「100歳まで生きよう」という、おおらかな目標をもつための提言本。
【共感したフレーズ】
60歳の人が100歳の自分を思い描くと、長い道のりだと思います。
でもあなたが20歳の時に自分が60歳(老人)になるなんて想像もつかなかったでしょう。
20歳から60歳も長い道のりです。
しかし60歳の人は「なんだかあっという間に60歳になった」「気分は20歳の頃と何も変わっていない」「しかし長い会社勤めだったなぁ」といろいろな感慨をもつものです。
一番思うのは60歳になっても自分は自分だということです。
60歳までの40年間は、人間にとっていちばん忙しい時期です。
仕事に恋愛、結婚、子育てというイベントの多い時期です。
そのために、あっという間の40年と感じるのだと言われます。
「やっと一段落と思ったら、定年が近くなった。私の人生は何だったのだろう」と、子供が家を出た後の虚脱感は男女問わず、皆さんがもつものだと思っています。
60歳までの40年間はまさに激動、起伏の多い時期だったのです。
そして、60歳から100歳の40年間こそ、自分が自分であるために最適で最後の時間なのです。
もうあとはありません。
大いに楽しんでうかうかと100歳になってほしいと思います。(P37〜38)
私たちは「勤労が人間のいちばん大事なこと」と洗脳されていますから、働かないことに罪悪感をもちやすいものです。
ですが、70代ともなれば、あまり働かなくても世間も何も言いません。
それぞれの経済に合わせて、自分らしく生活していけばいいのです。
働き盛り、子育て期間に封印していた好奇心ややりたいことを解き放ってあげるのが60歳なのです。そして花開くのが80歳代。(P41・42)
若いときには楽々とできたことが、老いてくるとできなくなります。
ほとんどの人が60歳頃から自分の体力や知能の衰えを感じていきます。
徹夜はできない、旅行から帰ってくると疲れて2•3日ダウンする、たくさんの荷物が持てない、知っているはずの固有名詞が出てこない、できなくなっていくことを挙げればキリがありません。
友達も同じような人ばかり集まり、みんなでできないことの自慢合戦になることもあるでしょう。
できなくなっていくのは生物学的に仕方のないこと。
そこにこだわり続けていると、老人性うつ病になりかねません。
それよりも、今できることを大切にしていきましょう。
できることがまだまだあるはずです。
昔の自分とは比べない。
もう昔の自分はいないのです。
でも、円熟したあなたがいます。
まだまだ、あなたにはできることがあるはずです。
それを喜んでいきましょう。(P79〜81)
ある年齢を過ぎたらもう身体の衰えは受け入れるしかないと思っています。
できないことが増えてくるのは当たり前、うまくいかない、時間がかかる、すぐに疲れてしまう、全部当たり前です。そうなったら、できることをやり続けるだけで充分です。
外出の回数を減らしてみる、好きなことややってみたいことを絞り込む、今年の実現が難しいと思ったら来年の計画に回す、とにかく「もう歳だから」と何もかもあきらめないで、できること、できそうなことに挑戦しつづけることです。
90代になって次第に先細りになったとしても、身体が動く限り生き方は変わりません。
そしてある年、気がつけば100歳を迎えていたという人生。
これなら少しも偶然ではなく、当たり前のように迎える100歳ということになります。
(P133〜135)
高齢の方がときに口にしてしまう言葉があります。
「生きていても意味がない」「早く死にたい」「自分何かいても仕方ない」などです。
これは裏返せば、「生きたい」という思いなのだと思っています。
誰も死にたくなんかありません。
ただ、あまりに寂しいし、やることもなく退屈で、人の役にも立たないという嘆きなのです。
80代を乗り越え、90代を迎えてどんなに老いの自覚が大きくなっても「死にたい」は周囲の人を傷つける暴言です。
言ってはいけないことです。
家族を傷つけ、介護する人たちに言葉を失わせます。
「死にたい」と言葉にして、よいものが生まれることはありません。
「死んだほうがマシだ」と言っても、介護する人が「そんなことないですよ。生きているだけでもっけの幸いじゃないですか」と慰めてくれるだけです。
「死にたい」と言って気が収まるのならよいのですが、寂しさは収まりません。
あなたの感情はあなたにしかわからず、人に理解してもらおうとするのは難しいのです。
高齢者になったって、愚痴も言いたいし弱音も吐きたい。
そういうことも当然あります。
100歳に近づけば、身体は思うように動かず、やりたいことがうまくいかず、話す人も少なくなって、落ち込み、イライラする日もあります。
そういう感情の波は誰にでもあることですが、高齢であることに甘えて人を傷つけないようにしたいものです。
介護してくれている人に、ネガティブなことばかり言えば、介護者の悩みが深くなります。
介護者が元気に介護できるように言葉がけをするのも高齢者の務めだと思います。
それでも誰かに話したいというときは、感情をぶつけるのではなく、冷静に「時々、自分がみんなに迷惑をかけていて、生きていていいのかと落ち込むよ」と話してみましょう。
相手は「迷惑なんかじゃない」と言います。
そうしたら、何度も愚痴を言うことは控えて、感謝の言葉を伝えましょう。
あなたがもっと若くて介護している身だったら、相手のことを思って介護しているときに、「私なんかどうなってもいい」「死んだほうがいい」と言われたら、戸惑い、悲しくなると思います。
支援者だったら、「あの方が死にたいと言っている、どうしたらいいか」などとスタッフのケア会議が開かれているかもしれません。
とにかく、ネガティブな言葉は周りを疲れさせるのです。
「死にたい」という言葉は、あなた自身への冒涜ともいえます。
80年、90年生きてきたというだけで凄いことです。
それを自分で否定してはいけないのです。(P180〜182)
《「100歳の超え方」和田秀樹 著 廣済堂新書 刊より一部引用》