メトロによるカレーショップC&Cのフランチャイズ店舗があります。

詳細は、「カレーショップC&C」、「カレーショップC&C新木場メトロピア店」で検索。

新木場駅付近にある新木場1stRING(ファーストリング)は、プロレス等の格闘技を中心に使われているイベントホールであり、駅から近いので便利であります。

詳細は、「新木場1stRING」、「新木場ファーストリング」で検索。

駅周辺の新木場タワーには、木材・合板博物館があり、ここでは木材・合板に関することを学ぶことが出来ます。

詳細は、「木材・合板博物館」で検索。

新木場駅の北側にある夢の島公園には、江東区夢の島競技場、東京スポーツ文化館(BumB)、東京夢の島マリーナ(ゆめのしま海の駅)、夢の島熱帯植物館、第五福竜丸展示館などがあります。

夢の島熱帯植物館は、Aドーム(木生シダと水辺の景観)、Bドーム(ヤシと人里の景観)、Cドーム(小笠原諸島の植物とオウギバショウ)から成っており、オーストラリア庭園、ハーブ園、食虫植物温室もあります。

こちらでは、隣接する新江東清掃工場🏭️で、ゴミの焼却🔥の時に出た熱が生かされています。

第五福竜丸展示館は、木造のマグロ漁船である「第五福竜丸」やその付属品や関係資料が展示されている場所であります。

第五福竜丸は、1954(昭和29)年3月1日に、マーシャル諸島ビキニ環礁で、アメリカによって行われていたが水爆実験により被爆した、静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船であり、放射能が減った後に、東京水産大学(現、東京海洋大学)の学生の航海練習船である「はやぶさ丸」として使われていました。

詳細は、「夢の島公園」、「東京スポーツ文化館」、「東京夢の島マリーナ」、「夢の島熱帯植物館」、「第五福竜丸展示館」で検索。

若洲海浜公園、若洲キャンプ場、東京ゲートブリッジへは、新木場駅から都営バスの木11系統の若洲キャンプ場行き(深川自動車営業所所属)🚌で行くことになります。

東京ゲートブリッジの遊歩道は、若洲海浜公園側のみ入口があります。

対岸の中央防波堤側で出入りすることが出来ないので、中央防波堤側で折り返す必要があるので、注意が必要⚠️となっています。

詳細は、「若洲海浜公園」、「若洲キャンプ場」、「東京ゲートブリッジ」で検索。

東急東横線の綱島駅付近には、かつての綱島温泉郷の名残であった東京館という日帰り温泉施設があったけど、2015(平成27)年に東急新横浜線(新綱島駅)の建設工事の影響により休館となっています。

周辺にある綱島源泉 湯けむりの庄は、12種類の天然温泉の日帰り温泉施設であり、東京館の休止後の代替施設ともなっています。

こちらは綱島駅から徒歩または無料送迎バス🚐で行くことになります。

詳細は、「綱島源泉 湯けむりの庄」で検索。

八丁堀駅、新富町駅付近には、入船湯という地下銭湯があり、自分(しゃもじ)は、ひっぐ~氏と一緒に入ったことがあります。

この浴室部分には、明治初期の永代橋のタイル絵があるので、地下銭湯の癒しとなっています。

このことで、京都タワーの地下にあった大浴場を思い出したけど、ひっぐ~氏もその閉鎖により残念がっていました。

こちらには、一緒に気仙沼の銭湯に行った友人とも行きたいと思っています。

詳細は、「入船湯」、「中央区 入船湯」で検索。

JR東日本では、明日(7月21日)から、JR渋谷駅の新南口が、渋谷サクラステージ、渋谷ストリーム側に移設され、山手線からの利用も出来るようになります。 

これまでの新南口改札は、本日(7月20日)をもって閉鎖されることになったけど、その前にあるJR東日本ホテルメッツ渋谷からは少し遠くなってしまいます。

255系(房総ビューエクスプレス)のBe-01編成は、17日に、疎開先の京葉車両センターから郡山総合車両センターまで、EF81型電気機関車の141号機による牽引での配給輸送(廃車回送)が行われていました。

6月4日には、Be-05編成が、秋田総合車両センターまで配給輸送されていたので、255系の廃車は2本目となったのであります。

Be-01編成は、3月5日に自分(しゃもじ)が、東京かは千葉まで乗った編成でもありました。

京成電鉄では、デビュー記念日を迎えた7月17日から、AE2Fによる5000万人記念ライナーが運転されるようになっています。

JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、4月17日から、羽田〜ダラス・フォートワース線にエアバスA350-1000型機が就航していました。

こちらは、7月1日から羽田〜ニューヨーク(JFK)線が2往復共にエアバスA350-1000型機となったことにより、8月2日まで全てボーイング777-300ER型機に戻されています。

8月3日からは、再び隔日運航(偶数日の羽田発はボーイング777-300ER型機による運航)となり、8月29日から、全てエアバスA350-1000型機での運航となります。

ダラス・フォートワース国際空港は、アメリカン航空✈️🇺🇲との乗り継ぎにより、ネットワークが強化されています。

6月28日(日本(羽田)発6月29日)は、アメリカン航空が、羽田〜ニューヨーク線に参入(10年ぶりに再開)していました。

機種はボーイング777-200ER型機が使われています。

ボーイング777-200型機は、JALでER型を含めて全廃となったけど、ANAでは、非ER型を含めてボーイング787-10型機に順次置き換えられる予定となっています。

このことは、JR東海でN700系からN700Sへの置き換えが、JR西日本よりも早いペースで行われていることと似ているところがあります。

ANA(全日本空輸)✈️💙では、3月27日、ボーイング787-10型機のJA981A号機が、羽田〜札幌(新千歳)間を皮切りに、国内線にも就航していました。

6月23日は、蒲田駅から京浜急行バスによる急行便で羽田空港まで行き、そのうちのJA984A号機を撮影することが出来ました。

詳細は、ANAのホームページを見るか、「ANA ボーイング787-10」で検索。

たまプリは、初期で活躍していた千ちゃんと、新メンバーである佐倉美桜、双六さつき、神田藍里、神楽ひまわり各氏を加えた新体制となり、5月18日にお披露目されていました。

5月19日は、池袋SOUNDPEACE(サウンドピース)で行われた、「 無銭大好きマン」で、 新生たまプリを見てきました。

この時にお気に入りの釣りの歌やおすしの歌を聴くことが出来て良かったです。

6月1日は、土曜出勤により、たまプリのオフ会に行かれなかったのが残念でありました。

このことで、メンバーに寂しがられていたけど、双六さつき氏🧡は、しゃもじサンいなかったからすんごく寂しかったと言っていました。

6月29日のたまプリのカフェイベントにも行かれなかったのが残念でした。

自分(しゃもじ、しゃもぽん)から見た たまプリを ANAこと全日本空輸の飛行機✈️💙に例えているので、たまプリのオフ会やカフェイベントにしゃもじ(しゃもぽん)が行っていたら、ANAのエアバスA380 型機のフライングホヌによる成田~ホノルル(ハワイ)線✈️🐢🏝️に例えていたところでした。

自分(しゃもじ)から見たたまプリを、ANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙に例えているのは、1推しである、あいりんこと神田藍里氏💙のメンバーカラーだからでもあります。

15日は、大塚ドリームシアターで行われた、あーにゃと伊藤蒼姫氏😸が出てきたライブで、ステーション♪の歌が歌われていたけど、土曜出勤により行かれなかったのが残念でした。

6月30日は、渋谷のシダックスカルチャーホールでさゆまゆ姉妹の公演に行くことが出来ました。

自分(しゃもじ)がさゆまゆ姉妹を見たのは、3月24日の上野以来でありました。

7月7日は、五反田にあるGOTANDA G7で、暁みゆ、兎丹らむね両氏による2人組アイドルグループである、おさんぽ娘と、ゆめとあいりをを見ることに成功しました。

暁みゆ氏は、かつてNゼロで活躍していたメンバーであります。

ゆめとあいりは、元きみよりのゆめちゃんと、あいりちゃんによる2人組であり、あいりちゃんを初めて生で見たことになりました。

詳細は、「おさんぽ娘」、「ゆめとあいり」で検索。

5月12日は、内幸町ホールに行き、元ぶどう党の天野ひかり氏と再会しました。

この時に、むぎさり(ビーバイユーの永久つむぎ、満月咲莉華両氏によるユニット)と初対面することも出来ました。

詳細は、「天野ひかり」、「ビーバイユー」、「むぎさり」で検索。

14日は、高田馬場BSホールで、天野ひかり氏と、むぎさりを見てきたけど、一緒に照の湯などの銭湯に行った友人と再会することが出来ました。

3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。

たまプリの、あいりんこと神田藍里氏💙は、7月8日から31日まで、学業専念により活動休止となってしまうので、頑張ってもらいたいと思っています。

休止期間中は、双六さつき氏🧡が1推し代理となります。

7月7日は、たまプリのメンバーに会えなかったのが残念でした。

7月6日の記事を、あいりんこと神田藍里氏💙の大好きなもころん号にしたのは、その為でありました。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

東京メトロ副都心線、東急東横線、みなとみらい線の時刻、運賃・料金、運行状況等の詳細は、東京メトロ、東急電鉄、横浜高速鉄道のホームページを見るか、「東京メトロ副都心線」、「東急東横線」、「みなとみらい線」で検索願います。

今宵はここまでに致しとうござりまする。











































6月23日は、羽田空港第1・第2ターミナルから品川まで、京成電鉄新3100形(アクセス特急の車両)の3155Fによる、エアポート快特の成田空港(成田第1ターミナル)行き🚃✈️に乗りました。

今回乗った列車は、土休日03K運用(京成のアクセス特急の運用、京急線と都営浅草線ではエアポート快特、京成線では成田スカイアクセス線経由のアクセス特急)で、羽田空港第1・第2ターミナル駅を17時44分、羽田空港第3ターミナル駅を17時47分に発車し、途中、品川、泉岳寺、三田、大門、新橋、日本橋、東日本橋、浅草の各駅に停車してから押上(スカイツリー前)駅へと向かい、京成線の青砥、京成高砂、東松戸、新鎌ヶ谷、千葉ニュータウン中央、印旛日本医大、成田湯川、空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)✈️の各駅に停車してから成田空港(成田第1ターミナル)駅(千葉県成田市)✈️へと向かうことになっているので、東京メトロ副都心線直通のFライナーに相当する速達列車となっています。

成田空港(成田第1ターミナル)駅からの折り返しは、19時49分発(空港第2ビル 19時53分発)のアクセス特急京成高砂行きであります。

その前の運用は、成田空港駅✈️を16時04分、空港第2ビル駅✈️を16時07分に発車する羽田空港第1・第2ターミナル(羽田空港)行きで、京成線はアクセス特急、都営浅草線と京急線はエアポート快特(押上(スカイツリー前)駅からの途中停車駅は、浅草、東日本橋、日本橋、新橋、大門、三田、泉岳寺、品川、羽田空港第3ターミナル✈️の各駅)となっています。

昨年11月25日のダイヤ改正で、エアポート急行が急行に変更されていたので、エアポート(飛行機マーク)✈️の付く種別がエアポート快特だけとなっています。

2月18日には、羽田空港第3ターミナルビル展望デッキで、アメリカ・ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港(JFK)🇺🇲🗽から来た、JAL(日本航空)✈️🇯🇵のエアバスA350-1000型機(JA01WJ号機)✈️を撮影した後、羽田空港第3ターミナルから品川まで、京成新3100形3152Fによるエアポート快特に乗っていたので、今回と同じ運用(土休日03K運用)でありました。

エアポート快特なら、羽田空港第3ターミナルを出ると、品川駅までノンストップであるので、東京モノレール羽田空港線の空港快速🚝✈️が、モノレール浜松町〜羽田空港第3ターミナル間ノンストップであることと同様の感覚であります。

エアポートが付かない羽田空港発着の快特は、品川〜羽田空港第3ターミナル間で、京急蒲田駅のみ停車となっています。

品川駅では、京急2100形の2101Fによる快特三崎口行きとの並びを撮影することが出来ました。

2月18日に撮影した時には、2109Fが使われていました。

京急の品川駅は、地平(JR線と同じレベル)に下ろされた上で、2面4線の駅に改築される予定となっているので、現在の京急品川駅で撮影した画像は、いずれ思い出のシーンとなってしまいます。



京成上野駅発着のアクセス特急は、夜以降にあり、平日は3往復、土休日は上り1本となっており、全て京成電鉄の車両(新3100形)が使われています。

平日の07K運用の後半には、京成高砂 17時43分→京成上野 18時04分着、18時17分発→京成高砂 18時42分着の普通列車があるけど、京成高砂駅に到着してからは、18時43分発のアクセス特急成田空港(成田第1ターミナル)行き✈️に変わるので、新三河島、町屋、千住大橋、京成関屋、堀切菖蒲園、お花茶屋の各駅からも、東松戸、新鎌ヶ谷、千葉ニュータウン中央、印旛日本医大、成田湯川、空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)✈️、成田空港(成田第1ターミナル)✈️の各駅まで乗り換えなしで行くことが出来ます。

平日には、京成電鉄のアクセス特急の車両(新3100形)が、平日11K運用で夜間に京急久里浜駅まで乗り入れています。

泉岳寺 17時26分発→品川 17時29分着(特急)→京急久里浜 18時38分着、20時27分発→(特急、アクセス特急)→空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)✈️ 22時51分着→成田空港(成田第1ターミナル) ✈️ 22時54分着

こちらは、2019(令和元)年10月25日までは、三崎口駅まで乗り入れていたけど、当時は青帯だった新3000形50番台(新3050形)が当たり前だった時代でありました。

新3100形は、三崎口まで営業運転で乗り入れていないのであります。

新3000形50番台(新3050形)は、2010(平成22)年7月17日のデビュー当時は6本共に青帯であったけど、2019年10月26日の新3100形のデビューにより、オレンジ色の帯となり、新3000形50番台が京成本線の運用に回されたことによって、京成カラーとなっています。

昨年は、3157Fの導入により、3056Fが京成カラーに変更されていたので、新3000形50番台(新3050形)が全て京成本線の運用に回されていました。

そのうちの3051Fは、青帯から京成カラーに変更された編成であります。

青帯からオレンジ帯に変更されたのは、北総鉄道の車両と紛らわしい点があることだと思っています。

アクセス特急は、2010年7月17日に開業した京成成田スカイアクセス線(京成成田空港線)✈️の料金不要の一般列車であり、京成高砂~成田空港(成田第1ターミナル)✈️間の途中停車駅は、東松戸、新鎌ヶ谷、千葉ニュータウン中央、印旛日本医大、成田湯川、空港第2ビル✈️の各駅で、そのうちの、東松戸、新鎌ヶ谷、千葉ニュータウン中央、印旛日本医大の各駅は、北総鉄道北総線との共有駅で、北総鉄道による管理となっています。

羽田、成田の両空港✈️を結ぶ列車は、1998(平成10)年11月18日の京浜急行電鉄(京急)空港線の羽田空港(現、羽田空港第1・第2ターミナル)✈️までの延長の時からあり、当初は4往復(京成本線経由)で、京急線と都営浅草線はエアポート快特、京成線はエアポート特急となっていました。

