曇天の中、向かう事になったタージマハール。


750ルピーというインドの中ではグンバツに高いチケットを買って、入場。


荷物チェックがやたらと厳しく、かばんの中に入っていたぬいぐるみ、のり、三脚、カメラのリモコンなどは、預けるように指示される。


それでもジジだけは、生かしておきたいので、頼んでも居ないのにもらったミネラルウォーターを入れる紙袋の 奥の方に押し込んだ。

それと、なぜかスケッチが禁止らしく本などの持込みも禁止されている。


当日が、友人の結婚式だという事で、すでに掲載済みだけど、タージマハールで結婚祝のコメントを掲げてみるという 小さなミッションも、この場所ではどうやら禁止されているらしい。


そういうことで、小さく折りたたんで尻のポケットに隠した。



11時くらいに入場すると、そこには物凄い数の観光客が既にいて、世界各地から来てる様子だった。




さすが、世界一の建築物? このタージマハール。



何物かというと、ただのお墓。



ムガール帝国の第五代皇帝 シャー・ジャハーンが奥さんのために作ったお墓。


その奥さんに14人もの子供を生ませて、結局産褥。


なんとも同情の余地のない死因なわけだけど、昨晩、すでにレストランの屋上から見ていたその大きな大きなお墓は、 1500円も払って入っただけあり、その迫力や存在感には圧倒されたし、テレビやポストカードや本などで腐るほど 見ていたその建物でも、やっぱり直に見るとそれなりの感動を覚えた。


ただ、曇り空が背景なので、やっぱり白い建物ってのはそれほど映えずそこが残念。


「ここで写真撮ると綺麗だぞ」と親切なおじさんがいて彼に従って、何箇所かのスポットをとった後、

お決まりの「100ルピー」の要求が・・・。

「2ルピーあげる」って言ったけど、受け取ってくれず彼とはそのまま別れる。



友人のお祝いを掲げるべくタージマハールの周りを色々とまわって、探していたところ、 親切な女の子がそれを掲げて、写真を撮らせてくれた。

その後、お決まりの「10ルピー」の要求が・・・・

「2ルピーあげる」と言って、渡すと彼女は受け取ってくれて、そのまま分かれた。



彼らには、やっぱり単純な親切というものが存在しないらしい。



タージマハールの中にも入る事が出来たんだけど、その大理石の塊のなかにあるのは、


棺が2つだけ。


本当にそれだけ。


たったこれだけのために、こんなものを造っちゃうこの皇帝の神経が全然理解出来なくて、呆れたわけだけど、


結果的には、こうして多くの観光客を呼ぶ観光地になってるのは喜ばしい事なのか、


それともお墓がこんなに踏み荒らされちゃって悲しむべきなのか? 考えるのも面倒臭いです。 と、そんなタージマハール。
何が一番かっていうと、

中南米の無数のコロニアルシティの中における

町としての美しさ。ヨーロッパっぽさ。

これはあくまでも中南米が対象であって、

範囲を世界に広げてしまうと、恐らくあまりに手ごわすぎるヨーロッパの

数々の美しすぎる都市と勝負するにはやや厳しい。




とはいえ、中南米一ともなると、そのコロニアル・・・

そもそもコロニアルっていうのはスペインの植民地時代に作られた

建物の様式の事なんかを指すわけで、

当然中南米は、長い長いスペインの統治の歴史を持ってるおかげでコロニアル様式だらけ。




とにかく、その僕の主観的ランキングで栄えある1位に選ばれたのがグアナファトという町。

グアナファトは起伏にとんだ地形で、町の至る所に地下道が走っていて、

ほとんどの道がくねくねと折れ曲がっているので、

方向音痴な人間は一度散歩に出たら戻るのは至難の業なんじゃないかと思ったりもする。


そういう町って、一見や二見じゃ簡単に把握できるもんじゃなく、

おかげさまで町歩きをしていると、何があるのか分からなくて楽しい。

何が起こるかわからないから旅だからね。







しかし、なかなか写真ではその良さが伝わらなかったりもするので、
是非確かめて頂きたかったりもする。








市場を上から見る絵っていうのは、なかなか好きです。






なかなかひとつのフレームでこの町の魅力を伝えきるのはとても難しい。

ヨーロッパみたいな洗練された完璧な美しさじゃなくて、

ところどころ中南米っぽく汚れた部分があって、

ワンフレームで撮るとどこかにその汚れた部分が写りこんでしまうわけ。



だから、この町は是非是非歩いて頂きたい。

狭い路地やカラフルな家、典型的なコロニアル様式の教会、

ところどころにあって旅人を惑わせる地下道、丘からの夜景や市場など

その町の全体を捉えて初めてグアナファトの魅力が存分に伝わるのです。
ユーラシア大陸横断!





