今回乗った列車は、平日01運用の後半のうちの、京成上野駅を12時57分に発車する京成津田沼行き(1201レ)であり、千住大橋駅で、京成上野 13時ちょうど、日暮里 13時05分発のスカイライナー45号(成田スカイアクセス線経由の成田空港(成田第1ターミナル)行き、この日はAE9F(キャプテン翼ライナー)が使われていた)🚃💺✈️の通過待ちが行われていました。
京成津田沼駅からの折り返しは、14時16分発の京成上野行きであります。
青砥駅では、西馬込駅から来た京浜急行電鉄(京急)新1000形の1025F(ビビビビ!台湾号)による、京成本線経由の快速成田空港(成田第1ターミナル)✈️行き🚃🇹🇼に接続していたので、こちらに乗り換えて成田空港✈️まで行っていました。
成田スカイアクセス線(京成成田空港線)が開業し、スカイライナーがスピードアップされてから、本日(7月17日)で14周年を迎えていたので、早いもんだな!と思っています。
今回乗った3500形は、3548F(4両編成)の中間に、3552Fの片割れの編成(京成上野寄り)を入れた編成であり、先頭車の隣は中間車という3500形の6両編成ならではの組み合わせとなっていました。
3500形の運転台は、京成電鉄で最後の従来型のワンハンドルマスコンとなっているのが特徴であります。
来年4月1日には、新京成電鉄が京成電鉄に吸収合併され、京成松戸線となるけど、この時に2軸式ツーハンドルマスコンの8800形も加わることになります。
京成電鉄の車両の行先表示は、上野、高砂などの省略表示となっていたけど、LED表示車で京成を冠する行先がフル表示に変更されていました。
方向幕車の3400形、3500形、3600形は、京急の車両と同様に省略表示のままとなっているので、京成津田沼行きが津田沼の表示となっています。
京成臼井行きの表示は、北総線の白井駅との誤認を防ぐ為に、「うすい」の表示となっていたけど、3500形や3600形が京成臼井行きに入った時に、うすいの表示を見ることが出来ます。
もしも京成臼井駅でなく、臼井駅のままとなっていたら、うすい行きの表示が継続されていたところでありました。
このことで、福島県郡山市にあるうすい百貨店(三越伊勢丹ホールディングス傘下の百貨店)を思い出しました。
京成3500形は、1972(昭和47)年から1982(昭和57)年に掛けて96両導入された京成電鉄初のステンレス車(セミステンレス車)であり、1993(平成5)年まで活躍していた旧AE形(初代スカイライナー)と共に70年代の京成を代表とする車両となっていました。
1996(平成8)年から2001(平成13)年までの間には、1972年から1974(昭和49)年に掛けて製造された初期型(3504~3556F)が更新されていたけど、1976(昭和51)年から1982年に掛けて製造された後期型の3560F~3596Fが更新されることもなく廃車となっていました。
1972年から1974年に掛けて製造された車両は、2006(平成18)年まで活躍していた小田急電鉄の9000形(初代地下鉄千代田線乗り入れ用車)と同期でありました。
当初は京成3500形の96両全てが更新される予定となったけど、途中から更新させるよりも新車に置き換えたほうが効率が良いと判断されたので、後期型の10編成40両の更新工事が見送られて未更新のまま残され、2017(平成29)年2月の3588Fの廃車をもって全廃となっていました。
このことは、小田急電鉄の1000形で、ワイドドア編成(1700番台)を除いた全編成がリニューアルされる予定が変更され、リニューアルの対象から外された1000形の通常ドア車も順次廃車の運命を辿っていたことに準じています。
小田急1000形の非リニューアル車は、一昨年10月の1058F(赤色の箱根登山鉄道カラーだった)の廃車により小田急の方向幕車と共に全滅していました。
京成3588Fは、金町線のほか、京成本線でも乗った編成でもありました。
京成3500形の製造メーカーは、日本車輌製造、東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)、川崎重工業(川崎車両、Kawasaki)であり、汽車会社から受け継がれた川崎重工業製の京成の電車は、3500形が最後となっています。
川崎重工業(Kawasaki)製の編成は、3516,3536Fであり、廃車となった3532,3568,3572,3576Fもこうなっていました。
3500形更新車も、2018(平成30)年10月の3532Fを皮切りに廃車が進められるようになっているので、3500形を見掛けた時に撮影するようにしています。
一部は4+2の6両(分割された片割れの編成を含む)で使われているので、本線でも見ることが出来ます。
