時間を持て余していた2020年。「憧れと現実」と題して、こんなことを書いていた。

 

道といえば、武道が思い浮かびます。空手の師範だった父、それに合気道に取り組んで25年になる夫。

小柄な父は喧嘩に強くなりたい一心でボクシングを習い始めましたが、視力低下のため空手へ転向し、その後、自分の道場を持つまでになりました。

夫は物心がついた頃、アジア人の友達の影響を受けて武道に興味を持つようになったそうです。

学生時代、クラブのリストに柔道、空手、合気道があるのを見つけ、その中から一つに絞ったのは自分のスケジュールに合うのが合気道だけだったという理由。

 

夫の国では習い事として柔道だけでなく合気道も人気があります。ダンスのように習っている友人を馬鹿にしていた夫ですが、日本で道場に通い始めて自分も同類だったことに気づいたそうです。

合気道は相手の力を借りるから自分は力を入れなくていいと思い込んでいたのが、先生に「違う!」と指摘されると、力が入り過ぎ、また「違う!」と言われるの繰り返し。

憧れるものに対しては、ふわっとした態度を取りがちです。武道もヨガも語学も憧れや見せかけだけでは、その道の人に見破られてしまうのでしょう。

ショックを受けて、向き合い方を変えるかどうかが道の分かれ目なのかもしれません。


あれから3年。今でも武道と語学には共通点があると思っている。道がつく習い事は武術だけではない。日本語学習者の中に日本の伝統芸道を嗜んでいる人がいる。

 

きっと周りからは日本通で知られているのだろうが、私はそれを認めない。正直に言わせてもらえば、この人の目は節穴。日本語レッスンをしているとよく分かるのだ。

 

まず、何度指摘されても「あなた」を使ってしまうところ。そこに自分の文化や言語を離れて日本の文化や言語へ歩み寄ろうとしない頑なな態度が垣間見える。

 

(うちの夫も大学で日本語を学び始めた時、複数の先生から「あなた」を使わないよう口を酸っぱくして言われたという。)

 

↑どの教科書でも注意喚起している。

 

音は柔らかいのに恐るべし「あなた」・・・レッスン中、画面越しにチラッと見える教科書の色あせ具合から日本語を学び始めてそれなりの年数が経過していると思われる。

 

習い事の先生に「あなた」と呼びかけていたりして・・・いや、その心配は無用。英語で会話しているそうだから。ただ今、日本滞在中なのに私とのレッスンでも英語が出てくる。

(レッスンでは相手の母語である仏語を媒介語として使用)

 

ホテルでもレストランでも日本語ではなく、英語で話している証拠。何のための日本語レッスン? 「(習ったことを)使えた!」と報告してくれるのを何よりの楽しみにしている私の失望感・・・分からないだろうなあ。

 

この人だけではない。今までにも私に英語で話しかけてくる人はいた。フランス人たちの不思議な生態↓

 

目がまるで節穴③に続く。