結婚後初めての
このぶろぐは借金ぶろぐです。
結婚後主人が連帯保証人になった友人が自己破産で夜逃げをしてから現在の我が家の状況まで すごく長い前置きですが、どうぞお付き合いください。
今 どういう状況かというと。。。そこまで書く余裕が果たしてあるかどうか。。。(*´Д`)=з
昨日、一時間かけて書いたものが全然反映されなくて全て消えてしまいがっくりです。
前回、地元を離れ主人の「単身赴任」先である私の叔父の家に「逃亡」した私と息子。
この期間は本当に幸せで、借金のことを考えないようにしていたのもあるのですが、家が競売にかかるかも、とか地元で後ろ指を指されていたことなんかはすっかり忘れていた気がします。
結婚して初めて、くらいの平穏な日々でした。
叔父の家族は叔父夫婦と同居の従<兄>弟、彼女と同棲している従兄<弟>の4人。 二人の従兄弟は同様に叔父の会社で働いています。
主人と
私と息子は主人が居候していた叔父の家の一室に親子3人身を寄せる形に。
最初は驚いていた叔母も、自分の仕事を持つ身ですので忙しく、家のことをするうちにあれやこれやと頼りにしてくれるようになりました。
主人一人の時は叔父に2万くらい渡していたようですが、私と息子が加わってからは5万にして、叔父がそのまま叔母に渡していました。
それを叔母が「ここから家のもの(食料など)買って」と3万渡してくれました。
そこにまた私が少し足して食費や雑費に当てていて、たまに叔母が「これで子供に服でも買ってやんな」とお小遣いを渡してくれましたし、十分でした。
この叔母もきついところがある人でしたが兄嫁の比ではなく、血はつながらなくても自分の身内ですから当然と言えば当然かもしれませんが信頼できる人で私は結構好きでした。
ただ叔母も主人もお互いに合わなかったらしく、相性はよくなかったかもしれません。
生まれてこの方自分の地元から出たことの無い主人で、言葉が違う場所へ行って言葉をあわせようとするあまり「どもり」がでて、それがちゃきちゃきの叔母には生理的にイヤだったようです。
叔父と主人は通じるところがあり(女好きでいいかっこしい、一度事業に失敗している)、話もあったようでした。
叔父夫婦は子供好きで、息子をよくかわいがっていて、息子もなついていました。
叔父の家にいる間、実家から食料が届きましたが、その中に兄が海外旅行へ視察(という名目の海外旅行)に行ったおみやげということで小さなお手玉大の人形がふたつ入っていました。
兄嫁が実家へ持ってきて息子に渡してくれるように(ついでがあれば荷物に入れて欲しい)と母に頼んだようです。
ここで素直に受け取ればよかったのでしょうが、性格が捻じ曲がっていた私は「こっちはトイレも流さず一円のお金にも目くじらを当てている生活なのに何が海外旅行のお土産」」「先祖伝来の土地を手放したとか他人様にも迷惑をかけたとかお金がないといろいろ言っておきながら」と思ってしまいとてもでなく受け取ることができずそのまま兄の家に送り返しました。
これが後々騒動の元になりますが。。。それはまた後で。
この前か後か忘れましたが、兄嫁からケイタイに着信があり、わからず出てしまったものの話もしたくなかったので即切りました。何を言いに電話したのかいまだもってわかりません。
このぶろぐで「兄」「兄嫁」がよく出てきますが、正確には義兄、義兄嫁(姉?) ですね。
この間、連帯保証人になった分の借金は法的措置もなにも音沙汰なく、個人の銀行ローンの分はとりあえず利息が引き落としになっているので残高さえあれば問題なく、元金の返済は窓口かその銀行のATMでないとできなかったのでできませんでしたがいざとなれば実家の母に頼もうとちゃんと残してありました。
出てきた家の分の公共料金などは全て郵便局の引き落としにしてありましたので問題なかったです。