一昨年11月26日からは、金町線(京成高砂~京成金町間)、千原線(千葉中央~ちはら台間)、東成田線・芝山鉄道線(京成成田~東成田~芝山千代田間)の一部でワンマン運転が行われるようになるので、3500形の4両編成や3600形の3661Fがワンマン改造されています。
これにより、関東の大手私鉄でワンマン運転が行われていない会社は、小田急電鉄、京浜急行電鉄(京急)、相模鉄道(相鉄)の3社となります。
3500形の3540Fは、2013(平成25)年4月から芝山鉄道にリースされている車両であり、緑色と赤色の芝山鉄道カラーの帯となっています。
これまで芝山鉄道にリースされていた車両は、3600形の3618Fで、2013年に京成電鉄に返却された後、芝山カラーのまま活躍し、同年12月に京成カラーに戻され、2017年2月に廃車となっていました。
3600形で最初に編成単位で廃車となった編成は、3618Fでありました。
今回の話題である3548Fは、6両共に1974年製であり、50年経った現在でも活躍しています。
足回り品は、抵抗制御となっているので、こちらも京成最後となっています。
7月14日には、来年初頭にデビュー予定の新3200形である3206Fの6両が、日本車輌製造豊川製作所から出場し、豊川駅から越谷貨物ターミナルまで甲種輸送されていました。
その後、北総鉄道の印旛車両基地まで陸送され、走れるような環境となった後に宗吾車両基地入りすることになります。
京成新3200形は、3500形や3600形の置き換え用として導入される中間貫通ドアの車両で、4両、6両、8両というフレキシブルな運用が可能となっています。
3600形は、4両オールM車の3668Fと6両編成ファイアーオレンジ帯の3688Fから成っているけど、後者のほうが先に置き換えられる確率が高いと言われているので、撮影、乗車はお早めに。
京成線の日暮里駅は、1階に上りホームの0番線(京成上野行き、スカイライナー、モーニングライナーの降車専用ホーム)、2階に改札口、コンコース、3階に下りホーム(青砥、京成船橋、成田空港✈️、ちはら台、芝山千代田方面、スカイライナー、イブニングライナーの乗車専用ホームは1番線、ライナー系以外の一般電車列車は2番線)から成っており、ライナー系列車の1番線に行くところに専用改札(中間改札)があります。
スカイライナーのホームに行くつもりが間違えて一般電車列車用の2番線に行ってしまわないように注意が必要(Caution)⚠️となっています。
京成日暮里駅が現在の形となったのは、2009(平成21)年10月3日のことであり、これまではJR常磐線と隣り合っていた1面2線の島式ホーム(下りホームもライナー系と兼用)となっていました。
新三河島駅は、明治通りに跨がる1面2線の島式ホームの高架駅で、池袋駅東口と浅草雷門南の間を王子駅前、尾久駅経由で結ぶ都営バスの草64系統(巣鴨自動車営業所所属)も通っています。
荒川区の三河島地区で栽培されている三河島菜は、江戸川区が発祥の小松菜と同様に、江戸東京野菜の一つであり、戦時中に衰退したものが復活したものであります。
日暮里駅と新三河島駅の間には、道灌山通駅があったけど、日暮里から近いことにより、1943(昭和18)年10月1日に休止され、1947(昭和22)年2月28日をもって正式に廃止されていました。
道灌山通駅跡は、西日暮里駅付近にあるけど、西日暮里駅が開業した後も復活することはなかったです。
同様に、戦時中までの間、町屋~千住大橋間に西千住駅がありました。
東武鉄道では、牛田~北千住間に、千住→中千住駅があったけど、こちらもやはり戦時中に休止→廃止された駅でもあります。
過去を通じてないのは、東千住駅であります。
このことは、西船橋、東船橋、南船橋駅があっても、北船橋駅がないことと同様であります。
JR武蔵野線の船橋法典駅は、仮称の段階で北船橋駅となっていたので、北船橋駅が幻となっています。
因みに浦和エリアには、東浦和、西浦和、南浦和、北浦和駅と東西南北揃っており、浦和駅に加えて中浦和駅もあります。
町屋駅は、東京メトロ千代田線、都電荒川線(東京さくらトラム、町屋駅前停留場)の乗換駅の1面2線の島式ホームの高架駅であり、東側で都電荒川線(東京さくらトラム)と交差しているので、京成線から都電荒川線の電車を、都電荒川線から京成線の電車を眺めることが出来ます。
2002(平成14)年10月まで運転されていた京成本線の急行(快速の前身)は、町屋駅と千住大橋駅に停車していたけど、快速に格上げられてからは通過となり、乗換駅であるにも関わらず、普通列車(各駅停車)しか停車しない駅となってしまいました。
