いま、自分の素直な気持ちを言えない人がとても多いと思う。

 

なんでだろうと、ずっと長いこと考えていた。

 

それが昨日ふっと思いついたのだ。

 

自分の本当の気持ちに気がつかないほど

 

「自分の事を先にする人は自分勝手」

 

「他人の事を優先する人がいい人」

 

と教育されているから、無意識のうちに良い人になりたくて

誰かを優先しているかのように理由付けをしてしまう。

 

そんな人が増えていて、夫婦でも、家族同士でも、自分の本当の気持ちを

奥深く押し込んでいるから、これがいろいろな問題を起こす原因になっていると思う。

 

多くの人が、教育によって教えられた"いい人"を無意識に演じてしまっている。

 

無意識に"自分の為→誰かのため"に変換してしまっていたりする。

というのは、たとえば、

ほんとうは自分が周りから良く見られたいから年寄りに席を譲ったのが本音とする。

しかし、その事に自分ではっきりと気がつかないで、

この人が年を取っていて可哀想だから、という理由を持ってきて

席を譲って、自分ってなんて優しい人間だろうと自己満足するということ。

それは、一つも悪い事ではないのだけれど

問題は、自分のためにやっていることを、可哀想な老人のためにと無意識にすり替えてしまっているところなのだ。

 

なぜそんなめんどくさい思考になってしまっているかというと

 

学校教育でさんざん

 

他の人の事を考えなさい、

誰かのためにすることは良い事だ、

自分の事を優先するべきでない、

 

などなど、教育されているからなのだ。

 

だから、何かをする時に自分のためにすることを

無意識のうちに誰かのために、と変換をするようになってしまっているのだ。

 

これはもう戦後教育のなせる業で、そのころ小さかった子どもたちは既に

その考え方に染まってしまっている。

 

その考え方に染まってしまっている、おじいちゃんおばあちゃんに

育てられた子どもも、そのまた子どもも染まっていってしまう。

 

この悪循環から離れて、なるべく自分に素直に生きて行こうとわたしは思った。

 

 

Tさん、

 

確かに選挙に不正があるわけがないと思っている人には、

 

ショックな結果だったと思います。

 

選挙についてわたしは、

 

やっぱりそうなったな"(-""-)"、と思いました。

 

◦選挙の数字は操作できる。

 

◦芸能人を使ってまで選挙に行け行け、というのには

 

自分たちが選んだ責任を押し付けるという理由がある。

 

など、知っているからです。

 

むしろ、もしみんなが選挙に行かなければ、

 

市民に責任を問うことが出来ないで、彼らにとってはダメージを負います。

 

幾ら選挙に行って投票しても数字は都合のいいように操作されている

 

とネタがバレていたら、行く人はいるのでしょうか?

 

わたしなら、離れます。

 

率直に言えば、政治家は要らないけど、農家は要るのですよ!

 

政治家は要らないけど、漁師は要るのですよ!

 

政治家は要らないけど、大工や職人は要るのですよ!

 

政治家はもう要らないのです、時代遅れなのです。

 

庶民がいれば何でもできるのです。

 

社会を回しているのは庶民で、政治家ではありません。

 

何が言いたいかというと、政治家がいなくても何も困らない!!!

 

ということです。

 

戦う必要すらありません。

 

戦う価値もありません。

 

庶民がそれぞれできることをやっていけば

 

社会はちゃんと回っていきます。

 

庶民がそれに気づくことができれば、

 

庶民が確りと自立することが出来ます。

 

政治家に頼らなくなります。

 

政治家たちは自分たちに頼ってほしいのです。

 

庶民も教育で権威者などに頼ることを教えられています。

 

問題なのは、庶民が自分たちには力が無い!

 

と思っていることです。

 

誰かに頼らなければ生きていけない!

 

と思っていることです。

 

でもただただ一人一人が自立すれば解決します。

 

自立すれば、戦う必要もなくなります。

(戦いたい人は戦えばいいと思いますが)

 

みんなで集まって運動する必要もありません。

 

なぜかというと、

またその中でリーダーを作って頼るようになるからです。

 

リーダーに頼りそのリーダーが思うようにしてくれない

と文句を言うことになる。

 

その繰り返し。

 

でもその原因は、自分たちが自立していないからです。

 

誰かに頼るのではなく、

 

一人一人が自分の得意を提供し回していけばいいのではないかな、

 

とわたしは思います。

 

もし電気工事して欲しいなら、

 

最初はまだ材料費がかかってしまうでしょうが

 

工賃安くしたり、無料にしたりすることから始めて行って、

 

そういう感じで、出来ることから行動していけばいいのではないでしょうか⁈

 

人と人が自由に手間返しをどんどんやって行けば、

 

気が付いたときにはお金のいらない国ができています。

 

戦いからは、戦いしか生まれません。

 

みんなで運動することもありません。

 

ただ自分たちがやり易い社会を自分たちで創っていけばいいだけだ、

とわたしは思います。

 

新しい方向性の社会なので、はじめはできるか?

 

不安や心配が出てくると思いますが、

 

そういう時は、その不安や心配さえも肯定して捉えてみる、

 

そうして、自分ができることから行動していくことが大切だと思います。

 

Tさんは、どう思いますか?

 

  

では、みなさま、

 

きょうもたのしくお過ごしください~(^0^)/

 

  ぶほでした~♪(^o^)♪

 

褒められたい、認められたい、感謝されたい、、、

 

無意識でそんな風に思って行動していることが多々ある

と、最近気がついた。

 

それはもしかしたら、小さいころ母親にじぶんを見てもらいたかった

小さな自分を置き去りにしてきてしまっているせいで

未だに、褒められたり、認められ足り、感謝されたりする行動を

無意識のうちにとり続けているのかも⁈

 

あぁ寂しかったんだ、わたし

ってやっと気がついた。

 

ほんとうに鈍感だな^^;

 

しつこいほど(主に家族とか)

世話をしてあげたり、気遣ってあげたり、、、

 

ということは、世話好きな人や、よく気がつく人などは

その傾向があるかもしれないな。

 

自分が本当にしたいことと少しずれていることをしていると

もし、しっかり感じられたら、、、

ちょっと無理をしてがんばっていると

しっかりと感じられたら、、、

 

心のリハビリが少しずつ進んでいるのかも。

 

いつも無意識に"見てほしい"と思って行動することが

当たり前になってしまっていると

自分が本当にしたいことが良くわからなくなって

しまったりするんだろうな。

 

なぜかというと、

行動の目的が他者に喜んでもらうこと!と

なってしまっているから

目的が自分が喜ぶための行動ではないから。

 

う~ん、いったいどうしたら

いつも自分中心に考えることが出来るのかな~

 

どんなことをしている時が心が温かくなるか、

わくわくするのか、

何もかんがえずに思わずしていることはどんなことか、

を思い返してみるのもいいのかも。

 

幼い時からの寂しかった思いをもっともっと表面に出して、

ちゃんと本気を出して

絡みついている糸をほどいていこうと思う、きょうこの頃。

 

ことしも箍を外して

ますます楽しく馬く生きていこう❕

 

ぶほでした(^o^)♪