NO 2431 情味は心で味わう | 社長ブログ

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社長 笹原のちょっとイイ話!

2024年4月5日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

昨夜は何十年ぶりに中日ドラゴンズのナイター観戦に

 

行ってきました。

 

 

 

ホーム3連戦で2勝と幸先がよかったんですが、

 

相手巨人はピッチャーがエースの菅野で

 

苦戦が予想されました。

 

 

 

結果はで0対2で完封負けをしてしまいました。

 

 

どちらのチームも応援がものすごくて、

 

感動しました。

 

 

また球場の雰囲気が異常な熱気で、

 

観客がとても楽しんでることがよく分かりました。

 

 

やはり、現地で現物を見て現実を体験することは、

 

テレビで見るのと大きく違いますね。

 

 

これはもの作りの3現主義と同じですね。

 

 

 

今日のお話は、中村天風さんの「ほんとうの心の力」から、

 

”情味は心で味わう”をお伝えします。

 

 

 

情味は心で味わう

 

 

多くの人の特にいけないのことは、

 

生活の中に情味ということを、物質方面に

 

のみ求めることである。

 

 

生活の中の情味を味わうというのは、

 

心の問題なので、物質の問題ではないのである。

 

 

いかに豊かな収入を持ち、満ち足りた物質を

 

獲ても、心が、その生活の中の情味を味い

 

得なければ、あるも無きに等しい。

 

 

 

世欲にいうところの、金持ち貧乏とか、

 

位倒れとかいう言葉は、こういう事実の形容詞なのである。

 

 

これは深く考えなくとも良識のある人なら

 

すぐ理解できるはずである。

 

 

 

たとえば、客観的にどんなに恵まれているように

 

見えている人でも、その人が、その境遇に飽き足らず、

 

満足感を感じていないならばどうであろう?

 

 

それに引きかえて、仮に客観的に恵まれていない、

 

不幸な人に見える人といえども、

 

 

 

一日の仕事を終えて、たとえ貧しい食事で

 

その空腹を満たすときでも、

 

 

それが自分の尊い労役の花であり、

 

身心を働かした努力の稔りであると、

 

無限の感謝で考えたらどうであろう?

 

 

 

金殿玉楼の中にあって暖衣飽食、

 

なおかつ何らの感謝も感激もなく、

 

 

ただあるものは不平と不満だけという

 

憐れな人生に比較して、

 

 

本当に、人生のいっさいを感謝に振り替え、

 

感激に置き換えて生きられるならば、

 

 

はっきりとしてそこにあるものは、

 

高貴な価値の高い尊い人生ではなでしょうか!

 

 

 

 

天風さん、素晴らしい考え方ですね。

 

 

あり余るほどの財産があっても、

 

もっと欲しいと思っているうちは、

 

満足できないですよね。

 

 

反対に、貧乏でも体が健康で家族みんな

 

仲良く暮らせる家庭であるなら、

 

とっても幸せですよね。

 

 

老子の言葉「足るを知る者は富む」とあります。

 

富むとは心の平安が手に入るということ。

 

 

 

何も持っていなくても、今日という日、

 

今に感謝できれば、幸福はすぐ隣にあり、

 

手に入れることができるんです。

 

 

今日一日、頑張って仕事ができる。

 

その糧で家族がご飯が食べられる。

 

 

当たり前ですが、とても尊くて素晴らしいことなんですよね~!