郵便局って本当に便利です。
ひとつくらい国営の金融機関があってもいいのに、と思いますが、平民感情なんでしょうか。。。
夏の終わりに行って季節がかわり、じき年末になるということもありましたが 冬道を走る準備が無く不安だったのです。
銀行の返済やお金関係の整理もありました。
なによりこちらでの生活が幸せで、地元に帰ってからの大変さを忘れていたのでしょう。
春になったらまた来ればいい、とも思っていました。
でも春に来たのは別の。。。。
結局 この叔父の家での親子3人の生活は二ヶ月で終わります。実家の父(息子にとっては祖父)が苦手な息子は、そばによると泣き、声をかけられたといっては泣いていました。
だっこをせがんだり、一緒に歩いたりなんてとんでもなかったのに なぜか叔父(実家の父の弟)とはご機嫌ですごしていました。
地元にいた頃は外に出て遊んだことのない息子でしたが、こちらにいるときは近所の公園で砂だらけになっても遊んでいたり、3歳くらいのお友達ができたりと、男の子らしいやんちゃぶりがみられました。
叔父夫婦は近くに家を買って住めばいい と思っていたようで、当時近くの家が1200万で売りに出されたいたこともあり、それもいいかな と私は思っていました。(買えるものなら、という前置き付ですが)
実家の両親も同じだったようです。
主人だけはいつか地元に、という気持ちが強く、生まれてから40年余すごしているのだから、と追求も説得もしませんでした。
もうこんな家にいるもんか!
翌日 また荷物をまとめて車に積み込みました。
一日中カーテンを閉めて暮らすような生活も、人に何を言われるかハラハラしながら買い物に出るのも、毎日びくびくしているのもほとほとイヤになりました。
今度行くところは叔父の家 主人が働いているところへ行こうと思ったのです。
家の中をある程度整理し、いつ他人が家に入ってきてもいいように片付け、必要なものは車に積み込みました。
もうこれでこの家とはオサラバさ。
そう考えると不思議とそれまで重くのしかかっていたものが無くなるように思いました。
実家にも何も言っていませんでしたが、その夕方、母が突然やってきて、荷物満載の車に目を止め
「どこ行くの?」となぜか笑いながら聞いてきました。
「叔父さんとこへ行こうと思って」
「アラ そう。それならいいわね」
実の母ですが、何を考えているのか本当にわからない人です。
深く質問するでもなく、「電話代がかからなくなるからいいじゃない」「運転には気をつけてねぇ」くらいの事を言って帰っていきました。
翌朝 日の目も見ずに午前3時頃出発しました。
免許を取って3年ですが、高速なんて自動車学校の教習でちょっとだけ走ったくらいの経験しかないのでなるべく下を走ろうと思いながら、県をまたぐこと6県。走行距離約900km。
事前にカーナビをつけようかとよっぽど考えたのですが、そんなお金はなく、百円ショップで目的地までの地図を何種類か買い込んで頭の中にたたきこみ(でも私は方向音痴なのですが)イメージトレーニングを。
目的地が近くなったら主人に電話でナビをしてもらおうと、ハンズフリーでケイタイが使えるセットもカーグッズのショップのワゴンセールで百円で入手。
一歳を過ぎたばかりの息子を助手席に、あきらかされたときのためのおもちゃも積み込み、えっちらおっちら普通車とはいえ排気量1300の小型車で。
途中給油に寄る度に、ガソリンスタンドのおじさんにナンバーを覗き込まれ車中を覗き込まれ
「どこまで行くの?ええ~っ、そんなところまで。。。大丈夫かい?気をつけてよね」
なんて言われながら。。。
目的地まであと2県というところで午後3時を過ぎ、このままでは目的地につく頃には日が暮れる、見ず知らずの土地で暗い中を運転するなんて私にはできないかも。。。あと何時間かかるだろう?
