去年、仏語の試験、DALF C1を受験するにあたり、5か月計画を立てた。短期集中講座の先生にいただいたアドバイスに従って、テーマ別に対策することにした。

 

 

6月は環境、7月は教育と仕事等、各テーマに関する記事や討論を集め、4技能を鍛えようとしたが、2か月目を終える頃には社会問題の根っこが見えてきて、全部つながっていることに気づいた。

 

その後はテーマではなく、試験の区分(聴解、読解、文書作成、口頭表現)ごとに、ひたすら練習問題に取り組んだ。今思い出しても辛かったあの頃。だからこそ今があると思う。

 

 

数か月ほど、アホみたいに勉強し、試験の10日ほど前に作ってみたのが、しつこいほどブログに載せている、この図。白紙にまず「環境」「貧困」「性差別」と書いた。

 

 

日本語教育の勉強を通じて、日本在住の外国人、特に「移民」について考えるようになり、夫の国を反面教師とし、自国の問題として関心を持つようになったのが貧困問題。

 

そして、仏語の試験勉強を通じて、言葉は悪いが、半ば洗脳され、関心を持つようになったのが環境問題。それについては、まとまらない考えをブログに少しずつ記しているところ。

 

でも、誰に教えられたわけでもなく、物心がついた頃からの一番の関心事は右端の差別だった。鈍感な私が、れっきとした社会問題だと理解したのは30代になってからだったけれど。

 

本を読み、講演会に行き、自分なりに考え、夫とも話し合った。だから特に掘り下げなくても原因と結果は分かっている。出題されれば、具体例を挙げつつ、客観的に論じられる。

 

「これからも変わることはないだろう。」が結論だ。100年前も100年後も苦しむ側であることには変わらない。半ば諦めている。

 

5年前に会社等、組織で働くのをやめたことで、ずいぶん心穏やかに過ごせるようになった。変わることない現実を見て見ぬふりをするということ。

 

ただ、この男女平等後進国に住んでいても、変化を感じることもある。まさに今日。年に一度の健康診断の日だった。普段、家で働いている私は外に出ると人間観察をしてしまう。

 

機械的な説明がされた後、(なぜか申し訳なさそうに)受付で差し出されたのは落ち着いた色、形の男女兼用の検査着だった。理由はなんであれ、社会は確実に変化してきている。

 

↓ピンクの呪いが解かれる日も近いか。いや、道のりは長いだろう。

 

健診前の絶食に加えて、加齢に伴う諸々の心配など、決して楽しいお出掛けではないが、もう一つ、最後にご褒美が待っていた。「心音がゆっくりで、いい音ですね。」と。

 

なんとマニアックで、それでいて心に響く言葉だろう。というのも私は正月に「2024年は穏やかに」という抱負を掲げるぐらいだから。2月1日にして、いらち(せっかち)卒業か。

 

なんてわけもなく、相変わらず整骨院でも美容院でも驚かれるほどの肩首や頭皮の凝りを抱えている。体と心は連動しているはずだから凝りをほぐすには心の穏やかさが必要。

 

見て見ぬふりをしていても、折に触れて思い出すのだ。関心が移り変わることはない。少し寄り道をして、着地点を見つけてみよう。堂々巡りはさらに続く。