主婦むつこの借金ぶろぐ -4ページ目

実はこれは長~い前置きです。

まだまだ状況説明というか、前置きは続くのですがw。



さて 実家の父がもってきてくれた仕事話にいい返事をしない主人。

持っている現金もかなり乏しくなってきたのであせり始める私。

早く叔父さんとこに行ってくれ!とばかりに勝手に自分と息子の分の荷造りを始めてました。



ある時、またしても主人が夜遊びに出かけていった翌朝の帰宅。(朝帰りってやつですね)

代行でも帰宅しないときはたいていホテルに泊まっています。

観光地なのでそれなりのちゃんとしたホテルですがビジネスプランで宿泊していたようです。


のん気におみやげのケーキなんか買ってきやがりました。

(そこのホテルのラウンジのケーキがおいしいらしいのです)


「ふざけるな!こんなケーキなんかいらない!早くちゃんと働いてよ!」


そのケーキを庭に投げ捨てる私。

呆然と投げ捨てられたケーキを見てからものすごい形相で睨み返されました。


「せっかく買ってきたのに!拾え!」


そういった後また車でどこかへ行ってしまった主人。


こんな生活もういやだ。こんな家にいるのももうごめんだ。出てってやる。二度と帰ってくるもんか。

荷物をまとめ、自分の車に積み、翌朝には息子と二人出発しようと覚悟を決めました。

どこへ行くあてもないのに、です。


昼過ぎ 再度帰宅した主人は、かなりご立腹の様子。(こっちはもっとご立腹です)

家の中の様子を見て異変を察知したらしく、またいつもと違い夕食の支度もせず 家の一室にこもりただ息子の世話をしている私とは会話もありませんでしたが、夜になってその部屋の戸をあけて


「○○(叔父さんがいる県)に行けばいいんだろ!それで文句はないんだろ!!!」


と、やっと覚悟を決めたようでした。

やれやれ。

借金の話

しばらく生活の話をしましたが、これは借金ぶろぐでした。

そもそも主人の借金は、会社のために銀行から借りた分と、連帯保証人になった分、個人の家を建てた分や銀行のローンなどがありました。


会社のために借りた分は、兄が土地や財産を処分してかなり返してくれたようです。

なので他人から「あの人は自分の放漫経営で借りた分を兄に払わせた」というので後ろ指をさされることになるんですね。その為に身重の体で銀行支店長やら他の会社役員さんやらの前で主人と二人土下座したこともありました。何がなんだかわからないうちに、です。


「クラブ通い(わかりやすくたとえるなら「銀座通い」ってなところでしょうか)で借金をした」なんてことも直接私に言う人もいました。

主人本人は「経費を使いすぎただけ」「付き合いも仕事のうち」なんて言ってましたが。

利益を得るためにたっかいお店で接待して経費で赤字、なんて普通の経営者のすることじゃないですよね。


あと、本人は部下に任せた仕事で大損して、でもその部下は兄の付き合いで雇ってる人らしく解雇はできなかった、とかなんとか。

でも主人が解雇された席にその部下が座り、主人に代わり会社の借金の連帯保証人になったとか兄嫁が言ってましたが、そこの家の人は後で見かけたときに錆びた軽自動車はピカピカのセダンに変わり、作業服からブランド?のような服に変わり、あげく息子がその会社に就職してかなり景気がよさげでした。

落ち目の私の色眼鏡でしょうかね。主人の言うことですしね。



兄は「先祖伝来の土地をおまえのせいで手放すことになった」なんてことも言ってました。

その当時地元で自宅でインターネットができるというのはかなり早かったのですが、私はどうしてもSOHOの夢があったので少々浪費かなと思いながら自分のお金でPCを購入し回線をつないでましたが、それも「余計なパソコンなんぞやめてしまえ!ケイタイも持つな!」と言われました。

この兄 自分では年齢の割りにケイタイを使いこなし、地元のフリーペーパのようなものに某大手ケイタイ会社のPRで取材をうけ掲載されたりしてました。

兄嫁は「○○(主人の名前)のせいで(お金&財産がなくなったから)娘を嫁にも出せない」と姑に言っていたそうです。


ちなみにこの姑は、私が汚いですがトイレも流さず辛抱している間、大物演歌歌手が来たとかで、小旅行がてら見に行ったりしてました。まぁ年寄りの生きがいでしょうから、私がそれに何を言う権利も無いんですけどね。

兄嫁も姑の病院の送迎の途中、車をぶつけたとかで新車を購入したりしてました。

まぁ兄嫁も仕事があり自分の収入から支払うのですから、私が何を言う権利も。。。以下同文。



普通借金というと「オラオラ!内臓売っても返せやぁ!」とか「金が無いならカミサン沈めるぞオラァ」なんてイメージがありますが、主人の借金は筋のいい借金だったのでそういうのはなかったです。

筋の悪い借金てどんな。。。というと。。。まぁそれはご想像にお任せします。

ただ、背広をきたおだやかな人が「どういたしましょうか。いつごろ返せそうですか」「こちらとしても支払っていただかないと困るのでね、では法的手続きに。。。」ってな具合でした。

それは会社関係のものだったので、いつの間にか兄が処理してくれていたらしいですが。


不思議と主人が払わなくてはいけないはずの保障協会の分は、数回書類が内容証明や配達記録できたくらいで、書面は「法的手続きに」なんて書いてありましたが待てど暮らせど裁判所からの書類も届かず、それがまた「いつくるか、今日来るか」と私をドキドキさせたのですが、届いたのはかなり後になってからでした。


