半年ほど前に目にした「無能」という言葉。日常に追われていても頭から離れず、こうして年末に急いで書いています。すっきりした気持ちで年を越せるように。

 

 

あの時、20年以上に渡り、男社会の中で頑張っている数少ない知人や友人の顔が頭に思い浮かんだものの、どうも筆が進まなかったのは、身近な人を引き合いに出すと、感情論になりがちだから。

 

そして、女性は感情的だからというレッテルを貼られてしまうため。一般的に、感情をあらわにするのは女性が無能だとされる要因の一つだそうですから。

 

私の考えでは、幼いころから感情を抑えるように教育された側と愛嬌を振りまくように教育された側の違いであって、人間である以上、感情に性差はないはずなのですが。

 

 

考えをまとめるとき、もちろん他者との関わりも必要ですが、前段階として自己を省みる作業が不可欠だと思います。意志的に行う作業というよりも内から自然に出てくるもの。

 

それは日常生活ではなく、大きな変化とともに現れるようです。私にとっては留学もその一つでした。日々感じることを日本にいる家族や友人に書き、海を渡ってきた手紙を読む。

 

当時、国際電話は高く、ネット環境も今ほど整備されていなかったため、一定の時間をかけて、自分のこと、相手のことを考える、という今の社会で忘れがちな習慣が残っていました。

 

10か月で126通。勉強する時間を惜しんで?手紙をしたためていました。

 

友人や知人の手紙には日本での日常も事細かく書かれていました。当時、私は大学4年生で、周りは就職活動真っ最中。凄まじい就職戦線だということが文面から伝わってきました。

 

そんな中、一つ年上の先輩は入社一年目で、手紙には仕事について、東京での一人暮らしについて生き生きと綴られていました。

 

就職氷河期で企業が女子を採らない中、会社で初の女性総合職として入社し、上京した人です。

 

就職して1か月後:

 

仕事は、自分の希望通り、○○の企画に携わる営業です。今は、○○とか○○(会社名)にTELして、PRをしに行かせて欲しいって言って、アポイントを取るんや。そして、アポイントが取れたら、先輩と会いに行って話をするんだ。私はまだ先輩の隣で話を聞いているだけやけどね。早く、1人で行ってお話ができるようになりたいですよ!この前は、○○のアポイントが取れて行くと、けっこうチャンスのある案件だったので先輩に褒められました。

 

半年後:

 

私は○○に就職し、早、半年が経ちました。初めて、売上げをあげたりもしました。今は○○区を回り、営業してます。出会いもあったりします。私と同じ1年目の子で、「がんばろうね」って言って別れたり、ある会社の営業に行ったら、私のように飛び込みしてる人がいて、その後、その人と何の営業やってるの?って話ができたり。そういう時って、私だけがんばってるんじゃなくて、みんながんばってる。私ももっとがんばるぞって思う。

 

 

手紙をもらったのか、直接会って話を聞いたのか覚えていませんが、確か2年目はスランプだと言っていました。

 

その後、これも詳細は不明ですが、営業から営業サブという位置づけになり、それでも30代半ばに管理職試験を受け、会社初の女性管理職に登用されました。

 

一方、就職戦線に真っ向から挑まなかった私は、正社員を2年と3か月で退職。先輩と会うたびに勤め先が変わっていると言ってもいいほど転々としつつも、組織の中に片足を突っ込んだままでした。

 

女子社員が男子トイレの掃除をさせられ、

課長からはタバコの煙を顔に吹きかけられ、

本を読んでいると「官能小説か」と言われ、

歓送迎会では部長から肩を揉まれた時代。

 

を経て、男社会に生きる先輩にセクハラについて聞いてみたことがあります。個人的な問題と捉えていたことを社会問題として考えるようになり始めた頃でした。

 

返事は、「そんなの気にしていたら仕事できないよ。」というもので、それ以上、聞くこともできず、がっかりしたのを覚えています。
 

学生時代から男友達の多い先輩。SNS上に「卒業後にそれぞれ努力してて、凄いなぁ。さすが男子はしっかりしとるわ。」というコメントを見つけたのですが、先輩のほうがその何倍も努力していますよ。

 

なんて言われると、本人は否定し、迷惑がると思います。現実を見ないようにするのも、男性を持ち上げるのも、男社会の中で生きて行く術なのかもしれません。

 

 

先輩との出会いは、25年前の4月。ある日、サークルのメンバーが準備体操しているところに一人で現れた私は、ジャンパースカートに大学生協で買った米袋を手に提げるという出で立ちでした。

 

法学部が中心の中に文学部が一人。もともと白い顔は受験勉強の名残もあり蒼白。どう見ても他のメンバーと不釣り合いな私を先輩は快く受け入れてくれました。

 

本人が立ち上げたジョギングサークルには男子学生のほうが多かったのですが、先頭を走り、メンバーを率いるのは元駅伝選手の先輩。

 

周りの意見も聞きつつ、毎回、どのコースを走るか決め、最後の坂道で、私のように遅れ出す人がいれば、後ろに回って背中を押してくれる。

 

状況を冷静に判断できる人。決断力があり、周りにも注意を配り、時には冷徹、時には柔和な人。

 

サークルに入会したばかりの頃に更衣室で「私は『来る者拒まず、去る者追わず』や」と言っていたのをまさに体現している人。

 

というのが後輩から見た印象です。きっと仕事でも同じ姿勢なんだろうと思います。

 

中学は幽霊部員、高校は帰宅部、大学卒業後は転職続きだったため、私が先輩と呼べるのはN先輩だけ。こちらから連絡することはないのですが、時々、連絡をくれます。

 

先週、届いたのは

 

「お疲れさまです、なかなか会えませんが、元気にしてる?」

 

とってもサバサバしていて、とっても温かい人です。

 

「男社会に生きる」

 

結局、個人的な感想になるのは、周りにロールモデルが少ないからです。就職難だったのに加え、人生の転機で譲歩せざる得なかった仲間たち。

 

負けん気だけでは乗り越えられないハードル、打ち破れない壁、手が届かない天井があるのでしょう。

 

同年代の女性たちへの思いを書くことで締め括りたいと思います。