京成上野~青砥間の普通列車を除いた日中の列車は、快速特急京成成田行きと快速京成佐倉行きが交互に運転されているので、日中に京成上野、日暮里の両駅から成田空港✈️に行く場合には、速くて快適なスカイライナー🚃💺✈️のご利用をお願い致します。ということになるけど、当然のことながら、別途ライナー券(特急券に相当)が必要となっています。
千住大橋駅に関しては、2010年7月17日から快速の停車駅となっているけど、町屋駅は通過のままであります。
東京メトロ千代田線の町屋駅は、日暮里、千駄木、根津の各駅と同様に、上下二層式の駅で、上が1番線(代々木上原、小田急線方面)、下が2番線(綾瀬、JR常磐緩行線方面)となっているので、他の路線からの乗り換えの時に注意が必要⚠️であります。
東京メトロ千代田線から、京成本線や都電荒川線(東京さくらトラム、町屋駅前停留場)への乗り換えは、北千住寄りの改札口(センターまちやと直結)を使うことになります。
町屋駅付近にある荒川自然公園🏞️は、1974(昭和49)年4月に、三河島水再生センターの施設の上の人工地盤に出来た公園であり、北側と南側に分かれています。
このような構造の公園は、新宿区上落合(西武新宿線の下落合駅付近)にある落合水再生センターの人工地盤の上にある落合中央公園🏞️も挙げられています。
三河島水再生センターには、国の重要文化財に指定された、レンガ造りの喞筒場施設があることで有名であり、春には桜🌸が咲き誇ることになります。
詳細は、「荒川自然公園」、「三河島水再生センター」で検索。
町屋駅前にある今川焼の店である博多屋は、再開発される前から親しまれている店であり、おすすめと言われています。
詳細は、「町屋博多屋」、「今川焼博多屋」で検索。
千住大橋駅は、日光街道(昭和通りに続いている)に跨がる2面4線の待避可能な高架駅であり、スカイライナーなどの通過待ちや快速の待ち合わせが行われることもあります。
北千住駅までは徒歩15分で行けるけど、都電荒川線(東京さくらトラム)の三ノ輪橋停留場まで、歩いて行くことも出来ます。
駅名の由来となった千住大橋の横には、奥の細道の矢立ち初めの地があります。
詳細は、「奥の細道」、「奥の細道の矢立ち初めの地で検索。
京成関屋駅は、東武線の牛田駅との乗換駅であるけど、町屋駅と同様に、乗換駅であるのにも関わらず、普通列車(各駅停車)しか停車しない駅となっているので、利便性があまり良くないです。
東武線の牛田駅では、浅草発着の普通列車(各駅停車、浅草~北千住間の区間運転)、区間準急、区間急行のみ停車であり、半蔵門線直通列車(準急、急行)は全て通過となっています。
京成関屋駅と牛田駅は、どちらも2面2線の相対式ホームの駅(前者は高架駅、後者は地上駅)であり、東武線は西側が北千住、東武動物公園方面、東側が浅草(都心)方面と、都心に向かう方向が京成線の逆となっています。
周辺にスーパーフィッシング足立という全天候型の釣り堀があったけど、残念なことに昨年5月末をもって閉鎖されていました。
こちらでは、チョウザメやナマズなどを釣ることが出来たので、閉鎖が惜しまれていたのもそのはずでありました。
2017(平成29)年2月5日は、スーパーフィッシング足立で、黄金時代(同年末に解散したグループ)の釣り堀オフ会が行われていたけど、自分(しゃもじ)は、それに行かずに本八幡や橋本まで、最後の時を迎えていた都営新宿線の10-300R形(先頭車が10-300形で中間車が10-000形かは流用された車両だった)の10-330Fを追っ掛けていました。
自分(しゃもじ)は、黄金時代のオフ会に行けずじまいとなってしまったのも言うまでもないです。
スーパーフィッシング足立の閉鎖により、都営新宿線の10-300R形と共に過去の出来事となったのであります。
堀切菖蒲園駅は、2面2線の高架駅であり、2002年10月まで急行の停車駅となっていました。
駅名の由来となっている堀切菖蒲園は、綾瀬川沿いにある菖蒲園であり、徒歩10分程度で行くことが出来ます。
詳細は、「堀切菖蒲園」で検索。
堀切菖蒲園の駅は、葛飾区にあるけど、駅の北側が足立区となっているので、足立区へのアクセス駅としても機能しています。
東武スカイツリーラインの堀切駅は、足立区千住曙町にある駅で、堀切の地名は、荒川放水路と綾瀬川を挟んだ対岸の葛飾区の地名であるので、足立区にある葛飾区の地名の駅である小菅駅との共通点があります。
1902(明治35)年4月1日に開業した当時は、現在の葛飾区堀切と陸続きとなっていたけど、1924(大正13)年10月1日に、荒川放水路が出来たことによって、川を挟んだ場所にある駅となってしまったのであります。
京成本線の堀切菖蒲園駅は、葛飾区側にあり、堀切菖蒲園から近いので、本堀切駅の状態であります。
堀切駅と堀切菖蒲園駅の間は、堀切橋経由で、徒歩20分程度の距離があります。
