中学生の時、東京から引っ越してきた転校生は、色白で眼鏡をかけていました。田舎者から見ると、まさに都会の人。その伊藤君(だったはず)が活躍するのは、国語の音読の時間でした。

 

今でも、いわゆる「標準語」を話す人にお会いすると、なぜか気おくれします。「標準」という言葉のせいでしょうか。自分の話し方が基準に満たない子供っぽいものに思えてくるのです。

 

と、前置きして、これから書くのは「東京(式)アクセント」について。

 

(アクセントとイントネーションは混同されがちですが、アクセントは1つの語の中の高低や強弱のことで、日本語の特徴は高低アクセント。それに対し、イントネーションは1つの文の中の高低。)

 

 

少し前から、この小冊子を少しずつ読み進めては付属のCDを聞いています。いろんな意味で気分が暗くなる、早朝たった5分の作業。

 

 

アクセント辞典の存在を知ったのは、日本語教育の勉強を始めた時でした。あれから3年近くが経って、ようやく購入したのが真ん中の『日本語アクセント辞典』です。
 

 

ここにも引用した一節。

 

東京方言者以外は、程度の違いはありますが、日本語学習者が東京のアクセント規則をマスターするのと同じように苦労するものです。しかし、この苦労は決して悪いものではなく、学習者と同じ立場になれるチャンスだと考えることもできます。

 

まさに今、学習者と同じ気持ちで悪戦苦闘しています。(今回の題名がダジャレっぽいのは気のせいです)。なかでも難しいのは短い単語。人名や数字なんかも。

 

オンラインレッスンが増えた結果、学習者の大半(といっても5本の指で数えられます)が関東在住、または、ご家族が関東にお住まいの海外在住者。それが本腰を入れることにした理由です。

 

新出語彙は、このアクセント辞典で確認。レッスンで自分が読み上げるであろう文は別のサイトを使って、アクセント、イントネーション、リズムも確認し、自分でも分かるように目印を付けています。

 

『日本語アクセント辞典』より

 

ただし「ありがとう」「こんにちは」くらいは自分のアクセントで発音したいのが本音です。40年以上慣れ親しんだアクセントでなければ、まるで別人が話しているようだから。

 

私が使うのは、京阪式アクセントです。淡々と畳みかけるような話し方をするのは難しい…と思っていたら「他のアクセント話者が京阪式を習得するのは難しいとされる」と書いてあるのを見つけました。

 

東京式アクセントではピッチの下がり目のみが弁別されるのに対し、京阪式では語頭のピッチが高い(高起式)か低い(低起式)かも区別する。


最終的に区別されるアクセントの型(種類)も、東京式よりも京阪式の方が多い。(中略)

東京式と違って京阪式では「ちゅごく」(中国)や「こにち」のように長音や撥音にもアクセントが来る。アクセントのパターンの多さから、他のアクセント話者が京阪式を習得するのは難しいとされる。

京阪式アクセント - Wikipedia

 

これを日本語と外国語に例えると、母語が日本語の人が外国語の発音を苦手とするのと同じようなものでしょうか。そういう私は去年から中国語の発音に苦戦しています。

 

オンラインレッスンが主流になっている世の中。そのお陰で、重い腰を上げて、東京式アクセントを学ぼうと思うようになりました。かといって対面レッスンも捨てがたいのです。

 

そんな気持ちを再確認したのは、先週「1年ぶりの対面レッスンか」という機会が訪れたから。日々、メールアドレスに公開リクエストが届くのですが、ここ1年は素通りでした。

 

それが先週届いた1件が、素通りしようとして、立ち止まり、引き返すような内容でした。この1年、考えもしなかった対面レッスン。リクエストに返事してみたことで再開に一歩近づいたように思います。

 

相手から返事があったものの料金面で折り合いがつかなかった模様。今後も、状況を見極めつつ、自分の条件に合うリクエストがあれば、動こうと思えるようになっただけでも前進です。

 

私の場合、オンラインも対面も同じ料金。対面には交通費や飲料代、それに移動時間も掛かりますが、それでもオンラインでは味わえない良さがあります。

 

ダラダラ書いていたら、もうこんな時間。先週は、ちょっと油断して準備不足が露呈したレッスンが2つ。今週は心して、ただし、力まずに。そのためにも睡眠、運動、食事が大切だと思う今日この頃です。

 

今日の散歩中に見かけた猫。