エアポート特急は、都営浅草線はエアポート快特、京急線と京成線は特急と同じ停車駅となっていたので、のちにエアポート快特や特急に統合されていました。

羽田、成田の両空港✈️を結ぶ直通列車は、2002(平成14)年10月12日に一旦廃止されていたど、2010年7月17日に成田スカイアクセス線(京成成田空港線)が開業してからは、スカイアクセス線経由として本格的に復活していたのであります。

一昨年(2022(令和4)年)2月26日のダイヤ改正では、都営5500形がアクセス特急に参入していたので、都営車の成田空港✈️への乗り入れが日中にも見られるようになっています。

昨年2月23日まで活躍していた都営5300形は、120Km/h運転に対応していなかったので、成田空港✈️への乗り入れが、京成本線経由に限られていました。

平日は、京成車(新3100形)と都営車(5500形)による運転であり、土休日には、京急車(600形、1500形、新1000形の8両固定編成)も使われることになっています。

平日の京急車の成田空港✈️への乗り入れは、都営5500形のアクセス特急参入により、京成本線経由に限られるようになっています。

京急車の羽田空港✈️行きには、飛行機マーク✈️が入っているけど、成田空港✈️行きに関しては、京成の行き先により、飛行機マークが入っていないです。

東京空港交通(Airport Limousine)🚌💺✈️による羽田空港〜成田空港間直通のリムジンバスも運転されているけど、3600円(小児は1800円)と、鉄道よりも高いのが欠点であります。

バス🚌と言えば運賃が安いというイメージが強いけど、リムジンバスは何故か運賃が高いです。

京成新3100形は、2019年10月26日のダイヤ改正でデビューした、京成グループ標準車両のモデルチェンジ車(オレンジ帯のアクセス特急用車両)であり、デビュー当時は3151Fと3152Fが導入されていました。

翌年の2020(令和2)年7月には、3153Fと3154Fが、2021(令和3)年には、3155Fと3156F、昨年(2023(令和5)年)6月18日には、3157Fがそれぞれ導入されたことにより7編成となっています。

前述の通り、新3100形の導入により、アクセス特急用だった新3050形(新3000形50番台)の3051~3056Fが従来の京成カラーの帯に変更され、玉突きで3600形の8両固定編成や3400形の3408,3418,3428,3438Fが置き換えられていました。

8両固定編成だった3600形は、3688Fだけが6両編成に戻されて、ファイアーオレンジ帯のリバイバルカラーとなり、2020年8月から営業運転入りしていたので、いたちごっこのコロナ大騒動(コロナ事件)により成田空港アクセスの不振に苦しむ京成電鉄にとって明るい話題となっていました。

新3100形の3151Fと3152Fは、デビュー当時に上野、高砂という省略表示となっていたので、それを撮影することが出来て良かったな❗と思っていました。

京成新3100形は、従来の通勤型車両と同様のオールロングシートであり、畳めば荷物置場🧳にもなる折り畳み式の座席もあるので、羽田と成田の両空港✈️を結ぶアクセス列車に相応しいと思います。

側面表示は、京王電鉄の新5000系(京王ライナーの車両)🚃💺🌃🌅に似た表示であり、日本語や英語のほか、中国語、韓国語(ハングル)の表示(4ヶ国語の表示)も行われています。

こちらは、京浜急行電鉄(京急)の1890形Le Ciel(ル・シエル)や新1501F、新1701Fにも採用されています。

車内には、空気清浄機が取り付けられているけど、ロゴを見て、シャープ(SHARP)のプラズマクラスターであることが分かります。

姉妹車である新京成電鉄の80000形(京成新3100形の新京成バージョン)は、8000形の残りの編成の置き換え用として80016Fが導入され、2019年12月27日に新京成線内の列車でデビューしていました。

2021年10月には、80026Fが導入されたことにより、8000形で最後まで残されていた8512F(リバイバルカラー)が引退していました。

一昨年11月2日には、80036Fが導入され、8900形と同じ3編成となったけど、これに伴って8800形のトップナンバー車である8801Fが代替廃車(8800形初)となっていたのであります。

あれから1年経った昨年11月2日には、80046Fが導入されて4本となり、8804Fが置き換えられていました。

本年4月2日には、80056Fが営業運用入りし、8805Fが置き換えられて廃車となっていたのであります。

こちらは8900形と同様に、京成線の千葉中央駅への乗り入れが出来ない為に、新京成線内(松戸~京成津田沼間)での運用に限定されています。

新京成電鉄は、来年4月1日に京成電鉄に吸収合併され、新京成線が京成松戸線となる予定だけど、どうなるのか気になります。

この時にくぬぎ山車両基地での全般検査、重要部検査業務が宗吾工場に移管されることが考えられています。

N800形(京成新3000形の新京成バージョン)のN838Fは、デビュー当時のマルーン帯塗装がリバイバルされ、7月24日(水)から営業運転入りするという情報が入ってきました。

友人のひっぐ〜氏は、リバイバルカラーが好きなので、この編成も注目していると言っていました。

新京成独自のジェントルピンク塗装は、来年の京成電鉄への転換により、順次京成カラーに変更される予定となっています。

新京成電鉄新京成線の路線、時刻、運賃、運行状況等の詳細は、「新京成電鉄」、「新京成線」で検索。

7月14日には、来年初頭にデビュー予定の新3200形である3206Fの6両が、日本車輌製造豊川製作所から出場し、豊川駅から越谷貨物ターミナルまで甲種輸送されていました。

その後、北総鉄道の印旛車両基地まで陸送され、走れるような環境となった後に、宗吾車両基地入りすることになります。

京成新3200形は、3500形や3600形の置き換え用として導入される中間貫通ドアの車両で、4両、6両、8両というフレキシブルな運用が可能となっています。

3600形は、4両オールM車の3668Fと前述の6両編成ファイアーオレンジ帯の3688Fから成っているけど、後者のほうが先に置き換えられる確率が高いと言われているので、撮影、乗車はお早めに。

ひっぐ〜氏は、一昨年6月19日にリバイバルカラーの3688Fのツアー(貸切乗車会&撮影会)に参加していたけど、満足していました。

自分(しゃもじ)も、リバイバルカラーはいいな!と思っています。

羽田空港第3ターミナル駅✈️は、2面2線の相対式ホームの駅で、2020年10月21日の国際線ターミナルビル(現在の第3ターミナルビル)の開設に合わせ、羽田空港国際線ターミナル駅として開業していました。

改札口は、上下別で1番線(下りホーム)が地下2階、2番線(上りホーム)が地上2階であり、上りホームの場合はエスカレーターやエレベーターで地上2階から地下2階に一気に下りることになっています。

上りホームの改札口は、到着ロビーと同じ階となっているので、改札口まですぐに行くことが出来ます。

地下の改札口から3階の出発ロビーまでは、エレベーターや直通のエスカレーターで行くことになります。

東京モノレールの羽田空港第3ターミナル駅(旧、羽田空港国際線ビル駅)✈️は、地上部分にあり、2階にコンコース、3階にプラットホームとなっています。

改札口が2階と3階にあり、3階改札口は、下りホーム(1番線)側で、第3ターミナルビルの出発ロビーに直結しているので、とても便利であります。

京急の場合は、地下トンネルで空港の景色が見えないけど、東京モノレールには、羽田空港や飛行機✈️を眺めることの出来る区間(羽田空港第3ターミナル駅付近)があるのが特徴となっています。

2010年の京急は、5月16日、7月17日、10月21日の3回ダイヤ改正が行われていました。

昨年は、2月26日と11月26日の2回ダイヤ改正が行われていたけど、11月26日改正は、1999年7月31日以来の大規模改正となっていました。

2010年5月16日のダイヤ改正は、京急蒲田駅の上り線高架化、京急蒲田〜糀谷間の複線化に伴うダイヤ改正であり、羽田空港〜新逗子(現、逗子・葉山)間のエアポート急行→急行の新設が行われていたけど、エアポート快特の京急蒲田駅通過化により、蒲田飛ばし問題が起こるようになり、当時の大田区長(前任)だった松原忠義氏が激怒していました。

当時の松原区長だけでなく、沿線住民の怒りの声も聞こえていたので、エアポート快特が日中40分間隔に減便され、羽田、成田の両空港を結ぶ列車中心となったのであります。

JR京葉線の快速削減も、利用客の怒りの問題となったので、9月1日に快速の一部が復活することになります。

羽田空港第1・第2ターミナル駅✈️は、1998年11月18日に、京急空港線の延長と共に羽田空港駅として開業した1面2線の地下駅であり、京急蒲田寄りに第1ターミナルビル(JAL(日本航空)✈️🇯🇵などの国内線)、エンド寄りに第2ターミナルビル(ANA(全日本空輸)✈️💙などの国内線、ANAの国際線の一部)への改札があり、改札外にはこれらのターミナルビルを結ぶ連絡通路があります。

ターミナルビル毎に駅のある東京モノレールとは異なり、第1ターミナルへは後ろ、第2ターミナルへは前の改札を使うことになっています。

間違えた場合には、京急の駅の横にある改札外の連絡通路を通ることが出来ます。

羽田空港(東京国際空港)✈️は、1931(昭和6)年8月25日に、立川からの移転により東京飛行場として開港した、東京の玄関口の空港✈️であります。

当初は、周辺に羽田運動場(羽田球場、陸上競技場)があったけど、1938(昭和13)年に羽田飛行場の拡張により廃止されていました。

現在は拡張と共に沖合いの埋め立て地に移転され、グローバルな空港に成長していたので、開港時と比べて想像出来ない状態となっています。

羽田空港の旅客ターミナルビルは、第1ターミナルビル(国内線専用、JAL中心)、第2ターミナルビル(国内線、国際線、ANA中心)、第3ターミナルビル(JALなどの国際線専用)から成っており、いずれも屋上に無料展望デッキ(飛行機✈️を眺めることも出来る場所)があるので、滑走路での離着陸を含めた飛行機✈️の撮影をすることも出来ます。

羽田空港の国内線ターミナルが沖合い(現在の第1旅客ターミナルビル)に移転されたのは、1993(平成5)年9月27日のことであり、東京モノレールの駅も移転されていました。

2004(平成16)年12月1日には、ANA(全日本空輸)✈️💙等の航空会社が第2旅客ターミナルビルに移転され、屋上の展望デッキから、海と飛行機✈️の両方を見られるようになっています。

2010(平成22)年10月21日の羽田空港の新国際線ターミナルビル(現在の第3ターミナルビル)の開業により、成田空港開港前と同様の国内線と国際線の両方が発着する空港(原点回帰)となり、グローバルな空港となったので、時代が変わったな❗と思いました。

成田空港✈️では、ジェットスター・ジャパン✈️などのLCCの相次ぐ就航により、国内線が充実するようになっています。

このことは、両空港の混雑緩和やインバウンド対策はもちろんのこと、羽田空港に近い地域から海外旅行に行く時の利便性向上もあると思っています。

羽田空港の国内線は、JAL(日本航空)✈️🇯🇵、JTA(日本トランスオーシャン航空)✈️、SKY(スカイマーク)✈️、SFJ(スターフライヤー)✈️が第1ターミナル(京急では、後ろの改札口、東京モノレールは羽田空港国内線第1ターミナル駅下車)

ANA(全日本空輸)✈️💙、ADO(エアドゥ)✈️、SNA(ソラシドエア)✈️が第2ターミナル(京急では前の改札口、東京モノレールは終点の羽田空港第2ターミナル駅下車)であり、京急の羽田空港第1・第2ターミナル駅の第1ターミナルビル側はJALに合わせた赤色、第2ターミナルビル側はANAに合わせた青色となっています。

東京モノレール🚝で降りる駅を間違えてしまった場合は、京急の羽田空港第1・第2ターミナル駅の改札外にある自由通路を通っていくことになります。

羽田空港からの国際線✈️はANAの一部を除いて全て第3ターミナルビル発着(東京モノレール、京急共に羽田空港第3ターミナル駅下車)であります。

第2ターミナルビルの国際線部分は、いたちごっこのコロナ大騒動(コロナ事件)の影響により閉鎖され、全て第3ターミナルビル発着に戻されていたけど、昨年7月19日に使用が再開され、ANAの国際線のうち、ロンドン、上海虹橋(シャンハイ、ホンチャオ)、香港(ホンコン)、台北松山(タイペイ、ソンシャン)線(1日2便)が第2ターミナルからの出発となったけど、10月29日からは、シドニー、パリ、フランクフルト、シンガポール、深圳(深セン、シェンチェン)、ホノルル、ミュンヘン線も加わっています。

3月31日(日)からは、バンコク、ソウル(金浦、キンポ)、広州、ジャカルタ、ニューヨーク線、ウィーン線(8月1日から)も加わることになります。

羽田〜バンクーバー線のANA便は、第3ターミナルビル発に戻されているので、注意が必要⚠️であります。

他は第3ターミナル発着のままとなっており、上記の路線でも、第3ターミナルビルに到着する場合があります。

ANAの羽田~上海(シャンハイ)線は、虹橋(ホンチャオ)行きが第2ターミナル、浦東(プードン)行きが第3ターミナルビル(従来通り)からの出発となるので注意が必要⚠️であります。

ANAの国際線の場合は、上記の路線(第2ターミナルビル発着)が東京モノレールの羽田空港第2ターミナル駅または京急線の羽田空港第1・第2ターミナル駅、その他の路線(第3ターミナルビル発着)が東京モノレールと京急線の羽田空港第3ターミナル駅を使うことになります。

羽田空港の第1ターミナル✈️には、成田空港の第1ターミナルと同様に北ウィングと南ウィングに分かれており、北ウィングは、JAL✈️🇯🇵の北海道地方(札幌(新千歳)、女満別、旭川、釧路、帯広、函館線)、東北地方(青森、三沢、秋田、山形線)、中部・北陸地方(名古屋(中部)、小松線)、近畿地方(大阪(伊丹)、大阪(関空)、南紀白浜線)、スカイマーク✈️の全便

南ウィングは、JAL✈️🇯🇵の中国地方(岡山、広島、山口宇部、出雲線)、四国地方(徳島、高松、松山、高知線)、九州・沖縄地方(福岡、北九州、長崎、大分、熊本、宮崎、鹿児島、奄美大島、沖縄(那覇)線)、JTA(日本トランスオーシャン航空)✈️🏝️とスターフライヤー✈️の全便であり、東京モノレール🚝の場合は、一つのターミナルビルの時代から利用の航空会社により階段が異なっています。

JALの国際線✈️🇯🇵は全て第3旅客ターミナルビル発着であるので、国内線との乗り継ぎの場合は、ANAの第3ターミナルビル発着便と同様に、無料の循環バス🚌や電車(東京モノレールまたは京急)🚝🚃を使うことになります。

2004(平成16)年12月1日に第2ターミナルビルが開業する前は、北ウィングがANA中心、南ウィングがJAL中心と、1992(平成4)年12月6日に第2旅客ターミナルビルが開業する前の成田空港とは逆の状態となっていました。

成田空港✈️では、ANA✈️💙が第1ターミナル(成田空港駅下車)、JAL✈️🇯🇵が第2ターミナル発着(空港第2ビル駅下車)となっているので、羽田空港ではその逆(JALが第1ターミナル、ANAが第2ターミナル発着)であります。

京急の羽田空港第1・第2ターミナル駅から、第1ターミナルへは京急蒲田、品川寄り、第2ターミナルへはエンド側の出入口を使うことになります。

このことは、都営新宿線の本八幡駅(同じ1面2線(島式ホーム)の地下駅となっている)で、新宿寄りにJR中央・総武緩行線の本八幡駅に至る改札口が、エンド側に京成本線の京成八幡駅に至る改札口があることに似ている状態であります。