このことは、JR根岸線の石川町駅と山手駅の関係に似ており、山手駅よりも石川町駅(本山手)のほうが山手地区に近いです。
お花茶屋駅は、京成本線の京成上野~青砥間(通称京成上野線)で唯一の地上駅(2面2線)で、橋上駅舎となっています。
京成押上線の京成立石駅は、京成押上線で唯一の地上駅(こちらも2面2線の)となっているけど、こちらは高架化工事中であり、それが完成すれば、京成押上線が地下駅である押上(スカイツリー前)駅付近を除いて高架線で繋がるようになり、東成田線に続く踏切ゼロの路線となります。
お花茶屋の由来は、江戸時代にお茶屋さんがあったことであり、娘のお花という名前に因んでお花茶屋と命名されていたのであります。
お花茶屋駅のトイレ🚻は、下りホーム(2番線、青砥、京成船橋、成田空港✈️、ちはら台方面)側にあるホームトイレであり、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿も設けられています。
下りホームには、車椅子専用出口♿もあるので、バリアフリー駅であることが分かります。
駅周辺にある葛飾区郷土と天文の博物館は、その名の通りの郷土と天文に関する博物館であり、プラネタリウムもあります。
詳細は、「葛飾区郷土と天文の博物館」で検索。
こちらへは、亀有駅から徒歩25分で行くことも出来ます。
都営バスの青戸支所🚌は、葛飾区白鳥にあり、お花茶屋駅からも近いです。
こちらの車両は、かつて足立ナンバーの三菱ふそう(FUSO)車が当たり前となっていたけど、現在は、三菱ふそう以外のメーカーや葛飾ナンバーの車両も加わっています。
京成線の青砥駅は、1階が改札口、コンコース、トイレ🚻、2階が上りホーム(1番線は押上線(押上(スカイツリー前)、都営浅草線、京急線方面)、2番線は京成本線(日暮里、京成上野方面))、3階が下りホーム(3番線は押上線からの京成本線(京成高砂、京成船橋、成田空港✈️、北総線の印旛日本医大方面)、4番線は京成上野からの京成本線(スカイライナー、イブニングライナーを含む))となっているミルフィーユ方式の二層式高架駅なので、同じような構造となっている京急本線、空港線の京急蒲田駅(蒲田要塞)と似ているところがあります。
青砥駅は今後リニューアル化されることになります。
青砥駅の上りホームにあった立ち食いそば屋である、青砥そばは、2020年4月30日をもって閉店となったけど、一昨年2月1日には、三松青砥店として復活していました。
三松は、しいたけの煮物が入ったしいたけそばが名物であり、三河島、高輪にも店舗がありました。
しいたけそばは、しいたけのだし汁も生かされています。
このように、青砥駅の立ち食いそば屋が、しいたけそばの三松によって復活してくれたことで嬉しく思っています。
隣の京成高砂駅の下りホームには、都そば京成高砂店(立ち食いそば屋)があります。
詳細は、「三松青砥店」、「都そば京成高砂店」で検索。
青砥駅が現在のような高架駅となったのは、1986(昭和61)年のことであり、高架化される前は、2面4線で平面交差となっていました。
改札口から3階の下りホームに向かう場合は、京急蒲田駅とは異なり、直通のエスカレーターがないので、エレベーター以外は2階の上りホームでエスカレーターを乗り継ぐことになります。
大田区平和島と江戸川区臨海町を結ぶ幹線道路である環状七号線(環七通り)は、高架化前の京成線の線路が支障していた為に、葛飾区の青戸八丁目と奥戸陸橋の間が未開通となっていたけど、京成線の高架化により、1985(昭和60)年1月に開通していました。
これにより、環七通りが全通していたのであります。
青砥駅と京成高砂駅の間は、中川橋梁を挟む京成線で唯一の複々線区間であり、新小岩と金町を結ぶ新金貨物線(単線の貨物線)と交差しています。
京急線の金沢文庫~金沢八景間は、京急で唯一の複々線区間となっているので、青砥~京成高砂間との共通点があります。
京成線の青砥駅は、タカラトミー(TAKARA TOMY)の人生ゲームの日本発売55周年記念により、7月19日から、人生ゲームのまち仕様の駅名標となっています。
人生ゲームは、1968(昭和43)年9月に、前身のタカラ(TAKARA)によって日本国内で発売されたボードゲームのロングセラーであり、現在は8代目となっています。
そのオリジナルバージョンは、1960年にアメリカ🇺🇲のMilton Bradley(ミルトン・ブラッドリー)社(現・ハズブロ)から発売された「The Game of Life」であります。
タカラトミー(TAKARA TOMY)は、2006(平成18)年3月1日に、タカラとトミーの合併により出来た玩具メーカーであり、葛飾区にある玩具メーカー同士の合併となっていました。