家のローンも住宅金融公庫とやらで借りた分は早々に主人が支払いを終えていて、「このローンが無くなったらかなり楽になるはず」なんて言ってました。

が実は「明日の支払いよりは今日の現金」と思っていた私は、「なんで借りておける金を今日返す?」と思っていたのでした。だったら他の借金を減らすなりすればいいのに、と。

家なんて競売にかかるかもしれないってのに、そんなの支払っても意味無いじゃん、と。

この判断だけは、まぁ後々主人が正しかったかも、と思っています。


うちの借金は、主人が銀行から借りた分と連帯保証人になった分 ふたつになったわけです。

とりあえず銀行から借りた分は、月々の利息を払っていればいついつまでに返さないといけない、というのはないらしく、フリーローンのようなカンジでしたし(でもこういうのが一番やっかいなのかも)、連帯保証人の分はとりあえず借りた本人の債務整理に時間がかかっていたらしく、それから数年は平和な時間がすごせたのです。


ここで平和な生活なんて送っちゃいけなかったんですよね、今思えば。。。

重い腰がやっと上がる?

息子が生まれて数ヶ月。どうやら主人も財布の中身がつきたらしく(よくこれまでもっていたものです)、仕事を探しているようです。


それでも普通に探すのではなく、以前の仕事の仲間を頼ったり、自分で会社を興そうと考えてみたり、あまり立ち入って聞いたりしないようにしていたので詳しくはわからないのですが、見当違いながらその気にはなっているらしいです。

以前の仕事仲間に関しては、門前払いというか、相手にもされず返されることが多かったらしく、それで本人もこのままでもどうしようもない(多分誰かがいつか助けてくれると思っていた)と気がついたようです。

かなり遅いですが。。。


親切な友人方がちらちらと電話をくれて「どうしてる」なんて聞かれると、何もしてないと答えるのが恥ずかしかったのは確かかも。

でも全然知らん振り、偶然会っても見ないふりなんかもかなりされました。お金があるときは親しげによってきてもお金がなくなるととたんに。。。って人がなんて多いことか。まぁそれだけの友人関係だったってことなんでしょうが。


後に主人に聞いた話では、この人は子供が高校に入るときにお金を借りに来てそれっきり、この人は家を建てたときにお金が足りなくて。。。、この人は冠婚葬祭のたびにYシャツを借りに着たり靴下を持って行ったり、この人は飲み会のたびに。。。とあるわあるわ、寸借詐欺まがいの人もたくさんいました。


不思議とそういう人が、主人がこうなると「あの人は金遣いがあらかったから」「態度がでかいから困ったときに誰も助けてくれないんだ」なんて言ってるんですよ。<私にまで聞こえるんですからよっぽどあちこちで言って回ってるんでしょうね。

まぁそれも事実なので仕方ないんですが。。。

しかしお金を借りておいて、催促しなければ知らん振り、相手が強く出なければ図に乗る、っていうのはどうなんでしょう。


この「ご友人方」に関しては、後々何度もイヤな思いをさせられました。

うちの実家の両親に「オタクの娘さんも大変ね~」なんて言ってくださった方もいらしたとか。

結婚した当初は「オタクの娘さん、すごくいいところへお嫁に行ったのね~」なんて言っていたのに、です。

数ヶ月の時間の差って、本当になんていうか。。。人生変わるのって一瞬なんですね。



さて 仕事を探し出した主人ですが、力仕事外仕事は避けたいらしく(今までデスクワークで楽をして高いお給料をもらっていたのが癖になってる)、自分にもその力があるとでも思っているのか、管理職を目指しているようです。たいした学歴も実力もないってのに。

探し出して既に一ヶ月を過ぎ、二ヶ月がたち。。。当然決まるはずも見つかるはずもありません。


実家の父が、かなり遠いところにいる弟(私の叔父)に連絡を取り、主人の借金の相談と就職の相談をしてくれました。

その叔父も、地元で事業を失敗して某県に移住し、今はなんとか事業をやっているようです。

しかし。。。その仕事たるやガテン系汚れ仕事力仕事もいいところ。

実家の事業一筋で、私から見ると箱入り坊ちゃんで育った主人ですから、そんなところへは行きたいはずもありません。

もっと自分で探すと父に言っていました。妻の実家の親戚の世話にもなりたくなかったんでしょうね。

なにせ「男の面子」「俺の顔」な主人ですから。


まぁでも、イザとなればその手もあるか、とちょっと余裕の出てきた私はそれまでより主人には優しくなれたかもしれません。


なによりこのまま地元に居て、へたに人に愚痴をこぼそうものならあっという間に「あの嫁がこう言っていた」「あそこは今こういう状態」と尾ひれ背びれ(違いましたっけ?w)をつけられて噂が立ち、買い物に行けば後ろ指を差される(そこまでのことを何かしたんでしょうか?)、家にいれば借金のことで電話があり(きつい取立てなんかはなかったのですが)、土地や仕事 諸々の名義変更で背広の人が来る。。。と 毎日気の休まる時間がなく、たとえ誰に「あそこの家は夜逃げをした」なんて言われても、いなきゃ何を言われようが聞こえない、という気持ちが先に立ってました。

私は別に、どうしても地元でなくては、とか 家を守る とか 先祖が眠っている土地だから というのはあまり気にしないタチなので、そこで暮らしていけなかったら引っ越せばいい、引っ越すなら息子が小さいうちに、と思っていたのです。


しかし、その叔父の仕事の話があってから更に一ヶ月 主人は決めようとはしませんでした。