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フランスで見つけた日本。

 

ここに辿り着くために、朝早く友人宅を後にする。

 

 

街まで出勤する友人の車に乗せてもらう。勤務先の美容室が、土曜日は隔週で8時半に開店するらしい。その代わり5時半には仕事を上がれるから苦にならないという。

 

働き者になりつつあるフランス人。日本でフランスのニュースを見ている時から感じていた。先日会った夫の友人は、サービス残業をしていると言っていたし、クリスマスに働いていた知人も多い。

 

今回の旅は、友人、知人を訪ねる旅。

 

話したい時に発言し、耳に蓋をしたい時には席を外す。前日に感じたことを日本語でブログに綴るほうが楽しい時もある。

 

いつまでも苦手意識のある英語と違い、フランス語は完璧には程遠いものの既に道具の一つになっていると思う。

 

フランスで話すことも、日本で友人を相手に話す内容とほとんど変わらない。違いは、日本では話す相手を選ぶけれど、ここでは気兼ねなく誰にでも思ったことを伝えられる点。

 

必ず話題に上るのはGilets jaunes(黄色いベスト)によるデモ。パリのど真ん中で働く店員も、地方に住む退職者も、会社員も、教員も、職人も、年齢、性別、職業を問わず一定の理解を示していた。

 

それが、移民、難民問題になると温度差があるように感じる。

 

夫の友人や知人に会うと、大概、仕事について聞かれる。フランスでは、femme au foyer(主婦)という言葉は、ほぼ聞かれなくなっているから。

 

よし来たとばかりに、自分なりの働き方改革を披露する。その過程で、どうしても「移民」について話す必要が出てくる。

 

熱い想いを受け止めてくれるのは、辛口のbrut(ブリュット)タイプの人。(土地柄、galette(ガレット)に合うcidre(シードル・リンゴを発酵させたお酒)に例えるなら)

 

前夜までは、村の中の石造りの家に滞在していた。散歩すると、泥が靴にこびり付くような場所。まさにbrut(辛口)だった。

 

美容師の友人と別れた後、向かったのは、どちらかと言えば、doux(甘口)の人々が住むお宅。集合住宅は、高い柵で囲まれ、幾重にも施錠されていた。

 

シャワーを浴びたばかりのレイラは、相変わらず美しくて、いい香りがする。部屋に入ると、白と木目を基調にした家具が整然と並んでいて、息子はニトリみたいという。

 

彼らに会ったのは、2年前の春だった。京都で過ごした、うららかな1日。彼女がフランスと日本を融合させた文房具を製作していると聞き、アトリエを見たいと思っていた。

 

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これは、インスタグラムに掲載されているアトリエ。この頃から配置は少し変わっているが、雰囲気はそのまま。右端の機械は、製本プレス機で、19世紀のものらしい。

 

実際のアトリエには、大きな和紙が丸められ、何種類も無造作に置かれていた。着物のデザインから染織までを手掛ける父の元で育った私にとっては、家に転がっていた反物が思い出される。

 

 

 

左は、冒頭の屏風型のアルバム。日本に戻ったら、どこに飾ろうか。右のミニアルバムは、手に取ると、着物の端切れか、柄見本に見えてくる。

 

作り手から直接、購入するほど楽しいことはない。以前、夫から誕生日プレゼントとして、彼女の作品をもらい、手に触れた時の温もりを思い出す。

 

電車の時間までのたった2時間の滞在。話は、あちこちに飛んだ。彼女のパートナーは高校の体育教師。もちろん教師のデモに参加したこともある。

 

いろいろフランスの教師事情について教えてくれた。

 

先生には転勤辞令はなく、本人が残りたければ、基本的には同じ学校に定年までいられること。

 

ポイント制度があり、同じ学校で経験を積むと、ポイントが加算されるという仕組みらしい。

 

ポイントがたまると、転勤を申し出ることができる。転勤により配偶者やパートナーと離れて住む場合、特別にポイントが加算される。

 

そして、昨今の生徒について。先生から連絡があっても返事をよこさないのを憂いていた。SNSで常に繋がっている世代には、連絡にさほどの重みが置かれないのかもしれない。

 

相手が体育教師ということもあり、常々、思っていることもぶつけてみた。私たちのマンションの前には中学校があり、猛暑日でも大雨の日でも部活動が行われている。

 

そこで張り上げられるのは、チームワークという名の犠牲の声。そんなことを揶揄して伝えると、フランスではあり得ない。スポーツをしながら声を出すとしても、歓喜の声や怒りの声だという。

 

もう一つ、この時期、フランスで挨拶代わりに交わされる会話と言えば、料理。北部、リール出身の彼は、西部に来て、バターの使用量に驚いたらしい。

 

というのも、今はどうか分からないが、昔、フランスの大半の地域で、スーパーに並ぶのは無塩バターだった。地中海の近くでは、バターよりもオリーブオイルが使われるのだろう。


それに対して、Guérande(ゲランド)の塩に代表されるように、西部では塩が取れるため、有塩バターが使われる。しかも、ふんだんに。

 

以前、東部からやって来たフランス人が、食卓に置かれているのが有塩バターということに感激していたのも思い出した。

 

この辺りには、galette(ガレット)やkouign-amann(クイニーアマン)*のように有塩バターをたっぷり使う料理が多い。どうりで毎食後、どっしり胃に来るわけだ。

 

(*日本で売っているのは、本場とバターの量が全く違う。)

 

来日経験のある、甘口のシードルのような人たちと日本の小綺麗な部屋を思わせる場所で話していると、落ち着く。必要としているのは、brut(辛口)だけど、たまには、こんなのもいい。

 

レイラについては:

日本とフランスの融合:フランス人装丁家の紹介