トミーが継承会社であることにより、葛飾区立石(京成立石駅付近)に本社があるけど、タカラの本社は、葛飾区青戸(青砥駅付近、現在は青戸オフィスとなっている)にありました。
リカちゃん人形も、タカラによって発売されたロングセラー商品であり、タカラトミーに受け継がれています。
プラレールは、1959(昭和34)年に発売された鉄道おもちゃのロングセラーであり、鉄道模型に似ていることにより、鉄道模型のキッズ版と呼んでいます。
3月16日にデビューしたJR東日本のE8系新幹線(新型つばさ)も、早速プラレールとして商品化されているので、凄いな❗と思いました。
カトー(KATO)の最大のライバルであるトミックス(TOMIX)ブランドの鉄道模型は、タカラトミーの系列であるトミーテック(TOMYTEC)から発売されています。
昨年7月15日にデビューした、東武鉄道のN100系スペーシアXの模型は、デビュー1周年を迎えた7月31日にトミックス(TOMIX)ブランドのトミーテックから発売される予定となっています。
詳細は、「タカラトミー」、「人生ゲーム」、「プラレール」、「トミーテック」、「トミックス」で検索。
青砥の駅名は、講談の太平記に出てきた青砥藤綱公が由来となっています。
東京都葛飾区は、1932(昭和7)年10月1日に、南葛飾郡新宿(にいじゅく)町、金町、奥戸町、南綾瀬町、本田(ほんでん)町、水元村、亀青村の東京府東京市(東京都の23区の前身)への編入合併で出来た区であり、葛飾郡→南葛飾郡だった頃の名残があります。
青砥駅は、1928(昭和3)年11月1日に開業した当時は、本田町の時代でありました。
京成八幡駅付近にある葛飾八幡宮⛩️は、葛飾区ではなく、千葉県市川市にあるのは、所在地が東葛飾郡八幡町だったことによるものであり、一昨年8月末に閉園となった豊島園(としまえん)が、豊島区ではなく、練馬区(旧、北豊島郡)にあったことと同様であります。
金町駅は、その名の通り、金町だった頃の名残があります。
葛飾区亀有(JR常磐緩行線の亀有駅もある)の由来は、戦国・室町時代に古隅田川と葛西川が合流して亀の背に似た島状の土地となっていたことであり、亀無、亀梨と呼ばれていたことで縁起が良くなかったことにより、亀有となったのであります。
葛飾区亀有は、昔亀青村だった場所でもあり、亀有と青戸に因んだ村名でありました。
江東区にある亀戸(かめいど)の由来は、昔江戸湾に浮かんでいた亀島であり、亀🐢のような形であったから名付けられていました。
それが陸続きになったことによって亀村となり、そこに亀ノ井という井戸があったことから、亀井戸がもじって亀戸と名付けられていたのであります。
このように、亀有と亀戸は、昔亀🐢のような形の地形となっていたことが由来となっていたという共通点があることが分かります。
自動車の葛飾ナンバーは、2020(令和2)年5月11日に江東区の江東ナンバーと共に登場した、葛飾区のご当地ナンバー(足立ナンバーベース)であり、京成グループのバス会社では、京成バスの奥戸、金町の両営業所、京成タウンバスの本社営業所が該当しています。
京成高砂駅付近にある京成ドライビングスクールは、京成グループ(京成ブランド)の自動車教習所であり、普通免許、中型免許、大型免許、各種自動二輪免許、大型特殊免許の教習に加え、営業用のバスやタクシーの運転に欠かせない第二種免許(普通、大型)やドローン免許の教習も行われているので、何でもありの自動車教習所(自動車学校)となっています。
京成高砂駅からは、徒歩7分と近くで便利であります。
1961(昭和36)年の開校から、2000(平成12)年4月の校名変更まで、京成自動車学校と呼ばれていました。
一昨年10月1日には、千葉交通の傘下だった成田自動車教習所(千葉県成田市)が京成ドライビングスクールに吸収合併されて、成田校となり、高砂の本校が高砂校となっています。
成田校は、京成本線の公津の杜駅から徒歩20分であり、無料送迎バス🚐も出ています。
詳細は、「京成ドライビングスクール」で検索。
国民的映画だった男はつらいよシリーズ(寅さん)でお馴染みの柴又帝釈天の最寄り駅である柴又駅は、2面2線の相対式ホーム(6両編成対応)で、構内踏切で結ばれており、駅舎が東側(帝釈天側)にあります。
柴又駅前には、寅さんと諏訪さくらの銅像があるので、JR常磐緩行線の亀有駅前に、こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)の主人公である両津勘吉(両さん)の銅像があることと同様であり、どちらも葛飾区の聖地と呼ばれています。
このことで、かつて京成金町線で活躍していた3300形によるこち亀(両さん)と男はつらいよ(寅さん)のラッピング電車が運転されていたことを思い出しました。
