『アルジャーノンに花束を』 ダニエル・キイス 著 小尾 芙佐 訳 | ほんとなかよし

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32歳になっても幼児の知能しかないパン屋の店員チャーリイ・ゴードン。そんな彼に、夢のような話が舞いこんだ。大学の偉い先生が頭をよくしてくれるというのだ。この申し出にとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に、連日検査を受けることに。やがて手術により、チャーリイは天才に変貌したが…超知能を手に入れた青年の愛と憎しみ、喜びと孤独を通して人間の心の真実に迫り、全世界が涙した現代の聖書(バイブル)。


内容 「BOOK」データベースより


ダニエル・キースのSF小説。1950~60年代に構成された作品が今尚色褪せないのは何故なのだろうか?読書家さんと話をすると度々名が挙がる名作の魅力を僕なりに紹介してみたいと思う。今作の魅力を大きく3つに絞って紹介してみたい。①日本国内での興行化・・・本作を紹介された際に、耳にした事はテレビドラマ、映画、演劇など同名作品が製作されている点!これは成否に関わらず周知の意味で作品を有名にするに十分な事と言えます。実際に見た事はないのだけれど、映画やドラマになっているよ!と教えてくれた人がいました。 ②翻訳の秀逸さ!知的障害を抱えた男性が、科学的外科手術で超天才級の頭脳を持つ物語を男性の経過報告(レポート)でまとめた形式をとる作品なのですが、知能指数IQの変遷に伴って変わる文体や言い回し等を見事に翻訳されています・・・本来英語圏作品ですので誤字や脱字、センテンスの不備などで表現される部分を、ひらがなと漢字という独特の平行言語スタイルをとる日本文体に置き換える技術は恐ろしいものがあるように感じます。③作品自体の魅力。①や②は完全に後付けの魅力でしかない、その魅力を生み出した最大の原因はやはり作品自体が持つ魅力ではないだろうかと思う。「詩とは翻訳される事で、失われる何か」と言う言葉があるにも関わらず国内外作品が輸出入されても作品が損なわれないのは翻訳家の皆様の絶大な努力の賜物でしょう!小説は翻訳に命が掛かっているという海外作家もいらっしゃいますが、僕はやはり作品自体の魅力が翻訳家を突き動かし、ひいては海外読者を惹きつけるのだと考えます。「アルジャーノンに花束を」は、SF小説にジャンルされますが、SF部分といえば知的障害を抱えた男性の外科手術による(結果一時的と解るのだが)超天才級の頭脳を持つという設定だけである。現状あり得ない設定や奇跡と思える演出をSFと呼ぶのならばそうなのだろうが、この設定以外の部分は世間一般であり得る事ばかりで、むしろ現実味を帯び過ぎている印象すら感じてしまう。SF作品なのにSFっぽさを感じないのは非常に面白い点だと思います。また、チャーリー自身が言うように他の人が一生かかってする経験以上の事を数ヶ月で成しえたと言わしめた程に人生そのものが凝縮されている印象をうける作品であります。小説は長編小説でも作中時間経過がわずか数ヶ月や数日といった作品が多く人生規模での期間が描かれる作品はあまりない様に感じます。今作も作中時間は僅か1年にも満たない時間ですが、SF設定のおかげでチャーリーは見事に人生全てを体験するかの様に生きています。登場人物の一生分の活躍や遷移を見る事が出来るのも今作の魅力だと思いますね。SF作品にはこういった全人生形式の作品が多いのかどうかは私はSF経験が少ないので判断しかねるのですが、フィッツジェラルドの「ベンジャイン・バトン 数奇な人生」が似た印象を受けた作品ですので名前を挙げておきましょう。共にアメリカの作家さんである事も興味深い点といえば興味深いですね。最後に、「自分が変われば相手も変わる」なんて綺麗事を言っちゃう人は本書を読んで考え方を強化もしくは見直ししてみてはいかがでしょうか?自分(チャーリー)が劇的に変わる事で発生する事象は現実世界で起り得る事で、序文で作者が書くようにチャーリーを読者自らに置き換えて読む事の出来る見事な作品でもあります。私の好きな女流作家が「われ思う、ゆえに彼あり」と名言を捩って書いた事がありますが、われは本当にどこに存在するのだろうか?そんな不思議な印象すらうける作品でした。「アルジャーノンに花束を」 読者は必ずチャーリーにも花束を捧げたくなるでしょう。 素晴らしい一冊。



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