きょうも、お早くからご苦労さまです、ぶほです!

 

いまわたしは、人々が信頼関係でつながり合う、お金のいらない国を目指しています。

(以前はテラ小屋やりたい~って言って、そのままになってる^^;)

 

って言ったって、どうしたらいいの~

って、思っていました!!!

 

去年はその本の著者の長島竜人さんを招いて落語も聴きました!

そして、集まった人たちで真面目に語り合いました。

お金のいらない国

(1~5巻まであります)

 

しかーし、その先がなかなか進まない。

 

考えつくままにお金のいらないカフェもやってみたりもしました。

 

例えば、夫は電気工事やさんだから、知り合いの人などには

材料費は頂くけど、後は手間返しで、、、とか。

 

だけどそれがあんまりうまくいかないんですよ。

 

手間返しがいつ来るかわからないとか、、、

 

それで、手間賃がしっかり分かった方がいいのかな?と思って金額を出してみた時は

(たまたまジビエソーセージなどを作って売っているオーストラリア人だったのですが)

最初ソーセージを2000円として、その手間賃(28000円)で割って幾つになるか計算したのですが

後日、その2000円は正規の金額より安くしているので、そちらの手間賃が正規の金額であれば、

正規の金額の2500円で計算してほしいと言われたのです。

う~ん、解からない理屈ではないのだが、お金のいらない国って、そういうことじゃないよね~って

後から、もやもやしたこともありました。

 

実際にお金のいらない国を体験したことがない(エネルギーを感じたことがない)から

わたしも想像だけで、なかなか言葉にできないって言うジレンマが、、、

 

でもそんな試行錯誤を重ねていくうちに一つはっきり理解したできたことは、

物々交換とはまるで違うものなんだということ❕

 

そんなときに、先日の大雨で我が家の山水が止まってしまい、次の日も川の水が多くて行かれなかったので

以前も止まった時に行ったお店に行くことに。

あんまり外食はしないけれど(そこのお店は人から勧められて)本当に人柄がよくって。

例えば、食事をしてそろそろ帰ろうかなと思ったら、今日の分のご飯があまりそうだから、ちょっと待ってて、、、とお稲荷さんをお土産に持たせてくれたり、、、嬉しくて、また行こうと思っているうちに、山水が止まって(洗い物が出来ないのがストレスになるの~)連休中の夕方5時に行ったのだけど、予約でいっぱいだということで、そうだよね~、人柄がいいお店だもんね~、とあきらめて帰りかけたら、折角来てくれたのにすみませんと、サバのみりん干し5枚くれて、形の良くないけど大きなトマトももらってしまった。

食べた後の洗い物できないのがイヤでお店に行ったけれど、折角いただいたからすごすご⁈と帰って、火を起こして焼きました。

わたしはお魚が苦手なので焼くだけでしたが、家族は鯖臭くなくて美味しいとペロッと食べてくれたので、

わたしも焼いた甲斐がありました。

 

なんでそんな話をしているのかというと、

 

その時、はっと気が付いたんですよ。

 

お金のいらない国って、きっとこういう感じなんだな、って。

 

ものすごく気持ちがいいんですよ。

 

うれしくなっちゃうというか、、、

 

お腹があったかくなるというか、、、

 

あぁ、損得なんか一切考えないで

 

こういうことをただただしていけば、気がついたら

 

お金のいらない国になっているのかな~って。

 

そう言えば、わが家は薪ストーブで薪生活なので

 

先先日、○○市の〇山公園にいい薪がたくさん置いてあったのを見て

管理事務所に聞きに行ったんですよ。

もし使わなかったら、薪をいただくことは出来ますか?って。

そうしたら、いいですよ(*^^*)と言われたのですが、その時もほんとうにうれしかったです。

あの沢山あるよさげな薪が、好きな時に連絡して取りに行けるなんて!!!

 

なんだかいただいてばかりですが、わたしたちにできることを(無理なく)誰かにしてあげる、というか

したいからしたことが誰かのためになる、その循環を起こしたい!!!と、思いました!