柴又~京成金町間は、当初からの単線区間であり、京成金町線のルーツである帝釈人車鉄道→帝釈人車軌道だった頃の名残があります。
帝釈人車鉄道は、1899(明治32)年12月17日に、柴又~金町間で開業した、6人乗りの小さな客車を人の力で押していくという、その名の通りの帝釈天へのアクセスによる人車鉄道(人力車)でありました。
1897(明治30)年12月27日に日本鉄道(現在のJR常磐線の前身)の金町駅が開業していたので、金町駅から帝釈天への参拝客を送り込む為に帝釈人車鉄道が作られたのであります。
1912(大正元)年11月3日には、京成電気軌道(京成電鉄の前身)の曲金(現、京成高砂)~柴又間が開業したけど、当時は柴又~金町間での人車軌道(同年4月27日に京成電気軌道に吸収合併されていた)の運行が継続されていました。
翌年の1913(大正2)年8月には、人車軌道としての運行が終了し、同年10月21日には、単線の普通鉄道に転用された上で、現在の金町線の路線となったのであります。
1931(昭和6)年11月18日には、曲金駅が京成高砂駅、金町駅が京成金町駅に改称されて現在に至っています。
柴又~京成金町間で並走する柴又街道は、江戸川区江戸川(旧江戸川、都営新宿線の瑞江駅の南東部)から、JR小岩駅、京成小岩駅、新柴又駅、柴又帝釈天前を経由して、金町へと至る道路であり、小岩駅と金町駅の間を新柴又駅、京成小岩駅経由結ぶ京成バスの小55系統(金町営業所所属、足立→葛飾ナンバー)🚌もここを通っています。
京成バスの小55系統は、駅と駅の間を結ぶ縦バスであるので、同じ京成バスの松11系統(松戸営業所、松戸駅~矢切駅、国府台駅経由~市川駅間、松戸営業所所属)に似ているところがあります。
京成金町駅は、JR金町駅の南口側にある1面1線の駅であり、京成高砂駅の5番線と同様に、4両編成までしか停車出来ないので、3540Fを含めた3500形や3600形の3668F(4両編成)に限定されています。
京浜急行電鉄(京急)の大師線は、4両編成までしか入れないことに加え、沿線に仏閣のある発祥路線であるので、京成金町線との共通点があります。
普通鋼製の京急1500形の初期型車は、一部が新1000形の1890番台(ル・シエル、トイレ付き🚻の4両編成の多目的車両)に置き換えられていました。
このことで、かつて4両編成の京急の電車(旧1000形、1500形、600形650番台)が終夜運転で京成金町駅に乗り入れていたことを思い出しました。
京成金町駅のホームの南側には踏切とは別の東西自由通路もあります。
駅舎には、ファミリーマート(コンビニ)🏪があるけど、こちらはかつてam/pmとなっていました。
その2階には、有名な英会話スクールである、駅前留学NOVAの金町校が入っています。
駅前留学NOVAは、駅前にあることに加え、講師が全員外国人であることが特徴であります。
京成金町駅のトイレ🚻は、ホームの端にあり、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が手前側のスロープの横にあります。
男性用トイレ🚹️の入口は、女性用トイレ🚺️の入口の奥にあるので、注意が必要⚠️であります。
その男性用トイレの個室は、隣の柴又駅や京成高砂駅と同様に、全て洋式化🚽されています。
柴又駅のトイレ🚻は、かつてだれでもトイレ以外和式トイレしかなかったけど、改良により洋式化🚽されていました。
京成高砂駅のトイレ🚻は、京成本線側と金町線(5番線)側の改札内にあり、こちらもやはり全て洋式🚽となっています。
京成高砂駅の京成本線側のトイレも、かつてだれでもトイレ以外和式トイレしかなかったけど、5番線側は当初から全て洋式🚽となっています。
金町駅の北にある水元公園は、東京23区で最大規模を誇る、水郷が生かされた都立公園であり、金町駅の北口からバス🚌に乗って行くことになります。
水郷が生かされた公園だから水元公園なのであり、こちらも葛飾柴又などと並ぶ葛飾区の名所となっています。
詳細は、「水元公園」で検索。
柴又帝釈天の近くにある寅さん記念館には、帝釈人車軌道のミニチュアがあり、当時の運転方法を見ることが出来ます。
これを見た時には、現在も運転されていたら、人力車と同様に電気や燃料を使わないエコカーとなっていたところだったなと思いました。
大船駅の東口側には、2000(平成12)年6月30日まで、松竹大船撮影所(前述の蒲田撮影所の後継施設)があったことで有名でありました。
1995(平成7)年10月10日から1998(平成10)年12月15日まで、その敷地内に鎌倉シネマワールドがあったけど、たった3年間で閉鎖されてしまったのが惜しまれます。
ここにあった男はつらいよシリーズ(寅さん映画)のオープンセットの一部は、葛飾柴又にある「葛飾柴又寅さん記念館」に移設された上で展示されています。