東京モノレールとは違って間違えることはないので、京急なら間違いないというCMが放送されていました。

羽田空港のターミナルビルは、全て屋上に飛行機✈️を眺めることや撮影することの出来る展望デッキがあり、第1、第2ターミナルビルでは、滑走路を離着陸する飛行機🛫🛬を見ることが出来ます。

第2ターミナルからは、飛行機✈️と海を一同に見ることが出来ます。

羽田空港の夜景🌉も美しいと言われています。

羽田空港第2ターミナルの屋上では、伝統の青帯の飛行機であるANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙を海や青空をバックに撮影出来るのが嬉しいです。

京成の成田空港駅✈️は、2面3線で、1番線から5番線まであり、1番線が、アクセス特急、2,3番線が京成本線の列車、4,5番線(2,3番線の奥)がスカイライナー乗り場となっており、アクセス特急の1番線は、成田スカイアクセス線の開業により北ウィング側に増設された独立した感じのホームであります。

隣の空港第2ビル駅✈️は、1992(平成4)年12月の開業当時は、JR側と同じ1面1線となっていたけど、成田スカイアクセス線の開業により1面2線となり、成田空港駅寄りの1,2番線が成田スカイアクセス線、京成成田寄りの3,4番線が京成本線の列車が発着するようになっています。

空港第2ビル駅✈️の3番線(京成本線乗り場)は、6両分しか停車出来ず、後ろの2両が成田スカイアクセス線乗り場(1番線側)に掛かってしまうけど、ドアカットが行われずに普通にドアが開いてしまう為に、該当する乗車口のLED式案内表示で、「この電車は経路が異なるため ご乗車できません」、Due to route difference,this train cannot be boarded.という注意書きが表示されます。

ホームドアが設けられた後も未だ解決されていないので、注意が必要(CAUTION)⚠️であります。

JRのほうは、空港第2ビル駅✈️が1面1線、成田空港駅✈️が1面2線のままであり、成田空港駅では、JR1番線が成田エクスプレス🚃💺✈️、JR2番線が一般列車🚃中心で使われています。

成田空港では、ターミナルビル毎に駅が異なっており、第1旅客ターミナル(T1)の場合は、成田空港(成田第1ターミナル)駅✈️を、第2旅客ターミナル(T2)または第3旅客ターミナル(LCC専用ターミナル、T3)の場合は、空港第2ビル駅(成田第2・第3ターミナル)駅✈️を使うことになります。

第2ターミナルビルは、1992年12月6日に、第3ターミナルビルは、2015年4月8日に開業していました。

ANA(全日本空輸)✈️💙は、第1旅客ターミナルの南ウィング、JAL(日本航空)✈️🇯🇵は、第2旅客ターミナル発着となっているので、羽田空港での国内線のターミナルビルとは逆となっています。

国内外の様々な飛行機✈️を眺めることの出来る展望デッキは、第1、第2の旅客ターミナルにあります。

成田空港の第1旅客ターミナルビルは、1978年5月の開港当初からあるターミナルビルであり、北ウィングと南ウィングに分かれています。

そのうちの北ウィングは、1984(昭和59)年1月1日にリリースされた、中森明菜氏の「北ウィング」の舞台となった場所でもあり、JAL(日本航空)✈️🇯🇵などが発着していました。

この曲は、中森明菜氏の名曲の一つであり、成田空港✈️と言えばこの曲が思い浮かびます。

ANA✈️💙のほうは、1986(昭和61)年3月の定期国際線進出の時から第1旅客ターミナルビルの南ウィング発着となっているけど、一時期は第2旅客ターミナルビル発着となっていた時もありました。 

第1旅客ターミナルビルは、1992年12月6日から2006(平成18)年6月2日のANAの第1旅客ターミナルビルへの回帰までの間は、全てスターアライアンス系を含めた外資系航空会社の発着となっていました。

2002(平成14)年4月18日には、台湾🇹🇼のチャイナエアライン✈️🇹🇼とエバー航空✈️🇹🇼が羽田発着から成田発着に変更され、一時的に羽田空港発着の定期便が途絶えていました。

2010年10月21日には、羽田空港の第3ターミナルビル(国際線ターミナルビル)の開業に伴い、羽田空港発着の国際線定期便が復活したことにより、以前のように国内線と国際線の両方を扱うグローバルな空港となっています。

JAL(日本航空)などが発着している第2旅客ターミナルビルは、1992年12月6日に開業していたけど、当初は、本館と別館(サテライト)の間がシャトルシステムで結ばれていました。

2013(平成25)年9月には、それが廃止され、連絡通路で結ばれるようになっています。

成田空港では、相次ぐLCCの就航により、国内線も充実するようになったので、2015(平成27)年4月8日にLCC専用の第3旅客ターミナルビルが第2旅客ターミナルビルと隣接する場所に設けられていたのであります。

以前は、国内線は羽田、国際線は成田ということが当たり前となっていたけど、現在は羽田空港から国際線、成田空港から国内線を使うことが出来るようになっているので、時代は変わったな❗と思いました。

第1旅客ターミナルビルと第2旅客ターミナルビルの間は、離れていることに加え、徒歩での連絡が不可能であるので、無料のシャトルバス🚌での連絡が行われています。

成田空港✈️は、2015年3月30日の正午まで、検問が行われていたので、身分証明書がないと入れない状態でありました。

これにより、身分証明書が無くてもスカイライナーに乗れるようになっています。

成田空港では、ターミナルビル毎に駅が異なっており、第1旅客ターミナル(T1)の場合は、成田空港(成田第1ターミナル)駅✈️を、第2旅客ターミナル(T2)または第3旅客ターミナル(LCC専用ターミナル、T3)の場合は、空港第2ビル駅(成田第2・第3ターミナル)駅✈️を使うことになります。

ANA(全日本空輸)✈️💙は、第1旅客ターミナルの南ウィング、JAL(日本航空)✈️🇯🇵は、第2旅客ターミナル発着となっているので、羽田空港での国内線のターミナルビルとは逆となっています。

国内外の様々な飛行機✈️を眺めることの出来る展望デッキは、第1、第2の旅客ターミナルにあります。

JALとANAの機内食(空のおもてなし(お・も・て・な・し)である)✈️🍴は、どちらも美味しい😋🍴💕と言われており、JALの機内食のビーフステーキが柔らかくて美味しいと大好評であります。

一方のANAの機内食では、ビーフハンバーグステーキが大好評と言われています。 

それだけでなく、JALやANAなどの日系航空会社は、日系ならではの安心感があると言われています。

日本に乗り入れる外資系の航空会社のうち、シンガポール航空✈️🇸🇬やタイ国際航空✈️🇹🇭(どちらも羽田空港と成田空港の両方に乗り入れている)は、機内食が美味しい😋🍴💕ことに加え、サービスが良いと言われています。

台湾、ハワイ、グアムなどの海外の観光地等の情報については、JTBや近畿日本ツーリスト等の大手旅行会社のホームページなどで調べることも出来ます。

羽田空港、成田空港✈️の発着、運航状況、設備の案内、航空便の予約等の詳細は、羽田空港または成田空港や航空会社の各社のオフィシャルホームページを見るか、「羽田空港」、「成田空港」で検索。

自分(しゃもじ)がこのブログで飛行機✈️のことを話題にしたら、それぞれの就航地の観光地、ホテル🏨、温泉♨️、美味しいもの😋🍴💕などに関することも書きたくなります。

芝山鉄道線の芝山千代田駅付近(成田空港近く)には、成田空港温泉 空の湯という日帰り温泉施設♨️があり、飛行機✈️が見える屋上露天風呂♨️が売りと言われています。

空の湯へは、芝山千代田駅(京成成田駅から2駅、東成田駅から1駅)から徒歩3分で行けるのが嬉しいと思います。

詳細は、「成田空港温泉 空の湯」で検索。

成田ビューホテルには、温泉入浴施設である「成田温泉美湯」があるので、日帰り入浴を楽しむことも出来ます。

こちらへは、JR成田駅から無料送迎バス🚐も出ています。

詳細は、「成田ビューホテル」、「成田温泉美湯」で検索。

6月27日に成田空港に14年ぶりに行った時に、ANAのフライングホヌやジップエアなどの成田空港に行かないと見られない飛行機を初めて見ることが出来ました。

自分(しゃもじ)がエアバスA380型機を初めて生で見たのは、フライングホヌでありました。

飛行機の撮影には、鉄道やバスの撮影にはない魅力があり、離着陸の瞬間も撮影することも出来ます。

飛行機の撮影も、鉄道やバス等の撮影と同様にマナーを守ってもらいたいです。

8月1日からは、ANA✈️💙の羽田〜ウィーン(オーストリア)線✈️🇦🇹が、週3便(羽田発、月、木、土)、ボーイング787-9型機で再開される予定であるけど、再開と共に第2ターミナルビル発に変更されます。

オーストリア航空(ルフトハンザグループ、スターアライアンス系のオーストリアの航空会社)✈️🇦🇹では、成田〜ウィーン線が週5便(日本(成田)発月、火、木、土、日)、機種はボーイング777-200ER形で運航されています。

オーストリア航空の成田発着ターミナルは、第1旅客ターミナルビルの南ウィング(T1S、成田空港駅下車)となっています。

詳細は、「ANAウィーン」、「オーストリア航空」で検索。



JR東日本では、明後日(7月21日)から、JR渋谷駅の新南口が、渋谷サクラステージ、渋谷ストリーム側に移設され、山手線からの利用も出来るようになります。 

これまでの新南口改札は、明日(7月20日)をもって閉鎖されることになったけど、その前にあるJR東日本ホテルメッツ渋谷からは少し遠くなってしまいます。

255系(房総ビューエクスプレス)のBe-01編成は、17日に、疎開先の京葉車両センターから郡山総合車両センターまで、EF81型電気機関車の141号機による牽引での配給輸送(廃車回送)が行われていました。

6月4日には、Be-05編成が、秋田総合車両センターまで配給輸送されていたので、255系の廃車は2本目となったのであります。

Be-01編成は、3月5日に自分(しゃもじ)が、東京かは千葉まで乗った編成でもありました。

京成電鉄では、デビュー記念日を迎えた一昨日(7月17日)から、AE2Fによる5000万人記念ライナーが運転されるようになっています。

JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、4月17日から、羽田〜ダラス・フォートワース線にエアバスA350-1000型機が就航していました。

こちらは、7月1日から羽田〜ニューヨーク(JFK)線が2往復共にエアバスA350-1000型機となったことにより、8月2日まで全てボーイング777-300ER型機に戻されています。

8月3日からは、再び隔日運航(偶数日の羽田発はボーイング777-300ER型機による運航)となり、8月29日から、全てエアバスA350-1000型機での運航となります。

ダラス・フォートワース国際空港は、アメリカン航空✈️🇺🇲との乗り継ぎにより、ネットワークが強化されています。

6月28日(日本(羽田)発6月29日)は、アメリカン航空が、羽田〜ニューヨーク線に参入(10年ぶりに再開)していました。

機種はボーイング777-200ER型機が使われています。

ボーイング777-200型機は、JALでER型を含めて全廃となったけど、ANAでは、非ER型を含めてボーイング787-10型機に順次置き換えられる予定となっています。

このことは、JR東海でN700系からN700Sへの置き換えが、JR西日本よりも早いペースで行われていることと似ているところがあります。

ANA(全日本空輸)✈️💙では、3月27日、ボーイング787-10型機のJA981A号機が、羽田〜札幌(新千歳)間を皮切りに、国内線にも就航していました。

6月23日は、蒲田駅から京浜急行バスによる急行便で羽田空港まで行き、そのうちのJA984A号機を撮影することが出来ました。

詳細は、ANAのホームページを見るか、「ANA ボーイング787-10」で検索。

たまプリは、初期で活躍していた千ちゃんと、新メンバーである佐倉美桜、双六さつき、神田藍里、神楽ひまわり各氏を加えた新体制となり、5月18日にお披露目されていました。

5月19日は、池袋SOUNDPEACE(サウンドピース)で行われた、「 無銭大好きマン」で、 新生たまプリを見てきました。

この時にお気に入りの釣りの歌やおすしの歌を聴くことが出来て良かったです。

6月1日は、土曜出勤により、たまプリのオフ会に行かれなかったのが残念でありました。

このことで、メンバーに寂しがられていたけど、双六さつき氏🧡は、しゃもじサンいなかったからすんごく寂しかったと言っていました。

6月29日のたまプリのカフェイベントにも行かれなかったのが残念でした。

自分(しゃもじ、しゃもぽん)から見た たまプリを ANAこと全日本空輸の飛行機✈️💙に例えているので、たまプリのオフ会やカフェイベントにしゃもじ(しゃもぽん)が行っていたら、ANAのエアバスA380 型機のフライングホヌによる成田~ホノルル(ハワイ)線✈️🐢🏝️に例えていたところでした。

自分(しゃもじ)から見たたまプリを、ANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙に例えているのは、1推しである、あいりんこと神田藍里氏💙のメンバーカラーだからでもあります。

15日は、大塚ドリームシアターで行われた、あーにゃと伊藤蒼姫氏😸が出てきたライブで、ステーション♪の歌が歌われていたけど、土曜出勤により行かれなかったのが残念でした。

6月30日は、渋谷のシダックスカルチャーホールでさゆまゆ姉妹の公演に行くことが出来ました。

自分(しゃもじ)がさゆまゆ姉妹を見たのは、3月24日の上野以来でありました。

7月7日は、五反田にあるGOTANDA G7で、暁みゆ、兎丹らむね両氏による2人組アイドルグループである、おさんぽ娘と、ゆめとあいりをを見ることに成功しました。

暁みゆ氏は、かつてNゼロで活躍していたメンバーであります。

ゆめとあいりは、元きみよりのゆめちゃんと、あいりちゃんによる2人組であり、あいりちゃんを初めて生で見たことになりました。

詳細は、「おさんぽ娘」、「ゆめとあいり」で検索。

5月12日は、内幸町ホールに行き、元ぶどう党の天野ひかり氏と再会しました。

この時に、むぎさり(ビーバイユーの永久つむぎ、満月咲莉華両氏によるユニット)と初対面することも出来ました。

詳細は、「天野ひかり」、「ビーバイユー」、「むぎさり」で検索。

14日は、高田馬場BSホールで、天野ひかり氏と、むぎさりを見てきたけど、一緒に照の湯などの銭湯に行った友人と再会することが出来ました。

3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。

たまプリの、あいりんこと神田藍里氏💙は、7月8日から31日まで、学業専念により活動休止となってしまうので、頑張ってもらいたいと思っています。

休止期間中は、双六さつき氏🧡が1推し代理となります。

7月7日は、たまプリのメンバーに会えなかったのが残念でした。

7月6日の記事を、あいりんこと神田藍里氏💙の大好きなもころん号にしたのは、その為でありました。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

京成線や京成スカイライナーの路線、時刻、運賃、料金、運行状況、ライナー券の予約等の詳細は、京成電鉄のホームページを見るか、「京成線」、「京成スカイライナー」で検索願います。

スカイライナー50周年記念ヘッドマーク付き電車、キャプテン翼ライナー、5000万人達成ヘッドマーク付き電車、KENTY SKYLINER、3400形、3500形、3600形などを撮影する時にはマナーを守ってもらいたいです。