 

これがこれから私が目指していく道だなと、理解できた今日この頃です♪

 

きょうもたのしくいってみよう~♪♪♪

 

ぶほでした~(^O^)/

 

 

 

今日も支離滅裂でまとまらなかったら、ごめんなさい。

 

 

「なんでだろ~?」と思っていること。

 

わたしの中で沢山あること、の一つです。

 

私の育った家は母が晩婚だったのもあり、なんと、

明治生まれのおじいちゃま、おばあちゃま、父と母は大正生まれ。

年の離れた異母兄弟は戦後生まれの昭和20年代。

私はきっと、同級生の親から見てもきっと一世代上の家族だったと思います。

 

そんな環境だったせいなのか⁈

 

例えばですよ、人それぞれだということを踏まえて聞いてくださいね。

 

ご飯などお茶碗に一粒も残さずに食べるのが普通で

どうしても無水鍋にこびりついたご飯は水で剥がして雀にあげていました。

それぞれの家庭の多少なりの差というのはあるのでしょうけれども。

 

でも、もう20年前くらいから余ったご飯を平気で捨てちゃう人が出てきている~^^;

(物があふれてきた時代でもあるとは思いますが、、、)

 

あくまでも私の中ではなんですけど、

 

"えぇぇっ~うそでしょ~ッ!!!"と衝撃的過ぎて言葉にできないくらいの出来事なんですよ。

 

わたしが貧乏性なのか?世の中が変わってきているのか?ちょっと雑な人なのか?

 

な~んて思っていたんですけど、

 

ジェネレーションギャップって言うのもありますね。

 

確かに、親の年が少し高い子って若い親に育てられた子とは少し違う感じがする。

 

○○ちゃんの親は若くていいな~と子どもの頃からずっと思っていたけど、

わたしは明治や大正の家族の間で育てられて、それはそれで貴重だったな~、と

つくづく思うこの頃。

 

とにかく若いということに価値が置かれていて、

少し上の年代の価値観、物を大切にするとか丁寧に扱うとかが古臭いっていう。

ゴミ屋敷は論外ですが。

 

そんな違和感やひけめすら感じていたけど、ここ最近

 

そういうご飯一粒でも大切にする環境で育った自分のことを

 

"今どきそんな、とか、古めかしい"などと思わないで、

 

ただ淡々とお米粒一粒でも大切にする自分のままでいい、と思えたんです。

 

(ちょっとしたきっかけはありましたが)

 

むしろそれはこれから丸い社会に移行したい私にとって、とても大切なことなのでは、と。

 

今までは、そんな風に違和感を感じても、周りと同じようにしたりしてきていたのに。

 

そんな小さなこと一つ一つを丁寧に生きていきたい、と思えたことがとても嬉しい。

 

何だったんだろう、自分がそれはやりたくないなと思いながら、

 

古臭い人だと思われたら嫌だ、という思いの方が強くて、、、

 

 

思い切って手放すべきは、結局のところ、

 

人からどう思われるか⁇だった!!!

 

あぁ、やだわ、いつもそれで夫を非難していた、っていうね。

 

ラスボスは自分とはよく言ったものだ(≧▽≦)

 

面と向かってはとても言えないけど、

 

「ごめんなさ~いm(__)m」

 

 

今日も楽しくね❕

 

ぶほでした~(^O^)/

 

 

 

こんにちは、ぶほです!

 

わたしたちにはちゃんと帰る場所があって

今は旅の途中。

ここに(テラ・地球)に遊びに来たいと思ってきているところ。

テラでの経験を目一杯たのしめばいい、と。

 

穏やかな体験も、

激しい体験も、

飛び上がって喜ぶような感動する体験も、

 

全ていましかできないすばらしい経験なのだ、とアシュタールは言っています。

 

ここからはそのまま↓↓↓

 

"そして、思いっきり楽しんだ後は、

面白かったぁ~って

言いながら家に帰ってください。

あなたには確実に
帰る家があります。

心底ホッとできる家があるのです。

絶対無限の存在があなたの家なのです。

家のことを心配する必要はありません。
帰る家は何も変わらずあります。


ですから、安心していまを思いっきり楽しんでください。

いまいる所、

いましている事だけに

集中して楽しんでください。

 

あなたに愛をこめてお伝えいたします。"

 

 

これを読んだら、本当にほっとします💕

 

どうぞお読みくださ~い🎶↓↓↓