葛飾柴又は、柴又帝釈天、葛飾寅さん記念館、山田洋次ミュージアム、山本亭などの見所があります。
葛飾柴又の名物は、草だんごであり、そのうちの「とらや」は、映画の撮影で使われたことで有名であります。
とらやと言えば、東京都港区赤坂に本社、本店のある「とらや」ブランドで有名な和菓子店である虎屋を思い出すけど、広島県福山市に本社のある虎屋本舗と同様に、葛飾柴又のとらやとは無関係(別物)であります。
区別する為に、葛飾柴又のとらやのことを、柴又のとらやと呼ぶことにします。
高木屋老舗は、寅さんゆかりの品や写真が飾られており、ホームページでもチェックすることが出来ます。
葛飾柴又で草だんごを味わうならやはり、寅さん気分も味わいたいものであります。
たまプリのあいりんこと神田藍里氏💙は、寅さんのファンであるので、葛飾柴又が聖地であります。
詳細は、「葛飾柴又」、「柴又帝釈天」、「葛飾寅さん記念館」、「柴又 草だんご」、「柴又 高木屋」、「柴又 とらや」で検索。
京成八幡駅付近にある葛飾八幡宮⛩️は、葛飾区ではなく、千葉県市川市にあるのは、所在地が東葛飾郡八幡町だったことによるものであり、一昨年8月末に閉園となった豊島園(としまえん)が、豊島区ではなく、練馬区(旧、北豊島郡)にあったことと同様であります。
金町駅は、その名の通り、金町だった頃の名残があります。
足立区大谷田(中川公園付近)にある日帰り温泉施設である、大谷田温泉明神の湯♨️は、天然ひばの浴槽と琥珀色の湯が特徴であり、東京メトロ千代田線の北綾瀬駅から徒歩18分、JR常磐緩行線の亀有駅から徒歩20分、バス🚌で5分で行くことが出来ます。
亀有駅北口2番バス停からは、有25系統の葛飾車庫行きまたは有27系統の西水元循環(どちらも東武バスによる運用)🚌で大谷田バス停🚏まで行くことになるけど、綾瀬駅から東武バスの綾23系統(葛飾車庫行き)で行くことも出来ます。
こちらは、ドーミーイン(dormy inn)や湯めぐりの宿でお馴染みの共立メンテナンス(共立リゾート)による運営であり、これらのスパリゾートホテルで培われたノウハウが生かされています。
亀有駅周辺にも立派な日帰り温泉施設があるということで嬉しく思いました。
東京天然温泉古代の湯は、葛飾区奥戸にある日帰り温泉施設であり、新小岩、亀有、金町、青砥の各駅から送迎バス🚐が出ています。
詳細は、「大谷田温泉 明神の湯」、「東京天然温泉古代の湯」で検索。
芝山鉄道線の芝山千代田駅付近(成田空港近く)には、成田空港温泉 空の湯という日帰り温泉施設♨️があり、飛行機✈️が見える屋上露天風呂♨️が売りと言われています。
空の湯へは、芝山千代田駅(京成成田駅から2駅、東成田駅から1駅)から徒歩3分で行けるのが嬉しいと思います。
詳細は、「成田空港温泉 空の湯」で検索。
成田ビューホテルには、温泉入浴施設である「成田温泉美湯」があるので、日帰り入浴を楽しむことも出来ます。
こちらへは、JR成田駅から無料送迎バス🚐も出ています。
詳細は、「成田ビューホテル」、「成田温泉美湯」で検索。
昨日(7月16日)からは、関鉄グリーンバスと関鉄パープルバスが、関東鉄道(京成グループの鉄道、バス会社)に吸収合併され、関東鉄道バスの一部となっています。
JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、4月17日から、羽田〜ダラス・フォートワース線にエアバスA350-1000型機が就航していました。
こちらは、7月1日から羽田〜ニューヨーク(JFK)線が2往復共にエアバスA350-1000型機となったことにより、8月2日まで全てボーイング777-300ER型機に戻されています。
8月3日からは、再び隔日運航(偶数日の羽田発はボーイング777-300ER型機による運航)となり、8月29日から、全てエアバスA350-1000型機での運航となります。
ダラス・フォートワース国際空港は、アメリカン航空✈️🇺🇲との乗り継ぎにより、ネットワークが強化されています。
6月28日(日本(羽田)発6月29日)は、アメリカン航空が、羽田〜ニューヨーク線に参入(10年ぶりに再開)していました。
機種はボーイング777-200ER型機が使われています。
ボーイング777-200型機は、JALでER型を含めて全廃となったけど、ANAでは、非ER型を含めてボーイング787-10型機に順次置き換えられる予定となっています。
このことは、JR東海でN700系からN700Sへの置き換えが、JR西日本よりも早いペースで行われていることと似ているところがあります。
ANA(全日本空輸)✈️💙では、3月27日、ボーイング787-10型機のJA981A号機が、羽田〜札幌(新千歳)間を皮切りに、国内線にも就航していました。