今宵はここまでに致しとうござりまする。  

























































7月13日は、池袋(西武線)から練馬まで、西武鉄道6000系の6107Fによる、準急飯能行き🚃に乗りました。

今回乗った列車🚃は、土休日4141レの池袋 16時40分発の準急飯能行きで、途中、練馬、石神井公園、大泉学園、保谷、ひばりヶ丘、東久留米、清瀬、秋津、所沢、西所沢、小手指、狭山ヶ丘、武蔵藤沢、稲荷山公園、入間市、仏子、元加治の各駅に停車してから飯能駅(埼玉県飯能市)へと向かうことになっており、折り返しは、17時55分発の準急池袋行き(2184レ)となっています。

練馬駅では、東京メトロの10両編成(10000系または17000系、この日は10104Fが使われていた)による快速急行(Fライナー)小手指行きに、ひばりヶ丘駅で、急行飯能行きに、所沢駅で、特急ラビューむさし27号の飯能行き(乗車券に加えて特急券が別途必要)にそれぞれ接続することになっており、今回は、練馬から石神井公園まで東京メトロ10000系(有楽町線、副都心線の主力車両)の10104F(44編成)による、元町・中華街駅から来た快速急行(Fライナー)小手指行き(土休日73S運用)、石神井公園から清瀬まで、東京メトロ10000系の10128F(68編成)による、有楽町線の新木場駅から来た各駅停車の小手指行き(土休日25S運用)で清瀬まで行きました。

当初は6107Fで清瀬駅まで行く予定だったけど、練馬、石神井公園乗り継ぎのほうが先着することが判明していたので、6107Fの乗車を練馬駅までにしたのであります。

その前の運用は、飯能駅を15時44分に発車する急行池袋行き(2154レ、途中、所沢までの各駅と、ひばりヶ丘、石神井公園の両駅に停車)であります。

東京メトロ10000系の行先表示は、2006(平成18)年と2007(平成19)年に製造された初期型(10101~10120F)のみゴシック体表示のフルカラーLEDに変更されたけど、2008(平成20)年以降に製造された後期型(10121~10136F)のほうは、明朝体表示の3色LED(旧式表示)のままとなっています。

10121F以降の編成も、ゴシック体表示のフルカラーLED表示に変更される可能性があるので、見掛けたら撮影するようにしています。

横浜高速鉄道のY500系(Y511〜515F)は、予告なしに3色LED表示からフルカラーLED表示に変更されていたので、3色LED表示だった頃のY500系(特にY511Fによるみなとみらい線開業20周年ラッピング電車)を撮影しておいて良かったと思っています。

6000系の6101F(現在は新宿線系統で活躍中)は、池袋線系統所属だった頃の1993(平成5)年8月から1995(平成7)年2月に掛けて、モハ6201号車とサハ6401号車の側面表示が試験的にLED化されていたけど、3色の明朝体表示であったことにより、西武鉄道所属車で最初で最後の明朝体表示となっていました。

西武鉄道の車両で本格的にLED表示が採用されたのは、2000(平成12)年2月20日にデビューした20000系からであり、3色のローマ字なし表示→3色のローマ字入り表示→フルカラーのローマ字入り表示に変わっています。

30000系に関しては、2008年4月26日のデビュー当初から、フルカラーのローマ字入り表示であります。

LED化された2000系は、新旧共に3色LED→フルカラーLEDと変化しているけど、3色LEDの時代からゴシック体表示となっています。

2003(平成15)年に導入された、10000系ニューレッドアロー(小江戸型車両)の10112F(最終増備車)は、10000系統で唯一のVVVFインバータ車であることに加え、西武鉄道所有車で最後の3色LED車となっていることで異彩を放っています。

西武6000系🚃は、1992(平成4)年6月1日にデビューした、西武鉄道初の地下鉄乗り入れ対応編成🚇で、西武山口線(レオライナー)以外の西武鉄道線で初の本格的なVVVF車でもあり、1992年から1998(平成10)年に掛けて、ステンレス車17編成170両、アルミ車8編成80両、計25編成250両が製造されていました。

メーカーは、1992年から1995(平成7)年まで製造されたステンレス車が、東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)、1996(平成8)年から1998年に製造されたアルミ車が、日立製作所笠戸事業所(HITACHI)であり、後者に関しては、西武鉄道の通勤型車両初の日立製作所笠戸事業所(HITACHI)製であります。

西武6000系アルミ車🚃のうち、1998年に製造された6156,6157,6158Fは、戸袋窓が廃止されているけど、6155F以前の編成も、9000系と同様に戸袋窓が埋められています。

6000系の量産先行車である6101Fと6102F(1992年製)は、地下鉄乗り入れ改造の対象から外された為に、オリジナルの姿で、新宿線系統(新宿線の西武新宿~本川越間と、拝島線の小平~拝島間)で使われているので、東武鉄道東上本線(東武東上線)の9000系の試作車であった9101Fが、有楽町線乗り入れから撤退した後に専ら地上線(池袋~小川町間)で使われていたことに似たような現象となっています。

西武6000系の量産先行車は、長期休車を経て廃車となった東武東上線の9101Fとは違って、当初から地下鉄乗り入れが出来ない状態となっているので、池袋線系統所属時代から地上線専用車となっています。

西武6000系による地下鉄乗り入れは、1994(平成6)年12月7日の西武有楽町線の練馬~新桜台間の開業(単線での暫定開業)の時から行われているけど、当時は6108~6111Fの4編成限定で、午前中中心の運用で非常に珍しかったです。

当時の練馬駅は下り線のみ高架化されていたので、送り込み回送は、小手指車両基地→池袋(西武線)→練馬間で行われていました。

そのうちの6108Fは、新宿線系統で活躍中であります。

1998年3月26日の新桜台~練馬間の複線化により、池袋線との直通運転が行われるようになり、西武6000系の地下鉄乗り入れ運用が大幅に増えていました。

当時は、アルミ車両の6151~6157Fとステンレス車両の6112~6117Fも乗り入れ車両に追加されていたけど、6103~6107Fが地上線専用車のままとなっていました。

6158Fは、1998年9月に追加導入された6000系の最終増備車であります。

当時、池袋線系統に、地下鉄に乗り入れることの出来ない6000系が混在していた(現在もこうなっている)けど、こちらの池袋寄りの先頭車の列車番号表示が黄色で、スカート部分に黄色いSマークの表示が2つ入っていました。

2016(平成28)年8月20日の南入曽でのイベント(西武トレインフェスティバル)で展示されていた6101Fに、スカート部分のダブルSマークが復元されていたことを覚えています。

西武6000系が新宿線系統にも進出したのは、1994年8月8日のことであり、当時は池袋線系統から転属してきた6107F(今回の話題の編成)が活躍していたけど、こちらは、後述の副都心線への乗り入れ改造が行われた時に池袋線系統に出戻りしていました。

進出当時は、拝島線で10両運転が行われていなかったので、当時の9000系と同様に、新宿線の西武新宿~本川越間に限定されていました。

1997(平成9)年3月12日には、拝島線が10両対応化され、10両固定編成も拝島駅まで入れるようになっています。

2008(平成20)年6月14日には、地下鉄副都心線🚇の渋谷延長により、副都心線直通も加わり、2013(平成25)年3月16日には、東急東横線の渋谷~代官山間の地下化(地下新線への切り替え)🚇に伴う副都心線との直通化により、東急東横線、みなとみらい線経由で元町・中華街駅(神奈川県横浜市中区)へも乗り入れるようになっています。

西武鉄道の車両が営業運転で神奈川県に入るようになったのは、この時からであります。

昨年3月18日からは、東急新横浜線が開業し、相鉄線と直通運転が行われるようになっているけど、西武線との直通運転が行われていないのが残念であります。

その代わりに、武蔵小杉、日吉の両駅で新横浜、相鉄線方面の電車に対面乗り換え出来るようになります。

西武6000系や40000系の固定式ロングシート仕様車による地下鉄乗り入れ運用(M運用)では、走行距離の調整に伴う間合い運用として、和光市駅(埼玉県和光市、東武鉄道による管理の地上駅)にも乗り入れることもあります。

このことは、京浜急行電鉄(京急)の車両が、間合い運用として都営浅草線の西馬込駅に乗り入れていることと同様であります。

2007(平成19)年から2010(平成22)年に掛けて行われた西武6000系の副都心線乗り入れ対応改造は、有楽町線直通の運用に影響が出ないようにする為に、新宿線所属の地上線専用車だった6103,6104,6105,6106,6107Fから行われ、その後に池袋線系統所属の車両に施されていました。

池袋線所属の未改造車は、東京メトロ7000系の未改造車及び東武9000系の9101Fと同様に、前面と一部の側面にYマークが取り付けられていたけど、幕がそのままだったので、2008年6月14日の種別幕一新後も、赤色の急行の表示のままとなっていました。

6000系の量産先行車である6101Fと6102Fは、副都心線乗り入れ対応改造も出来なかった為に、池袋線系統の乗り入れ対応編成と分ける必要があることによって、新宿線系統に残留となったのであります。

2008年6月14日の種別表示の一新前は、各停の表示が普通の表示となっていました。

東武東上線のほうは、東武鉄道の本線系統と同様に、普通の表示のままとなっているので、ややこしい点があります。

6000系の運転台は、全て従来型のマスコンハンドルであったけど、6103F以降の編成で、副都心線乗り入れ改造が行われた時に東急方式のT字型ワンハンドルマスコンに交換されていました。

6101Fと6102FがLED化、インバータ装置の交換が行われた後も、銀色の前面や従来型のマスコンハンドルのままとなっています。

6101Fと6102FのLED表示で異なる点は、前面で種別と行先が別になっている(方向幕の跡にある)こと、側面で、種別と行先がローマ字併記で固定されていることであります。

6000系の量産車のLED表示は、前面が種別、行先、列車番号の一体型(ローマ字併記)、側面が日本語とローマ字が交互に切り替わる種別と行先(東急方式)となっています。

6101Fと6102Fの車内はそのままであり、1段表示のLED式案内表示が残されています。

更新後の6000系のインバータ装置は、先行改造された6157Fが東芝(TOSHIBA)製のIGBTで、他は三菱電機(MITSUBISHI ELECTRIC)製のフルSiCとなっています。

1992年6月1日に6000系がデビューした当時の西武池袋線は、桜台~石神井公園間が地平区間(笹目通り(環八通りと繋がっている)との交差部分は高架区間)となっていました。

6101Fが、新宿線系統に移ったのは、1998年11月のことであり、同年10月には、6102Fが新宿線入りしていました。

6000系の前面スタイルは、西武鉄道の車両初の左右非対称スタイルであり、運転席スペースを広くする為に貫通扉がずれた場所にあります。

地上線専用車である20000系や30000系では、非貫通に戻されていたけど、40000系では、地下鉄に乗り入れる絡みにより、再び貫通扉付きとなっています。

地下鉄に乗り入れない2000系に貫通ドアが取り付けられているのは、地下鉄乗り入れ構想ではなく、幻となった西武新宿線の西武新宿~上石神井間の複々線化(地下急行線の新設)計画の名残と言われています。

現時点で地下鉄に乗り入れていない001系ラビュー(Laview)に貫通ドアが取り付けられているのは、将来の地下鉄乗り入れを見据えたものであり、車体幅も収まるようになっています。

6103〜6106Fと6108Fは、新宿線系統に回されたので、新宿線系統の6000系が2本から7本となっています。

6103〜6107Fは、更新前に新宿線系統に回されていたこともあったけど、6108Fは、初の新宿線系統での運転となったのであります。

現在池袋線系統で活躍中の6000系は、6107,6109~6117,6151~6158Fの18本であり、アルミ車である6151〜6158Fは、本年3月30日を最後に地下鉄乗り入れ運用から撤退し、地下鉄乗り入れ機器が撤去されたことにより地上線運用(サークルKならぬサークルM)に回されていたので、貫通ドアの上部に黄色いテープが貼られています。

弱冷房車に関しては、9号車から2号車に移されています。

今回の話題である6000系の6107Fは、1994年2月に日立製作所笠戸事業所(HITACHI)で製造された編成であり、導入当初は池袋線系統所属で、同年8月に新宿線系統入りしていました。

当時は新宿線系統で唯一の6000系となっていたけど、のちに6112F(現在は池袋線系統で活躍中)も加わっていました。


本年3月22日には、地下鉄乗り入れ機器が撤去された後に新宿線系統に移されていたけど、28日に地上線仕様のまま池袋線の地上運用に戻されていました。

6103〜6108Fにも貫通ドア上の黄色いテープが貼られているけど、6107Fは、池袋線系統の6000系ステンレス車で唯一黄色いテープ付きとなっています。

6107Fは、新宿線系統に戻される確率が高いと言われているので、今回初めて撮影することが出来て良かったと思っています。

現在地下鉄乗り入れでも活躍している6000系は、6109〜6117Fの8本であり、そのうちの6117Fは、西武有楽町線開業40周年記念の黄帯となっています。

6117Fは、20000系の20103F(10両編成)と同様に休車となっていて、使用休止中の札が掛けられている状態で小手指車両基地に置かれたままとなっているので、どうなるのか気になります。

5月22日には、渋谷駅で6117Fによる東横特急(Fライナー)元町・中華街行きを撮影することが出来て良かったな!と思っています。

東急東横線の特急(東横特急)は、通勤特急(平日の朝と夕夜間のみ運転)と同様に特急料金が不要であります。

西武鉄道の6000系や40000系固定式ロングシート仕様車が東急東横線、みなとみらい線の特急(東横特急)に入った場合には、西武線の特急ラビュー(Laview)とは違って特急料金を取られることはないです。

Fライナーは、西武池袋線または東武東上線から東京メトロ副都心線、東急東横線経由で横浜高速鉄道みなとみらい線の元町・中華街駅まで直通する(或いはその逆)の列車のうち、西武池袋線または東武東上線で快速急行、東京メトロ副都心線で急行、東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線で特急(東横特急)となる日中の速達列車に使われている愛称であり、Fは、速達性の「Fast」、相互直通運転が行われている5社の「Five」、副都心の「Fukutoshin」が由来となっています。

ライナーが付く列車では、東武東上線のTJライナーなどの有料ライナーのイメージが強いけど、Fライナーの場合は料金不要であります。

都営交通の一部である日暮里・舎人ライナー(日暮里〜見沼代親水公園間)も、料金を取られないライナー列車となっています。

5月9日に発表された、西武鉄道の今年度の事業計画によると、40000系が24両(8両編成3本)導入される予定であり、どうなるのか気になります。

8両編成で導入されたとしたら、8両編成までしか入ることの出来ない豊島園駅への入線が可能となることに加え、池袋口または西武新宿口の各駅停車、秩父S-TRAIN以外の西武秩父線での運用にも使えるようになります。

地下鉄乗り入れ仕様か非乗り入れ仕様になるのかは、導入された時にならないと分からない状態であります。

小田急電鉄から8000形の1本がサステナ車両の第一号として譲り受けられることになっており、改造された上で国分寺線で使われる予定となっています。

その種車は、8261Fで、西武線入りした後、小田急カラーのまま小手指車両基地に置かれた後、7月に武蔵丘車両検修場に入場していました。

これにより、初期型2000系(2417Fと2419F)が風前の灯となり、新2000系(N2000)系の置き換えが更に進められることになるので、従来の黄色い2000系も撮影しておく必要があります。