そして、マドリードからバスでリスボンへ。


ここに来ない事には、僕の旅は完結しない。


別に、ポルトガルの音楽に興味があるとか、料理が食べたいとか、修道院が見たいとかそんな動機はあまりない。、

全ては、ユーラシア大陸最西端ロカ岬のため。相変わらず東西南北の端にはこだわりたい。







そんなわけでリスボン。


リスボンで宿泊した宿に面した通りからの眺めがどこか懐かしかった。


狭い通りに5階建てぐらいの建物が隙間無く立ち並ぶ。

少しだけアジアの雰囲気がするこの感じ。





旅を始めて間もない昨年の4月に行った元ポルトガルの植民地マカオに、

この通りの雰囲気がとても似ていた。



ポルトガル人は、わざわざここからユーラシア大陸のはじっこまで行って、自分達の街に似せた街を作ったわけだ。




植民地時代の列強が世界にもたらした影響って、いまだに全然消え去っていなくて、多分この先もずーっと残っていくんだろうな。

アフリカを旅して、それが物凄くよく分かった。

アフリカの国々は、むしろどれだけ長く宗主国でいてくれたかによって、国の発展ぷりが違う。

おかげで、最近独立した国ほど発展している。そして、わずかに4年だけしか支配されなかったエチオピアの貧窮っぷりは、なかなかひどいというか、

同じ時代に生きている人間とは思いがたかった。




ま、それはおいといて、気を引き締めてユーラシア大陸最西端を目指した。



なにしろユーラシア大陸横断を果たすわけだから、気の一つや二つ引き締めないで、銭湯にでも行くような気分で最果てに着いちゃったら、


これまで費やした自分の膨大な時間と金が可哀想過ぎる。




電車で一時間、カスカイスという綺麗なビーチがあって、にぎわっている町まで行き、そこからさらにバスに乗って数十分。





道なりに進んでいたバスが、大きな通りを曲がると、いかにもこれから岬に向かいますといったワインディングロードが始まる。


そして、10分ほどすると灯台が見え、心の準備が出来ないまま着いてしまった。



車って、いつもいつも思いのほか早かったり、遅かったり。







岬は晴れていた。そしていつもどおり強い風が吹いていた。


代わり映えのしない岬だった。


岬から見えるのは、いつもいつも海ばかり。



ユーラシア大陸に関しては1年かけて辿り着いたことになる。

ヨーロッパに入ってから、あまりに簡単に快適に来てしまったので、心の底から湧き上がる達成感みたいなものは、残念ながらあまり感じなかったけれど、それでもこの時間の長さを痛感した。


何しろもう1年と5ヶ月も放浪している。これまでの事を思い返し、日本が恋しくなって、

このずっと先にある巨大なアメリカ大陸が少し邪魔に感じた。何しろアメリカ大陸が無ければ、日本に帰れるんだから。





世界一周って言ったって、飛行機でトータル30時間ぐらい乗って、2回ぐらい乗り換えれば地球は一周できるわけで、

どうせなら、飛行機使っても一週間ぐらいかけないと回れないぐらい大きいほうが、世界一周のし甲斐があるよなって思った事もあるけど、

これぐらいで十分だな。




とにかくその岬に座りながら、色々と物思いにふけっていた。






帰り際にシントラという町に寄った。



一応ここも世界遺産なわけで、バスに乗ってずいぶん高いところまで上って、ずいぶん高い入場料を払って、宮殿なんかにも入ってみたわけだけど、


ユーラシア大陸横断を終えた僕にとって、あまりになんてこと無さ過ぎて、あまりにやる気が無さ過ぎて、本当申し訳ないぐらいに、素通り観光をしてしまった。