6月23日は、蒲田駅から京浜急行バスによる急行便で羽田空港まで行き、そのうちのJA984A号機を撮影することが出来ました。
詳細は、ANAのホームページを見るか、「ANA ボーイング787-10」で検索。
たまプリは、初期で活躍していた千ちゃんと、新メンバーである佐倉美桜、双六さつき、神田藍里、神楽ひまわり各氏を加えた新体制となり、5月18日にお披露目されていました。
5月19日は、池袋SOUNDPEACE(サウンドピース)で行われた、「 無銭大好きマン」で、 新生たまプリを見てきました。
この時にお気に入りの釣りの歌やおすしの歌を聴くことが出来て良かったです。
6月1日は、土曜出勤により、たまプリのオフ会に行かれなかったのが残念でありました。
このことで、メンバーに寂しがられていたけど、双六さつき氏🧡は、しゃもじサンいなかったからすんごく寂しかったと言っていました。
6月29日のたまプリのカフェイベントにも行かれなかったのが残念でした。
自分(しゃもじ、しゃもぽん)から見た たまプリを ANAこと全日本空輸の飛行機✈️💙に例えているので、たまプリのオフ会やカフェイベントにしゃもじ(しゃもぽん)が行っていたら、ANAのエアバスA380 型機のフライングホヌによる成田~ホノルル(ハワイ)線✈️🐢🏝️に例えていたところでした。
自分(しゃもじ)から見たたまプリを、ANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙に例えているのは、1推しである、あいりんこと神田藍里氏💙のメンバーカラーだからでもあります。
15日は、大塚ドリームシアターで行われた、あーにゃと伊藤蒼姫氏😸が出てきたライブで、ステーション♪の歌が歌われていたけど、土曜出勤により行かれなかったのが残念でした。
6月30日は、渋谷のシダックスカルチャーホールでさゆまゆ姉妹の公演に行くことが出来ました。
自分(しゃもじ)がさゆまゆ姉妹を見たのは、3月24日の上野以来でありました。
7月7日は、五反田にあるGOTANDA G7で、暁みゆ、兎丹らむね両氏による2人組アイドルグループである、おさんぽ娘と、ゆめとあいりをを見ることに成功しました。
暁みゆ氏は、かつてNゼロで活躍していたメンバーであります。
ゆめとあいりは、元きみよりのゆめちゃんと、あいりちゃんによる2人組であり、あいりちゃんを初めて生で見たことになりました。
詳細は、「おさんぽ娘」、「ゆめとあいり」で検索。
5月12日は、内幸町ホールに行き、元ぶどう党の天野ひかり氏と再会しました。
この時に、むぎさり(ビーバイユーの永久つむぎ、満月咲莉華両氏によるユニット)と初対面することも出来ました。
詳細は、「天野ひかり」、「ビーバイユー」、「むぎさり」で検索。
14日は、高田馬場BSホールで、天野ひかり氏と、むぎさりを見てきたけど、一緒に照の湯などの銭湯に行った友人と再会することが出来ました。
3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。
たまプリの、あいりんこと神田藍里氏💙は、7月8日から31日まで、学業専念により活動休止となってしまうので、頑張ってもらいたいと思っています。
休止期間中は、双六さつき氏🧡が1推し代理となります。
7月7日は、たまプリのメンバーに会えなかったのが残念でした。
7月6日の記事を、あいりんこと神田藍里氏💙の大好きなもころん号にしたのは、その為でありました。
日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。
このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。
当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。
過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。
こちらは飛ばしても構いません。
当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。
京成線や京成スカイライナーの路線、時刻、運賃、料金、運行状況、ライナー券の予約等の詳細は、京成電鉄のホームページを見るか、「京成線」、「京成スカイライナー」で検索願います。
スカイライナー50周年記念ヘッドマーク付き電車、キャプテン翼ライナー、5000万人達成ヘッドマーク付き電車、KENTY SKYLINER、3400形、3500形、3600形などを撮影する時にはマナーを守ってもらいたいです。
今宵はここまでに致しとうござりまする。