2026年度からは、新宿線の10000系特急(ニューレッドアロー、小江戸号)が置き換えられる予定となっているけど、有料着席サービスの刷新が検討されていると言われているので、40000系による拝島ライナーのような列車に変わることも考えられています。

いずれにせよ、10000系小江戸号の乗車、撮影はお早めにということになるけど、レッドアロークラシックが別の編成で復活してくれればいいなと思っています。

10000系は、10112Fを除いて抵抗制御車(非VVVF車)となっているので、2030年度までにVVVFインバータ車に統一させる計画によって置き換えられる条件に当てはまっています。

自分(しゃもじ)は、その発表がある前から、10000系ニューレッドアローを見掛けた時に撮影するようにしています。

あの時に撮影しておけばよかったということにならないように。

西武鉄道のサステナ車両の導入も、VVVF車への置き換え促進の為でもあることが分かります。

西武線の池袋駅は、1階部分にプラットホームのある4面7線のターミナル駅であり、1,4,6番線が降車ホーム、2,3,5番線が乗車ホーム(各駅停車は2番線中心)、7番線が乗降兼用の臨時ホーム扱いのホームであり、特急専用ホームは、7番線の奥にあります。

こちらは、線路が7番線と兼用である為に、7番線に電車が停車している時に出入り出来ないようになっています。

池袋駅の特急専用ホームは、7両編成まで制限エリア内に入っていたけど、制限エリアを延ばすことが不可能であることにより、8両編成の001系ラビュー(Laview)で、飯能、西武球場前寄りの先頭車(1号車)が7番ホーム側にはみ出る結果となっています。

7番線で8両編成の停車位置が椎名町駅寄りにずれたのはその為でありました。

ラビュー(Laview)の1号車の乗降口は、2号車寄り(トイレ🚻の横)に1ヶ所あるけど、こちらは、制限エリア内に収まっています。

ラビューが設計された時に、池袋駅で寸法を図る作業が行われていたと思われます。

制限エリアは、平日の19時以降のみ検札が行われています。

以前特急専用ホームでは、入口と出口に分かれていて、常時検札が行われていました。

西武線の池袋駅では、1976(昭和51)年に武蔵野線との連絡線が出来るまでの間、国分寺駅と同様に、国鉄線(現在のJR東日本の路線)と線路が繋がっていて、貨物列車の荷受けも行われていたことがありました。

池袋駅の留置線は、その名残とも言えます。

こちらは、2本収容出来るようになっており、日中には車両が留置される風景を見ることが出来ます。

西武線の池袋駅の改札口は、地上1階の正面改札口、地下1階の地下改札口、1番線側の西武南口(7時~22時30分)から成っており、1997(平成9)年3月26日に西武南口が開設されるまでの間、1番線に西武百貨店池袋本店(現、西武池袋本店)の1階の化粧品売場と直結していた連絡改札口がありました。

現在は、1階の正面改札口から出て、西武池袋本店の化粧品売場に行くことになっています。

東武百貨店池袋店の真下にある東武東上線の池袋駅と同様に、池袋西武の真下にあるので、買い物にも便利であります。

西武池袋駅のトイレ🚻は、地下1階の7番線との連絡階段、エスカレーターの横にあり、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽も併設されています。

個室のほうは、所沢駅の中央改札側のトイレ🚻と同様に、洋式🚽がメインで、1ヶ所だけ段差付きの和式トイレとなっています。

こちらもやはり洋式トイレ🚽に人気が集中し、和式トイレが空いていることが多い状態であるので、和式トイレは時代遅れであることが分かります。

最近は公園のトイレ🚻も洋式化が進められているので、時代の流れなんだな❗と思いました。

池袋西口公園のトイレ🚻もリニューアル化と共に全て洋式となっています。

西武池袋駅の2番乗り場は、椎名町寄りにずれた場所にあるので、1階の正面改札口から行く場合には注意が必要⚠️であります。

西武池袋線の池袋駅では、今年度中に1,7番線と特急ホームにもホームドアが設けられる予定となっています。

池袋駅の1,2番ホームと豊島園駅は、6月16日のスタジオツアー東京のオープンに合わせてリニューアルされ、スタジオツアー東京エクスプレスと同様に、魔法列車に乗って魔法の世界へ旅に出よう!がコンセプトとなっています。

池袋駅の1,2番ホームは、ロンドンのキングス・クロス駅、豊島園駅は、ホグワーツ魔法魔術学校の最寄り駅であるホグズミード駅がイメージされています。

1番ホームにある、キングス・クロス駅と同じ時計のレプリカは、自分(しゃもじ)のお気に入りであります。

池袋駅構内のコンビニも、キングス・クロス駅がイメージされたものにリニューアルされています。

特急ラビュー(Laview)での酒盛りを楽しみたい場合には、安心であります。

西武池袋駅の地下の改札内(エミオ池袋)にあるそばダイニング凛やは、女性客でも気軽に立ち寄ることの出来るおしゃれな駅構内のそば屋であり、サラダ蕎麦や蕎麦つけ麺というユニークなメニューもあります。

蕎麦つけ麺は、中華麺の代わりに日本そばを使ったつけ麺となっています。

駅構内の地下には、カフェ&バー タミルズやだし茶漬け えんもあります。

詳細は、「エミオ池袋」、「そばダイニング凛や」、「カフェ&バータミルズ」、「だし茶漬け えん」で検索。

池袋西武では、来年夏にグランドリニューアルオープンする予定であり、7月31日には、地下の食料品売り場(西武食品館、デパ地下)が一旦閉店となってしまいます。

西武食品館の一部の店舗は、8月2日から7階に仮移転されることになり、デパ地下ならぬ、デパナナとなります。

池袋西武の屋上の讃岐うどんの店であった「かるかや」は、6月30日をもって、地下1階の麺の直売所と共に閉店されてしまったのが残念でありました。

屋上にあるフィッシュショップ 土屋観賞魚(金魚、錦鯉、熱帯魚などの鑑賞魚を扱う店)も6月30日で閉店されていました。

西武池袋本店(池袋西武)は、セブン&アイ・ホールディングス傘下のそごう・西武による運営のターミナルデパート🏬であり、西武百貨店の時代には、西武鉄道の系列→セゾングループとなっていました。

今後フォートレス・インベストメント・グループに買収され、ヨドバシカメラが出店予定となっているけど、昨年8月31日には、そごう・西武の労働組合によるストライキが発生したことにより、池袋西武が臨時休館となってしまいました。

本当にどうなるのか気になります。

一方の東武百貨店池袋店(池袋東武)は、メトロポリタンビル部分を除いて、将来的に超高層ビルに改築される予定となっているので、新宿の小田急百貨店みたいな感じとなります。

戦後には、池袋駅の東口と西口にブラックマーケット(ヤミ市)と呼ばれる露店街が形成されていたことがありました。

池袋の地名の由来は、袋型の池などの池や雑木林が多かったことであり、東京メトロ銀座線、南北線の溜池山王駅付近にその名の通りの溜め池があったことに準じています。

東向島にある東武博物館にある古い地図を見た時に、溜池山王駅付近に溜め池があったことを確認することが出来ます。

池袋なのにどこが池なんだという疑問はこのことでありました。

現在の池袋は、大塚辺りから移ってきた繁華街となっています。

豊島区目白(椎名町駅付近)に本社があり、池袋を中心に展開されている手もみラーメンの店である「福しん」🍜は、安くて美味しい😋🍴💕と評判であり、主力商品である手もみラーメン🍜が390円(サンキュープライス)となっていたけど、現在は450円となっています。

素材にもこだわりがあり、チャーハン(炒飯)は、炊き込みご飯ではなく、白米のまま炒めることが特徴となっています。

餃子🥟はもちろん、問題となった中国産ではなく、野菜を含めて安心の国産であります。

池袋は、西口のバス通り店、サンシャインシティアルパ店、公会堂前店であり、西武池袋線沿線には、東長崎店、江古田店、練馬店、中村橋店、石神井公園店、大泉学園店、東久留米店があります。

西武新宿線沿線の福しんは、新宿小滝橋店(西武新宿駅付近)、中井店、新井薬師店、鷺ノ宮店から成っています。

東京メトロ半蔵門線の水天宮前駅付近(東京都中央区蛎殻(かきがら)町)にある東京シティエアターミナル(T-CAT)✈️には、福しんの水天宮前T-CAT店があるけど、T-CATの中の店舗らしく、FUKUSHINの表示があります。

詳細は、「福しん」、「手もみラーメン福しん」で検索。

東京シティエアターミナル(T-CAT)✈️は、オレンジ色のリムジンバスでお馴染みの東京空港交通(Airport Limousine)の本拠地であり、本社もここにあります。

日高屋は、関東地区に展開されている埼玉県発祥の格安中華料理店であり、簡易居酒屋にもなっています。

日高屋の餃子🥟ももちろん国産であり、専用の小麦粉が使われています。

日高屋の中華そば🍜は、390円とサンキュープライスが守られているのが嬉しいです。

ハイデイ日高、日高屋は、生みの親である神田正氏の出身地である入間郡日高町→日高市(西武沿線との関連もある)が由来となっています。

日高屋の1号店が新宿に出来たのは、2002(平成14)年6月のことであります。

安くて美味しい😋🍴💕日高屋の中華そば(ラーメン)が20年間ご愛顧されていることは素晴らしいことだと思っています。

詳細は、「日高屋」、「ハイデイ日高」、「日高屋中華そば」で検索。

西武線の練馬駅は、外側に通過線のある2面6線の高架駅であり、1番線が西武有楽町線(東京メトロ有楽町線、副都心線、東急東横線、みなとみらい線)からの池袋線下り列車(所沢、飯能方面)、2番線が西武線の池袋駅からの池袋線下り列車(所沢、飯能方面)及び豊島線(豊島園行き)の列車、3番線が池袋線上り(桜台、西武線の池袋駅方面)、4番線が西武有楽町線(小竹向原、東京メトロ有楽町線、副都心線、東急東横線、みなとみらい線直通方面)から成っています。

西武池袋線の準急列車が終日練馬駅に停車するようになったのは、高架化工事中だった1993(平成5)年12月6日のことであり、これまでは平日の朝ラッシュ時の上り準急(池袋行き)と、1988(昭和63)年12月まで運転されていた豊島園発着の準急のみの停車となっていました。

2001年12月15日には快速、2008年6月16日に通勤準急も停車するようになったけど、2020年3月16日からは、平日の下りS-TRAIN(豊洲→小手指間)🚃💺🌃が練馬駅での降車扱いが行われるようになっています。

練馬駅の快速急行の停車は、地下鉄直通列車のみであり、西武線の池袋駅発着の場合は通過となるので注意が必要⚠️であります。

定期運用されている池袋(西武線)行きの快速急行は、平日朝の飯能 7時04分発の1本(途中、入間市、小手指、所沢、ひばりヶ丘、石神井公園の各駅に停車)のみとなっており、所沢→池袋(西武線)間の停車駅は急行と同じであります。

こちらの最後部の車両(1号車)は、女性専用車🚃🚺️となっています。

西武池袋線の複々線区間は、練馬~石神井公園間であり、東武鉄道の複々線区間(東武スカイツリーラインの北千住~北越谷間、東上線の和光市~志木間)と同様に外側が急行線、内側が緩行線となっています。

飯能駅は、3面4線のスイッチバック方式の駅であり、1,4番線が池袋線上り(所沢、池袋、新木場、元町・中華街方面)、2,3番線が池袋線下り・西武秩父線(吾野、西武秩父、三峰口、長瀞方面)、5番線が特急専用ホーム(所沢、池袋方面または西武秩父方面)から成っています。

2番線と3番線の線路は共通なので、1番線または4番線から(へ)の乗り換えに対応しています。

1989(平成元)年に橋上駅舎に改築される前は、北口駅舎のみで、構内踏切で結ばれていました。

飯能駅のトイレ🚻は、改札内にあり、壁に木材が使われ、個室が全て洋式🚽となっています。

エレベーターとエスカレーターは、全てのホームにあります。

西武飯能PePe(ペペ)は、1992(平成4)年10月23日に開業した北口側の駅ビルであり、地上4階、地下1階建てとなっています。

地下1階には、食料品売り場があります。

PePe(ペペ)の由来は、Prince Promenade(プリンスプロムナード)の略称であり、1977(昭和52)年3月3日に西武新宿ペペが、新宿プリンスホテルと共にオープンした当時は、プリンスプロムナードペペと呼ばれていました。

どちらもPで始まり、eで終わるので、想像がつくと思っています。

PePe(ペペ)は、ペペロンチーノみたいな名前だけど、プリンスプロムナードが由来であることを知りました。

PePe(ペペ)のある場所は、西武新宿、本川越、入間(入間市)、飯能、新横浜(プリンスペペ)であり、西武新宿線の特急小江戸号(10000系ニューレッドアローによる運転)は、PePe(ペペ)のある駅同士(西武新宿駅と本川越駅)を結ぶ列車であります。

新横浜のプリンスペペは、新横浜プリンスホテルの中にあり、グループ施設である横浜アリーナから近いです。

隣接するホテルヘイテイジ飯能staは、同じ1992年に開業した飯能プリンスホテルだった場所であり、2012(平成24)年10月1日に熊谷市にあるホテル運営会社であるヘリテイジに譲渡されたことにより、ホテルヘイテイジ飯能staとなっています。

詳細は、「ペペ」、「西武飯能ペペ」、「ホテルヘイテイジ飯能sta」で検索。

ムーミンバレーパークやメッツァビレッジの近くにある宮沢湖温泉 喜楽里(きらり)別邸という日帰り温泉施設♨️は、小学生以上が対象となっているので、大人と同伴であっても未就学児の入館が出来ないので、注意が必要⚠️であります。

飯能駅や武蔵高萩駅からのバス🚌の場合は、宮沢湖温泉で下車することになるけど、メッツアから歩いて行くことも出来ます。

詳細は、「宮沢湖温泉 喜楽里別邸」で検索。

飯能駅のある埼玉県飯能市は、1954(昭和29)年1月1日に、入間郡飯能町の市制施行により出来た市であり、1956(昭和31)年9月30日に入間郡吾野村、東吾野村、原市場村が、2005(平成17)年1月1日に入間郡名栗村がそれぞれ編入されて現在の形となっています。

現在飯能市の一部となっている旧、名栗村は、名栗湖や名栗温泉♨️のある場所であり、飯能駅や東飯能駅から国際興業バス🚌に乗って行くことになります。

飯能、名栗エリアで運転されている国際興業バスは、飯能営業所担当であり、他の国際興業バスのエリアと離れていることに加え、唯一の所沢ナンバーとなっています。

さわらびの湯♨️は、名栗温泉にある飯能市営の日帰り温泉施設であり、西川材の木のぬくもりが生かされています。

川のせせらぎを感じることが出来る露天風呂もあることで、良さそうだな❗と思っています。

名栗温泉♨️には、温泉旅館である大松閣があり、宿泊はもちろんのこと、日帰りでも楽しむことが出来ます。

詳細は、「名栗湖」、「名栗温泉」、「名栗温泉大松閣」、「さわらびの湯」で検索。

このように、飯能駅から楽しめるスポットがメッツァ(ムーミンバレーパーク)だけではないことが分かります。

西武秩父駅がリニューアルされて温泉入浴施設である祭の湯(西武グループの日帰り温泉施設)♨️が新設されたのは、S-TRAINがデビューした1ヶ月後の2017(平成29)年4月24日のことであり、温泉入浴♨️はもちろんのこと、入場無料エリアのフードコート(呑喰亭 祭の宴)や温泉内レストラン秩父湯台所で食事🍴を楽しむことも出来ます。