少し不安になったのと、後もう少しだから、という気持ちがあったからか(あったからどうってことは私にもわかりませんがw)主人に電話をいれました。
「今、○○にいるんだけど、ここからそこまで、高速使わないで何時間くらいかかるかな?」
寝耳に水(行くことは言ってなかったので)の主人は
「はぁ?どこにいるって???」
「嘘だろう~?そっからだと高速使ったら二時間半くらいでこれるだろ。県に入ったらまた電話して」
これはそもそも借金ぶろぐなのでこんなことはどうでもいいでしょうが、もう少しお付き合いください。
高速でも入り口を間違え、反対斜線に入ってしまい、料金所でUターンさせてもらう時に足がバカになっていてもう少しでガードレール?料金所のポールで危うくオカマをほるところでした。
運転に慣れた方からするとハタ迷惑な主婦ドライバーですね。
それでもなんとか目的地の県に入り、目印のお店の前に主人と従兄弟が立っているのが見えたとき、なんともいえない達成感と安堵感が。
使い方が違うかもしれませんが、つり橋理論とか、なんでしたっけ、誘拐された被害者と犯人の間に生まれることがあるというなんとかシンドローム?そんなのが頭の中をよぎりました。
車から降りると従兄弟が
「オイ むつこ、おまえ、尋常じゃねえよ。尋常じゃねえ~」
と目を白黒させて言っていたのを覚えています。
確かに尋常な精神状態じゃないからこそできたことなんでしょう。
今やれるかと聞かれたら、もう二度とやりたくない、と思いますものね。
兄の家に怒鳴り込む
後で主人に聞いたところによると、工事をしていた隣の物件と主人の家は水道のメーターは別々だが元栓が一緒なのだそうです。
隣の工事をするために元栓をとめると当然うちの水道も止まります。
それは担当者である件の「~~~部下」さんもおわかりのはず。
もちろん、兄夫婦もです。
手には自宅の登記簿と実印(主人のです)、息子を背負った私は、兄の家に怒鳴り込みました。
怒鳴り込む と言っても最初はちゃんと「ごめんください」と入っていきました。
玄関を開けてすぐの居間に兄がいました。
奥の部屋から姑も出てきました。
「今日、うちの水道が止まったんです。何も知らなくて、一日不安に過ごしました。
洗濯もできませんでした。
いきなり隣の工事が始まって、うるさくて、一言教えてくれればいいのにと思ったけど、そこまで言える義理じゃないと思って我慢してました。
夕方になったら水も出ると思ってましたけど、今さっき私が電話して調べて、あけてくれるように頼まないといつまでも止まったまんまだったんですよね。
どうしてここまで私が我慢しないといけないんですか?
主人の借金て、ここまで私が背負わないといけないことなんですか?
そんなに私が悪いことをしたんですか?
人からなんて言われても仕方ない、我慢するしかないとわかってるからここまで我慢してきましたけど、どう考えても嫌がらせされてるとしか思えない!
ここまでされるほど、あなた達はお偉いんですか?どこまで私は我慢すればいいんですか?
別にあんな家にいたいなんて、これっぽっちも思ってない。
あの家が欲しいなんてことも一度も思ったことはないです。
そちらで処分するなり、競売にかけるなりすればいいじゃないですか。
これ以上のことをされるんなら、いつでも家は差し上げますし。いつだって出て行きます」
兄がなんと言うか、待ちながら一つずつ、なるべく冷静に言おうと思いましたが、結局何一つ返事が戻ってくることは無く、一方的に私が叫び、言い終わったと同時に登記簿と実印の入った封筒を兄の手元に投げつけて出てきました。
後に姑は実家の母に
「(兄に)あんな言い方をする人は初めてだ。実の子供達でもあんな口の聞き方は絶対しなかった。とんでもない」
と嘆いていたそうです。
お偉い方ですから、誰もそんなことは言わないのでしょうね。
だまって従っていれば恩恵が多々あるのですから。