週の中盤は思い出し笑いから始めよう。
「しつこくて、申し訳ございません。」
と相手が言うのを聞いて、吹き出しそうになったのは、2週間前の日本語レッスンでロールプレイングをした時のことだった。
まず「しつこい」と「申し訳ございません」が不釣り合い。次に社外秘の情報を聞き出そうとする場面で「しつこい」はふさわしくない。そして「しつこい」が本人に似つかわしくない。
と「しつこい」を連呼。
テキストの会話例では「厚かましいことをお願いして申し訳ございませんでした。」となっている。「厚かましい」も「図々しい」も相手の辞書にはない新出語彙だったのだ。
「しつこい、厚かましい、図々しい」の対極にいる人。礼儀正しくて、謙虚で、気遣いをしてくれる。それでいて分からない箇所はしっかり知ろうとする。
時々「そこ?」という質問に焦ることもあるが、知識をひけらかすための質問ではなく、あやふやな知識を確認し、会得して、実際に使用するための質問。
自分に必要なものと不必要なものを分かっているから余計なことは言わない。つまり、本人も自覚しているように相づちは「そうですか/そうですね」ばかりで、世間話も苦手。
レッスンが始まって半年が過ぎたけれど、相手のことを知っているようで知らない。だから日本語を学ぶ姿勢から推測してみるのだ。今後のレッスンを構成する上で大事だから。
学習者の発言(趣味、家族構成、学習方法等々)は逐一メモしている。それこそ社外秘である。で、印象に残っているのが「結局、語学は暗記ですよね。」という発言。
レッスン開始後、早い段階で言われ、その真意が分からず返事を濁した。確かに驚くほどの暗記力だ。特殊な能力をお持ちなのかと、機会を見つけて質問してみた。
「写真を撮るように目で見ただけで覚えられるんですか。」と。相手は笑いながら否定。実際のところ、文脈を無視して丸暗記したようなペタッとした日本語ではない。
臨機応変に語彙や表現を組み合わせることができるから冒頭に挙げたようなミスマッチは稀。ただし、誰にも弱みはあるもので漢字の読みが怪しい時がある。例えば、
「前倒し」を「まえたおし」
「片付け」を「かたつけ」
「大切」を「だいせつ」
「労働」を「どうどう」
「上下」を「じょうか」
「世間話」を「せかんばなし」
さらに、音読みに比べて訓読みのレパートリーが極端に少ない。これも本人は自覚していて、普段読んでいるビジネス書に加えて小説にも挑戦していると教えてくれた。
ビジネス書に頻出するカタカナ語を日本語風に読む相手は北米出身。ある時、レッスンに遅刻した理由は「アメリカとのオンライン会議が長引いたから。」だった。
「英語話せるんだ。」と思ってしまったのは相手の見た目と流暢な日本語が原因だろう。ただし、「時」の音読みは中国語のように聞こえることがある。
そう、ご両親は中国出身で本人は北米育ち。漢字の意味が分かってしまうと、読みがおざなりになる。今はどうかは知らないが、移民が住みやすそうな国という印象を持っている。
大学は隣国へ進学。「曖昧」という言葉が似合わない国という勝手な印象を持っている。中国語と英語ができるのに、一体、どうして曖昧な日本語を学ぶ気になったのだろうか。
この人の頭の中は一体どうなっているのか。複数の文化で育った人に興味を持つのは自分がモノカルチャーと言われる国で育ち、そこから離れてみたいという気持ちがあるから。
(モノカルチャーは、一種類の作物だけを栽培することを指すが、転じて、単一文化の意味で使われることもあり。実際には日本にも多様性があるはず。)
一方で自分の国がやはり好きで、誰もが母国に対してそう思うように暮らしやすい国であってほしいと願っているから、ここに辿り着いた。
日本に住みながら外国人を相手にできる仕事。私にとっては外国人向け日本語の個人レッスン。単発的ではなく、ある程度の期間、差しで向かい合える仕事だ。
客観的に見て、天然資源に乏しく、自然災害も多く、少子高齢化もますます進んでいくだろうから「外」の助けも必要かと。外国人にとっても住みよい国とは?
そんなことを通勤客で混み合う地下鉄の中で考えて、レッスン場所に到着した。さて、今日もどんな質問が飛び出すのか。対面レッスンはやはりひと味違う。
(追記)終了後、相手が「表紙のイラストがちょっと・・・」と言いながら、おずおずと差し出したテキスト。中身はとても充実している。お借りして、使えるように読み込もう。
今回は社外秘を漏らしすぎた。夫の国を除き、ブログに極力、国籍や性別を書かないのは規格にはめ込みたくないから。