こちらは、京王電鉄の高尾山口駅(京王高尾線の終着駅で、その名の通りの高尾山への玄関口)が改築されて京王高尾山温泉/極楽湯(京王グループと極楽湯のコラボによる日帰り入浴施設)♨️が出来たことと同様であり、帰る前に入浴することで疲れを癒すことや、食事🍴を楽しむことも出来るという祭の湯との共通点があります。

祭の湯には、2階の男女別の浴槽♨️のほか、温泉内レストラン秩父湯台所🍴、寝ころび処、くつろぎ処、岩盤浴、ほぐし処、プレミアムラウンジ(有料、座席指定制)💺もあり、プレミアムラウンジは、共用💺13ブース、女性専用💺🚺8ブースあります。

祭の湯の男湯♨️🚹は広場側(左側)、女湯♨️🚺は駅側(右側)にあるけど、男湯♨️🚹のほうは、男女共に線路側に浴槽がある(もちろん男女別になっている)高尾山温泉とは違って、電車の音は聴こえてこなかったです。

祭の湯と高尾山温泉には、高濃度人工炭酸泉もあるけど、祭の湯では内湯側にあります。

もう一つの内湯は、シルク湯であり、美肌効果もあります。

祭の湯の露天風呂には、桜が植えられているので、4月上旬にお花見🌸しながら入浴することが出来ます。

京王井の頭線の高井戸駅付近にある高井戸温泉美しの湯♨️の露天風呂でも桜🌸を見ながら入ることが出来ます。

自分(しゃもじ)は、2020年11月8日に、秩父祭の湯のフードコートで、秩父わらじかつ亭によるわらじかつ丼を初めて食べたけど、美味しかった😋🍴💕ので、秩父は美味しい食べ物の宝庫なんだな❗と思いました。😋🍴💕

秩父は蕎麦(そば)も美味しいので、秩父鉄道の御花畑駅の立ち食いそば店で蕎麦を食べてみて美味しかった😋🍴💕ことを思い出しました。

もちろん、祭の湯のフードコートでも、秩父の蕎麦を味わうことも出来ます。

秩父の豚肉料理は、わらじかつ丼のほか、豚肉の味噌漬けも有名であり、祭の湯のフードコートにある丼屋 炙り(あぶり)で、炙り豚味噌丼を味わうことも出来ます。

豚肉にはビタミンB1が豊富に含まれているので、秩父のある埼玉県のホームページでは、埼玉県産豚肉でパワーチャージ❗ということがアピールされています。

西武秩父の祭の湯♨️の無料エリアは、これまでの西武秩父仲見世通りが受け継がれており、お土産屋が充実しています。

秩父湯台所では、秩父ジビエである鹿肉のロース丼やカツを味わうことも出来ます。

鹿肉は、柔らかくて臭みが少なく、低カロリー高たんぱくで、鉄分が豊富に含まれているので、女性におすすめの食材と言われています。

気になったら食べてみるしかないです。

露天風呂の花見湯は、有名温泉地の湯を楽しめる場所であり、現在は、芝桜の丘がイメージされた、芝桜の湯♨️となっています。

一昨年10月1日には、酒匠屋台がリニューアルされ、角打ちエリアが拡張されていました。

自分(しゃもじ)にとって、西武秩父の祭の湯は、高尾山温泉と共にいつ行っても(来ても)最高だな❗と思っています。

4月19日の芝桜見物の後に行ってみて、このことを感じました。



7月27,28日には、川越百万灯夏まつりに合わせて、本川越駅の1番線では、Laview夏まつりが行われる予定となっており、ラビュー(Laview)が展示されることになります。

詳細は、西武鉄道のホームページに出ています。

京成電鉄では、デビュー記念日を迎えた昨日(7月17日)から、AE2Fによる5000万人記念ライナーが運転されるようになっています。

JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、4月17日から、羽田〜ダラス・フォートワース線にエアバスA350-1000型機が就航していました。

こちらは、7月1日から羽田〜ニューヨーク(JFK)線が2往復共にエアバスA350-1000型機となったことにより、8月2日まで全てボーイング777-300ER型機に戻されています。

8月3日からは、再び隔日運航(偶数日の羽田発はボーイング777-300ER型機による運航)となり、8月29日から、全てエアバスA350-1000型機での運航となります。

ダラス・フォートワース国際空港は、アメリカン航空✈️🇺🇲との乗り継ぎにより、ネットワークが強化されています。

6月28日(日本(羽田)発6月29日)は、アメリカン航空が、羽田〜ニューヨーク線に参入(10年ぶりに再開)していました。

機種はボーイング777-200ER型機が使われています。

ボーイング777-200型機は、JALでER型を含めて全廃となったけど、ANAでは、非ER型を含めてボーイング787-10型機に順次置き換えられる予定となっています。

このことは、JR東海でN700系からN700Sへの置き換えが、JR西日本よりも早いペースで行われていることと似ているところがあります。

ANA(全日本空輸)✈️💙では、3月27日、ボーイング787-10型機のJA981A号機が、羽田〜札幌(新千歳)間を皮切りに、国内線にも就航していました。

6月23日は、蒲田駅から京浜急行バスによる急行便で羽田空港まで行き、そのうちのJA984A号機を撮影することが出来ました。

詳細は、ANAのホームページを見るか、「ANA ボーイング787-10」で検索。

たまプリは、初期で活躍していた千ちゃんと、新メンバーである佐倉美桜、双六さつき、神田藍里、神楽ひまわり各氏を加えた新体制となり、5月18日にお披露目されていました。

5月19日は、池袋SOUNDPEACE(サウンドピース)で行われた、「 無銭大好きマン」で、 新生たまプリを見てきました。

この時にお気に入りの釣りの歌やおすしの歌を聴くことが出来て良かったです。

6月1日は、土曜出勤により、たまプリのオフ会に行かれなかったのが残念でありました。

このことで、メンバーに寂しがられていたけど、双六さつき氏🧡は、しゃもじサンいなかったからすんごく寂しかったと言っていました。

6月29日のたまプリのカフェイベントにも行かれなかったのが残念でした。

自分(しゃもじ、しゃもぽん)から見た たまプリを ANAこと全日本空輸の飛行機✈️💙に例えているので、たまプリのオフ会やカフェイベントにしゃもじ(しゃもぽん)が行っていたら、ANAのエアバスA380 型機のフライングホヌによる成田~ホノルル(ハワイ)線✈️🐢🏝️に例えていたところでした。

自分(しゃもじ)から見たたまプリを、ANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙に例えているのは、1推しである、あいりんこと神田藍里氏💙のメンバーカラーだからでもあります。

15日は、大塚ドリームシアターで行われた、あーにゃと伊藤蒼姫氏😸が出てきたライブで、ステーション♪の歌が歌われていたけど、土曜出勤により行かれなかったのが残念でした。

6月30日は、渋谷のシダックスカルチャーホールでさゆまゆ姉妹の公演に行くことが出来ました。

自分(しゃもじ)がさゆまゆ姉妹を見たのは、3月24日の上野以来でありました。

7月7日は、五反田にあるGOTANDA G7で、暁みゆ、兎丹らむね両氏による2人組アイドルグループである、おさんぽ娘と、ゆめとあいりをを見ることに成功しました。

暁みゆ氏は、かつてNゼロで活躍していたメンバーであります。

ゆめとあいりは、元きみよりのゆめちゃんと、あいりちゃんによる2人組であり、あいりちゃんを初めて生で見たことになりました。

詳細は、「おさんぽ娘」、「ゆめとあいり」で検索。

5月12日は、内幸町ホールに行き、元ぶどう党の天野ひかり氏と再会しました。

この時に、むぎさり(ビーバイユーの永久つむぎ、満月咲莉華両氏によるユニット)と初対面することも出来ました。

詳細は、「天野ひかり」、「ビーバイユー」、「むぎさり」で検索。

14日は、高田馬場BSホールで、天野ひかり氏と、むぎさりを見てきたけど、一緒に照の湯などの銭湯に行った友人と再会することが出来ました。

3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。

たまプリの、あいりんこと神田藍里氏💙は、7月8日から31日まで、学業専念により活動休止となってしまうので、頑張ってもらいたいと思っています。

休止期間中は、双六さつき氏🧡が1推し代理となります。

7月7日は、たまプリのメンバーに会えなかったのが残念でした。

7月6日の記事を、あいりんこと神田藍里氏💙の大好きなもころん号にしたのは、その為でありました。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

西武池袋線、西武新宿線、特急ちちぶ、むさし、小江戸号、拝島ライナー、S-TRAINの時刻、運賃、運行状況等の詳細は、西武鉄道のホームページを見るか、「西武池袋線」、「西武新宿線」、「西武特急ラビュー」、「特急小江戸号」、「拝島ライナー」、「S-TRAIN」で検索願います。

西武線の各種ラッピング電車や10000系などの撮影には、マナーを守ってもらいたいと思っています。

今宵はここまでに致しとうござりまする。















































6月27日は、日暮里から青砥まで、京成電鉄3500形の3548Fによる、普通列車(各駅停車)の京成津田沼(津田沼)行き🚃に乗りました。

今回乗った列車は、平日01運用の後半のうちの、京成上野駅を12時57分に発車する京成津田沼行き(1201レ)であり、千住大橋駅で、京成上野 13時ちょうど、日暮里 13時05分発のスカイライナー45号(成田スカイアクセス線経由の成田空港(成田第1ターミナル)行き、この日はAE9F(キャプテン翼ライナー)が使われていた)🚃💺✈️の通過待ちが行われていました。

京成津田沼駅からの折り返しは、14時16分発の京成上野行きであります。

青砥駅では、西馬込駅から来た京浜急行電鉄(京急)新1000形の1025F(ビビビビ!台湾号)による、京成本線経由の快速成田空港(成田第1ターミナル)✈️行き🚃🇹🇼に接続していたので、こちらに乗り換えて成田空港✈️まで行っていました。

成田スカイアクセス線(京成成田空港線)が開業し、スカイライナーがスピードアップされてから、本日(7月17日)で14周年を迎えていたので、早いもんだな!と思っています。

今回乗った3500形は、3548F(4両編成)の中間に、3552Fの片割れの編成(京成上野寄り)を入れた編成であり、先頭車の隣は中間車という3500形の6両編成ならではの組み合わせとなっていました。

3500形の運転台は、京成電鉄で最後の従来型のワンハンドルマスコンとなっているのが特徴であります。

来年4月1日には、新京成電鉄が京成電鉄に吸収合併され、京成松戸線となるけど、この時に2軸式ツーハンドルマスコンの8800形も加わることになります。

京成電鉄の車両の行先表示は、上野、高砂などの省略表示となっていたけど、LED表示車で京成を冠する行先がフル表示に変更されていました。

方向幕車の3400形、3500形、3600形は、京急の車両と同様に省略表示のままとなっているので、京成津田沼行きが津田沼の表示となっています。

京成臼井行きの表示は、北総線の白井駅との誤認を防ぐ為に、「うすい」の表示となっていたけど、3500形や3600形が京成臼井行きに入った時に、うすいの表示を見ることが出来ます。

もしも京成臼井駅でなく、臼井駅のままとなっていたら、うすい行きの表示が継続されていたところでありました。

このことで、福島県郡山市にあるうすい百貨店(三越伊勢丹ホールディングス傘下の百貨店)を思い出しました。

京成3500形は、1972(昭和47)年から1982(昭和57)年に掛けて96両導入された京成電鉄初のステンレス車(セミステンレス車)であり、1993(平成5)年まで活躍していた旧AE形(初代スカイライナー)と共に70年代の京成を代表とする車両となっていました。

1996(平成8)年から2001(平成13)年までの間には、1972年から1974(昭和49)年に掛けて製造された初期型(3504~3556F)が更新されていたけど、1976(昭和51)年から1982年に掛けて製造された後期型の3560F~3596Fが更新されることもなく廃車となっていました。

1972年から1974年に掛けて製造された車両は、2006(平成18)年まで活躍していた小田急電鉄の9000形(初代地下鉄千代田線乗り入れ用車)と同期でありました。

当初は京成3500形の96両全てが更新される予定となったけど、途中から更新させるよりも新車に置き換えたほうが効率が良いと判断されたので、後期型の10編成40両の更新工事が見送られて未更新のまま残され、2017(平成29)年2月の3588Fの廃車をもって全廃となっていました。

このことは、小田急電鉄の1000形で、ワイドドア編成(1700番台)を除いた全編成がリニューアルされる予定が変更され、リニューアルの対象から外された1000形の通常ドア車も順次廃車の運命を辿っていたことに準じています。

小田急1000形の非リニューアル車は、一昨年10月の1058F(赤色の箱根登山鉄道カラーだった)の廃車により小田急の方向幕車と共に全滅していました。

京成3588Fは、金町線のほか、京成本線でも乗った編成でもありました。

京成3500形の製造メーカーは、日本車輌製造、東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)、川崎重工業(川崎車両、Kawasaki)であり、汽車会社から受け継がれた川崎重工業製の京成の電車は、3500形が最後となっています。

川崎重工業(Kawasaki)製の編成は、3516,3536Fであり、廃車となった3532,3568,3572,3576Fもこうなっていました。

3500形更新車も、2018(平成30)年10月の3532Fを皮切りに廃車が進められるようになっているので、3500形を見掛けた時に撮影するようにしています。

一部は4+2の6両(分割された片割れの編成を含む)で使われているので、本線でも見ることが出来ます。

一昨年11月26日からは、金町線(京成高砂~京成金町間)、千原線(千葉中央~ちはら台間)、東成田線・芝山鉄道線(京成成田~東成田~芝山千代田間)の一部でワンマン運転が行われるようになるので、3500形の4両編成や3600形の3661Fがワンマン改造されています。

これにより、関東の大手私鉄でワンマン運転が行われていない会社は、小田急電鉄、京浜急行電鉄(京急)、相模鉄道(相鉄)の3社となります。

3500形の3540Fは、2013(平成25)年4月から芝山鉄道にリースされている車両であり、緑色と赤色の芝山鉄道カラーの帯となっています。


これまで芝山鉄道にリースされていた車両は、3600形の3618Fで、2013年に京成電鉄に返却された後、芝山カラーのまま活躍し、同年12月に京成カラーに戻され、2017年2月に廃車となっていました。

3600形で最初に編成単位で廃車となった編成は、3618Fでありました。

今回の話題である3548Fは、6両共に1974年製であり、50年経った現在でも活躍しています。

足回り品は、抵抗制御となっているので、こちらも京成最後となっています。

7月14日には、来年初頭にデビュー予定の新3200形である3206Fの6両が、日本車輌製造豊川製作所から出場し、豊川駅から越谷貨物ターミナルまで甲種輸送されていました。

その後、北総鉄道の印旛車両基地まで陸送され、走れるような環境となった後に宗吾車両基地入りすることになります。



京成新3200形は、3500形や3600形の置き換え用として導入される中間貫通ドアの車両で、4両、6両、8両というフレキシブルな運用が可能となっています。

3600形は、4両オールM車の3668Fと6両編成ファイアーオレンジ帯の3688Fから成っているけど、後者のほうが先に置き換えられる確率が高いと言われているので、撮影、乗車はお早めに。

