どこまで自己開示するか。数年前、試験勉強中に「ジョハリの窓」という言葉を知った。自分の心を窓に例えて、どこまで開くかということ。
日本語レッスンの学習者のなかにも、秘密主義の人はいる。こちらとしては、使える語彙や例文を提示するために、ある程度の情報は欲しい。でも、相手の窓をこじ開けるようなことはしない。
Lさんとは1年半前に知り合った。毎週、欠かさずレッスンを受けてくれるからか、それとも、社会の様々な問題について話してくれるからか、お互いの窓の開き具合は半開程度。文法と語彙に難があり、最初は少し苦労したが、今はずいぶん風通しがよくなった。
最近は、前半を文法の復習、後半をニュースの聴解に充てるという構成に落ち着いている。文法については、数年前に合格したJLPT N2の文型を使いこなせるようになるのが目標。会話で使えそうなものを中心に復習している。
数か月前「~はともかく(として)」を取り上げてみた。接続は、難しくない。意味は、
~については、今は考えないで
(それより他にもっと強調したい、もっと大事なことがある)
レッスンで復習した時「実際に使えるかなあ」と言っていたが、今週、見事に、しかも二度も使用。対象は、自分ではなく、私に対してだった。
私は、ここ2か月、外国語の勉強にもかなりの時間を費やしていた。「仕事の道具として磨きをかけるため」「汎用的な言語学習法を探るため」と自分に言い聞かせ、黙々と取り組んでいた。
先週のレッスンで「この3連休は、何か予定があるんですか。」と聞かれ、3日のうち2日は試験だと答えた。だから、今週、根掘り葉掘りではないにしても話題に上るのは分かっていた。
試験内容について簡潔に伝えると、日本語能力試験(全問マークシート方式で、口頭試験もない)に比べて、私の受験した試験の負荷のかかり具合(受験者も採点者も)に同情したのか
結果はともかく、その試験を受けることがすごい。
良いタイミングで「~はともかく」を使用し、満足げだったLさん。私もこの機会に相手に報告し、共有したいことがあった。
↑これは、試験の10日ほど前にまとめたキーワード。試験勉強を通じて、社会問題について考えてみた。乱雑に並んでいるけれど、頭の中では点と点で繋がっている。
文書作成や口頭発表で、どんな問題が出ても、使えると確信し、ぜひ使うぞという思いで試験に臨んだ。実際に上の部分を文書作成で、左下の部分を口頭試験で使用。
特に口頭試験では面接官の1人に「感動しました!」と二度も言われ、この2か月の努力が報われたと思った。日頃、考えていることを率直に述べる。外国語というハンデを超えて。
それに対して「(移民、貧困、犯罪について)こんなふうに考えている人が日本にもいるのを知って、嬉しかった。」と思いがけないコメントを頂いた。
私も手短に「日本社会でもいずれ同じ問題が起きると思う。私は日本語を教えている。外国人が社会の一員として溶け込めるよう手助けをしたいと思っている。」と返した。
Lさんには、ここまで事細かく報告しなかったが、日本語レッスンで社会の諸問題(環境、差別、貧困等々)について情報や意見を共有してくれたことに関して感謝を伝えた。
そして、Lさんの国の人たちの良いところは人間らしさを持ち続けていること、たとえ試験であっても一人の人間として意見が交換できること。
そう伝えると、普段は褒められたら皮肉で返す相手も素直に「ありがとうございます!」と受け取ってくれた。タイミングを見計らって、またしても「~はともかく」を披露。
合格できるかどうかはともかく、良かったですね。
↑レッスンで使用した練習問題。
以上、今週のハイライト。試験の緊張が解けたのか、どっと疲れが出た。なんとか一人ひとりに合わせたレッスンができたかと思い返してみる。自己開示の仕方はそれぞれだ。
今朝のレッスンでは、窓を閉め忘れ、泥棒と鉢合わせした話を聞いた。戸締まりは肝心。でも、時には換気も必要かと。これからも相手や状況に応じて窓の開閉を調節していこう。