「お仕事は忙しいですか。」と聞かれ、「暇です。」と答えた。謙遜だったのか本音だったのか自分でも分からない。

 

そつのない会話を期待していた相手は戸惑って「でも、外国人は増えてますよね。」等々、フォローしてくださった。

 

相変わらず口下手で状況に合わせた会話が苦手な自分にうんざりしながらも嬉しさが込み上げてきた。

 

相手はジムで10年以上お世話になっているインストラクター。1年前の会話を覚えていてくださったということか。

 

 

 

ここまではスタジオレッスン前の会話。

 

その1週間前には自分から「暇やねん。」と口にした。それにもかかわらず、相手から「暇なんや。」と言われると、「やることはあるんやけど。」と言い返す、この矛盾。

 

これは友人との会話。3週間に1回、ネイリストである友人の家にお邪魔して施術してもらう間、近況報告をしている。前回は仕事の相談に乗ってもらった。

 

先月のキーワード「暇」。日本語レッスンでは初級で習う。自分については使ってもいいけれど、相手には「時間がありますか。」を使うように勧めている。

 

皆平等に1日24時間が割り当てられている。この物理的な時間の他に精神的な時間もあるように思う。先月、後者の時間がポッカリ空いてしまい、精神的な時間を持て余している。

 

話は4月に遡る。久しぶりに「これは!」という依頼が2件あったのだ。「これは!」と書いたからには、そうでない依頼もあるということ。

 

などと書くと、選り好みしているかのようだけれど、生徒になる人の見極めが大事だと思う理由は2つある。

 

まず、友人も言っていたようにレッスンは1回きりではなく、ある程度の期間続くのが前提。できることなら互いに気持ちよくレッスンをしたい。その反対は辛い。

 

次に、学習アプリやプラットフォームが次々と開発され、「外国語学習」を気軽に始められるようになった。その結果、学習が「娯楽化」している。

 

あちらとこちらで認識が違うこともあり得る。これも経験済み。最近は、体験レッスンの前に学習に耐えられる人か確認し、場合によっては来る者を拒むこともある。

 

私が提示している料金は個人レッスンにしては良心的だと思う。でも、決して薄利多売ではない。釣りに例えるのもどうかと思うけれど、一本釣りといったところか。

 

 

体験レッスンは上手くいった。本レッスンのチケットを1枚しか購入してくれなかった時点で「あれ?」と思い、その理由は本レッスンの最後にはっきりした。

 

「この教科書は何回で終わりますか。」と聞かれたのだ。レッスンが始まる前に終わりを確認され、興ざめ。相手に迷いがあり、信頼を得られなかった。

 

もう一人とは5月連休明けに体験レッスンを行う予定だった。それが音沙汰がない。他の人に決めてしまったのだろう。継承語としての日本語。関心があっただけに残念。

 

と書いていたら、もうこんな時間。タイトル「はじめての営業」に無理矢理つなげよう。このお二人からの問い合わせがなければ、今の生徒たちで満足しているはずだった。

 

ぽっかりと穴が空いてしまい、思い浮かんだのが、レッスンが中断して1年以上になる相手に連絡を取ろうという考え。友人によると、これは「営業」に当たるらしい。

 

そして、私が暇だと思うのは、余裕ができた証拠だと言われ、なるほどと思った。友人は、1人か2人のレッスンを準備をするだけで精一杯だった私を知っている。

 

「はじめての」と言うのは大げさで、今までにも営業らしきことをしたことはあったと思う。「営業」とはいえ、戻ってきてほしい人なのだ。Mさんに連絡しよう。

 

今日のトイレの日めくりカレンダー。相田みつをさんにも後押しされている。