京成線の日暮里駅は、1階に上りホームの0番線(京成上野行き、スカイライナー、モーニングライナーの降車専用ホーム)、2階に改札口、コンコース、3階に下りホーム(青砥、京成船橋、成田空港✈️、ちはら台、芝山千代田方面、スカイライナー、イブニングライナーの乗車専用ホームは1番線、ライナー系以外の一般電車列車は2番線)から成っており、ライナー系列車の1番線に行くところに専用改札(中間改札)があります。

スカイライナーのホームに行くつもりが間違えて一般電車列車用の2番線に行ってしまわないように注意が必要(Caution)⚠️となっています。

京成日暮里駅が現在の形となったのは、2009(平成21)年10月3日のことであり、これまではJR常磐線と隣り合っていた1面2線の島式ホーム(下りホームもライナー系と兼用)となっていました。

新三河島駅は、明治通りに跨がる1面2線の島式ホームの高架駅で、池袋駅東口と浅草雷門南の間を王子駅前、尾久駅経由で結ぶ都営バスの草64系統(巣鴨自動車営業所所属)も通っています。

荒川区の三河島地区で栽培されている三河島菜は、江戸川区が発祥の小松菜と同様に、江戸東京野菜の一つであり、戦時中に衰退したものが復活したものであります。

日暮里駅と新三河島駅の間には、道灌山通駅があったけど、日暮里から近いことにより、1943(昭和18)年10月1日に休止され、1947(昭和22)年2月28日をもって正式に廃止されていました。

道灌山通駅跡は、西日暮里駅付近にあるけど、西日暮里駅が開業した後も復活することはなかったです。

同様に、戦時中までの間、町屋~千住大橋間に西千住駅がありました。

東武鉄道では、牛田~北千住間に、千住→中千住駅があったけど、こちらもやはり戦時中に休止→廃止された駅でもあります。

過去を通じてないのは、東千住駅であります。

このことは、西船橋、東船橋、南船橋駅があっても、北船橋駅がないことと同様であります。

JR武蔵野線の船橋法典駅は、仮称の段階で北船橋駅となっていたので、北船橋駅が幻となっています。

因みに浦和エリアには、東浦和、西浦和、南浦和、北浦和駅と東西南北揃っており、浦和駅に加えて中浦和駅もあります。

町屋駅は、東京メトロ千代田線、都電荒川線(東京さくらトラム、町屋駅前停留場)の乗換駅の1面2線の島式ホームの高架駅であり、東側で都電荒川線(東京さくらトラム)と交差しているので、京成線から都電荒川線の電車を、都電荒川線から京成線の電車を眺めることが出来ます。

2002(平成14)年10月まで運転されていた京成本線の急行(快速の前身)は、町屋駅と千住大橋駅に停車していたけど、快速に格上げられてからは通過となり、乗換駅であるにも関わらず、普通列車(各駅停車)しか停車しない駅となってしまいました。

京成上野~青砥間の普通列車を除いた日中の列車は、快速特急京成成田行きと快速京成佐倉行きが交互に運転されているので、日中に京成上野、日暮里の両駅から成田空港✈️に行く場合には、速くて快適なスカイライナー🚃💺✈️のご利用をお願い致します。ということになるけど、当然のことながら、別途ライナー券(特急券に相当)が必要となっています。

千住大橋駅に関しては、2010年7月17日から快速の停車駅となっているけど、町屋駅は通過のままであります。


東京メトロ千代田線の町屋駅は、日暮里、千駄木、根津の各駅と同様に、上下二層式の駅で、上が1番線(代々木上原、小田急線方面)、下が2番線(綾瀬、JR常磐緩行線方面)となっているので、他の路線からの乗り換えの時に注意が必要⚠️であります。

東京メトロ千代田線から、京成本線や都電荒川線(東京さくらトラム、町屋駅前停留場)への乗り換えは、北千住寄りの改札口(センターまちやと直結)を使うことになります。

町屋駅付近にある荒川自然公園🏞️は、1974(昭和49)年4月に、三河島水再生センターの施設の上の人工地盤に出来た公園であり、北側と南側に分かれています。

このような構造の公園は、新宿区上落合(西武新宿線の下落合駅付近)にある落合水再生センターの人工地盤の上にある落合中央公園🏞️も挙げられています。

三河島水再生センターには、国の重要文化財に指定された、レンガ造りの喞筒場施設があることで有名であり、春には桜🌸が咲き誇ることになります。

詳細は、「荒川自然公園」、「三河島水再生センター」で検索。

町屋駅前にある今川焼の店である博多屋は、再開発される前から親しまれている店であり、おすすめと言われています。

詳細は、「町屋博多屋」、「今川焼博多屋」で検索。

千住大橋駅は、日光街道(昭和通りに続いている)に跨がる2面4線の待避可能な高架駅であり、スカイライナーなどの通過待ちや快速の待ち合わせが行われることもあります。

北千住駅までは徒歩15分で行けるけど、都電荒川線(東京さくらトラム)の三ノ輪橋停留場まで、歩いて行くことも出来ます。

駅名の由来となった千住大橋の横には、奥の細道の矢立ち初めの地があります。

詳細は、「奥の細道」、「奥の細道の矢立ち初めの地で検索。

京成関屋駅は、東武線の牛田駅との乗換駅であるけど、町屋駅と同様に、乗換駅であるのにも関わらず、普通列車(各駅停車)しか停車しない駅となっているので、利便性があまり良くないです。

東武線の牛田駅では、浅草発着の普通列車(各駅停車、浅草~北千住間の区間運転)、区間準急、区間急行のみ停車であり、半蔵門線直通列車(準急、急行)は全て通過となっています。

京成関屋駅と牛田駅は、どちらも2面2線の相対式ホームの駅(前者は高架駅、後者は地上駅)であり、東武線は西側が北千住、東武動物公園方面、東側が浅草(都心)方面と、都心に向かう方向が京成線の逆となっています。

周辺にスーパーフィッシング足立という全天候型の釣り堀があったけど、残念なことに昨年5月末をもって閉鎖されていました。

こちらでは、チョウザメやナマズなどを釣ることが出来たので、閉鎖が惜しまれていたのもそのはずでありました。

2017(平成29)年2月5日は、スーパーフィッシング足立で、黄金時代(同年末に解散したグループ)の釣り堀オフ会が行われていたけど、自分(しゃもじ)は、それに行かずに本八幡や橋本まで、最後の時を迎えていた都営新宿線の10-300R形(先頭車が10-300形で中間車が10-000形かは流用された車両だった)の10-330Fを追っ掛けていました。

自分(しゃもじ)は、黄金時代のオフ会に行けずじまいとなってしまったのも言うまでもないです。

スーパーフィッシング足立の閉鎖により、都営新宿線の10-300R形と共に過去の出来事となったのであります。

堀切菖蒲園駅は、2面2線の高架駅であり、2002年10月まで急行の停車駅となっていました。

駅名の由来となっている堀切菖蒲園は、綾瀬川沿いにある菖蒲園であり、徒歩10分程度で行くことが出来ます。

詳細は、「堀切菖蒲園」で検索。

堀切菖蒲園の駅は、葛飾区にあるけど、駅の北側が足立区となっているので、足立区へのアクセス駅としても機能しています。

東武スカイツリーラインの堀切駅は、足立区千住曙町にある駅で、堀切の地名は、荒川放水路と綾瀬川を挟んだ対岸の葛飾区の地名であるので、足立区にある葛飾区の地名の駅である小菅駅との共通点があります。

1902(明治35)年4月1日に開業した当時は、現在の葛飾区堀切と陸続きとなっていたけど、1924(大正13)年10月1日に、荒川放水路が出来たことによって、川を挟んだ場所にある駅となってしまったのであります。

京成本線の堀切菖蒲園駅は、葛飾区側にあり、堀切菖蒲園から近いので、本堀切駅の状態であります。

堀切駅と堀切菖蒲園駅の間は、堀切橋経由で、徒歩20分程度の距離があります。

このことは、JR根岸線の石川町駅と山手駅の関係に似ており、山手駅よりも石川町駅(本山手)のほうが山手地区に近いです。

お花茶屋駅は、京成本線の京成上野~青砥間(通称京成上野線)で唯一の地上駅(2面2線)で、橋上駅舎となっています。

京成押上線の京成立石駅は、京成押上線で唯一の地上駅(こちらも2面2線の)となっているけど、こちらは高架化工事中であり、それが完全すれば、京成押上線が地下駅である押上(スカイツリー前)駅付近を除いて高架線で繋がるようになり、東成田線に続く踏切ゼロの路線となります。

お花茶屋の由来は、江戸時代にお茶屋さんがあったことであり、娘のお花という名前に因んでお花茶屋と命名されていたのであります。

お花茶屋駅のトイレ🚻は、下りホーム(2番線、青砥、京成船橋、成田空港✈️、ちはら台方面)側にあるホームトイレであり、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿も設けられています。

下りホームには、車椅子専用出口♿もあるので、バリアフリー駅であることが分かります。

駅周辺にある葛飾区郷土と天文の博物館は、その名の通りの郷土と天文に関する博物館であり、プラネタリウムもあります。

詳細は、「葛飾区郷土と天文の博物館」で検索。

こちらへは、亀有駅から徒歩25分で行くことも出来ます。

都営バスの青戸支所は、葛飾区白鳥にあり、お花茶屋駅からも近いです。

こちらの車両は、かつて足立ナンバーの三菱ふそう(FUSO)車が当たり前となっていたけど、現在は、三菱ふそう以外のメーカーや葛飾ナンバーの車両も加わっています。

京成線の青砥駅は、1階が改札口、コンコース、トイレ🚻、2階が上りホーム(1番線は押上線(押上(スカイツリー前)、都営浅草線、京急線方面)、2番線は京成本線(日暮里、京成上野方面))、3階が下りホーム(3番線は押上線からの京成本線(京成高砂、京成船橋、成田空港✈️、北総線の印旛日本医大方面)、4番線は京成上野からの京成本線(スカイライナー、イブニングライナーを含む))となっているミルフィーユ方式の二層式高架駅なので、同じような構造となっている京急本線、空港線の京急蒲田駅(蒲田要塞)と似ているところがあります。

青砥駅は今後リニューアル化されることになります。

青砥駅の上りホームにあった立ち食いそば屋である、青砥そばは、2020年4月30日をもって閉店となったけど、一昨年2月1日には、三松青砥店として復活していました。

三松は、しいたけの煮物が入ったしいたけそばが名物であり、三河島、高輪にも店舗がありました。

しいたけそばは、しいたけのだし汁も生かされています。

このように、青砥駅の立ち食いそば屋が、しいたけそばの三松によって復活してくれたことで嬉しく思っています。

隣の京成高砂駅の下りホームには、都そば京成高砂店(立ち食いそば屋)があります。

詳細は、「三松青砥店」、「都そば京成高砂店」で検索。

青砥駅が現在のような高架駅となったのは、1986(昭和61)年のことであり、高架化される前は、2面4線で平面交差となっていました。

改札口から3階の下りホームに向かう場合は、京急蒲田駅とは異なり、直通のエスカレーターがないので、エレベーター以外は2階の上りホームでエスカレーターを乗り継ぐことになります。

大田区平和島と江戸川区臨海町を結ぶ幹線道路である環状七号線(環七通り)は、高架化前の京成線の線路が支障していた為に、葛飾区の青戸八丁目と奥戸陸橋の間が未開通となっていたけど、京成線の高架化により、1985(昭和60)年1月に開通していました。

これにより、環七通りが全通していたのであります。

青砥駅と京成高砂駅の間は、中川橋梁を挟む京成線で唯一の複々線区間であり、新小岩と金町を結ぶ新金貨物線(単線の貨物線)と交差しています。

京急線の金沢文庫~金沢八景間は、京急で唯一の複々線区間となっているので、青砥~京成高砂間との共通点があります。

京成線の青砥駅は、タカラトミー(TAKARA TOMY)の人生ゲームの日本発売55周年記念により、7月19日から、人生ゲームのまち仕様の駅名標となっています。

人生ゲームは、1968(昭和43)年9月に、前身のタカラ(TAKARA)によって日本国内で発売されたボードゲームのロングセラーであり、現在は8代目となっています。



そのオリジナルバージョンは、1960年にアメリカ🇺🇲のMilton Bradley(ミルトン・ブラッドリー)社(現・ハズブロ)から発売された「The Game of Life」であります。

タカラトミー(TAKARA TOMY)は、2006(平成18)年3月1日に、タカラとトミーの合併により出来た玩具メーカーであり、葛飾区にある玩具メーカー同士の合併となっていました。

トミーが継承会社であることにより、葛飾区立石(京成立石駅付近)に本社があるけど、タカラの本社は、葛飾区青戸(青砥駅付近、現在は青戸オフィスとなっている)にありました。

リカちゃん人形も、タカラによって発売されたロングセラー商品であり、タカラトミーに受け継がれています。

プラレールは、1959(昭和34)年に発売された鉄道おもちゃのロングセラーであり、鉄道模型に似ていることにより、鉄道模型のキッズ版と呼んでいます。

3月16日にデビューしたJR東日本のE8系新幹線(新型つばさ)も、早速プラレールとして商品化されているので、凄いな❗と思いました。

カトー(KATO)の最大のライバルであるトミックス(TOMIX)ブランドの鉄道模型は、タカラトミーの系列であるトミーテック(TOMYTEC)から発売されています。

昨年7月15日にデビューした、東武鉄道のN100系スペーシアXの模型は、デビュー1周年を迎えた7月31日にトミックス(TOMIX)ブランドのトミーテックから発売される予定となっています。

詳細は、「タカラトミー」、「人生ゲーム」、「プラレール」、「トミーテック」、「トミックス」で検索。

青砥の駅名は、講談の太平記に出てきた青砥藤綱公が由来となっています。

東京都葛飾区は、1932(昭和7)年10月1日に、南葛飾郡新宿(にいじゅく)町、金町、奥戸町、南綾瀬町、本田(ほんでん)町、水元村、亀青村の東京府東京市(東京都の23区の前身)への編入合併で出来た区であり、葛飾郡→南葛飾郡だった頃の名残があります。

青砥駅は、1928(昭和3)年11月1日に開業した当時は、本田町の時代でありました。

京成八幡駅付近にある葛飾八幡宮⛩️は、葛飾区ではなく、千葉県市川市にあるのは、所在地が東葛飾郡八幡町だったことによるものであり、一昨年8月末に閉園となった豊島園(としまえん)が、豊島区ではなく、練馬区(旧、北豊島郡)にあったことと同様であります。

金町駅は、その名の通り、金町だった頃の名残があります。

葛飾区亀有(JR常磐緩行線の亀有駅もある)の由来は、戦国・室町時代に古隅田川と葛西川が合流して亀の背に似た島状の土地となっていたことであり、亀無、亀梨と呼ばれていたことで縁起が良くなかったことにより、亀有となったのであります。

葛飾区亀有は、昔亀青村だった場所でもあり、亀有と青戸に因んだ村名でありました。

江東区にある亀戸(かめいど)の由来は、昔江戸湾に浮かんでいた亀島であり、亀🐢のような形であったから名付けられていました。

それが陸続きになったことによって亀村となり、そこに亀ノ井という井戸があったことから、亀井戸がもじって亀戸と名付けられていたのであります。

このように、亀有と亀戸は、昔亀🐢のような形の地形となっていたことが由来となっていたという共通点があることが分かります。

自動車の葛飾ナンバーは、2020(令和2)年5月11日に江東区の江東ナンバーと共に登場した、葛飾区のご当地ナンバー(足立ナンバーベース)であり、京成グループのバス会社では、京成バスの奥戸、金町の両営業所、京成タウンバスの本社営業所が該当しています。

