DVのような家庭の問題に対して、国はどんなふうに介入できると思いますか?

 

Selon vous, de quelle façon l’État peut intervenir dans les problèmes familiaux tels que la violence domestique ?

 

フランス語の試験対策として学習者に出した質問です。時事問題、社会問題をできるだけバランスよく選ぶようにしているのですが、ためらうテーマもあります。

 

家で過ごす時間が長くなり、DVや虐待が増えているというニュース。もしご本人が当事者だったら…という考えが頭をよぎるからです。

 

相手から返ってきた反応に安堵し、文法や構文に集中して心置きなく添削。送る前に読み直すと、気になる箇所が出てきて相手に確認。しばらくして届いた返事にある記事が添付されていました。

 

その記事によると、警察庁の発表で10月の自殺者数(速報)は、2,153人と昨年同月比で39.9%も増加し、女性に限れば82.6%と急増したというのです。

 

試みた人、考えている人も含めると、もっと多いはずで、これは個々人の問題というよりも社会全体の問題かと思います。なかでも40代女性の自殺は10月だけで142人と前年同月の2倍。

 

もちろん142人の方々にはそれぞれの人生があったわけです。同年代の女性たち。親の時代とは違って、その生活スタイルは様々でしょう。

 

今年特有の事情で、以前にも増して仕事と家事の板挟みになっている人、育児や介護の負担が増えた人、収入が減った人、職自体を失った人等々。

 

私が就職した2000年は大卒でも就職率が55%という氷河期でした。55%というのは全体の数値であって、女子学生に絞ると、もっと低かったはずです。

 

社会に出る時点で定職に就けなかった女性が不安定なまま人生の折り返し地点を迎えています。不惑と言われる40歳。現実には身体的にも精神的にも不安要素が多いのを実感しています。

 

中年の危機(middle age crisis)と一括りするには環境や事情があまりにも違い、支援が届きにくい社会になっているのかもしれません。

 

本人にしか分からない、きっと本人にすら分からない心の内もあるのでしょう。とりわけ自分と同じ年代の方の突然の訃報は大変辛く、残念に思います。

 

 

 
もちろん私にも学生時代の楽しい思い出はたくさんあります。例えば、友人たちと下宿に集まり、語り明かした時のこと。

 

「将来、自分たちで本屋や店を経営して、楽しく暮らそう。○○は接客、△△は本を書いて、□□は海外から商品を仕入れて・・・」

 

など話しているだけで楽しかったころ。時代は90年代終わり。バブル崩壊後、長らく続いた不景気のただ中でした。

 

実際には全く別々の人生を歩むことになり、連絡を取り続けているのはごくわずかで、ほとんどの人とは疎遠になりました。


地元に戻ったり、海外に行ったり、職業もバラバラ。果敢にも総合職で入社した友人も多数いました。20年後、同じ会社で勤務しているのはどれくらいでしょう。かなり少ないと思われます。

 

3年生を終えて、留学した私は1年遅れで就職しました。30社の説明会に行き、10社の面接を受けただけ。今から思えば、動く前から諦めていたんだと思います。

 

女子は100社以上に*資料請求し、30社以上面接を受けるのが当たり前という噂に加え、友人たちとの手紙のやり取りで凄まじい就職戦線の状況を知らされていたから。

*当時の就活は、まずハガキによる資料請求から始まり、女子に資料を送らない企業も珍しくありませんでした。

 

ブログで以前にも紹介した手紙。

 

この友人は経済学専攻で、就職活動の傍ら、大学の女子就職プロジェクト代表を務めていました。そんな人ですら苦戦。

 

就活を始めて2か月後に届いた手紙

 

第一志望の企業から内定をもらえるなんて夢のような話で、彼女も気持ちに折り合いをつけ活動を終了。180人を前にプロジェクト報告会を行った後、長文の手紙が届きました。これはその一部↓

 

結論として、「私たちが働き続けていくための環境は整いつつある。大切なことは、自分がどんな人生を送りたいのか、その中でどのように働き続けていきたいのかを学生時代にしっかり考えておくことである」というものです。しいちゃんはどう?このことについてまた話し合えたら嬉しいです。

 

留学から帰国後、私はバタバタと就職活動を始め、友人は就職のために京都を離れたので、結局、話し合う機会はありませんでした。あれから20年が経って思うのです。


結論として、私たちの世代では無理でしたね。「働き続けるための環境」はまだ整っていません。若い世代に期待したいところですが、女性は景気に左右される雇用の調整要員です。
 

バブル崩壊、リーマンショックの時と同じく、今回も企業は女子学生の採用を控えて、男子学生を選ぶでしょう。その結果、女性管理職は育たず、を繰り返すのです。

 

 

↑5か月前に書いた文章。年の瀬も押し迫っているのに、先日から続きを書いています。

 

今朝、いつも通り数日遅れで海外のニュース(26日付)を聞いていると

 

Enfin, l'égalité homme-femmes n'est toujours pas au programme au Japon. Le pays du Soleil-Levant reporte de dix ans son objectif d'atteindre une proportion de 30% de femmes à des postes à responsabilité.

 

(ニュースの)最後に、日本では男女平等が未だに予定されていません。(まるで芝居の演目について話しているかのよう。もちろん、全くそのつもり、計画はない、という皮肉が込められています)

 

日本( Le pays du Soleil-Levantは日本の別称で「日出ずる国」)は指導的地位に占める女性の割合を30%にするという目標を10年延期することになりました。

 

だそうです。

 

Radio France Internationale (RFI) "Journal en français facile"

 

記事では、新内閣には女性大臣が2名しかいないこと、夫婦別姓が認められていないことにも触れられています。

 

海外から皮肉られ、アハハ恥ずかしいと笑っていられる間はまだいい。私はこれぐらいの仕事でいいと言っていられる間はまだいいのです。

 

残念ながらお金が物を言う社会に生きています。それをまざまざと見せつけられたのが2020年だったのでは。

 

先月、ホームレスの女性が殴り殺されたというニュースを聞き、痛ましい事件だと思いましたが、朝の支度に追われ、深く考えることもありませんでした。

 

後日、社会問題として、この事件がニュース番組で取り上げられ、その女性のお名前、スーパーで試食販売をされていたことも知りました。亡くなった時の所持金が8円だったということも。

 

64歳の女性。家賃が払えず、路上生活を始めたのは努力や能力が足りなかったのでしょうか。就業、遡って教育の機会は均等に与えられていたのでしょうか。40代の自分の20年後かもしれません。

 

法律や制度を整えたところで考え方が変わらなければ意味がないのですが、時には形を整えることも必要だと思います。下駄を履かせてもらっているのは、一体どちらなんでしょう。

 

考え方が変わっていくには家庭や学校の教育も大切だということをひしひしと感じています。無意識に言っていること、行っていることが子どもたちの将来を方向付けてしまうということ。

 

最近は何かと気ぜわしくて、頭に思い浮かんだことも、知らぬ間に消えてしまうのですが、2020年を終える前にどうしても書いておきたかったことの一つです。