京成高砂駅付近にある京成ドライビングスクールは、京成グループ(京成ブランド)の自動車教習所であり、普通免許、中型免許、大型免許、各種自動二輪免許、大型特殊免許の教習に加え、営業用のバスやタクシーの運転に欠かせない第二種免許(普通、大型)やドローン免許の教習も行われているので、何でもありの自動車教習所(自動車学校)となっています。

京成高砂駅からは、徒歩7分と近くで便利であります。

1961(昭和36)年の開校から、2000(平成12)年4月の校名変更まで、京成自動車学校と呼ばれていました。

一昨年10月1日には、千葉交通の傘下だった成田自動車教習所(千葉県成田市)が京成ドライビングスクールに吸収合併されて、成田校となり、高砂の本校が高砂校となっています。

成田校は、京成本線の公津の杜駅から徒歩20分であり、無料送迎バス🚐も出ています。

詳細は、「京成ドライビングスクール」で検索。

国民的映画だった男はつらいよシリーズ(寅さん)でお馴染みの柴又帝釈天の最寄り駅である柴又駅は、2面2線の相対式ホーム(6両編成対応)で、構内踏切で結ばれており、駅舎が東側(帝釈天側)にあります。

柴又駅前には、寅さんと諏訪さくらの銅像があるので、JR常磐緩行線の亀有駅前に、こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)の主人公である両津勘吉(両さん)の銅像があることと同様であり、どちらも葛飾区の聖地と呼ばれています。

このことで、かつて京成金町線で活躍していた3300形によるこち亀(両さん)と男はつらいよ(寅さん)のラッピング電車が運転されていたことを思い出しました。

柴又~京成金町間は、当初からの単線区間であり、京成金町線のルーツである帝釈人車鉄道→帝釈人車軌道だった頃の名残があります。

帝釈人車鉄道は、1899(明治32)年12月17日に、柴又~金町間で開業した、6人乗りの小さな客車を人の力で押していくという、その名の通りの帝釈天へのアクセスによる人車鉄道(人力車)でありました。

1897(明治30)年12月27日に日本鉄道(現在のJR常磐線の前身)の金町駅が開業していたので、金町駅から帝釈天への参拝客を送り込む為に帝釈人車鉄道が作られたのであります。

1912(大正元)年11月3日には、京成電気軌道(京成電鉄の前身)の曲金(現、京成高砂)~柴又間が開業したけど、当時は柴又~金町間での人車軌道(同年4月27日に京成電気軌道に吸収合併されていた)の運行が継続されていました。

翌年の1913(大正2)年8月には、人車軌道としての運行が終了し、同年10月21日には、単線の普通鉄道に転用された上で、現在の金町線の路線となったのであります。

1931(昭和6)年11月18日には、曲金駅が京成高砂駅、金町駅が京成金町駅に改称されて現在に至っています。

柴又~京成金町間で並走する柴又街道は、江戸川区江戸川(旧江戸川、都営新宿線の瑞江駅の南東部)から、JR小岩駅、京成小岩駅、新柴又駅、柴又帝釈天前を経由して、金町へと至る道路であり、小岩駅と金町駅の間を新柴又駅、京成小岩駅経由結ぶ京成バスの小55系統(金町営業所所属、足立→葛飾ナンバー)🚌もここを通っています。

京成バスの小55系統は、駅と駅の間を結ぶ縦バスであるので、同じ京成バスの松11系統(松戸営業所、松戸駅~矢切駅、国府台駅経由~市川駅間、松戸営業所所属)に似ているところがあります。

京成金町駅は、JR金町駅の南口側にある1面1線の駅であり、京成高砂駅の5番線と同様に、4両編成までしか停車出来ないので、3540Fを含めた3500形や3600形の3668F(4両編成)に限定されています。

京浜急行電鉄(京急)の大師線は、4両編成までしか入れないことに加え、沿線に仏閣のある発祥路線であるので、京成金町線との共通点があります。

普通鋼製の京急1500形の初期型車は、一部が新1000形の1890番台(ル・シエル、トイレ付き🚻の4両編成の多目的車両)に置き換えられていました。

このことで、かつて4両編成の京急の電車(旧1000形、1500形、600形650番台)が終夜運転で京成金町駅に乗り入れていたことを思い出しました。

京成金町駅のホームの南側には踏切とは別の東西自由通路もあります。

駅舎には、ファミリーマート(コンビニ)🏪があるけど、こちらはかつてam/pmとなっていました。

その2階には、有名な英会話スクールである、駅前留学NOVAの金町校が入っています。

駅前留学NOVAは、駅前にあることに加え、講師が全員外国人であることが特徴であります。

京成金町駅のトイレ🚻は、ホームの端にあり、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が手前側のスロープの横にあります。

男性用トイレ🚹️の入口は、女性用トイレ🚺️の入口の奥にあるので、注意が必要⚠️であります。

その男性用トイレの個室は、隣の柴又駅や京成高砂駅と同様に、全て洋式化🚽されています。

柴又駅のトイレ🚻は、かつてだれでもトイレ以外和式トイレしかなかったけど、改良により洋式化🚽されていました。

京成高砂駅のトイレ🚻は、京成本線側と金町線(5番線)側の改札内にあり、こちらもやはり全て洋式🚽となっています。

京成高砂駅の京成本線側のトイレも、かつてだれでもトイレ以外和式トイレしかなかったけど、5番線側は当初から全て洋式🚽となっています。

金町駅の北にある水元公園は、東京23区で最大規模を誇る、水郷が生かされた都立公園であり、金町駅の北口からバス🚌に乗って行くことになります。

水郷が生かされた公園だから水元公園なのであり、こちらも葛飾柴又などと並ぶ葛飾区の名所となっています。

詳細は、「水元公園」で検索。

柴又帝釈天の近くにある寅さん記念館には、帝釈人車軌道のミニチュアがあり、当時の運転方法を見ることが出来ます。

これを見た時には、現在も運転されていたら、人力車と同様に電気や燃料を使わないエコカーとなっていたところだったなと思いました。

大船駅の東口側には、2000(平成12)年6月30日まで、松竹大船撮影所(前述の蒲田撮影所の後継施設)があったことで有名でありました。

1995(平成7)年10月10日から1998(平成10)年12月15日まで、その敷地内に鎌倉シネマワールドがあったけど、たった3年間で閉鎖されてしまったのが惜しまれます。

ここにあった男はつらいよシリーズ(寅さん映画)のオープンセットの一部は、葛飾柴又にある「葛飾柴又寅さん記念館」に移設された上で展示されています。


葛飾柴又は、柴又帝釈天、葛飾寅さん記念館、山田洋次ミュージアム、山本亭などの見所があります。

葛飾柴又の名物は、草だんごであり、そのうちの「とらや」は、映画の撮影で使われたことで有名であります。

とらやと言えば、東京都港区赤坂に本社、本店のある「とらや」ブランドで有名な和菓子店である虎屋を思い出すけど、広島県福山市に本社のある虎屋本舗と同様に、葛飾柴又のとらやとは無関係(別物)であります。

区別する為に、葛飾柴又のとらやのことを、柴又のとらやと呼ぶことにします。

高木屋老舗は、寅さんゆかりの品や写真が飾られており、ホームページでもチェックすることが出来ます。

葛飾柴又で草だんごを味わうならやはり、寅さん気分も味わいたいものであります。

たまプリのあいりんこと神田藍里氏💙は、寅さんのファンであるので、葛飾柴又が聖地であります。

詳細は、「葛飾柴又」、「柴又帝釈天」、「葛飾寅さん記念館」、「柴又 草だんご」、「柴又 高木屋」、「柴又 とらや」で検索。

京成八幡駅付近にある葛飾八幡宮⛩️は、葛飾区ではなく、千葉県市川市にあるのは、所在地が東葛飾郡八幡町だったことによるものであり、一昨年8月末に閉園となった豊島園(としまえん)が、豊島区ではなく、練馬区(旧、北豊島郡)にあったことと同様であります。

金町駅は、その名の通り、金町だった頃の名残があります。

足立区大谷田(中川公園付近)にある日帰り温泉施設である、大谷田温泉明神の湯♨️は、天然ひばの浴槽と琥珀色の湯が特徴であり、東京メトロ千代田線の北綾瀬駅から徒歩18分、JR常磐緩行線の亀有駅から徒歩20分、バス🚌で5分で行くことが出来ます。

亀有駅北口2番バス停からは、有25系統の葛飾車庫行きまたは有27系統の西水元循環(どちらも東武バスによる運用)🚌で大谷田バス停🚏まで行くことになるけど、綾瀬駅から東武バスの綾23系統(葛飾車庫行き)で行くことも出来ます。

こちらは、ドーミーイン(dormy inn)や湯めぐりの宿でお馴染みの共立メンテナンス(共立リゾート)による運営であり、これらのスパリゾートホテルで培われたノウハウが生かされています。

亀有駅周辺にも立派な日帰り温泉施設があるということで嬉しく思いました。

東京天然温泉古代の湯は、葛飾区奥戸にある日帰り温泉施設であり、新小岩、亀有、金町、青砥の各駅から送迎バス🚐が出ています。

詳細は、「大谷田温泉 明神の湯」、「東京天然温泉古代の湯」で検索。

芝山鉄道線の芝山千代田駅付近(成田空港近く)には、成田空港温泉 空の湯という日帰り温泉施設♨️があり、飛行機✈️が見える屋上露天風呂♨️が売りと言われています。

空の湯へは、芝山千代田駅(京成成田駅から2駅、東成田駅から1駅)から徒歩3分で行けるのが嬉しいと思います。

詳細は、「成田空港温泉 空の湯」で検索。

成田ビューホテルには、温泉入浴施設である「成田温泉美湯」があるので、日帰り入浴を楽しむことも出来ます。

こちらへは、JR成田駅から無料送迎バス🚐も出ています。

詳細は、「成田ビューホテル」、「成田温泉美湯」で検索。

昨日(7月16日)からは、関鉄グリーンバスと関鉄パープルバスが、関東鉄道(京成グループの鉄道、バス会社)に吸収合併され、関東鉄道バスの一部となっています。

JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、4月17日から、羽田〜ダラス・フォートワース線にエアバスA350-1000型機が就航していました。

こちらは、7月1日から羽田〜ニューヨーク(JFK)線が2往復共にエアバスA350-1000型機となったことにより、8月2日まで全てボーイング777-300ER型機に戻されています。

8月3日からは、再び隔日運航(偶数日の羽田発はボーイング777-300ER型機による運航)となり、8月29日から、全てエアバスA350-1000型機での運航となります。

ダラス・フォートワース国際空港は、アメリカン航空✈️🇺🇲との乗り継ぎにより、ネットワークが強化されています。

6月28日(日本(羽田)発6月29日)は、アメリカン航空が、羽田〜ニューヨーク線に参入(10年ぶりに再開)していました。

機種はボーイング777-200ER型機が使われています。

ボーイング777-200型機は、JALでER型を含めて全廃となったけど、ANAでは、非ER型を含めてボーイング787-10型機に順次置き換えられる予定となっています。

このことは、JR東海でN700系からN700Sへの置き換えが、JR西日本よりも早いペースで行われていることと似ているところがあります。

ANA(全日本空輸)✈️💙では、3月27日、ボーイング787-10型機のJA981A号機が、羽田〜札幌(新千歳)間を皮切りに、国内線にも就航していました。

6月23日は、蒲田駅から京浜急行バスによる急行便で羽田空港まで行き、そのうちのJA984A号機を撮影することが出来ました。

詳細は、ANAのホームページを見るか、「ANA ボーイング787-10」で検索。

たまプリは、初期で活躍していた千ちゃんと、新メンバーである佐倉美桜、双六さつき、神田藍里、神楽ひまわり各氏を加えた新体制となり、5月18日にお披露目されていました。

5月19日は、池袋SOUNDPEACE(サウンドピース)で行われた、「 無銭大好きマン」で、 新生たまプリを見てきました。

この時にお気に入りの釣りの歌やおすしの歌を聴くことが出来て良かったです。

6月1日は、土曜出勤により、たまプリのオフ会に行かれなかったのが残念でありました。

このことで、メンバーに寂しがられていたけど、双六さつき氏🧡は、しゃもじサンいなかったからすんごく寂しかったと言っていました。

6月29日のたまプリのカフェイベントにも行かれなかったのが残念でした。

自分(しゃもじ、しゃもぽん)から見た たまプリを ANAこと全日本空輸の飛行機✈️💙に例えているので、たまプリのオフ会やカフェイベントにしゃもじ(しゃもぽん)が行っていたら、ANAのエアバスA380 型機のフライングホヌによる成田~ホノルル(ハワイ)線✈️🐢🏝️に例えていたところでした。

自分(しゃもじ)から見たたまプリを、ANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙に例えているのは、1推しである、あいりんこと神田藍里氏💙のメンバーカラーだからでもあります。

15日は、大塚ドリームシアターで行われた、あーにゃと伊藤蒼姫氏😸が出てきたライブで、ステーション♪の歌が歌われていたけど、土曜出勤により行かれなかったのが残念でした。

6月30日は、渋谷のシダックスカルチャーホールでさゆまゆ姉妹の公演に行くことが出来ました。

自分(しゃもじ)がさゆまゆ姉妹を見たのは、3月24日の上野以来でありました。

7月7日は、五反田にあるGOTANDA G7で、暁みゆ、兎丹らむね両氏による2人組アイドルグループである、おさんぽ娘と、ゆめとあいりをを見ることに成功しました。

暁みゆ氏は、かつてNゼロで活躍していたメンバーであります。

ゆめとあいりは、元きみよりのゆめちゃんと、あいりちゃんによる2人組であり、あいりちゃんを初めて生で見たことになりました。

詳細は、「おさんぽ娘」、「ゆめとあいり」で検索。

5月12日は、内幸町ホールに行き、元ぶどう党の天野ひかり氏と再会しました。

この時に、むぎさり(ビーバイユーの永久つむぎ、満月咲莉華両氏によるユニット)と初対面することも出来ました。

詳細は、「天野ひかり」、「ビーバイユー」、「むぎさり」で検索。

14日は、高田馬場BSホールで、天野ひかり氏と、むぎさりを見てきたけど、一緒に照の湯などの銭湯に行った友人と再会することが出来ました。

3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。

たまプリの、あいりんこと神田藍里氏💙は、7月8日から31日まで、学業専念により活動休止となってしまうので、頑張ってもらいたいと思っています。

休止期間中は、双六さつき氏🧡が1推し代理となります。

7月7日は、たまプリのメンバーに会えなかったのが残念でした。

7月6日の記事を、あいりんこと神田藍里氏💙の大好きなもころん号にしたのは、その為でありました。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

京成線や京成スカイライナーの路線、時刻、運賃、料金、運行状況、ライナー券の予約等の詳細は、京成電鉄のホームページを見るか、「京成線」、「京成スカイライナー」で検索願います。

スカイライナー50周年記念ヘッドマーク付き電車、キャプテン翼ライナー、5000万人達成ヘッドマーク付き電車、KENTY SKYLINER、3400形、3500形、3600形などを撮影する時にはマナーを守ってもらいたいです。



今宵はここまでに致しとうござりまする。